エノク
薄暗い洞窟で醜い老人…豪奢な部屋で導師と呼ばれていた男が、泣き叫ぶ少女を拘束して肌に直接手の平を当て 焼き印を押すように 魔法陣を描いていた。いくつかの方法を試したが、こうするのが一番効率が良いようだ。
「あの獣人がいれば、こんな面倒はなかったのに…全く…」
あの獣人には素晴らしい魔力があった。質も量も申し分なかった。
だからこそ巫女教育を施していた。様々な魔法陣を教え込む事によって、最終的な目的も隠して。時が来たら、自ら魔法陣を描き何の疑いもなく自らを幸せな生贄として捧げられるように。それだけで済んでいたはずだったのだ。
「助けてえ…ああーっ!いやいやいや!いーーーっ」
「…うるさいですよ」
男がヒラリと手の平を返すと少女の声は聞こえなくなった。少女は叫び続けているが、真横に居ても聞こえない。同じような少年少女が五人。獣人もヒトもエルフのような少女も居る。共通するのは膨大な魔力量。
「我が主に聞かせられるような囀りではありませんねえ…」
その点でも、あの獣人の躾は良く入っていたものを…
洞窟に描かれた魔法陣と、少女たちに描かれた魔法陣。
洞窟の魔法陣は瘴気を少女たちに集め、少女たちに描かれた魔法陣は取り込んだ瘴気を体内に入れその身の魔力を喰らう。体内で凝縮され純粋に昇華した魔力へと変換され、中央に浮かぶ水晶に吸い込まれていく。
まだ下の方が黒くなっただけだった水晶は、今や半分までが闇色にそまっていた。
ほんの数分で全ての動きが止まってしまうと、導師は忌々しそうな顔で水晶を仕舞う。
「後は任せますよ。次の生け贄を急いで連れてきて下さい」
後ろで控えていた男に命令する。
男は少し戸惑った後、恐々と「もう、おりません」と告げた。
導師は嫌悪感を露にして、控えていた男に躊躇なく術をかける。
苦痛にのたうち回る男。
「おりません、ではないのですよ。直ぐに用意しなさい」
「はい…はい…導師様…」
息も絶え絶えになりながら、ふらつきながらその場を離れていく男。
魔法陣のある部屋の横には小さな檻が幾つもある。しかし中身がいない。
男は生け贄を求めて洞窟を後にした。
導師は、さっさと空間を移動していた。
移動先は、あの豪奢な部屋。以前、三人の男を叱責した場所である。
あの時 偉そうにしていた男が椅子に座り、人形のように虚ろな目で宙を見ている。
導師は侮蔑的な笑みを浮かべると、慇懃な振る舞いで男に声を掛けた。
「これはこれはミガット様、もうお休みになられたかと思っておりました」
椅子の男はビクリと身震いすると目が覚めたように話し出した。
「導師どの、居たのか…」
「はい。おりましたとも。ささ、ミガット様はお疲れでしょう。寝所に参りましょうね」
まるで子供をいなすように促すと、大人しく出ていくミガット。
「…憐れですねえ」
ミガットが座っていた椅子に座る導師。ほどなくして一人の騎士が来た。前回居た三人の内の一人だ。
「どうですか、見つかりましたか」
「申し訳ありません…まだです」
「全く、あなた方も役に立たないですねえ。せめて生死の確認くらいしてきてもらいたいのですが?」
「ご期待に添えず…」
膝を付く騎士に、導師が言う。
「ああ、そんな言葉は要りませんよ。結果を見せて頂ければ良いのですから」
騎士の背中を汗が流れる。恐怖、畏怖、そんな感情が頭を占めて体が震える。
「それから、早々に生け贄を用意して頂けないと困りますよ?今は愚か者が狩りに出ていますけれど、あの者はどうも短慮で使えません」
「導師様の仰るような魔力を持つ者は、この辺りでは殆ど狩ってしまいました…。今は近隣国に探しに行っています。どうか、もう少しの猶予を…」
必死に訴えようとする騎士の様子を面白くなさそうに見ていた導師は、思い出したように懐に入っていた物に触れると にいっと獲物を見つけた獣のような表情を浮かべた。
「…エノク。あなた、これを持ってミナクルのネイサンに会いに行きなさい」
導師が差し出したのは、白く濁った丸い玉。
「いや…しかし…」
「特ランクだったのなら、相当良い資質があるはずです。あなたに聞いた時から興味がありましてねえ」
「…導師様、しかし私は…」
「その玉を持って歩き回るのです。その玉は魔力に反応して濁りが薄くなります。玉が透明になる程、近くに生け贄に相応しい者が居る証し。ネイサンに会うまでに見つかった者、老若男女問いませんよ?どんな手を使ってでも確保しなさい。魔法陣も何枚かあげましょう。それに、例の計画を実行するにはいい機会ですしね?」
「…」
「もし、ミナクルのネイサンが該当したら…」
導師は下品な笑みを浮かべる。
「くく…。もしそうだったら…エノク、如何に自分が愚かで困っているかを語り縋りつきなさい。きっと助けてくれるでしょうよ?」
膝を付く騎士ーエノクは怒りで顔が火照るのを感じた。
「さ、行きなさい」
話は終わりだと導師は部屋から出て行き、エノクは濁った玉を手に項垂れるのだった…。
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「エノク、行くのか…」
「ああ…行くしかない…」
導師に玉を預けられたエノクは、翌日早朝には旅支度を終えていた。
夕べの内に話を聞いた二人は外で待っていた。二人とも荷物を持っている。
エノクは嬉しい反面、皆で道連れになるのか…と憂鬱だった。
そして、これで終わるかもしれないという期待もあった。ネイサンに倒されればーいや、殺してもらえれば自分たちの苦しみは終わる。
かつて、身勝手な嫉妬と裏切りとで袂を別った友に運命を委ねる。実に自分勝手なオレらしいじゃないか?
「行こうか…」
本来なら一ヶ月は掛かる旅程も魔法陣を使う事で一瞬で終わってしまうが、さすがにネイサンに会うのなら通行門を使わないと怪しまれるだろう。
エノクは導師に渡されていた魔法陣を地面に置き、小瓶に入った赤黒い液体をかけるとミナクルの国境近くの森を目指して魔力を流す。ぼうっと光る魔法陣。
この魔法陣は導師曰く、使う者が訪れた事があり ある程度 正確に状況を把握している事という条件は付くが携帯出来る上に本来なら数人がかりの極大魔法が必要ないという 従来の転移魔法を覆すシロモノだった。それでも相当量の魔力を消費するのでエノクには厳しい魔法ではある。
あらゆる意味で逃げ場の無い状態の男たちは、導師の命令を果たす為に 鈍い光の中へと入っていった。




