厨房にある見えない部屋
「ジン、お前は好きな部屋を使え」
「奥の緑のプレートはわしの部屋だ」
ちょっと口を尖らせるビイナ。
「…そういうことだ」
面倒な…ネイサンは疲れた顔をした。
仁は、なんで自分はどこでも良いのかしら?と思いつつ。
「じゃあ、ここのお部屋使います」
厨房の方を指差して言う仁に、ネイサンもビイナも驚愕の表情を見せた。驚きのあまり、言葉も出せないといった風情だ。
そんな反応に仁も驚く。
「えっ…と、あの…ごめんなさい。ダメなお部屋だったんですねぇ?さっきチラッと覗いちゃったんですけど、すごくしっくりきたので…」
大きな身体を小さくしてシュンとする仁。
ネイサンとビイナは顔を見合わせてから、ゆっくりと仁に向き直る。
「…良いぞ…」
「え?」
「えっ?良いのか?」
何故か仁より驚くビイナ。
ネイサンは腕を組んで眉間を寄せたが、もう一度宣言した。
「ああ…。あのドアが見えて、開けられたというなら…」
少し辛そうな表情になるネイサンに、仁は慌てる。
「あ、あの、あたし二階に行きます。だから…」
お願いだから、そんな顔をしないで…
「…ジン、ちょっと」
ビイナがいつの間にか厨房に居て、手招きしている。ネイサンの事も気になるが、ここは行った方が良いと思って立ち上がる。
「はい。なんでしょう?」
「…どこに、その部屋がある?」
「え?…ここに」
何を言っているの?仁が不思議そうにビイナの真横を指差すと、ビイナの目が細められる。そして差された場所を手ですーっと撫でた次の瞬間、弾ける様に笑いだした。
ワケが分からず戸惑う仁。気が付けばネイサンも居て、実に形容し難い複雑な顔をしている。
「気にするな。良いから使え」
「笑い過ぎだぞ」と酸欠になって咳き込んでいるビイナを引きずってダイニングを出ていくネイサン。
「師匠、一杯付き合え」
「ひーはぁ。ああ、良いぞ。祝の酒だな。何て面白い時に居合わせられたんだろう。こんなに笑ったのはいつぶりかね…」
笑いの発作が収まらないビイナを引きずったまま、中庭に面したテラスに行くとビイナを放り出す。一度 中に入り、戻って来た時にはボトルとグラス二個を持っていた。
「おお、良いな。この酒は美味いし強すぎないから好きだ」
「あと少しで出なきゃならん。少しは寝ないといかんしな。あまり強いとまずい」
本当は強いのを煽りたいんだがな…ネイサンがグラスに注ぐと、ビイナは嬉しげに笑って軽くグラスを上げる。
「…おふくろさんに…」
ネイサンは何も言わずにグラスを上げた。
*****
ネイサンたちが行ってしまうと、仁は食器を片付けてホールに置いたままのナップザックと傷んでしまうからと学舎から運んできた食材を持って来た。ネイサンの学舎は暫くお休みだ。
アイザックに貰ったナップザック。この世界に来て数カ月経つが、仁の持ち物は未だにこのナップザックに収まる範囲だった。
宿は自分の家では無いし、働けなくなったら出て行かなくてはいけない。そう思うと、必要最低限の物でやりくりしないと大変な事になる。だから、増やせない。
カチャリ
厨房の横にある、シンプルなドアを開ける。
ビイナさんたちには、このドアが見えないのかしら…。不思議ねえ。
そういえば撫でた時、何もないような手の動きだった…。
中に入ると、何となく懐かしい匂いがして仁を安心させた。二階の部屋の様に広くはないが、ベッドとノートがギッシリ詰まった本棚と小さな机がある。
ノートを一冊手に取る仁。
それは大量のレシピを一冊に纏めたものだった。何冊か手に取るが、いづれもレシピや旬の食材と採取場所などの料理に関するものばかりだった。全てが同じ筆跡なので、これを書いたのはここで寝起きしていた人なのだろう。優しく几帳面な文章に、嬉しそうにノートを撫でる仁。
「すごいわあ。これ書いた人、お料理大好きだったのねぇ」
そう言ってから、悲し気に微笑む仁。
「…せんせーが遠征から帰ってきたら、ここから出て行かないといけないでしょうし…その間に頑張って勉強させてもらいますねえ」
「まま、今日からここに住むの?」
ずっと大人しくしていたユキが、そっと仁の顔を押す。
「そうよぅ。しばらくの間だと思うけどね、せんせーがいっちゃんの為に使わせてくれるのよぉ。ユキちゃん、おイタしちゃダメよ?」
「むう!ボク良い子だもん!」
「うふふ。そうねぇ、ユキちゃんは良い子よねぇ」
ベッドの上で一頻りいちゃいちゃした仁はユキを膝に乗せて座ると、ネイサンを待っている間にイーチェに教えてもらったあるモノを完成すべく縫い針を動かすのだった。




