1話
春休み──
学生が大好きな長めの休暇であり、それが終わった後にやってくる新学期やクラス替えにドキドキする、そんな季節。
──の終わり間際。
「それじゃあ、明日のお昼くらいに迎えに来ればいい?」
「うん」
大量の荷物を背中や腕に抱えた少女が、車の窓から身を乗り出す母親に頷きました。
いつもここから長いので、荷物はいったん地面に置きます。
「日中はあったかいけど、夜はまだ冷えるかもしれないから風邪引かないように。それから──」
心配性気味な母親のお小言を受け取りつつ相槌を打っていると、ようやく終わりました。
「毎度のことだけど、気を付けなさいよー」
「うん」
毎度のことなので返事も適当に、少女は頷きました。そして毎度のことなので、母親も適当な返事であることは特に気にしません。
なんだかんだちゃんと聞いていると知っているからです。
ブゥーンと軽快なエンジン音を立てて車が走り去っていきます。次に会えるのは、明日のお昼頃。
(さて)
車の背中が見えなくなるまで見送ってから、地面に置いていた荷物を改めて抱えて、歩き始めます。
他の利用客は2組ほど。自分を含めれば3組。こんな穴場スポットを押さえているとは、中々に通な2組だと少女は思いました。
ですが2組とも今日がチェックアウトの日なので、途中から貸切状態になると管理人さんが言っていました。
貸切上等。実に都合がいいです。
そう、ここは知る人ぞ知る穴場のキャンプ場。
(ここがいいかな)
キョロキョロとしながら歩き回って、他の2組とはなるべく遠い場所にドサドサと荷物を置きました。
トイレや水道からも少し離れてしまいますが、まぁそこは目を瞑りましょう。〝不便を堪能する〟のがキャンプの醍醐味のひとつですから。
早速少女は持ってきた大量の装備を広げて設営します。
(の前に)
まず少女が手にしたのは細長い袋。中から出てきたのはカメラの三脚でした。
その三脚にそこそこなお値段のしそうなミラーレスカメラをセットして、設営する場所が映るように画角を調整。カメラには高性能なマイクが直接取り付けられていました。
地面を映すような角度なので、少女の膝より上は映りません。
そして録画モードで撮影開始。
置いていた荷物をカメラに映る位置へと移動させて、今度こそ設営です。
念のためカメラに背を向けるようにして、まず広げたのはグランドシート。これの上に本命のテントを張ります。
グランドシートはテントの底に穴が開いたり、地面からの底冷えを防止する役割があります。タープと呼ばれる防水性の高い頑丈な布や100円ショップなどで買えるレジャーシートでも代用可能です。
要はテントが地面に直に接触しなければ何でもいいのでした。
今日は風も吹いていないので、飛ばされないように荷物や杭で固定する必要もなさそうです。
次にテント。
少女が使っているテントはX型のドームテントと呼ばれる割と一般的なテント。特徴としては、お手頃価格のものが多く、構造もシンプルで設営が簡単な万能タイプです。
結構長く使っているのであちこちくたびれていて、そろそろ新しいテントが欲しいなと思いながら、作業を続けます。
まず収納袋から中身を取り出し、布とポールと付属のペグに仕分けます。
ポールは折り畳まれていて、内側に仕込まれたワイヤーの牽引力で簡単に1本の長い棒にすることができます。これを2本用意して、脇に置きました。
次にグランドシートの上に布を広げます。インナーテントとフライシートの2種類があり、まずはテントの本体とも言えるインナーテントの出番です。
(ほいっと)
勢いをつけてバサッと広げてからシワを伸ばします。
この時、出入り口のある方向に気を付けましょう。
少女の広げているテントは2人用の小さめなテントなので、女の子の力でも持ち上げられますから修正もラクチンですが、数人用のもっと大きなテントなどは苦労する羽目になるので注意です。
ペグで固定した後に気付いたりしたら、もう目も当てられません。
(ほい、ほい、と)
インナーテントの上にクロスするように連結させたポールを置いて、四隅についている金具にポールの先端を差し込みます。
そこから対角線にある金具のところへ移動し、ポールを力技でしならせてはめ込みました。これをもう一本セットして、クロスする頂点の部分とインナーテントの頂点を結びつけます。
「ふっ……くっ……!」
地味に手が届かなくて苦戦していました。足元しか映っていませんが、その様子も音声と合わせてバッチリ撮影されています。
あとでこの映像を見返して苦悶することを、このときはまだ知りません。
入り口に片足を突っ込んで無事に縛り付けて、ここまでくればあとは簡単です。
インナーテントに付いたプラスチック製のフックをポールに引っ掛けていき、フライシートを上から被せてこれもポールに縛り付けて固定すればテントの完成です!
風が強い日などはテントが飛ばないように紐を地面に伸ばしてペグを打ち付けて固定するのですが、今日はその必要はなさそうなので省略です。
テントだけではキャンプはできません。まだまだ設営は続きます。
テントの中にさらにマットを敷き、寝袋も収納袋から出しておきます。寝る直前に出すとぺったんこで痛い、あるいは寒い思いをするので空気に触れさせて膨らませておくためです。
テントの中に敷くマットはあっても無くても構いません。快適さを取るか、荷物を減らし準備の手間を省くか、お好みでどうぞ。
今回は車での移動なので、少女は快適さを取ったようです。
さぁ、もう一息。
今必要ないものはテントの中に放り込んで、設営を続行します。
(の前に)
テントの設営は終わったのでカメラの位置を移動させました。
コンパクトチェアは骨組みを組み立てて布を張るだけ。折り畳みテーブルは中折れの天板を開いて足を伸ばすだけ。焚き火台も折り畳みのものを採用し、4本の足を連結させて組み付け、金網を取り付けるだけ。
一通りの設営が終わり、腰に手を当てて全体を眺めます。
(良き良き)
少女は満足げに頷きました。
ここまでに要した時間は30分ほどですが、まだまだ改善の余地はありそうだなと思いつつ、次なるステップへ。
キャンプでのんびりできると思ったら大間違い。意外とやることは多いのです。それが1人ならばなおさらのこと。
少女はカメラを手に近くの林の中に足を踏み入れました。焚き火に使う薪を拾い集めるためです。
怪我をしないように滑り止めの施されたグローブを両手にはめて、なるべく乾燥した枝や落ち葉も集めます。
少し大きな枝は──
「ふんぬ」
バキィ!
──このように折りましょう。恨み言でも口にすればついでに鬱憤も晴らせて一石二鳥。
いい感じの枝を見つけたのに、
「ふっ……ふんっ……ふんぬぁっ……!」
このようにどうやっても折れない頑固な枝もあるので、どうしても折れない、でもなんか負けた気がするから折りたい!
そんな時は、
(いい悲鳴で泣きな)
ぎこぎこぎこぎこ──
大人しくノコギリでも使いましょう。
今の時代、折り畳めてよく切れるノコギリはたくさんありますから、小さい物でもいいのでひとつ持っておくと良いでしょう。
順調に切り進めていって──
「くたばれい」
バキィ!
結局最後は蹴りつけて折りました。
自然界は力こそパワーなのです。
こんな調子でカメラを移動させつつ、森の中を練り歩いて薪を集めていきます。何度もカメラを移動させては前を往復している姿は、側から見ればなかなかに滑稽でした。
「ふう」
拾った薪を一箇所に集めて、後でまとめてテントまで持っていこうと思っていたのですが、
(調子こいちった)
ノコギリで切ったり、折ったりが興に乗ってしまい、一回で持ち運べる量をオーバーしていることに今更気づいてちょっぴり後悔。焚き火は今晩だけですから、ここまでの量は必要ありませんでした。
(大人しく往復するか)
ひとまず持っていけるだけ持っていくことに決めたようです。
カロン、カロカロン……。
熊除けの鈴が木々を反響して、落ち葉を踏みしめる足音と葉擦れの音の大合唱が、心地よく鼓膜に届きます。
(……待て待て)
違和感に気付き、足を止めて耳を澄ませました。
足を止めたはずなのに、背後から足音のような音が聞こえてきて、しかも近づいてきているではありませんか。リズムからして、四つ脚の動物。そこそこ大型のように思えます。
少女の脳裏によぎった可能性。
鹿か、あるいは──熊。
鹿が人間に近づいてくることは考えにくいので、後者の熊の可能性が濃厚か。
熊除けではなく、熊寄せの鈴だったかと、撮影のために導入してみた鈴の音色を恨みました。
熊に遭遇した時の対処法は、食べ物などがあればそれを囮にして、背を見せずにゆっくりとその場を離れること。
ですが食べ物は全てテントに置いてきています。
このまま背を見せ続けていたら襲われてしまうかもしれないので、少女は意を決して振り返り、せめてもの抵抗としてノコギリを構えました。抱えていた薪が足元に散らばります。
茂みをかき分け、そこから現れたのは──
「やっと見つけたぁー!」
「た、助けてくださーい!」
──同い年くらいの、2人の少女でした。
初回なので設営の手順は丁寧めに書いてみましたが、次回からはある程度省略するつもりです。
テントの設営とか、椅子やテーブルの組み立てってなんか楽しいよね。コンパクトになっていたものが展開される様子はテンションあがります。