5 黒の聖者
「あんた達、これから行くあてはあるのか? 【災厄の魔女】を倒すって言ったって、奴は神出鬼没だぜ。やみくもに探して回っても、見つけるのは難しいぞ」
少し遅めの朝食の席で、アガスは不安げに問う。確かに彼の心配はもっともだ。だが、祐理達には指針があった。
「ひとまず、ラヴァンダールって街を目指そうと思うんだ」
「ラヴァンダールだって? なら、この地図を持っていってくれ」
「いいのかい?」
アガスが差し出した地図を、ラズトラウトが受け取った。アガスは嬉しそうに頷く。
「そうだ、食料も持っていくといい。ここは小さな村だが、旅人……魔女から助けてくれた恩人に差し出す程度の備えはあるさ。どうせあんた達がいなかったら、魔女に全部めちゃめちゃにされてたんだ。それがあんた達へのお礼として渡せるんだ、これほど嬉しいことはねぇよ」
「ありがとな、アガスさん」
厚意は素直に受け取っておくに限る。下手に断って余計な借りをアガス達に背負わせるぐらいなら、目に見える形での謝礼を受け取っておいてもいいだろう。
朝食を終えて出立する。愛馬をアンブロシアに預けたラズトラウトの足は、祐理が出した二頭の疾走する大逆の禍風のうちの一頭だ。もう一頭には、もちろん祐理の乗る永久の闇の緋き檻を引いてもらう。見送りに来た村人たちは目を丸くしていたが、そりが珍しかったのだろうか。挨拶もそこそこにラズトラウトが駆けてしまったので、この乗り物のすばらしさを力説するのは間に合わなかった。残念だ。
「このペースで進めば、明日にはラヴァンダールに着いているじゃろうな」
祐理が広げていた地図を覗き込み、エペーは満足げに祐理とラズトラウトを見上げた。スピード的には問題ないらしい。
「そうだろうね。魔女の住処を探すのに手間取りそうだけど、手掛かりはあるんだ。再戦は近いはずさ」
「その時こそ、ちゃんとあいつを封印しねぇとな。そりゃ初見じゃちょっとビビっちまったけど、もう大丈夫だ」
カティーシスはあくまでも魔女で、自分とは一切関係ない。心の中でそう自分に言い聞かせる。
そうだ、あの野蛮な魔女を封印するのに、ためらう必要なんてない。暴力的な魔女に対して恐れを抱くなと言うのも難しいが、こちらにはその魔女を圧倒できる力があるのだ。もうあの男を見てもひるみはしない。
「ああ、僕も全力を尽くそう。ラウラスの騎士の名にかけて、あの邪悪な魔女なんかに遅れはとらないよ」
力強く頷くラズトラウトが頼もしい。しかしそう思えたのもつかの間、ラズトラウトはどこか遠くを見るようにしてぽつりと呟いた。
「ただ……本音を言えば、あの男とはもう少し違う形で出会いたかったな」
「どういうことだ?」
「強かったんだ。魔女としてではなく、純粋に一人の武人として。剣を交えたからこそわかる。得物こそ奇抜だったけど、身のこなしや武器の扱い方は間違いなく一流の戦士のそれだった。戦闘中のカティーシスは、武器の具現化以外の魔術は使っていないだろう? 奴は、もっと魔女らしい戦い方ができたはずだ。ラフェミアの寄生呪樹のような、ね。けれど奴はそれをしなかった」
カティーシスの魔術は水だ。それをどう戦闘に活かすは使いようだろうが、もっとトリッキーな戦術をおかしくはなかった。自分の身体を液体にして地中に潜り込めるのだから、それを利用した防御や奇襲もお手のものだろう。
しかし最後の逃走の仕方以外では、カティーシスは水の魔術を操る魔女らしさを見せなかった。迫る音無の泡沫を使った祐理のほうが、よほど水を操っている。
「それはまるで、武人という土俵で僕と戦いたいって敬意や、魔女となっても自分は武人だっていう矜持の表れのように感じられて……って、魔女を相手に何を言ってるんだろう、僕は」
「いや、あながち間違ってはいないかもしれんのう」
気恥ずかしげに俯くラズトラウトに、エペーがすかさず声をかけた。
「魔女とはすなわち、人からなりし者。つまり魔女は、生まれた時から魔女であったわけではないのじゃ。いかなる魔女にも、魔女でなかった時代があった。そして恐らくは、それこそが魔女の心を形作るものなのじゃ。薬師を目指す少女じゃったラフェミアが、毒にも薬にもなる力を振るう魔女となったように。平和と幸福の中で暮らしとったアンが、人との和解を目指す魔女となったように。カティーシスにも、今の粗暴ぶりを形成する何かがあったのかもしれんぞ。武人としてのありようを忘れていないのも、な」
「……でもさ。どんな理由があったって、駄目なことは駄目じゃねぇか?」
いかなる大義名分を掲げようと、許されないことはある。カティーシスはまさにその部類だ。
たとえ昔は高潔な武人だったとしても、今は人の命をもてあそぶ大量殺人鬼。どんな経緯で変質しようが、それで罪の重さが変わることはない。抒情酌量の余地がある罪状にも限度はあった。仮に罪が軽くなるというのなら、それは裁く側の作為か感情があってのものだ。
「そうだね。ユーリの言う通りだ。……けれど、これは忘れないでほしい。あの男は本当に強かったんだ。魔女なんてものに成り下がる理由がわからないぐらいにね。もしも魔女になんてならなかったとしたら、きっと歴史に名を残す武人になっていただろうに……」
きっと今のラズトラウトは、騎士ではなく剣士の顔をしているのだろう。騎士という生き方は、ラズトラウトが自ら望んだ束縛だ。けれどその枷を取り払った、ただの戦士であるラズトラウトは、偉大なる先人の堕落に失望を抱いているに違いない。
「でも、あいつが不死の魔女になったからラズさんと戦えるんだぜ?」
「はは。あいにく、僕は戦闘狂じゃないからね」
茶化すように言った祐理をたしなめるように、ラズトラウトは苦笑した(らしかった)。
戦士の本能は、騎士の誇りの前にあっさり覆い隠されたようだ。いや、失墜を残念には思っていても、戦えることを喜ぶほど分別がないわけではなかったということか。黒騎士が狂騎士でなくてよかった。
「正面からぶつかるとなると、一筋縄ではいかないだろうな。かと言って、あの……ええと、ユーリの車輪を持ち出しても、逃げられてしまうかもしれない」
「液体になれるなら、拘束も意味ねぇよな。首を切り落として心さえ奪えばこっちのものだけど、切ろうとした瞬間水になられて回避されたらどうにもならねぇし」
さすがに水は切れない。まさか安寧告げる断罪の歌で捕捉した時にカティーシスが笑っていたのは、そうやって避けるつもりだったからなのだろうか。
「そうじゃなぁ……。カティーシスをめちゃめちゃ寒い空間に閉じ込めるのはどうじゃ? たとえあやつが水になっても、凍らせてしまえば砕けるじゃろ」
「どうやってそんな空間を用意すんだよ。巨大冷凍庫なんてないだろ」
「なら、蒸発はどうじゃ? あの燃える牛の像で踏み潰せば、仮に水になって逃げようとしてもうまくいかないかもしれんぞ」
「どうなるんだろう、それ。気体になってしまったら、切るどころかまず見えないんじゃないか? そうなれば、また逃げられてしまうよ」
「やっぱ覇気をまとえるようにならねぇと駄目か……。修行だな修行。二年後にどっかの島で再会しようぜ」
「祐理は何を言っとるんじゃ?」
ああでもないこうでもないと話しながら、対【災厄の魔女】作戦会議は進んでいく。
しかし結局有効的な策は思いつかず、いつの間にか日が暮れてしまった。
「今日はこの辺りで……ん?」
「ラズさん、どうかしたのか?」
「……静かに。少し離れたところで、剣戟の音が聞こえる」
疾走する大逆の禍風を止め、ラズトラウトは警戒するように周囲を見回す。つられて祐理とエペーも視線をあちこちに彷徨わせた。
「まさか、またカティーシスか?」
「いや……どうやら複数人いるようだ。この辺りに村はなかったはずだし、もしかすると旅人か商人が賊に襲われているのかもしれない」
「マジかよ! 助けたほうがいいやつだよな!?」
「ああ、見過ごすわけにはいかないな。……行くぞ、ユーリ。着いてきてくれ」
索敵が終わったのか、ラズトラウトが疾走する大逆の禍風を再び走らせる。祐理を引く疾走する大逆の禍風もそれに続いた。
少し進むと、開けた道に出る。一台の馬車が停まっていた。それを取り囲むように、ガラの悪そうな男達が得物を手にして立っている。彼らから馬車を守るようにして立つのは、一人の女騎士だ。
「お前達、そこで何をしている!」
「ああ? ちっ、騎士か!?」
「はっ、たかが小姓を一人連れた騎士が増えたところでなんにもならねぇよ! ついでにやっちまえ! あの剣と鎧、高値で売れそうだ! 馬も逃がすんじゃねぇぞ!」
鋭く言葉を飛ばしたラズトラウトに対する返事は、下卑た笑い声だった。
「コショウ!? どこをどうとれば調味料扱いされるんだよ!? 人間! 人間だっつーの!」
「儂もいるんじゃぞー!」
「ああ……うん、ちょっと黙っててくれないかな……」
ラズトラウトはそうぼやいて疾走する大逆の禍風から降りる。カッコよさを維持するには知識と真面目さが足りなかった。
「まあいい。ユーリ、この程度、君が出るまでもないだろう。すぐに終わらせる」
相手の数は決して少ないとは言えない。だが、ラズトラウトは構わずに剣を抜いた。彼の纏う空気が変わり――――ほんの数度のまばたきで、すべてが終わった。
(人外ばっかり相手にしてるからいまいち実感なかったけど、ラズさんってめちゃめちゃ強いんだよな)
もともと彼は、祐理より少し上程度の年齢にもかかわらずある程度の人数の騎士達をまとめる立場についていたのだ。それがたとえば親の七光りとか、金や身分で得た地位だとすれば、部下の騎士達がついてくるはずがない。
そもそも彼が持つ騎士としての心意気は、強さあってのものだった。己にふさわしい振る舞いをしなければならない、という。魔女を討伐することを目的とした部隊にだっていたのだ。そんなラズトラウトが、ぽっと出の盗賊風情に後れを取るわけがなかった。
「>>助太刀、感謝いたします<<」
「たまたま通りかかっただけだ。そう気にしないでくれ。……目的は果たした。ユーリ、先を急ごう」
ほうほうの体で逃げていく賊などには目も暮れず、女騎士はラズトラウトに一礼した。さすがにラズトラウトほどの重装備ではないが、堅牢な鎧で身を包んだ美人だ。
けれど鼻の下は伸ばしていられない。だって祐理の目には、彼女が嘘をついている字幕が見えていたのだから。
「<<本当に来た。やはり姫様の予言は正しかったな>>」
「……」
さて、これはどういう意味だろう。女騎士から目を離さず、祐理はそっと『審問大全』に手を伸ばした。
「>>もしもこの出会いが偶然だと言うなら、それはすなわち神のおぼしめし。助太刀の礼が不要と言うならば、せめて出会いの記念として何かをさせてくださいませんか?<<」
「<<待て。ここで逃がすわけにはいかない。……まったく、何が偶然だ。ああ、これでいいんですよね、姫様……>>」
祐理の目の前を横切る字幕はすべてがすべて紫の色。振り払えば、まったく違う言葉が聴こえてくる。ラズトラウトは女騎士の本心に気づいていないようだったが、どこか困惑している風に見えた。
「ええ、ええ、その通りですぅ! このままタダで帰すわけにはいきませんです! ここでお別れしちゃったら、ランティの名がすたります!」
「うわっ!?」
馬車の扉がばんと開いて、中から何かが出てきた。
それは小柄な少女だ。年は恐らく、祐理より少し下ぐらいだろう。十三、四歳程度に見える。自己主張の激しいふりふりのドレス。瞳孔に星でも散っているんじゃないかと錯覚しそうなほどにきらきら輝く大きな瞳。ツインテールの髪はまるで重力を無視したように上向きに跳ね、くるくると巻かれている。日曜朝にいるほうの魔法少女のようなその外見がただひたすらに眩しくて、思わず目がちかちかした。
「姫様っ……! 何を勝手に、」
「控えちゃってなさいですよ、セル! ランティはこの騎士さん達とお話がしたいのです!」
どうやらこの派手な女の子が、女騎士の言う“姫様”らしい。嘘だらけの女騎士とは違って、この姫様は――――
「>>ランティすっごく怖かったんですぅ……。叔父様のお城に行きたかったのにいつの間にか道に迷っちゃって、盗賊さん達に囲まれちゃって……。神様に助けてくださいってお願いしたところに騎士様がたが通りかかったんです、きっとお二人は神が遣わした救いの使徒に違いないです!<<」
「<<やっぱりこの道を通りやがりましたですね! ランティってばだいてんさーい! 大司教のジジイを押し切って、兵士にわざわざ賊のまねごとをさせた甲斐があったです! さーて、あとはどうこの異端者さん達を、めっ! ってするかですねー>>」
前言撤回。やはり嘘しかなかった。それ以前にめちゃめちゃうざい。魔法少女に失礼だった。
「おーい、祐理ー? 気持ちはわかるが、しっかりするのじゃ」
あまりのことに感情を失いかけた祐理を、エペーが触手(?)でぺしぺしと叩いて現実に引き戻す。いっそこの声が聴こえないラズトラウトが羨ましかったが、そもそも素がうざいのでどうにもならなかった。
「ラズさん、ちょっと来てくれ」
「? ユーリ、どうかしたのか?」
ラズトラウトは怪訝そうにしながらも祐理のもとに歩み寄る。これで万が一にも彼を巻き込んでしまう不安はなくなった。
「ッ、セル、二時の方角に退避用意! 授ける奇跡は跳躍の力、主の名のもとに地を駆ける羽を!」
「夢見る空の揺り籠!」
祐理が器具の名を呼ぶより早く、少女は何かを口にした。
開くページは吊り籠。地中から支柱ごと現れた牢獄は、しかし馬車だけ閉じ込めて吊り下げられた。馬車ごと二人を捕まえるつもりでいたのに、どちらにも回避されてしまったからだ。
「今のは……加護の力の祝詞か? ユーリ、彼女達は聖職者だ。僕らの敵じゃない!」
聖職者。それはすなわち、正統を謳う神に仕える者だということだ。異世界人にとっては敵ではないかもしれないが、邪神にされた神と共に在る祐理にとっては敵でしかない。そもそも、ロゴスは守り手の親玉だ。それはラズトラウトにとってもいい知らせなどではないだろう。
「ラズさん、忘れたのか? ラウラスの城とか、アンさんの孤児院を襲ったのがなんだったのか」
「それは……ああ、そうか……!」
ラズトラウトははっとしたように剣を抜く。しかしまだその剣には迷いがあるようで、彼女達が敵か味方か見極めている段階のように見えた。ラズトラウトには二人の本音が聞こえていないし、なによりこのアルカディアの地で神と聖職者を信じて生きていたのだ。そう簡単に割り切れるものではないのだろう。
「うーん……まさかいきなり攻撃仕掛けられちゃうとは予想外です。でもでも、結果的にはよしですね! だってこれで、正統なる裁判のもと有罪にできる用意ができたのですから!」
「ええ、姫様。おっしゃる通りでございます」
少女達は笑い合う。その笑みはとても綺麗で、けれど同時に寒気のするものだった。
「さあ、魔女狩りの英雄を騙り民を惑わす異端者達よ。尊き我が身を傷つけようとした愚か者達よ。告解ならば聞き入れてやるですよ。ですから今すぐそこへ跪き、己の罪を悔い改めるのです。さすればただちに罰を与えてさしあげます。黒の聖者、テンペランティアの名において!」
キラキラ魔法少女(笑)は高らかに宣言した。
黒の聖者。その名にどんな意味があるかなんて知らない。興味もない。どうしてここにいるかなんてどうでもいい。わかっているのは、彼女はロゴスの信者で、信者達をまとめる側に立つ人間で、信仰の象徴となる存在ということで――――ようするに、祐理の敵だ。




