ネイサンとお話し
ギルドから出た仁はネイサンに連れられて酒場に来ていた。
ギルドの隣の店ではなく、ネイサンの行きつけの店だ。この店はギルドから少し離れた裏通りにある酒蔵を改造したもので、照明がぼんやりと暗くテーブル毎に仕切りと消音の魔道具が置いてあるので会話の内容を気にしないでいい。
仁はこれからお説教されるんだと思いつつも、デートしているようなシチュエーションにドキドキもしていた。ユキは仁の肩に乗り、頭に張り付いて顔を仁の頭の後ろから覗かせている。
「で、だ」
頼んだ酒をグイッと飲んだネイサンは切り出した。
「お前、どこで何をしていてんだ?」
冒険者に事情を聞くのはマナー違反だと言える。それでもネイサンは聞くべきだと思った。もし仁が言わない選択をするなら、それはそれで構わない。
「…わかりません…」
ネイサンの声は怒っているわけでもなじっているわけでもない。そこにあるのは温かさと優しさだ。
仁は困って俯いてしまう。どう話せば良いのか迷っていた。
ネイサンは酒を飲みつつ、じっと待った。
「…エルさんたちに会う少し前…気が付いたら見知らぬ所にいました…。なんでこんな場所にいるのか…ここが何処なのかすらわかりませんでした」
仁はしばらく押し黙った後、ぽつりぽつりと話しだした。
自分の部屋で寛いでいたはずなのに、気が付いたらに身一つで草原に居た事。
最初は途方に暮れた事。
現実感がなくて夢だと思って歩き出した時にエルたちに会った事。
彼らのおかげで、この世界の常識を知れた事。アイザックが着ていた服を買ってくれたおかげでお金を手に入れた事。
身分証の為に冒険者登録した事。知識が欲しくて学舎を紹介してもらった事。
ゆっくりと、俯いたまま話す仁。
ネイサンは頬づえを付いて時折、目だけを仁に向けている。聞いていないようで聞いている、そんな気遣いだった。
仁は頭に張り付いたまま寝息を立て始めたユキを、そっと膝に移して優しく撫でる。気持ち良さそうに身じろぎするユキに微笑む。
「…拳術…体術は父の見栄でした…」
歩き始めた頃からずっと、父はなよなよと女っぽい息子を毛嫌いし仁に対して何の容赦も無かった。殴られ蹴られる事が日常だったが、十歳になる頃には逆に父に怪我させるまでになっていた。
「…必死に…生きようともがいていたんです…。父に褒めてもらいたい、認めてもらいたい。母の笑顔を見たい…。当時のあたしには、それだけしかありませんでした…」
けれど父に怪我をさせ、自分には力があるとわかってしまった時。
「あたしは怖くなりました。自分が平気で人を傷つける事が出来た事、それまで息子に対して常に上位に立っていた父の目に恐れが生じた事も…」
ふと、仁はネイサンを見つめた。ちゃんと聞いているのに、顔をそらしている。時折、酒を飲みつまみを口にしている。
薄明かりの中で見るネイサンの横顔は、渋くて格好良くて…グラスを上げる腕の筋肉の動きも 少し悩まし気な眉も…いつまでも見ていたいくらい素敵で愛おしい。
心臓の鼓動が暴走しそうになって、慌てて目をユキに戻す。
「その頃からです。小さな命の声が鮮明に聞こえるようになったのは。あたしの住んでいた所には、ユキちゃんよりも小さな動物…まだ歩く事も出来ないような獣の子供を捨てる人がいて問題になるくらいで…そんな獣たちは放っておけば死んでしまうんですけど…」
ふう。ため息をついて言葉を繋ぐ。
「でも、世話をしてあげれば大きくなれる。だから、声が聞こえたら保護するようになったんです。みんなが助かったわけじゃないけれど、それでも少しでも安らかな生活をさせてあげたかった。父はそんなあたしに…獣を家に置いてもらう為に許しを乞うあたしに、ここぞとばかりに乱暴したり罵倒したりして留飲を下げていたように思います。それでも獣には手を出さなかったのは、あたしが怖かったんでしょうね…」
チラとネイサンを見ると、ネイサンもこちらを見ていて目が合った。
かあっと顔に血が昇るのを感じて、もじもじと身を捩る仁。
「父親が師なのか…?」
「え?」
「体術」
「まさか!十歳の子供に負けるような人ですよぅ?習いに行かされてました。最も、父が負けてからは無理に連れて行かれる事はなくなりましたけど」
「…お前のいた所では、ちゃんと師に付くというのが無かったのか?」
「わかりませんけれど…生きる為に、どうしても必要なモノではなかったから…」
「なんでだ?それじゃあ、どうやって身を守っていたんだ?」
顔をしかめて仁に問いかけるネイサン。
「えっと…。あたしのいた所にはモンスターなんていなかったし、冒険者なんていう仕事もありませんでしたから…」
特殊な仕事や趣味で身体を鍛える人はいたけれど、普通の一般人が命のやり取りをする事はまずない。
仁の説明にネイサンの眉が八の字になる。意味が分からない。
この世界にはモンスターがいて、それを討伐する為の仕事として冒険者がいる。少なくともネイサンが行った事のある国々ではそれが普通であり常識だった。
なのに、目の前に居る男は全く違う常識の中にいるようだ。
そもそも、「気が付いたら見知らぬ場所に居た」とはどういう事なのか…。
少しでも仁を理解しようと思ったら、更に謎が増えてしまった。




