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5 “紅き森”に向かって

「七人の魔女達による領域の支配の仕方は、大きく分けて三つある。ピトダーにいる【幸福の魔女】は、決して“紅き森”の外には出てこない。いわゆる隠棲型だ。本来なら隠棲型は、三つのうちでは一番優先度も危険度も低かった。隠棲型の魔女は、自分の棲み処の外には干渉しようとしないからな」

「なら、なんでわざわざ討伐するんです?」


 裕理はラズトラウト達とともに北進していた。そろそろ日が暮れそうだ。振り返ってみても、カフタス村はもう見えない。それどころか、もうすでに二つほど町を通り過ぎている。それだけ遠くに来たということだろう。しかしどの町も、あらゆる建物が植物の根に覆われていて人の姿などどこにも見当たらなかった。きっと、“紅き森”から溢れ出したという魔女の力のせいなのだろう。

 今度こそ、必ず魔女を斃す。騎士達の誰もがそんな決意を胸に秘めて足を前に進めている。甲冑の音だけが響く行軍の中に、一人だけ軽装の祐理はひどく場違いな気がした。ラズトラウト達は気にしていないようだったが。


「……“紅き森”に、皇子殿下が囚われたんだよ。国内を巡っていた殿下の視察団が、“紅き森”に迷い込んでしまったらしい。それゆえ、皇帝陛下は魔女の討伐を決めた。……魔女の領地に踏み込んだ者は、二度と帰ってこないという。それでも殿下を連れ戻すため、僕達は遣わされたんだ」

「ああ……果たさなきゃいけない使命っていうのはそれなんですね。そういう意味でもラズさん達は帰れないのか」


 勝手に名前を省略しているが、一応ラズトラウトの許可はとっている。よくそう呼ばれているらしく、むしろラズトラウトから切り出してきたぐらいだ。「いちいちラズトラウトなんて呼ぶのは長いだろう、僕のことはラズで構わない」……黒騎士、見た目は物々しいが意外と親しみやすかった。


「教会の力は借りられないのでしょうか。魔女討伐の旅路ともなれば、聖者の祈りもありましょう。せめて、いずこかの聖堂から聖職者が派遣されていてもよいはずですが」

「教会? ああ、聖者がいるとかいう……。やっぱり普通、魔女は聖職者じゃないと対抗できねぇの?」

「いいや、そんなことはないはずじゃ。人間じゃろうと、魔女を倒すのは不可能ではあるまい。ただ、どうしてもその対になる役割からかのう、聖者ならば魔女に対抗できると思っとる者が多くてな。もともとロゴスの奴が“聖職者”の力をそういう風に喧伝したせいじゃろう。じゃが、聖職者には加護の力(ティフィラー)……傷を癒し、人の持つ能力を増幅させ、魔術をはねのける力がある。それに、聖者の側には勇者がおるはずじゃ。ロゴスのでっち上げを差し引いても、戦力としては十分じゃろう」

「ふーん……」

 

 エペーの言葉に相槌を打ち、ラズトラウトを見上げる。ラズトラウトは困ったようにうつむいた。


「黄の聖者がいるのはクランシリーニーだ。いくら国と教会は分離しているとはいえ、ラウラスの帝位継承者を助けるために他国に助力を求めるのを陛下は是としなかった。……その結果がこのありさまだ。僕達は、陛下の信頼に応えられなかったんだよ」

「いやいや、それは皇帝陛下がちょっと油断しすぎたんだと思いますよ。ラズさん達のせいじゃないですって」


 皇帝陛下、だいぶ楽観主義だったらしい。自国の恥を他国に晒せないというのはまあ為政者なら仕方ない判断なのかもしれないが、それで部下を失い息子も戻ってこないというなら意味がないだろう。呆れていると、ラズトラウトは慌てたように言葉を続けた。


「陛下だけが悪いわけではない。教会にはレミナ法がある。たとえ助力を乞うたところで、教会は応じなかっただろう。レミナ法がある限り、国家は国家だからこそ一介の聖職者すらも動かせない。だからこそ、帝国騎士だけで対処しなければいけなかったんだ」

「レミナ法?」


 おうむ返しに尋ねる。エペーもわからないのか、答えてはくれなかった。ラズトラウトは怪訝そうにユーリを見たが、すぐに得心したように頷く。


「ああ……そうか、君は記憶喪失だったな。物知りとはいえエペーも亜獣、知らないのも無理はない」


 エペーの咄嗟の嘘は万能だった。まだラズトラウトはそれを信じていてくれたらしい。良心がわずかに痛むが、「異世界から来ました!」と言って信じてもらえるわけがないだろう。騙されていてくれているうちに、少しでもこの世界の常識を引き出さなければ。


「かつて『紫の領域』ノーフェク地方にいたという悲劇の聖者、八代目のユースティティア……彼女の本名を冠した法律だ」

「八代目……。と言うと、軽く見積もっても七百年ほどは前の人物かのう」

「ああ、大体それぐらいになるはずだ。当時、人々は紫の聖者の力を戦争に利用して、ただ一国の勝利と利益のためだけに神の名を穢そうとした。私欲による聖者の力の乱用を拒んだレミナは殺されて……結果、ノーフェク全土を包み込む大きな災いが生じたらしい。そのうえレミナの死後、真に“紫の聖者(ユースティティア)”の名にふさわしい器を備えた者は現れなくなってしまったそうだ」


 だからノーフェク地方に聖者はいないとラズトラウトは言う。“紫の聖者”の名を冠する者は存在するが、レミナ以降の紫の聖者はあくまでも便宜上そう呼ばれているだけの仮初めの役職だとされている、と。


「人々は自らが犯した罪を忘れないため、彼女から名を取った法が制定されたんだ。それがレミナ法さ。レミナ法では、教会は世俗社会のあらゆる戦に加担しない、と定めている。これにより、聖者が世俗権力者の要請に応えて一国の利益のために祝福を与えることはないんだ」

「え? じゃ、聖者なんていても何の役にも立たないじゃないすか。だけどこれ、レミナ法って奴が想定してる状況とは違う気がするんですけど……。レミナ法はあくまでも対国家……対人って感じがしますし、対魔女ならそんな縛りもないんじゃないですか?」

「……ラウラスの帝位継承者の救出、という名目がある以上、レミナ法は有効なんだよ。もし殿下と視察団が“紅き森”に迷い込む前に、ピトダーの全国家が魔女の討伐を決定していたなら、教会も動いていただろうが……どの国も、【幸福の魔女】については静観を決め込んでいた。むやみに刺激しては何が起きるかわからないから、積極的に人々に害を及ぼしているわけではないから、とね。その結果がこれさ」


 誰を責めればいいのかわからない。沈む声音でラズトラウトは呟く。ひよった国主達か、頭の固い聖職者か、自信過剰な皇帝か、うかつに危険な区域に近づいた視察団か、無力な騎士か、あるいは魔女そのものか。きっとそのどれもが悪い。そのすべてが絡み合って、こんなことになってしまったのだ――――そもそも

聖者とやらの助力があったところで、結果は何も変わらなかったかもしれないけれど。


「……さて、そろそろ野営の支度をしよう。もうすぐ次の町が見えるころだろうが……そこを過ぎれば、“紅き森”は目の前だ」


 空気を振り払うようにラズトラウトが話を変える。先頭を歩くラズトラウトの合図に従って騎士達も歩みを止めた。てきぱきと野営の準備が進められていく。祐理も何か手伝おうと思ったが、なにぶん勝手がわからない。一応最初は騎士達も教えてくれていたのだが、最終的には「楽にしてくださっていて結構ですよ」と言われた。これはやんわりと「うろちょろするな! 邪魔だ!」と言われたのだろうか。仕方ないのでおとなしくしていることにした。

 野営地が整った辺りで、十数人ばかりの騎士達はそれぞれ武装を解いてくつろぎはじめる。ラズトラウトだけが甲冑姿のままだったが、夜が更けていくとその黒鎧のままでは見つけづらそうだ。


「ラズさんはそれ脱がないんですか?」

「あ……ああ。そうだな、あまり人前では……。もう彼らは慣れているから、僕には構わないで楽にしてくれているけれど……僕は、このほうが落ち着くんだ。君も気にしないでくれ」


 いかめしい黒の騎士は気まずげに縮こまった。彼がいいと言うならそれでいいのだろう。騎士達の誰もが素顔を晒しているぶん、一人だけ威圧感が半端ないが。

 そのままラズトラウトは軽装の騎士を数人連れ、周囲の警戒という名目で野営地から離れていった。ほどなくして夕食が作られ始める。大鍋で煮られているのはシチューのようだった。料理なら祐理も多少自信があったが、なにぶんこんな風に外で作った経験はない。せいぜいがキャンプ場での調理ぐらいのものだ。作り方や材料が日本と同じである保障もないため、おとなしく座って眺めるだけにとどめた。

 幸い、対して日本との違いはなかったようだ。ルーを使わない、本格的なものだということぐらいだろう。料理のことは騎士達もシチューと呼んでいたので、この料理はきっとシチューという認識でいいはずだ。味もそう変わらないに違いない。料理が出来上がるころにはラズトラウト達も帰ってきていた。……食事中でもラズトラウトは兜すら外さないようだ。

 たき火を囲み、夜風に当たりながら熱いシチューを頬張る。朝見た惨劇と、これから待ち受けているであろう戦いのことを抜きにすれば、気分が少し高揚した。のんきに楽しめはしないが、悪くはない。


「ラズさん、七魔女について訊いてもいいですか? 少しでも多く魔女について知りたいんです。“狩人”とは言いましたけど、俺が覚えているのはその名前ぐらいで。肝心の魔女については、何も思い出せないんです」

「僕も他の領域の魔女については詳しくないが……わかる範囲で構わないか?」


 頷く。エペーとはまた違う角度から情報収拾できるのはありがたい。あまり同行者(エペー)にばかり尋ねていても不審がられるだろう。そもそもエペーにもわからないことがある。ラズトラウトでその穴を埋められるならそれに越したことはない。せっかく記憶喪失(・・・・)という建前があるのだから、最大限活用しなければ。ついでに“狩人”の意味も教えてほしいところだ。


「『黄の領域(ピトダー)』の【幸福の魔女】ラフェミアと『緑の領域(バーレケット)』の【欲望の魔女】ルスティーネ、そして『青の領域(タルシシュ)』の【悲哀の魔女】アンブロシア。この三人がいわゆる隠棲型だ。アンブロシアについては僕も詳しくは知らないが……ラフェミアとルスティーネは、ともに地方内の秘境に自分の国を築いている。そこに(いざな)われるように向かった者は、決して生きて出てこないんだ」


 ラフェミアの標的は森に迷い込んだ者、ルスティーネの標的は若い男性。いずれも獲物が罠にかかるまで何もしないことや、自身が表舞台に出てくることはない点から、長年地方に巣食ってはいるものの、さしたる脅威とはみなされなかったのだとラズトラウトは言う。

 アンブロシアにいたっては、名前だけが伝わるのみで何の情報もないそうだ。アンブロシアより前に青の領域において魔女を名乗っていたのは異なる女性だったと言うが、代替わりが起きたらしい。アンブロシアは、今から五年ほど前に一度、青の領域の教会本部であり青の聖者がいる大聖堂に姿を現したがためにその存在を認知されただけで、どこに棲んでいるのか、普段何をしているのか、まず何の目的で聖職者達の前に現れたかも不明だという。その意味ではかなり不気味な魔女だ。


「代替わりなんてあるんですか?」

「あるらしい。不死なる魔女といえど、殺す手段がないわけではないからな」

「あっ、そういえば、(レヴ)を壊されたら魔女は死ぬって……」

「そうだ。すぐに新たな魔女が生まれる場合と、しばらく魔女の座が空位になる場合があるというが……前任の【憤怒の魔女】も隠棲型だった。いつ代替わりが起きたのかは、僕にはわからない」

「魔女を殺したところで、すぐに新しい魔女が生まれるっていうのは面倒ですね。……なるほど、確かにそれなら(レヴ)は壊さずに奪うだけにしたほうがいいかもしれねぇな……」


 ちらりとエペーを見下ろす。シチューを頬張る神(笑)は口元を白く汚しながら「じゃろ? じゃろ?」と得意げに揺れていた。


「君臨型と呼ばれる魔女もいるぞ。彼らは隠棲型とは反対で、堂々と国家を……ひいては地方全体を支配している魔女達だ。『赤の領域(アヒアマー)』の【震悚の魔女】ベルクディールはアヒアマー全土の王としてかの地を治め、『白の領域(ヤハローム)』の【冒涜の魔女】メイシェウはヤハローム地方の中核国を牛耳っているらしい。……アヒアマー地方の国家はベルクディールが統べる帝国しかなく、メイシェウのいる国はヤハロームにあるすべての国々を属国としているんだ。この二つの領域において、魔女は他の領域とは比べものにもならないほどの絶大な権力を振るっているという」


 ベルクディールは正真正銘の国主として、メイシェウは影の支配者として。その支配力は強力で、教会すらも飲み込むほどだという。君臨型と称されるだけのことはあるようだ。

 魔女が絶対君主として振る舞っているのはこの二つの地方だけのようだが、初めて降り立った大地がそんな風でなくてよかったと胸をなでおろす。さすがにいきなり最大権力に喧嘩を売る勇気はない。いずれは喧嘩を吹っ掛けに行かなければならなくなるだろうが、初手からでないだけましだ。


「だが、この五人より厄介な魔女がいる。それが自由型、『黒の領域(ショハム)』の【災厄の魔女】カティーシスと『紫の領域(ノーフェク)』の【罪科(ざいか)の魔女】ギルトだ。気の向くままに殺戮と蹂躙を繰り返すこの二人は、単純な危険度で言うなら七魔女の中でも最も高い。年齢も身分も、二人の前では何もかもが平等だ。出会ったら最後、殺されるだけなんだから。この二人はもはや天災だよ」


 遊びのようにカティーシスは人を殺す。そこに明確な基準も信条もなく、無意味に死をふりまくそのさまはまさに【災厄】の名にふさわしい。

 狂ったようにギルトは国を侵す。そこには一片の慈悲も容赦もなく、冷たい粛清を下すそのありようは【罪科】としか言いようがない。

 他の魔女達とは違い、公的な身分も、誰もが認める支配権も、自分だけの国ももたない、正真正銘の“自由”な魔女。なんのしがらみもない彼らは、それゆえ神出鬼没で足取りがつかめず、討伐も困難を極めているという。ショハムとノーフェクの地に住む民は、常に魔女の危険と隣り合わせの生活を送っているそうだ。


「人間の脅威となるのは魔女だけじゃない。魔女達は魔物を操るし……それぞれ一人ずつ、悪魔と呼ばれる従者を従えている。【幸福の魔女】に仕える悪魔は【側仕(そばづかえ)】とか名乗っていたな。悪魔も魔女と同じ、不死の存在だ。悪魔を殺すには、まず主人たる魔女を殺さなければならないらしい」

「へぇ……。結構、人間側に不利なんすね。それじゃ、教会なんてあてにできないみたいじゃないですか」


 聖者とやらは一体何をしているのか。魔女の脅威がそこまで大きいなら、むしろ人々は何もしてくれない神に対して憤りを覚えそうなものだが。そんな不満を感じ取ったのか、ラズトラウトは小さくため息をついた。


「これでもまだましなほうなんだ。教会が……聖者がいなければ、魔女の力はもっと強まっていた。聖者たちのおかげで、魔女の活動はある程度抑え込めている。もし神が人間を見捨てていたのなら、世界はたちまち滅ぼされていただろう」

「……」


 エペーはむすっとしたように空の深皿を押しのける。聖者と魔女の真実を知る彼からすれば、(ロゴス)を盲目的に信じるアルカディア人の現状は気に食わないだろう。しかし祐理達にラズトラウトの目を覚まさせる(すべ)はない。しょせん祐理は異邦人で、エペーですらもただの亜獣(どうぶつ)扱いなのだから。

 

「話を戻すが……何度も言った通り、魔女は不死の存在だ。見た目こそ若いが、その実数百歳を超えている。特に僕らがこれから挑む【幸福の魔女】なんて、一見すると七、八歳ぐらいの女の子にしか見えないが、軽く見積もっても中身は五百歳を超えているはずだ。その外見に惑わされて油断することのないようにな」

「は、はい。……長生きってことは、それだけ長く魔女をやってるってことですよね? 今までずっと討伐されてないなら、魔女としての実力は相当あるって思っていいんですか?」

「……そうだな。恐らく【幸福の魔女】は、現在の七魔女の中では最古参に入る魔女だろう。直接的な危険性は低くても、その真の力は計り知れない。……僕らの一度目の敗走は、【幸福の魔女】の力量を見誤ったことにある。隠棲型だから、幼い少女の姿だからだと甘く見たのが失敗だった。はじめて【幸福の魔女】の存在が確認された文献は、今からおよそ五百年前のものだ。以来、奴はずっと“紅き森”を根城にしている。どうして一度もそこから追いやられたことがなかったのか、考えるべきだったんだ」


 わざわざ森に隠れ棲んでいるのは、表舞台を支配する力がないのではなく、本人の気質のせいなのだと、僕らはもっと早く気づくべきだった――――悔しげにひとりごつラズトラウトの言葉を拾ったのか、たとえ空元気でも和気あいあいとしていた騎士達の表情がかげる。魔女に大敗を味わわされて多くの仲間を失った彼らに、かける言葉は見つからなかった。

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