イーチェとユキ
ネイサンたちがギルドに行ってしまったあと、仁はユキとイーチェと共にお菓子とお茶とジュースなどを持って二階に行った。
「絶対に二階から出るな」というネイサンの言葉を正しく理解した為だ。「絶対に」と言うからにはこの部屋にも何かあるのだろう。幸いにもトイレはあるので、そこは安心だ。しかもここのトイレは一階も二階も、魔道具なのか全く臭くない。宿のトイレも換気されてはいたが、やはりトイレの匂いはしていた。
学舎のトイレは仕組みは分からないが凄いものなのだと仁は思っている。
「さ、いっちゃんにユキちゃん。何して待ってましょうか?」
「ぴい!」
昨日から仁を取られているユキが抗議の声を上げた。仁とネイサンとの約束で、二人以外の人がいる時はおしゃべりも出来ない。結構、イライラモヤモヤしていたのだ。
「ユキちゃん、いい子ねえ。ままの自慢の息子だわあ」
ユキを抱いて顔に寄せる。その表情は母性に溢れた優しい笑みに包まれている。
ユキがくすぐったそうに仁の顔に頭を擦り付け、頬を舐める。猫だったら、盛大にゴロゴロとノドを鳴らしている所だろう。
ベッドに座って仁とユキを見ていたイーチェが、「むうっ」と微かに頬を膨らませた。ベッドから下りて、仁の座る椅子の方に行く。
「いっちゃん、何する?」
優しい笑みが、そのままイーチェにも向けられる。
「ねえね…と一緒にいる…」
恥ずかしそうに言いながら、大きな零れ落ちそうな瞳が仁を見上げる。
仁、悶絶。
ちょっとちょっとちょーっと待って?い、今…今、いっちゃんたら何て言ったの?なんて…なんて…
「い…いっちゃん…今…今のもう一回…」
荒くなりそうな鼻息を必死に抑えてイーチェにお願いしてみる。
イーチェはコテンと首を傾げて少し考えた。
「…ねえね…?」
「あふん…」
ユキを抱っこしながら椅子の上で身悶える仁。傍から見ると何となくイヤな光景だ。
それが面白くないのはユキ。自分とイチャついている所を邪魔された!と思っても仕方ない。だってまだ赤ちゃんだもの。
「ままは、ボクのままなのーっ!」
「やっ!ユキちゃん、だめよぅ!」
仁の手の中で毛を逆立てて、遂に抗議の言葉を出してしまった。ハッとしてユキの口元を押さえる仁だが、もう遅い。
「あ、あのね、いっちゃん。ユキちゃんは…」
「うん。ユキは、精霊…?モンスターじゃないよね…?」
「え…」
「なんでー?イーチェ、せいれい知ってるのー?」
さっきまでの嫉妬心もどこへやら。驚いて仁の膝の上に移り、イーチェと視線を合わせるユキ。
「…ユキは、ねえねの魔力を纏ってる。従魔だからじゃない。魔力の本質まで同じ…?」
普通はありえないのに。
イーチェの言葉に驚く仁。
「いっちゃんは…魔力とか魔法に詳しいの?」
「わたしも、ねえねと同じ。魔力量が多い。放っておけば、周りに害を成す…生まれた時からそう言われていたんだって。それを抑える為に、いろんな事を学ばされた…」
イヤな事を思い出したのか、大きな瞳が潤む。ユキがちょん、とイーチェの鼻に自分の鼻を付けた。キョトンとするイーチェ。
「まま、イーチェ抱っこしてあげて」
仁、感無量といった顔でユキを撫でまくる。なんていい子なの!あたしの可愛い子ちゃんたら!ああもう!
ユキに言われるままにイーチェを抱っこしてベッドに移動する仁。ユキは仁の肩に乗ってお兄ちゃん顔でイーチェを見ている。
「いっちゃん、もう大丈夫よう。いっちゃんにヒドイ事する人には、絶対に渡さないからねぇ」
「でも…」
「例え、せんせーが渡せと言ったって離すものですか。ユキちゃんもいっちゃんも…」
自分が弱いのは承知している。それでも。
ギュウっと強目にイーチェを抱きしめる。
柔らかくて温かい。ここに来た時は冷たくてそのまま死んでしまうのかと思った位だ。
昨夜…二人一緒にベッドに入れたが、イーチェがひどくうなされるので仁が抱いて落ち着かせていた。
一度、意識が戻った時は気が狂った様に暴れて大変だった。癇癪どころの騒ぎではない。仁はネイサンが「眠らせるから降ろせ」と言うのも聞かず、蹴られても殴られても引掻かれても。あまりの激しさに、椅子に座っている事が出来なくなって膝を付いても。
何かにその身を切られ血が流れるのを感じても決して離さなかった。
仁は今ここでこの感情を出し切った方がイーチェの為だと信じて耐えた。
イーチェの錯乱は一時間以上続いただろうか。
暴れ方が弱くなって来たら「大丈夫よお。大丈夫。傍にいるからねぇ」と声を掛け続けながらゆっくり撫でた。そして、イーチェは電池が切れたかのように眠りに付いたのだった。ホッと胸を撫で下ろす仁だったが、ふと見ると鋭く刺すような目で自分を見ているネイサンの顔があった。
「あ…せんせー…、ごめんなさい…あたし…」
心臓まで射抜かれそうな、今まで見た事の無い表情に戸惑う仁。
ネイサンは何も言わずに、傷だらけになった仁に回復魔法を掛けると部屋を出て行ってしまった。
だから。
さっきはどんな顔でネイサンに会えば良いのか、仁にはわからなかった。
けれど、ネイサンはいつもと変わらない態度だった。大丈夫なのかと心配してくれた。
戻ってきたと思ったらマオちゃんと、行ってしまったけれど…。
「ねえねは…先生が好きなの?」
「あ、んん…。んふふふ…わかっちゃうかしらぁ」
抑えようとしても抑えられなくて口元がニヤけてしまう。
「あたしねぇ、こんなに誰かを好きになったの初めてなの。それに、会ったばかりなのに こんなに大切で守りたいと思える存在に出逢えたのも初めてよ」
あなたたちの事よ…とユキとイーチェを撫でる仁。気持ち良さそうに目を細める二人。
「…あ、ユキ…」
「なに?」
イーチェがユキを呼び、何やらコショコショと小声で話している。
「んー?」
「いっちゃん?ユキちゃん?」
仲間ハズレでちょっと寂しい仁。
「あのね、ままがボクを大好きで、ボクもままを大好きだったらできることがあるみたい」
「ままはユキちゃん大好きよ?」
にへっと笑うユキ。「ボクも〜。ボクもまま大好き〜」言いながらグリグリと頭を仁に擦り付ける。
「もちろん、いっちゃんもね!」とイーチェも撫でる仁。イーチェも嬉しそうな顔をして仁に頭を預けるのだった。




