厨房と仁とビイナ
一時間ほど後、仁は寝ているユキをベッドにそっと移して厨房に立った。
起きてすぐに食べる気分にはならないだろうと、お弁当を作る事にしたのだ。外でも簡単に食べれて、軽くて嵩張らない物…食材をみて…サンドイッチしか作れない。腰に手を当てて「ふむ」と気合を入れて腕まくりをすると作業に入る。
芋を蒸しつつキャベツのような野菜を太目の千切りにして軽く炒めて味を整えたら皿に移して冷ます。玉子には少し甘い味を付けて厚焼きにする。これも冷ましておく。蒸した芋の皮を剥いてマッシュポテトを作り、少し辛めに味付けする。
薄めに切ったベーコンとチョリソーみたいなウインナーを焼く。
それらを切ったパンに乗せ、くるんと丸めて四種類のロールサンドにする。これなら移動しながらでも食べれそうだと思ったのだ。
「いやーん!なにこのいい匂い〜!ジン〜わたしこれから出発なのに拷問だよ〜」
「あら。おはよう、マオちゃん」
「おはよー…あむ?」
ととと、と吸い寄せられるように仁の横に来たマオの口に、卵焼きをホイッと入れる仁。
「おーいーしーい!」
目を輝かせるマオに苦笑する仁。
「お弁当にサンドイッチを作ってますからねぇ。早く支度をしてきなさいな」
「はーい」
「なんだ…?美味そうな匂いだな…」
今、起きたばかりといった風情でネイサンが登場すると仁が挙動不審になった。
「お、おはようございます…!道中で食べられるお弁当作ってました…!あっ、お茶っ飲みますかっ?」
「先に湯を浴びてくる。濃いめのを用意しておいてくれ」
「はいっ!」
ネイサンがあくびをしながら出て行くと、仁は崩れ落ちた。
「あふん…い…良い…一緒に居るって…そうよね…そうよねえ…こんな役得あったりしちゃうのよねえ!ああん!困っちゃうぅ」
せ、せんせーの寝起き…破壊力ハンパないわ…。たった二時間くらいだったのに…!寝癖の付いた髪の毛が…、おヒゲが…、肌着姿が…鼻血出そう…あ、火を使い終わってて良かった…
「…なにやっとんだ、君は」
呆れた顔で仁を突っつくのはビイナだ。ビイナはあの後もテラスで飲んでいたらしい。使っていたグラスを片付けに来たら変なモノがいたわけだ。
「おはよーございます…。あの…せんせーがセクシーすぎて…」
「セクシー?」
「…み、魅力的、すぎますぅぅ…きゃぁう!」
真っ赤な顔を隠して身悶える仁。
「うわあ…」な顔で引くビイナ。
「ジン!お弁当出来た?」
マオの声にビクーッとした仁。仁に驚くビイナ。
「君、びっくりし過ぎだろ」
「マオちゃん!出来てるわよう!せんせーと二人分入ってるからねぇ。こっちはお茶よぅ!」
慌てて水筒とお弁当を纏めてマオに渡す。それからネイサンの為に濃いめのお茶とマオ用にはミルク、サンドイッチも少し用意する。
その顔はまだ上気している。ビイナは厨房の部屋のドアがあるだろう場所を横目に、大笑いしないよう苦し気に俯いている。
ネイサンも十分ほどで身支度を整え戻って来た。何もなかったようにさっとお茶を入れる仁に、遂にビイナが盛大に吹き出す。真っ赤な顔でビイナに抗議する仁、ワケがわからずにお茶を飲むネイサン、厨房に残っていたサンドイッチの残りを必死に食べるマオ。実にカオスな状態は、ネイサンとマオの出発まで続いた。
「はあ…」
行っちゃった…
「ビイナさん、すぐにご飯作りますから待っててくださいねぇ」
「ん?弁当の余りがあっただろう?それでいいぞ」
「マオちゃんに全部食べられちゃいました」
クスッと笑う仁。ビイナは実に惜しいなあと思う。仁が女だったら、なんの文句もないんだがなあと。
仁はササッとベーコンと目玉焼き、軽く温めたパンには学舎で作った自家製のバターとジャムを添えて出した。
「良いな。朝飯って感じのメニューだ」
「もうじき、お昼ですけどねぇ。お買い物に行かないと食材が無くて…」
「ままー、おはよー」
「おはよう、ユキちゃん」
ユキはじっとビイナをみる。ネイサンからビイナには喋っても良いと許可が出ている。
「…びーな、おはよー」
「あん?ビイナ様と呼ばんかい」
「び、びーな、さま、おはよーござ、ます…」
悪戯っ気を起こしたのか、ビイナがユキを睨んだ。ビビるユキ。
「ふう、美味かった。飯に免じて許してやろう。…おいで」
ユキを手招きするビイナ。
ユキはチラッと仁を見て笑っているのを確認してからビイナの元に行った。ビイナはユキをヒョイと持ち上げて上から下からと観察すると胸に抱いて撫でた。師匠も、もふもふ好きらしい。
「これは、どういった経緯で君の従魔になったんだい?」
「…せんせーにダンジョン体験してこいって言われて、冒険者のエルさんたちと美食ダンジョンに行った帰りに…」
「高ランク上位のエルか?また随分豪勢なパーティーだな」
「あたし、エルさんに拾ってもらったんですよぉ」
仁は端折る事なく素直に話す。ネイサンの様子から、ビイナは信頼出来る人だと認識していた。
ビイナの方もネイサンからの情報と昨日からのやり取りで、仁の人柄は大体理解していた。してはいたが、仁の話す内容は頭が痛くなるモノだった。
「…長い事生きてきたが…こういう個体は初めて見たよ」
君も含めてな…と心で呟いた。
「可愛いですよねえ」
仁の頭には、お花が咲いている。
「ねえね!どこ?」
パタパタと足音がして、二階からイーチェの声がした。
「はーい。お台所にいるわよう!」
仁が答えるとトントンと階段を降りる音がして、イーチェが飛び込んできた。起きたらマオが居なかったので慌てたようだ。
「ねえね…」
抱き着いて安心したらしい。ビイナに気が付いてモジモジとする。
「いっちゃん、ビイナさんにおはようは?」
「ビイナ様…おはようございます…」
「うん。おはよう」
何故かユキの前足を人形の様に動かして返事を返すビイナ。
「あ…ごめんなさい…。ビイナ様、なんですよね…ビイナ様…」
外見のせいもあって、何となく”さん”付けで呼んでいたけれど…これは改めなくてはいけない感じね…
「…何でだ?君が言うと、なんでか非常に違和感を感じるんだが…」
首を傾げて仁をまじまじと見るビイナ。そんな事を言われても…と情けない顔で見返す仁。
「発音がおかしいとかですか?」
「いや、これは生理的なもんだろうな」
”様”と敬称を付けられるようになって幾百年。今では当たり前になっている事で、寧ろ”様”付けでなければ建前上に問題が出る。しかし今回の違和感は自分でも何故なのかわからないので仕方ない。
「ひどい。それじゃあ、どうしようも無いじゃないですかぁ…」
泣きそうな顔になる仁。
「まあ、仕方あるまい。ここに居る時は”さん”でいい。”さん”で。こっちは最初から違和感なかったしな」
「…はい、ビイナさん…」
ビイナの表情から、嫌われた訳ではなさそうね…と胸を撫で下ろす仁。
ビイナは仁からイーチェに視線を移す。
「…うん…確かに混ざってるな」
イーチェを見透かす様に見ていたビイナは小さく呟くと、何か考え込むように目を閉じた。そのまま暫くその状態が続いた。そして、スッと仁を見据える。
あの時ネイサンから向けられた、鋭く刺さる目線そのままの眼差し。
仁の心臓が再びドキン…と跳ねる。
だが、しかし。仁は逸らすことなく正面からそれを受け止めた。
どの位の時間が経ったのだろうか。仁とビイナの無言のやり取りに、ユキもイーチェも動く事が出来ずに待ち続けた。
「…いいだろう。君を使い物にしてやる」
「え…」
「ただし、最初に言っておく。一度でも弱音を吐いたらそこまでだ。わしはバカ弟子のように気が長くないんでな」
よくわからないが、ビイナは自分を特訓してくれる気になったらしい。仁は ぱっと明るい顔をして「宜しくお願いします」と答えるのだった。




