ユキとネイサンの精霊
生徒を帰した後、仁に座る様に言い付けたネイサンは学舎の戸締りをしてから窓を開けた。
気持ち良い風が入って来る。
「全く…あいつを頼る羽目になるとはな…」
仁が見ていると、ネイサンは風上にある窓に向かい片手を差し伸べて何やら呟いた。
ぶうわっと強い風が部屋に渦巻いたと思った次の瞬間、目に映った光景に仁は激しい動悸がして目眩を起こしそうになった。
ネイサンの肩に、透明かと思うくらいの白髪と薄い緑色の瞳を持つ小柄で華奢な美しい女性が座っていたのだ。その女性は、嬉しそうにネイサンの頭を抱くと髪に口付ける。
ネイサンは少し煩げにするが、抵抗もしないでされるがままだ。
『…ネイサン、久しぶり。逢いたかった』
「おう。お前も達者みたいだな」
『ええ。あなたも…』
そこまで言って、仁の存在に気が付いたようだ。
『あら…なあに?この歪んだ存在…』
「歪んだ存在?」
女性はふうわりと仁の前に浮かぶと、指を指してネイサンに言った。
『これの為に私を呼んだの?』
非難めいた物言いだ。仁は嫉妬と居心地の悪さとで身を捩った。
「すまんな。だが、ちゃんとした理由がないと呼んでも伝えてくれないだろう?」
『…そうね…そうでないと声を運んでもらえないから…』
悔しそうに外を睨む女性。
ネイサンはこっそりとため息を付いて首を振った。
「せんせー、この…人…?は?」
仁の問いかけに、ネイサンが驚く。
「…視えるのか…?」
『視えてるわね』
「そうか。視える質か。なら話が早い。ジン、こいつはルアフ。風の精霊だ。普通なら、まず会えないし見えない存在だ」
「ルアフ、こいつはジン。その従魔のユキ。で、このユキなんだが…」
「風の…精霊…?」
なるほど。だからこんなに美しくて、軽やかなのか。けれど。
『くす…。ネイサンが好きなのね?』
真正面から言われて狼狽してしまう仁。
追い打ちを掛けるルアフ。
『ダメよ。ネイサンは私のモノなの。あげないわ』
拳を握りしめて耐える仁。
ネイサンは面倒臭そうに手を振る。
「誰がお前のモンだって?しつこく俺に付き纏い過ぎて制限されたんだろうが」
『だって、少しでも一緒にいたいもの』
「まあ、それは置いておこう」
ネイサンはルアフの手を取ると、そっと自分の傍に寄せた。
しつこく…と言う割には随分と優しく触れるのね…仁の心に棘が刺さる。
「なあ、あれはワーキャットか?」
『…そうであって、そうではないものね…』
自分の心の葛藤に苦しんでいた仁だが、二人の会話がユキの事だと分かると気持ちが少し落ち着く。
「変異種か?」
『変異…そうね…多分。それに凄く高純度な魔力を持っているけれど、それはアレが持っている魔力を糧にしているからだと思うわ』
仁をチラと見て言う。
「アレってのはジンの事か?ジンの魔力を糧にしている?」
『ええ。おチビちゃん、そうでしょう?』
すいっとユキに近付き、覗き込む。
いつもは物怖じしないユキが身を縮めて、仁にピタリと貼り付いた。その様子を見た仁がユキを守る様に抱いて鼻息を荒くした。
「なによ!さっきからアレだのコレだの言って!ユキちゃんまでイジメるなら、いくらせんせーのお友達だって許さないから!」
ルアフは面白そうにコロコロと笑うと再びネイサンの肩に戻った。
ネイサンは困った顔で盛大なため息を付く。
「ルアフ、遊ぶな。こっちは真面目なんだ」
『あら…ひどい。答えないのは向こうよ?』
「…ジン、ユキを隠すな。ユキ、ルアフに答えろ」
仁は顔を顰めて精霊の言いなりに言うネイサンを見る。
ネイサンは、これまた実に面倒臭そうに仁に言う。
「ルアフは俺に構い過ぎて同族に干渉されている。こうして話が出来るのは、俺の方から呼んだ時。それも三十分程度しかない。今は必要な情報が欲しい」
『全く無粋よね。三十分くらいじゃナニも出来ないじゃない』
むくれた顔でネイサンの腕に絡むルアフ。
仁は再び自身の葛藤を抑えてユキに聞いた。
「ユキちゃん、あの精霊の言う事は本当なのかしら?あたしの魔力をご飯にしてるって…」
ユキは顔をそらす。抱かれた仁の手をギュウっと前足で抱き締めると耳を伏せる。なんとも愛らしい。
「ままのそばにいると、すごくあったかいのがボクの中に入ってくるの…。それがあるとお腹空かないから…」
そうなのかも…
仁に嫌われるかも知れないと、不安気に仁を見上げる。
仁は全く気にしていない様子で、手にしがみついたユキを愛おしそうに見ている。
『普通はね、貰い過ぎると相手を死に至らしめるのよ。おチビちゃん』
「ぴいっ?」
『魔力の枯渇は、そのまま命の火を消してしまう事もあるの』
相手がコレで良かったわね
驚いて仁を見るユキに嫌味っぽく言うルアフだが、その目は何故か悲しそうだ。
「ジンの魔力は多いのか…」
『普通のヒトなら、ありえないくらい』
「それは…」
「そうなのぅ?良かったわあ!ユキちゃん、聞いた?遠慮なくままの魔力、食べてねぇ!」
「ばっ…お前なあ、何言ってんだ?」
ネイサンがルアフに質問しようとしたら、仁が嬉しそうにユキに言うのだった。
「だって、母親がおっぱいあげるのと同じでしょう?ユキちゃん、あたしの可愛いボクちゃん!」
母性本能発揮しまくる仁。大きな瞳を嬉しそうにキラキラさせたユキが「ままー」と甘え付く。
砂糖を吐きそうな顔のネイサンと、それを面白そうに見ているルアフ。
『ネイサン、あなたがこんなに楽しそうなのを見るのは何年振りかしら』
「楽しんでねえよ」
『そう?…そうね。あなたが望むなら、あのおチビちゃんの基礎教育をしても良いわ。本来なら仲間がするものだけれど…いないなら、仕方ないもの』
思いがけない言葉に眉をしかめるネイサン。
それを見て、やはり悲しそうに微笑むルアフ。
『…あなたから貰わない…アレから少し貰う事にする…』
「いや、それもどうなんだ?ユキに食われてるんだろう?」
『アレはあのおチビちゃんと会えて運が良かったのよ。でなきゃ、あの歪みを抑えられなかったかもしれない』
「お前の言う歪みってのは何なんだ?」
『この世界に居るはずの無いモノ』
「あん?」
言いかけるネイサンを制して首を振るルアフ。
『私にもわからない…』
だから、少し観察もしたい。ルアフの言葉にネイサンは頷くしかなかった。
そして、ルアフは仁に『自分が領域外にいるには相当量の魔力がいるのよ。おチビちゃんにいろいろ教えてあげても良いけど、魔力を貰うわよ』と言い放つと『ああもう!今日はもう無理だわ。ネイサン、また明日呼んでね』と消えてしまった。
呆然としている仁に、窓を閉めながらネイサンが言う。
「昔は、自分の魔力だけで好きな所に好きなように行けたんだがな…。今は精霊界という場所からあまり離れられない」
「なんでですか?」
「俺に付き纏った結果、知らぬ内に俺の魔力を吸収してしまっていたんだ。俺は死にかけたし、そのせいであいつは同族に行動を監視される事になった。俺に近づかないようにな。で、俺が呼んでも領域外に出ると干渉されて制限される」
「え…。じゃあ、本当は一緒にいたいのに離されちゃったの…?」
ネイサンは胡乱な目で仁を見る。
「俺は離されて助かってる。あいつのおかげで冒険者辞めたようなもんだしな」
おっと、言い過ぎた…という感じで口を抑えるネイサン。いろいろあったようだ。
仁は少し考えてからユキをネイサンに向けた。
「…ユキちゃんの為になるなら…せんせーの言う通りにします」