9話
翌日、じきゃじょ高校2年3組の教室にて。
HR前の時間、教室の後方で盛り上がっている女子集団にこのみは堂々と突っ込んでいきました。
目標は、中央のわかな。
「わかな、ちょっといい? 相談事」
「え、いいけど……このみが僕に相談なんて珍しいね」
普段は本を読んでいて、自分の世界に入り込んで誰も近付くなオーラを発しているので、わかなやうるかも用事がない限りは邪魔しないようにしていました。なので、このみから動きがあるのは珍しいことなのでした。
他の女子達は、空気を読んでくれたのか「またあとで」と散り散りに。
それに手を振って応えてから「それで?」と切り替えました。
「相談って何かな?」
「これをちょっと見てほしいんだけど……」
スマホを取り出して、画面をわかなに見せました。
画面には、ボロボロの自転車が1台映っています。
「……もしかしてグラベルロード? 結構古いモデルっぽいけど」
別の角度でも撮った写真を何枚か見せてから、
「これ、使える?」
「うーん、さすがにこのままじゃ使えないかな。見た感じフレームは大丈夫っぽいし、いくつかパーツ交換すれば乗れると思う」
「ふむ……」
肝心要のフレームが無事であるならば、交換が必要なパーツだけを交換すれば、わざわざ新しいものを買わなくてもよくなります。安くても10万円という値段に絶望しましたが、光明が見えてくるかもしれません。
「新しいタイヤに替えたり錆び落としたり注油したり、かな。ワイヤーの張り替えとかもあるかも。素人が1人でやるのはかなり大変だよ」
「マジか」
今の時代、ネットで何でも調べられる時代です。もちろん自転車のパーツ交換の方法や整備の仕方も例外ではありません。
それらを参考にしながらならできるだろうと踏んでいたこのみは、またしても自転車のことを甘く見ていたようです。
「僕がやってもいいけど、家が遠いし……素直にお店に任せるのが良いと思う」
「10万より安く済むかな」
「んー、お店と自転車の状態によるけど、そんなにしないんじゃないかな」
どうやら光明は見えたようです。
自分で作業ができればそちらの方が安く済みますが、下手に手を出して悪化したら元も子もありません。わかなの判断は妥当と言えました。
(良き良き)
経験者のアドバイスは素直に聞いておいた方がいいことを分かっているので、このみは頷きました。
「昨日のあそこなんかいいんじゃないかな。ここから近いし」
昨日のあそことは自転車ショップ〈サイクルンルン〉のことでしょう。
確かに、店員さんはアレでしたがお店の雰囲気は思っていたよりも良かったですし、何より割引券があります。その分他のお店にお願いするよりも安く済みます。
選択肢は、他に無さそうでした。
「わかった、ありがとう」
「うん、どういたしまして」
このみはひとまず、倉庫から発掘されたボロボロのグラベルロードをお店に持っていってみることに決めました。
「おはようございます、わかなさん、このみさん」
うるかが教室に入ってきました。その表情はどこか嬉しそうです。
「おはよううるか。なんか嬉しそうだね。良いことでもあった?」
その言葉に、うるかは胸の前に手を合わせて微笑みました。
「ふふ、分かっちゃいますか? 実はお父さんが自転車を買ってくれることになったんです!」
「おお!」
わかなが身を乗り出すようにして歓喜しました。
「いいねいいね! 何にするかはもう決まってるの?」
「あの折り畳み自転車にしようと思っています。それでも大丈夫でしょうか?」
「もちろん大丈夫だよ! 乗りたい自転車に乗るのが一番良いからね!」
白い歯を見せてグッと親指を立てました。
「3人で一緒に走れる日も近いかもしれないなぁ……!」
目をキラキラと輝かせて未来に想いを馳せているわかなに、
「それはちょっと」
とこのみは手の平を向けました。
「なんでさ?!」
わかなはてっきり一緒に走ってくれるものと思っていて、盛大に驚きました。
「プロと素人の差、みたいな」
ようはいつも自転車に、それも走ることに特化したロードバイクに乗っているわかなと、一緒に走って付いていけるはずがありません。
同じように見える自転車でも、実は結構性能に差があります。特にうるかが買おうと思っている折り畳み自転車などは、ロードバイクと比べるとその差は顕著に現れるでしょう。
それは重さであったり、ギア比であったり、さまざまな要因があります。もちろん身体能力も関わってきます。
「そこはほら、僕がみんなに合わせるから大丈夫! 一緒に走ってくれるだけでも楽しいんだよー頼むよー!」
両手を合わせてウインクを飛ばすわかな。自然と様になっていて、こちらの様子を盗み見ていた女子のハートをひっそりと撃ち抜いていました。
このみは腕を組みます。
「いずれにせよ、自転車を手に入れてからだね」
「ですね。もうしばらくお待ちください」
「それもそうだね……分かった、大人しく待つことにするよ……」
分かりやすくショボーンと肩を落とすわかなでした。
──キーンコーンカーンコーン。
授業の始まる合図が鳴り響きました。
***
と言うわけで、このみは早速休日を利用してボロボロのグラベルロードを自転車ショップ〈サイクルンルン〉へ持って行きました。
自転車を車に積み込んで母親に運転してもらい、お店に持ち込みます。
事前に連絡は済ませてあるので、スムーズに話は進むはずです。
今回はいわゆる見積もりをしてもらうのが目的。安ければそのままお願いして、高いと判断すればお小遣いが貯まるまで我慢です。
ボロいグラベルロードを押してファンシーな看板をくぐると、あの派手な店員さんが出迎えてくれました。
「お待ちしてましたルン! また来てくれて嬉しいルン! ルンルン!」
母親が買い物に行くついでに頼んだので母親はいません。近くのスーパーにでも行っているはずです。
すぐに済む(予定)だし、色々と刺激が強いので逆にありがたかったです。
「ども」
心の準備はできていたので、店員さんのハイテンションに驚かないでいられました。
「その子が噂の子ルン? フムフム……話に聞いていたよりも元気そうルン! 早速見せてもらってもいいルン?」
「お願いします」
グラベルロードを渡すと、作業スペースへと押して行って姿が見えなくなりました。
(さて、何してようかな)
と考えた瞬間、背後から、
「そうそう言い忘れてたルン!」
「うわっ?!」
「ちょっとお時間頂くから、適当に店内でも見てて欲しいルン!」
「そ、そうします……」
「それでは失礼しますルン!」
店員さんは頭を下げて、作業スペースへと改めて姿を消していきました。
(実は双子説とか)
作業スペースを覗き込みたい欲に駆られたこのみでしたが、かけられた言葉にそれは中断されました。
「このみさん? 偶然ですね!」
「うるか。来てたんだ」
声の方を見ると、そこにいたのはうるかでした。
隣には、父親らしき男性が立っています。
「君がこのみ君かい?」
「はい」
「うるかの父だ。話には聞いているよ、うるかが世話になっている。仕事の都合で転校が重なってしまったから、これからも仲良くしてくれると嬉しい」
「もちろんです」
「このみさん……!」
即答で頷くこのみに、うるかは嬉しさで口元を押さえました。
「ありがとうございます」
「いいから」
うるかが頭まで下げ始めたので、流石にそれはやめさせました。
「どうしたの? 自転車買いに来た?」
「はい! 早く欲しかったのでお父さんに無理言って来てもらいました」
「あまりわがままを言わない子だし、迷惑かけているからたまにはね」
ははは、と父親は苦笑いを浮かべていました。
転校が重なってと言っていたし、仕事が忙しく、きっと会社にも無理言って休みをもらったのだろうな、などとこのみは想像しました。
そしてそれは当たっていたのは、ここだけの話です。
「このみさんも自転車を買いに?」
「いや。家にボロいけどいい感じの自転車あったから安く直せないかなって」
「なるほど。新品は高いと嘆いていましたもんね」
「……まあ」
嘆くは大袈裟ではと思ったこのみでしたが、実際「10万……10万……」と嘆いていたので否定できませんでした。
「もう買ってもらったの?」
「はい、つい先ほど。買ってもすぐに乗ったり持ち帰ったりはできないんですね」
「そうなんだ」
「なんでも、私の体格に合わせて調整したり安全に乗れるように最終メンテナンスをしたりするそうです」
「へえ」
このみも自転車を買ったことがないので、意外そうに反応しました。
体のサイズに合わない自転車に乗ると、本来快適であるはずの自転車がただただ辛い乗り物に成り下がってしまうからです。膝が痛くなったり、首が痛くなったりしてしまうのです。
最終メンテナンスも、店内に置いてあるものは試乗車とは違って手付かずであることが多いので、ブレーキやギアチェンジが正常に動作するか確認する必要があるのです。
「そうだ、このみさん」
「なに?」
思い付いたように手を鳴らすうるかに、このみは首を傾げました。
うるかは耳元に口を寄せ、小さく囁きます。
「いいね。乗った」
その内容に、このみは頷いたのでした。
経験者と一緒に走る時の謎のプレッシャー、あると思います。そして経験者側の「そんな気にしなくてもいいのに」という気持ちも、あると思います。
あまり気負わずにいけるといいですね。お互いに。