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じきゃじょ 〜自転車×キャンプ×女の子〜  作者: 無限ユウキ
第5章「焦り×克服×バランス感覚」
19/36

19話

 山頂の売店に向かって1人で静かにペダルを漕ぎ続けてきたうるかは、予想外の出来事に困惑していました。


「はぁ……はぁ……っく」


 胸が苦しくて、呼吸が上手く出来なくて、脚に全然力が入らないのです。

 いま脚を止めてしまったら、もう二度と動かなくなってしまうような気がして、ノロノロと惰性で漕ぎ続けていましたが、それも長くは続きませんでした。


「どう……して……?」


 とうとう地面に両足が付いてしまいます。流石にこのままだと通行の邪魔になってしまうので、何とか道の脇に移動して地面に腰を下ろしました。

 まともに立っている事もままならなかったのです。人通りが少なくて助かりました。誰かに余計な心配をかけずに済みます。


 サイクルイベントの時に立ち寄った道の駅はスルーして目的地を目指しているはずなのに、その時よりも疲れているし時間がかかっています。

 目的地までまだまだあるのにこの疲労感は明らかにおかしいです。

 しかしうるかにはその原因が掴めないでいました。


「…………」


 高い高い空を見上げます。そこにはソフトクリームのような雲がふよふよと漂っていました。

 口の中に広がる濃厚なバニラの味を思い出して、うるかはポツリとこぼします。


「わかなさんが自転車仲間を欲しがっていた理由が分かったような気がします……」


 大空を自由に飛び回る鳥の鳴き声が届き、草の揺らめきが耳を掠めます。


 うるかにとって初めてのサイクルイベントがとても賑やかなものでしたから、余計にこの静けさが身に染みてきます。


 うるさく鳴り響いていた心臓も落ち着きを取り戻して、ゆっくりとした呼吸が帰ってきました。

 それでも、脚に込める力は帰ってきません。

 しばらく動けそうにありませんでした。こんな状態になった事がないうるかには、いつになれば動けるようになるのかもよく分かりません。


 久々に味わったような気がします。

 寂しい、心細い──そんな気持ちを。




「えっ、うるか?」




 そんな時でした。聞き慣れた、頼もしい声が聞こえてきたのは。


 いつの間にやら散り散りになっていたソフトクリーム雲から視線を下ろせば、そこに居たのは〝テルフ〟と名付けられた相棒の自転車に跨ったわかなでした。


「……わかなさん?」

「そんなところでへたり込んじゃってどうしたのさ? あ、もしかして具合悪いとか?! 大丈夫?!」


 慌てて自転車を壁に立てかけるように置いて、うるかの元へ駆け寄りました。


 うるかは力なく頷きます。


「はい、大丈夫です……」

「いや全然大丈夫には見えないって! 顔色悪いよ?!」


 わかなはうるかの額に手を当てました。


「熱は……無さそうだけど。どんな具合?」

「急に体に力が入らなくなって……グロッキー、みたいな感じでしょうか……」

「って事は、もしかして〝ハンガーノック〟かな? ちゃんと補給した?!」

「……補給?」

「飲んだり食べたり、休んだりだよ」


 ハンガーノックとは、簡単に言えば〝エネルギー切れ〟の事を言います。


 今うるかが体験しているように体に力が入らなくなったり、酷い時は吐き気に襲われる事もあります。

 対策としてはシンプルに、適度な休憩や食事を取る事。片手で簡単に摂取できて栄養満点の自転車用補給食なども発売されているので、それを購入するのが確実です。

 ネットで注文するか専門店に行って購入するくらいしか入手方法がないので、事前にまとめて買っておくといいでしょう。


「はい、これ。少しはマシになると思うから食べて」


 わかなは背中のポケットから細長いチューブ状の補給食を取り出しました。

 それを受け取ると封を切り、中身を押し出すようにして口に含みました。


 パッケージをよく確認しなかったのが運の尽きでした。


「……っつぁふ?!」


 口の中に広がる猛烈な甘みとゼリー状のドロドロとした食感。とても人間が食べるものとは思えませんでした。

 勢いで口から吹き出してしまいそうになったうるかでしたが、何とか両手で抑えて堪え、はしたない醜態を晒してしまう事だけは意地でも避けました。


 どうにかこうにか飲み下します。


「わかなさん……これは、一体……」

「え? これが補給食だよ。美味しいでしょ?」

「ゲロマズです」

「え」

「クソマズです」

「えっ」


 お淑やかなうるかの口から発せられたとは思えない発言に、流石のうるかも戸惑いを隠せませんでした。


「う、うるか……?」

「はい? どうしたんですか?」


 うるかはキョトンとした表情を浮かべています。まるで自分が汚い言葉遣いを発した事に気付いていないかのようです。


「い、いや、なんでもない! それよりどう? 動けるようになった?」

「えっと──」


 わかなに言われて、うるかは立ち上がってみました。

 そう、先程までは立つ事も困難で座り込んでしまったのに、立ち上がれてしまったのです。


「あ、はい! 大丈夫そうです! 補給食って凄いんですね!」


 あっという間に調子が回復してきて、元気が戻ってきました。


 元気になったうるかを見て、わかなは安心したように笑って白い歯を見せました。


「まー、こうならないようにするための補給食だしね。即効性はお墨付きだよ」


 味はアレですが。

 もちろん美味しい物もありますし、美味しいのが普通です。わかなの買った補給食の味が特殊すぎるだけでした。


「ありがとうございます、助かりました」


 しっかりと頭を下げてお礼を言いました。親しき仲にも礼儀あり、です。


「うん、どういたしまして。困った時はお互い様、でしょ?」


 お馴染みのフレーズを笑顔に乗せて言いました。

 わなかは腰に手を当てて少し呆れたようにして「ところで」と切り出して本題に入ります。


「うるかはこんなところで何してたのさ?」

「あ、それは──」


 うるかは、これまでの経緯を簡単に説明しました。

 足りないと感じていた体力を付けるため、練習も兼ねてイベントの時に訪れた山頂の売店を目指している事を。


「あー、それでハンガーノックになっちゃったのか。だから『変に焦っても逆効果』って言ったのに」

「はい、申し訳ないです……」


 うるかはしょぼんと項垂れてしまいました。まさかわかなに怒られるとは思っていませんでした。

 このみも一緒に『焦らなくていい』と言ってくれていたのに、分かっていたつもりでも分かっていませんでした。


 わかなは人差し指を立てて言います。


「実はイベントの時は疲れにくい条件が整ってたんだよ」

「そうだったのですか?」


 わかなは自転車の先輩として、丁寧に教えてくれます。


「集団で走ると前の人が風避けになってくれるし、道案内もしてくれる。それに道の駅で休憩と食事もしたでしょ? 他にも点々と休憩ポイント挟んでたし、それが結果的に早く目的地に到着するために必要だったって事だね」


 風避けには『スリップストリーム』と呼ばれる現象があり、自転車の場合は『ドラフティング』と言います。一列にずらりと並んでいる様子から『トレイン』などと呼ばれる事もあります。

 それに、うるかは通った道を思い出しながら、時に足を止めてスマホで地図を確認しながらの移動。

 どうしても時間がかかってしまうのは自明の理でした。


「そういう訳で、僕が引いてあげるから今日はもう帰ろうか」

「え、わかなさんの用事はいいんですか?」


 何の用事もなく自転車でわざわざこんなところにまで来ないでしょう。

 そう思ったうるかでしたが、わかなは左右に手を振りました。


「あーいいのいいの。このまま行ってもどうせ心配しちゃってそれどころじゃなさそうだし」

「すみません……」

「いやいや謝らなくてもいいよ! 状況はどうあれ、会えてちょっと嬉しかったし?」


 わかなは鼻を擦りながら照れ臭そうに言いました。


「私はとっても(・・・・)嬉しかったですよ? わかなさんが仲間を欲しがっていた気持ちが分かった気がします」


 説明してくれたドラフティングもそうですが、それ以上に手を差し伸べてくれる仲間がいるという心強さが、全身に力を漲らせるんだという事を学びました。


「それじゃ、早めに移動しようか。これでこのみもいたら全員集合なんだけどな」

「そういうのは『フラグ』と言うんですよ、わかなさん」

「フラグ?」


 うるかの言葉の意味を、すぐに知る事になるのでした。




   ***




 うるかがスルーした巨大な道の駅に休憩で立ち寄る事にしました。

 そして自転車(サイクル)ショップ〈サイクルンルン〉の店員さんがオススメしてくれたカフェに入ると、


「あれ? もしかして──」


 窓際の席に見知ったポニーテールの後ろ姿があると思ったら、案の定見知った人でした。


「──このみ……こんなところで何してるのさ?」


 わかなの声に気付いたこのみが振り返ると、その手には1冊の本。そして飲みかけのコーヒーが1杯置いてありました。


「わかな? うるかまで」


 特に驚いた様子もなく平然と言いました。


「いや、コーヒー克服しようと思って」


 苦い物が得意ではないこのみですが、彼女が趣味としているキャンプで頂く飲み物と言えばお酒かコーヒーが定番です。

 お酒は年齢的に無理なので、コーヒーは飲めるようになっておきたいのでした。


 と言いつつも一口しか飲んでいないのか、全然減っていなくて冷めてしまい、余計に飲みにくくなってしまったコーヒーさん。


 はてさて、いつになったら飲み干せるのやら。

 ここにも若干、焦っている人がいたのでした。

 このみさんや、わざわざこんなところまで来てコーヒー飲まなくても……。

 まぁ一応理由はあるんですが、それは次回にでも。


 ハンガーノックは長距離移動をする時、最も気を付けなければならない事かな、と個人的に思っております。

 誰もが簡単になりうる危険な状態なので。

 本編中にも書いてありますが、適度な休憩と補給をするだけで対策出来るので、忘れないようにしたいですね。


 少し検索してみたのですが、補給食として割と優秀なのは〝一本満足バー〟なのだとか。熱で溶けたりしないし片手で食べられるし、味の種類も豊富、これならコンビニでも買えるし、言われてみれば万能かも?

 固形物は腹持ちは良いのですが即効性はあまりなく、うるかはすでにバテている状態だったので即効性のある液状の物を採用しました。

 液状で補給食として使えて馴染みがあるやつだと、〝10秒チャージ〟で有名なウィダーインゼリーとかでしょうかね?

 どちらにするかは、お好みでどうぞ。

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