ビイナ、しれっと水晶を壊す
「エノクを知っているのか…」
ネイサンがイーチェに問う。イーチェはコクンと頷くと寂しそうに俯いた。
「私が居た建物…そこに出入りするのは数人だけ…。導師様と三人の騎士…その一人がエノクって呼ばれてた…。それから連れ出される前に一度だけキンピカな服の男の人が来た。それだけ…」
皆が沈黙し、暫くそれぞれの思いに耽る。
「…先生…もし先生を捕まえようとしたのが導師様なら、絶対にあきらめない。あの人は、全てが自分の思い通りに出来ると思ってるから…。私も…」
イーチェは言葉を濁したが、イーチェを見てきた者には先の言葉が容易に想像出来た。
「せんせ、ボクとままが守るからね!」
暗い雰囲気に耐えられなくなったユキが、ネイサンにグリグリと頭を擦り付けて膝の上に顎を乗せて甘える。その仕草にほっこりする面々。
ネイサンは苦笑しつつユキを撫でて、耳の後ろを掻いてやる。
「…ユキは本当にジンの従魔って感じだよなあ」
「ええ…?ビイナさん、それってどういう意味ですか…?」
ビイナが呆れ半分に言うと、ネイサンの所からビイナの方に行って頭をグリグリするユキ。その愛らしさにうっかり絆されたビイナが撫でまくる。撫でてもらったユキは満足そうに仁の足元に戻り寝転んだ。仁はなんとも言えない表情でユキの行動を見ていたが「可愛いからいっか…」と気持ちをまとめた。
「…師匠、その水晶があるとこっちの動きが分かるのか?」
何事も無かったように話し始めるネイサン。大人の対応だ。
「うん?そうだな。あれば、な」
ネイサンが不審げにビイナをみれば、悪戯が成功した子供のような顔をしている。
すっと出した手の平には、割れた水晶が乗っていた。
「…師匠…」
「ふふん。わしを誰だと思っているんだ?この程度のモノを壊せなくてどうするよ。”不自然ではない壊れ方”だ。あちらさんも深く追求はしないだろうよ」
最初から言えよ…頭が痛そうな顔をしたネイサンがため息を吐く。
「問題ないんだな?」
「無いな」
「ビイナ様、すごい…どうやって壊したんですか…?」
「あー。君には、まだ早いな。魔力のバランスが整ったら教えよう」
「はい!」
イーチェの目が尊敬の念に溢れている。仁は良く分かっていない。
「…まあ、個人的に早急な要件は問題なくなったとして。国の問題が残るワケだが…ネイサン」
「おう」
「上層が陥落しないように見張る必要があるな。あと、ライラもだ」
「ライラは王宮に居る。大丈夫だろう?」
「甘いな。わしの知るソケネは驕っている者にとっては甘い蜜よ。ライラみたいのは特に良い餌食だ。何の魔法を用いるでもなく、相手が欲しい言葉を吐いて魅了する。エノクだってそうだろうさ。実に見事なモノさ」
ネイサンは腕を組んで考え込む。
「…どの道、ナーリはマーロウに預けるつもりだったからな…。不法入国でもあるし…」
チラと仁を見る。非難しているのではなく、良く出来たもんだという呆れが強い。
「とりあえず、外に出て問題がないならナーリとは今回の件を含めジンの事も口外しないように契約を交わす。その後で領主館に連れて行く。…必要ならマーロウにも契約させるが…」
ビイナが頷くのを見たネイサンは席を立ち、一度自室に戻ってから二階に向かう。
仁はそれを見送ってからビイナに聞いた。
「ビイナさん、なんで契約するの?」
元の世界でいう契約とは、違うのだろうか?
「魔法で交わされる契約はな。約束を破ったら火に焼かれると書けば焼かれるし、内容をしゃべろうとした瞬間に死ぬと書けば死ぬ。そして、双方が認めて破棄しない限り効力は消えない。そういうモンだ」
「まあ、契約を破らなければ何の問題もないけどな?」そう言ったビイナの顔はとても怖かったので、仁は引き攣った笑みを浮かべて頷いた。
「さて、わしも動かないといかんなあ…」
ビイナはイーチェを見る。ジンとここに居れば問題ないだろうが…保護者となった以上、連絡も取れないのでは困るだろう。
「二人共ちょっと待っておいで。通信用の魔道具の使い方を教えてやろう」
「はい!」
元気の良い返事を返した二人。ビイナは一度部屋に戻り、いくつかの魔道具を持ってきた。
ネイサンが持っていたような鳥型の物、袋のような物、ブレスレットのような物…それぞれ、用途が違うらしい。どれも大きな魔力を必要としないもので、緊急時には役に立つ物だとビイナは使い方の説明を始める。
「それと…これを使う機会は無い事を祈るが…万が一 魔道具を使う隙すら無い状態に陥ってしまった時の為に…」
そう言いながら、仁とイーチェの耳に触れる。チクッとした痛みがあったが驚くほどではない。触ってみると小さなピアスのように何かが埋まっている。
「どうしようも無い状態になってしまったら、それに魔力を籠めろ。一時的にだが防御してくれるし、使ったら わしとネイサンにわかるようにしてある。…最も、間に合わなければ意味はないのだが…」
それでも、無いよりは良い…ビイナはボソリと呟く。仁とイーチェは頷いた。
「師匠、ちょっと良いか」
ネイサンに呼ばれて、ビイナは二階に行く。残された二人は魔道具の使い方の確認をする。仁はビイナの言った「どうしようも無い状態」について考えていた。
ビイナもネイサンもいろいろな経験が豊富にあるはず。そんな人の言う、そんな状態。
…つまり、死んでもおかしくない状況って事よね…
仁は、ネイサンが黒いモノ--ソケネに呑み込まれそうになっていた時の事を思い出してぎゅっと我が身を抱く。
…怖い…
「ねえね?」
「…なあに?いっちゃん」
心を隠してニッコリと微笑む仁。
「…ちょっと怖い顔してた…」
「あら、やだ」
おどけて顔を両手で挟んで見せるとイーチェは笑って真似をする。
…この笑顔…護らないとね…。仁は愛おし気にイーチェを抱き締めるのだった。




