常識を習う
ゴブリンとの遭遇
もはや常識であるはずの事を聞いてきた仁に、五人は目を丸くしながらも優しく教えてくれる。
この国はセルゼ帝国で北にフウツ山脈、西に隣接してセファ国、ミシュマル国があり少し離れてツォル国、その先にアメカーヤ王国がある事。
ミナクルはセルゼ帝国の中にある自治領で、マーロウ・ミナクル伯爵が治めている事。
治安も良い方で近くにダンジョンも在るため冒険者の数も多い事。
冒険者には、十歳以上であればギルドに登録して誰でもなれる事。登録するとギルドカードが発行されて、それが身分証になる事。
ランクは初心者の低ランク下位中位上位から中ランクの下位中位上位、高ランクの下位中位上位と上がっていき、最上位が特ランクであり現在は不在な事。
ちなみにギルドが銀行の役割も持っているので、ギルドカードを使ってどこの支部からでもお金を預けられるし引き出せる。
「ですからね。この、高ランク上位の四人は現在最高位の冒険者なんですよ」
アイザックはにこにこと笑いながら四人を見る。四人は苦笑いしながら話を進める。
「金の話なんだが…」エルが懐から小袋を出して硬貨を並べる。
「鉄貨が1セル、銅貨が10セル、小銀貨が100セル、大銀貨が1000セルで…ここには無いが小金貨10000セル、大金貨、白金貨、大白金貨がある。ま、俺ら庶民は使っても小金貨までだし白金貨なんて大商人や貴族くらいしか使わんだろ」
「そうですね。はい。これが小金貨に大金貨です。さすがに白金貨はないですが」
アイザックが事も無げに並べる。
「いやいやいや!アイザックさん、なに普通に出してるの!しまってしまって!失くしたらどうすんですかー!」
あまりに慌てるイズルの様子から、金貨が如何に価値あるモノかが伺える。
聞けば、贅沢さえしなければ小金貨二枚もあれば一ヶ月暮らせるらしい。宿に泊まるにしても、そこそこの宿の個室で一泊朝食付きで小銀貨一枚と銅貨五枚が相場。安宿なら銅貨五枚からあるが、大部屋で雑魚寝になるようだ。
物価はだいぶ安いみたい…。計算は十進法?時間の概念は一日二十四時間、一ヶ月は二十五日で十三ヶ月あるのね…
なんて頭の中を整理していたらガインが仁の肩を軽く叩く。
「最初は雑魚寝でも上等だが、けっこうな人数が居ると周りを警戒してピリピリしてなー。荷物をしっかり抱いて寝るんだが、寝たのか寝なかったのかわからなくなるんだよ。だから、神経細そうなあんたには進められないな」
豪快に笑う。野性的なハンサムが豪快に笑うとワイルドで良い…。
状況がどうあれ、やはり見惚れてしまう仁だった。
「さて。今日はこの辺で休みましょうか」
「え。こんな所で?」
峠を越えてしばらく。薄暗くなる前に夜営の準備をしようと少し拓けた道端に馬車を止める一行。
「この辺なら見通しも利くし、魔物が出たとしても低ランクくらいの弱いのばっかだからな。問題ない」
五人がそれぞれに荷物を出したり薪になる折れ木を探しに行ったりとてきぱき動く中、何をしていいのか分からない仁は冒険者たちに指示を出して貰って自分にも出来る事をしていた。
イシュアが鍋を火にかけ、干し肉と乾燥豆のスープを作る。その横で固いパンを切る仁。日本の防災用非常食の定番、乾パンなみに固いのでキレイに切るのが大変だ。旅の間は保存が出来ないので、どうしても乾物になってしまうのだとイシュアは顔をしかめた。
「出来たよー」
言いながら器にスープを入れようとしていたイシュアがスッと目を細めて暗闇を睨んだ。エルたちも同時に暗闇の先を見据えている。さっきまでの表情とは違い、鋭く危険を計る冒険者の顔だ。
急な変化に怯えた仁は後退りする。
「ゴブリンだね。けっこう居るね。20匹位かな…。私がやる?」
イズルが面倒臭そうに弓を構えた。
「やー、オレたち二人でいいだろ。矢が勿体無いって」
「だな。二人共、必要そうだったら援護してくれ」
エルとガイン。二人の剣士がスラリと剣を抜き、なんの気構えもなくゴブリンの群れに対峙した。イシュアとイズルは、それぞれ後ろで待機する。
アイザックも四人の様子にスッと馬車に寄り、邪魔にならないように仁と共に隠れようとして…何かに阻まれた。
「はぶんっ!?」
場面にそぐわない間抜けた声を出したアイザック。
ガインが横目で見れば、仁に抱き付かれたアイザックが目を見開いて狼狽していた。ガインは一瞬ひきつった顔をしたが見て見ぬ振りをして木陰から出て来た魔物に剣を向ける。
「ぎぎっぎいぃ」
耳障りな声を出しながら棍棒や錆びたような剣を掲げて迫るゴブリン。
大体に置いてこのゴブリンという魔物は人形であるが姿は醜悪。知能は低く力もそこまで強くない。
しかし、繁殖の為に他の種族を襲う事がある為に居たら討伐するのが決まりのようなものだ。低ランク下位の冒険者が中位に上がる時にもゴブリンを倒せるか倒せないかが基準の一つになっている。
ものの五分も経たないで戻って来た二人に、イシュアとイズルが困った顔で指を指す。指の先を辿ると、白く燃え尽きたアイザックを抱き締めたままの仁がガタガタ震えている。
額に手を当てて上を仰ぎ見るガインと渋い顔で口の端をひきつらせるエル。しかし「んっんん」とわざとらしい咳払いをして仁に声を掛ける。
「おーい、ジン。もう終わってるぞ。アイザックさんを放してやれよ」
「……!」
そーっとそーっと顔を上げる仁。
赤くなった目は、まるで子犬のように潤んでいた。
「あー…。な?もう大丈夫だ。放してやれ?」
男なのに!このガタイで!この目かよ!これが美女だったら良かったのに!心の葛藤を押さえつけるエル。
そんなエルの顔をじっと見つめていた仁は、そっとアイザックに回していた腕を解いた。瞬間、アイザックが大きく息を吐いた。
「た…助かった…窒息するかと…」
「…ごめんなさい…。怖くて…」
「ま、慣れてないならしゃーないわな」
苦笑して仁のわたあめみたいなもじゃもじゃ頭をポンポンするエル。
なんかもう、エルには仁がなつっこい大型獣にしか見えなくなっていた。
「…?あの、エルさん?」
仁の頭を撫で続けるエル。本人にとっては厄介以外の何物でもない仁の髪は、ふわふわの天然パーマでプードルのような触り心地なのだ。
「…いや、ちょっとマジで気持ちいい。なにこの頭…」
「ん?どれどれ?」
イズルまで触りに来て「いやー!なにこれ!獣人なみにもふもふなんだけどー!」とか言いながらもふる。結局、冒険者四人に撫でまくられる仁。ビックリするやら恥ずかしいやらで面白い顔になっている。
ちなみにその間、アイザックは仁から距離を取って身体をほぐしていた。
「あ、ねえ」
食事を再開したイシュアの問いかけにガインが目を向ける。
「あん?」
「ジン、お金も身分証も無いでしょ。通行門通るのに小銀貨二枚いるけど…」
「お金いるの?」
「うん。冒険者とか商人とか、身分証があればどこの町でも身分証のチェックだけで済むんだけどね。無い人はお金を払って通行証を貰って、出る時に通行証を返してお金を返してもらうの」
胸にしまっていたギルドカードを出して「さっき言ってたでしょ?冒険者ギルドや商人ギルドに登録すると、こういうカードがもらえるのよ」と見せてくれた。
再び青くなる仁。
「あぁ、それそれ。ジンさん、ジンさん」
アイザックが仁を呼びつつ、舐めるように全身を見つめている。
否。
実際は仁の服を見つめているのだが、その目は獲物を前にした肉食獣のようで仁は思わずその身を抱き締めた。
冒険者四人も不審な目をアイザックに向ける。
まさか抱き付かれてその気になったか…?
ハタとその視線に気が付いたアイザックが、違う違う!と必死に手を振りながら仁の服を指差す。
「これ!この服を売って下さい。こんなに軽くてふわふわで柔らかな生地、触った事がありません!是非とも売っていただきたい!」
ふんっと鼻息も荒くアイザックが仁ににじり寄る。
なるほど、さすが商売人。あんな状態でも手触りが気になったらしい。
仁は自分の服を、もこもこフリースのパジャマをしみじみと見た。
柔らかなクリーム色にピンクのお花模様が入っている。乙女な仁の、お気に入りの一つ。そして元の世界が夢ではないと証明してくれる唯一の物。
仁は眉間にギュウッとシワを寄せて目を瞑った。
…背に腹は変えられない…。
仁は涙目でアイザックに頷くのだった。