8 魔女たるもの
* * *
「あん? ラフェミアの奴はどこ行った? 部屋にもいなかったぞあいつ」
食堂の扉を開けた粗暴そうな青年――――カティーシスは、室内に目当ての少女がいないことに気づいて眉根を寄せる。いるのは金髪の貴公子ベルクディールと髑髏面の少女ルスティーネ、そして仏頂面のアンブロシアだけだった。
「お帰り、カティーシス。ちょうど君と入れ違うようにして、ラフェミアも自領に帰っているのだ。討伐者が来たらしく、しばらくは帰ってこれないらしい。確かに、留守にしている間に家を荒らされるのは好ましくないだろう」
「なんだよ。せっかく土産持ってきたのによー」
「はいはいっ! カティーシスお兄様! わたしほしい! お土産ちょうだい!」
「ったく仕方ねぇな。ほら、これでも食ってろ」
「やったー!」
しゅっと放り投げられたのはチョコレートだ。ルスティーネは嬉しそうに包み紙をはがし、薄い長方形のそれにいそいそとかじりついた。
「小娘、お前もどうだ? まあうまいと思うぜ?」
「……」
見せびらかされたチョコレートを、アンブロシアは汚らわしいものを見るように一瞬だけ見てすっと視線をそらす。それは無言の拒絶だったが、カティーシスは気にも留めなかった。
「おや、私にはないのかね?」
「あるわけねぇだろ何言ってんだ。むしろお前がオレになんかよこせよ、儲かってんだろ?」
「それでは大人は大人同士、チョコレートより美味なものの話でもしよう。茶会の席ではないが、これぐらいの取引は許されるはずだ」
了承したと言わんばかりにカティーシスは薄笑いを浮かべて席に着く。ベルクディールはにこやかに微笑んだ。
「そろそろ新しい飛空艦が欲しくてね。どうだろう、いいものはあるだろうか」
「オレの国で手に入らねぇもんはねぇよ。好きなのを奪ってけ。ついでに最新の大砲なんかもつけてやるぜ? オレのもんじゃねぇけどな!」
「やはり羨ましいな、自由都市連盟フィガは。取引すればするほど欲しくなってくる。……フィガごと売ってくれる気にはならないかね?」
「おいおい、勘弁してくれよ。お前が言うとシャレにならねぇ。お前、とっくにオレの領域の国の海域も侵してんだろ。フィガでも噂になってるぜ? 魔女帝が統べる国がついにショハムに侵略してきたってな」
「話し合いで済ませようとしているだけいいと思ってほしいのだがね。……まあ、フィガは君の根城だ。本気で攻め入る気はないさ、安心してくれたまえ」
「それならいいんだが。さて、対価はアブローグ産の聖職者で頼むぜ? どうせ聖堂も荒らしてんだろ?」
「聖職者は高く売れるのだが……君のためなら仕方ない。雄が一匹と雌が二匹、顔も身分もとびきり上等なのがいる。好きなように使いたまえ。苦痛にしろ快楽にしろ、聖職者の啼く声と顔は格別だ。……ああ、今さら君に言うことでもないか」
「商談成立。じゃ、後は好きに奪ってこい。奴隷の引き渡しはここでいいよな?」
「あまりここを汚すとラフェミアに怒られそうだ。楽しむなら客室か、連れて帰ってからにしたまえよ」
満足げに締めくくられた二人の会話は、まるで今日の食事の相談をしているように軽くて。カティーシスとアンブロシアに挟まれて座る少女がチョコレートを味わうことに夢中になっていることもあり、アンブロシアも思わず聞き流しそうになった。
「【震悚】、【災厄】……貴方達はさっきから、何を話しているんですか?」
けれど、違う。これはそんな気安い話ではない。アンブロシアはこわばった表情でルスティーネ越しに二人の青年を見た。
「貿易さ。私の欲するものは第五の魔女の領域にあり、カティーシスの求めるものが第四の魔女たる私の手の内にある。ならば話は簡単じゃないか。我が軍がカティーシスの領域にある街で略奪する許可を得る代わりに、カティーシスに奴隷を引き渡せばいい。わかるかい、アンブロシア。私達は、こうやって平和的に他の魔女の領域から様々なものをもらっているのだよ」
「その奴隷も、もとはショハムの人間なんだけどな。ま、宗教国家アブローグの聖職者なんてそうそう市場に並ぶもんでもねぇ。対価としては十分だ。わざわざ自分で狩りにいくのも面倒だしな」
「は……?」
それが当たり前だとでも言うように、平然と。あっさり言ってのけたベルクディールとカティーシスは、己の言葉に何の疑問も抱いていないようだった。
「国を……人の命を、なんだと思って……」
「ちょっとアンブロシア、あなたまだそんなこと言ってんの?」
チョコレートのついた口の周りを舐め、ルスティーネが会話に加わる。その温度でアンブロシアは理解した――――ああ、やはり魔女とはわかりあえない。
(この場で異端なのは僕のほう……そんなこと、最初からわかってた。でも、まさかここまで話が通じないとは)
「承知しているなら結構。君の信条がいかなるものであろうと自由だが……それをもって他の魔女を染めようなどと思い上がらないでくれたまえ。こちらとて、君に理解されたいわけではないのだから」
そう言って、ベルクディールは意味ありげな眼差しをアンブロシアに向ける。……心を読まれた? いや、まさか。
「やっぱあなた、魔女向いてないわよ。あなたの頭がお花畑咲き咲きなのは勝手だけど、他の魔女まで舐められちゃうからそういうのはよそでやってよね。あなたみたいなのが魔女になるとか、正直わたし達が一番迷惑するんだけど? さっさと死ぬか殺されるかしてくれない?」
「そういや小娘、お前自殺の方法って知ってっか? 心を自分で壊しゃあいいんだよ。それでラクになれるぜぇ? そうなりゃ、こっちもいちいち正義感剥き出しのガキに絡まれなくなってちょうどいい!」
ルスティーネの責めるような声が、カティーシスの下卑た笑いが、アンブロシアに突き刺さる。
魔女達の無遠慮な物言いにベルクディールは憂うようなため息をついていたが、それはアンブロシアを慮っているものではない。どうせ、二人の口汚い言葉を聞いていられないとかそんな理由だろう。
「……失礼します。これ以上話すことなどないようなので」
アンブロシアは立ち上がり、振り返りもせず円卓の間を後にする。当然のことながら、引き留める声など上がらなかった。
「もう、帰ろうかな……」
廊下に出てぽつりと呟く。自分の故郷、青の領域タルシシュへ。タルシシュ地方でも中核をなす国家、フィーンヒール大公国の辺境にある村でアンブロシアは暮らしている。魔女になって五年が経つが、当時から容貌の変わらないアンブロシアは一定の周期で住む場所を変えるようにしていた。今の仮住まいである村はのどかで、よそもののアンブロシアにもよくしてくれる。あの村にいれば、アンブロシアは一人の少女でいられた。
アンブロシアはもともと、青の領域の片田舎の町にある孤児院で育った。他の領域に君臨する魔女のこともほとんど知らず、彼女達が非道の行いに手を染めているという旅人や大人達から伝え聞く噂での知識しかなかった。それは魔女になってからも変わらない。魔女を憎み恐れる人々の目から逃れるため、人里離れた僻地地やさびれた村ばかりを拠点としていたので、むしろより世間に疎くなった気さえする。
『七魔女の集い』と銘打たれたこの集会は今日で四日目だ。原罪の塔と呼ばれる、どこにあるともしれない地で催されたこの集まりは、これから一年間続くらしい。少しでも他の魔女達の情報を……特に弱点を探ることができればいい、と思って毎日円卓の間に顔を出していたが、さすがにそろそろ精神が汚染されそうだった。こんなところはもういやだ。あの静かな村の清涼な空気を吸いたい。その一心で、アンブロシアは用意された客室に向かう。持ってきた荷物も、この場所と家を繋ぐ鏡も、すべてそこにあった。
「なんだ、アンブロシアか。もう食堂に行ったと思ったぞ。忘れものでもしたのか?」
「……ッ!」
魔女達の客室のある階の廊下を歩いていると、三番目の扉が開く。姿を現したのは黒紫の髪の少年だ。
彼の背後には、彼より少し背の高い無表情の少年が控えている。顔の同じ位置にまったく同じ刺青がある二人の少年は、暗い瞳でアンブロシアを見ていた。
「【罪科】……」
初めに声をかけてきた、【罪科の魔女】ギルト。アンブロシアはその名を呼び、後ろに控える少年に警戒心のこもった眼を向ける。
彼は確か【剣士】ラヴィンと呼ばれていた。【剣士】は魔女ではないらしい。自分の魔女に忠実に仕える、悪魔という存在のようだ。アンブロシア以外の魔女達はみな、悪魔を一人従えているらしかった。どういった経緯で彼らが悪魔になったかは知らないが、どうせろくでもない理由に決まっている。まともな感性をした人間が、好き好んで魔女の配下になるわけがないのだから。
「そろそろ夕食の時間だろ? 何かあったのか?」
「……貴方には関係のないことでしょう?」
「ああ、それもそうか。悪かった。年を取るとどうにも世話を焼きたくなるらしい」
十五か十六、その程度にしか見えない少年がそう言うのは滑稽だが、しかし彼が見た目通りの年齢ではないのはわかっている。魔女は、魔女になった時点で身体の成長が止まるからだ。十四歳で外見の時が止まった十九歳のアンブロシアは、どうあがいても七魔女の中では最年少に違いなかった。
「そういえば……アンブロシア、お前は魔女と人間が手を取り合える平和な世界を作ってみせるとか言ってたよな。具体的にどうやってそんな世界を作るのか、もうやり方は決めてるのか?」
ギルトの前を通り過ぎようとしていたアンブロシアの足が止まる。不愉快さをあらわにし、アンブロシアはギルトを睨めつけた。
「それがどうかしましたか? 馬鹿にしたいならすればいい。それでも僕は、」
「誰もそんなことは言ってないだろ。世界平和、立派な夢じゃないか。なあラヴィン」
「……ああ、平和なのはいいことだ」
ギルトは後ろを仰ぐ。ラヴィンは小さく頷いた。つい今しがた見てきた魔女達と同じ存在だと思えないその姿に、アンブロシアは目を見開く。
「え……」
「俺が魔女になったのは、争いのない世界を作るためさ。その実現の日はまだまだ遠いけど……だからこそやりがいがあるんだ。お前の選んだやり方は俺とは違うかもしれないけど、願いは同じなんだ。そう邪険にしないでくれよ」
苦笑するギルトの紫の目には一点の曇りもない。とても嘘やからかいでそんなことを言っているようには見えなかった。
「折れるなよ、アンブロシア。平和なんて、生半可な覚悟じゃもたらせない。他の連中はうるさいだろうけど、お前はお前の信じる道をまっすぐ進めばいいんだ。野次なんて気にするな」
「……貴方のような魔女もいるんですね。みんな、話の通じないおかしな人ばかりだと思っていました」
「その評価も間違ってないさ。……俺からすれば、他の連中だって自分なりのやり方で平和のために動いているようにも見えるけどな。ようは見方の違いだ。一つの方面に囚われず、柔軟に考えてみろ。新しい世界が見えてくるぞ」
永い時を生きる、不死の魔女。初めてその永き生がもたらす叡智に触れた気がする。自分以外の七魔女はみな頭のおかしい連中だと思っていたが、第三の座に座る【罪科の魔女】についてはその評価を改めなければいけないようだ。
「ありがとう、ございます。僕は、てっきり……」
「気にするな。言っただろ、年を取ると世話を焼きたくなるんだって。……これでも七魔女の中じゃ最年長でな。お前みたいな若い魔女を見ると、手助けしてやりたくなるんだよ。何かあれば言ってくれ。できるかぎり力になるから」
「……はい。よろしくお願いします」
この塔に来て、ようやく心から笑えた。まさか得られると思っていなかった賛同者の存在に、アンブロシアは花の咲いたような微笑を浮べる。彼がいるなら、この狂人ばかりの塔でももう少し頑張れそうだ。ギルトに一礼し、アンブロシアは弾む足取りで彼と別れた。
「アンブロシア、か。あいつを見ていると姉様を思い出すな。……ねえ、姉様。そうは思いませんか?」
自室へ向かうアンブロシアと正反対のほう、食堂のある階に続く階段を目指しながら、ギルトは小さく笑う。
「くだらない理想へ邁進して、神と人を盲信して、自分の声と力に慢心して、何もかもを失った愚かな姉様。無能な姉様、勇敢な姉様、誰より憎らしくて愛おしい、大嫌いで大好きな俺の片割れ。あの女は、口だけで何もなせなかった貴方によく似ています。違うのはただ一点、あの女には忠実な弟と友がいないことだけでしょう」
だから気に食わない。だから好ましい。だから失敗すればいい。だから助けたい。だから蹴落としたい。だから手を差し伸べたい。だから、だから。綴る言葉は矛盾に満ちていて、けれど狂った魔女の中では一切の齟齬なく両立していた。
「姉様。俺は、姉様の犠牲を無意味なものにしませんよ。姉様に成し遂げられなかった理想は、俺が……俺達が叶えてみせますからね」
「……ギルト。七番目の言う“平和”は、お前の目指す“平和”とは違うと思うぞ。お前の“平和”は、」
「違う? いいや、同じさ。手段が少し違ったとしても、目指す場所は変わらない。平和、いいよなぁ……。ほら、やっぱりみんな平和な世界が好きなんだよ。姉様は、俺達は間違ってなかった」
虚空を見つめるあるじに気づき、悪魔はすかさず釘を刺す。けれどもう魔女は自分の世界に入り込んでいた。
「平和……そう、そのために俺は魔女になったんだ……。ああ、姉様、お待たせしてごめんなさい。姉様の代わりに、争いのない世界を必ず作ります。姉様、姉様、見ていてくださいね、姉様。俺達が世界を絶対、平和にしてみせますから……! 戦争の起きない世界……そこでなら、もう一度姉様と……。そうでしょう、姉様ぁ……?」
自分の身体を抱き締め、陶酔した面持ちで。罪を犯したのは誰か、罪を裁くのは誰か――――【罪科】の名を自らに課した黒紫の魔女は熱に浮かされたように、何度も何度も「姉様」と囁く。そのすぐ後ろを歩く悪魔は、そんな主人の姿を見て小さくため息をついた。
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