3 揺れる心
「ッ!?」
祐理が叫ぶが早いか、カティーシスの前に鉄製の拘束具が現れる。二等辺三角形のような形をしたそれは、カティーシスが回避する間も与えない。まるで獲物を目にしたワニのような獰猛さで、鉄の拘束具は彼の首と両手首と両足首を一直線に繋ぐように捕らえた。
「……へぇ、イイじゃねぇか」
想像力が乱されでもしたのだろうか、マシンガンめいた大砲が掻き消える。なすすべなくうつぶせで倒れ込み、カティーシスは口元を歪めた。
「いいぞ祐理! 畳みかけるのじゃ!」
「わかってるっ!」
リュックからぴょんと飛び出して祐理の足元に躍り出たエペーに応えてページをめくる。
開こうとしているのは、心のありかを探すための項目だ。しかし祐理が造られた刻印を求めてのページを開くよりもはやくカティーシスが動いた。
「オレの心はこの首の中だ! 斬り落としてみやがれ――てめぇにできるもんならなァ!」
魔女は手足の自由を奪われて、まるで胎児のような姿勢で転がっている。けれど声に宿る狂気と残忍さはそのままだった。鉄の棺桶越しでも血に飢えた獣のような眼差しが突き刺さる。
カティーシスの言葉が罠かどうかは、巨大な盾をすりぬけて字幕が飛んでこないことから明らかだ。祐理は舌打ちして視界を遮る永久の闇の緋き檻を消した。
「なら、お望み通り斬ってやる! 安寧告げる断罪の歌!」
地に這いつくばる標的を相手に、断頭台は本来の姿を現す。祐理がひと声かければたちまち刃が落ちて、カティーシスの首を斬り落とすだろう。それで彼が死ぬわけではないが、心は回収できる。だが、祐理はすんでのところで号令を飲み込んでしまった。
(あいつ……笑ってないか……?)
カティーシスは目だけ動かして、頭上の刃を見ようとしているようだった。赤みを帯びた月光に照らされた顔は歪な笑みを浮かべているように見える。殺戮を愛する狂った魔女にとっては、自分に与えられる苦痛さえも快楽だというのだろうか。それがとても気味悪くて、恐ろしくて。執念じみたその気迫は、祐理から声を封じ込めた。
「……エペー……?」
いつまでも刃が落ちてこないことに興が削がれたのか、カティーシスの視線が動く。その視線の向く先は祐理の足元だ。唇が小さく動いた。それはぽつりと漏れた独り言のようで、何を言ったのかは聞き取れない。
「はは……ははははっ! おいおいマジかよ、実在してやがったのか! ってことは、てめぇが“狩人”か? なら、ここでやられるわけにゃいかねぇなァ!」
「あ、あいつ、何言ってんだ?」
「わからないが……あまりいいことではなさそうだ」
魔女の哄笑に再びひるんでしまった祐理に、ラズトラウトは警戒のにじんだ返事をする。彼の手は剣を握ったまま、一切の油断も見せずに構えていた。
「てめぇが英雄の後継者だって言うなら、魔女を殺せよ“狩人”ォ!!」
その言葉と同時に、衝撃波のようなものがカティーシスから放たれる。四方に飛び散るその斬撃は、地に堕ちた鳥の鉄枷はおろか安寧告げる断罪の歌すらも切断した。
「ちっ……、あいつ、あんなこともできんのかよ……!」
先ほどまで無様に転がっていたのは、ただの余裕の表れだったのか。カティーシスは平然と立ち上がる。目的を果たせなかった鉄枷の残骸が無残に落ちた。
「“狩人”、てめぇはすっこんでろ。てめぇがラフェミアを殺してねぇってのは知ってンだ。魔女を殺す気のねぇ奴の相手をしてるヒマなんざねェ。……騎士サマ、お前はどうだ? お前もそこのガキみたいな日和見なのかよ?」
嗤うカティーシスの手に、新たな得物が現れる。それはチェーンソーめいた大剣だった。
「違うよなァ! 兜越しから殺気が伝わってくンだよ! てめぇはオレを殺したくてウズウズしてんだ。自分が動いても“狩人”の邪魔にしかならねぇ、自分にゃ実力が足りねぇ。そう思ってるからひっこんでるだけでなァ。だがよ、ンなこと誰が決めたァ? てめぇが死ぬ気でやりゃ、てめぇの剣がオレに届くかもしれねェだろうが」
「……どうやら奴は、僕を指名しているようだな」
大剣の切っ先をラズトラウトに向け、カティーシスは挑発的な笑みを浮かべている。それに応えるように、ラズトラウトは一歩前へ足を踏み出した。
「なァ“狩人”クンよぉ。この騎士をぶっ殺せば、てめぇは本気になるのか? 後ろの村をぶっ潰せば、てめぇはようやく殺意ってモンを理解できんのか?」
「ラ、ラズさん、」
「大丈夫だ、わかってる。奴はああ言っているが……僕は獣なわけじゃない。でも、奴を無傷で渡す気はないぞ。隙を見つけたら、すぐに封印の準備をしてくれ」
祐理にしか聞こえないような声音で囁いてから、ラズトラウトは喊声とともにカティーシスへと突撃する。
振り下ろされた長剣は回転する大剣に弾かれた。だが、それはラズトラウトにとって予想の範疇だったらしい。反動で体勢を崩すこともなく、ラズトラウトは二の太刀をカティーシスに叩き込んだ。
一合、二合。冷たい光を放つラズトラウトの長剣と、激しく動くカティーシスの大剣が火花を散らしてぶつかり合う。
「お前、ピトダー出身か。この剣技、ラウラス騎士の流派だろ? お上品で退屈なお貴族サマの手習いに見せかけた、人殺しの型じゃねぇか」
「なんとでも言え。貴様の剣には統一性がないが、かといって一貫性がないわけじゃない。まるで、様々な流派が混じっているようだ。ありとあらゆる流派から適切なものだけ選び取って改造して、独自の業に昇華させたのか? ……剣術に対する冒涜だが、戦術という意味では悪くないな」
それは殺し合いのはずだった。少なくともカティーシスは、ラズトラウトを殺すつもりだろう。しかし言葉を交わす二人の声音はあまりに穏やかで。激しい剣戟さえ聞こえなければ、旅のさなかで偶然知り合った剣士同士が歓談しているようにも見えた。
「僕らは無辜の民を守るため、人を殺す剣を振るうんだ。貴様のように、無意味に命を奪うような者には決してわからないだろうが」
「ずいぶんと高尚じゃねぇか、さすが騎士サマは違うな」
軽やかに剣をさばくカティーシス、最低限の動作で適所に重い一撃を狙うラズトラウト。二人の殺し合いは、危うい均衡のもとで芸術めいた緻密な空間を生み出していた。
部外者には手出しできない間合い。決して犯せざる決闘は、一種の神聖さすら醸し出している。しかしそれが永遠に続く保証などどこにもない。仮にラズトラウトから距離を取ったカティーシスが大剣を手放して鎧を貫通するような銃火器を持ち出せば、一瞬で崩れ去る類いのものだ。
「おい、兄ちゃん! あんた、変な道具を好きに出せるんだろ?」
「そうだけど……別にあいつの仲間ってわけじゃねーからな」
機が訪れるまで見守ることしかできない祐理に声をかけたのは、最初に話しかけてきた村人の男だった。柵の向こうにいる彼は、神妙な顔つきで祐理を見ている。
「魔女と戦ってくれてるあんたが魔女の味方じゃないってことは、とっくにわかってるさ。……だが、あっちの騎士様もいつまでもつかわかんねぇぞ。あの魔女を倒そうって、何十年もかけて名うての戦士があいつに挑んだんだ。それこそ数えきれねぇぐらいの戦士がな。結果は、今もあいつがぴんぴんしてることから察してくれや」
「……」
【災厄の魔女】カティーシス。そのありようは、【悲哀の魔女】アンブロシアはもちろん【幸福の魔女】ラフェミアともまったく違う。こちらが何をするでもなく、向こうから襲い掛かってくる、まさに災厄のような魔女だ。その脅威の度合いは、縄張りを侵さなければ何もしてこないラフェミアの比ではないだろう。
カティーシスを止めるには、彼を殺すしかない。しかし誰もカティーシスを倒せなかった。その強さは誰もが知り及ぶところで、だからこそ村人は恐れているのだ。最後の防壁である祐理とラズトラウトが敗れ去って、自分達が蹂躙される番になることを。
「勝算がないわけじゃないんだ。だって俺は、“狩人”なんだから。あいつだって絶対倒せる」
「“狩人”……か。あの魔女も、あんたのことをそう呼んでたな」
恐怖がないわけではない。自分と似たような力を振るい、拮抗すらしてみせる相手を前に湧き出る不安が殺せない。
けれどそれを振り払うように、自身を鼓舞する言葉を紡ぐ。ラズトラウトが騎士という言葉で己を律していたように、祐理も無意識のうちに“狩人”の名に縋っていた。
「なあ、狩人さんよ。俺らの命はあんたに預けるからよ。どうせあんたらが負けたらみんな死ぬんだ、だったらあんたの言う勝算とやらに賭けてみるのも悪かねぇ」
いつの間にか、男の周囲にはほかの村人が集まっていた。みな、救いを乞うような目で祐理を見ていた。
「あんた、車輪は出せないか?」
「は? 車輪?」
男が突然突拍子もないことを言いだしたので、思わず祐理はそちらを振り返ろうとした。しかしその直後、甲高い音が響き渡る。慌ててそちらに向き直った。ラズトラウトの剣が、カティーシスの剣に弾き飛ばされた音だった。
ラズトラウトの剣はくるくると回りながら高く舞っている。ラズトラウトがそれを再び掴む隙を与えるほど、カティーシスはのんきではないだろう。それを証明するように、カティーシスの大剣がラズトラウトの首を捉えようと大きく薙いだ。
「祐理! 最初のほうのページに、車輪があったはずじゃ!」
「えっ……と、これか!? 聖女に捧げる鉄車輪っ!」
ラズトラウトがそれをすんでのところでかわしてカティーシスから距離を取るのと、祐理が叫んだのはほぼ同時だった。
何故車輪なのだろう。それがどういう器具なのかすらもいまいち理解できていないまま、ただ『カティーシスの気をラズトラウトからそらしたい』という一心で具現化させる。出現したのは、思った通りの車輪だった。
車輪と言っても、タイヤのようなものではない。鉄でできたそれは台座によって支えられていた。フリスビーのように投げつけることはもちろん、転がしてカティーシスを轢くことはできないようだ。
身体は反り返るだろうが、成人男性の一人ぐらいならわっかの上に寝そべることができそうなほどに大きかった。問題は、車輪の表面にびっしりと棘が生えていることだろうが。これでは寝心地どころの話ではない。心なしか、棘には黒く変色した血がこびりついているように見えた。
(これ……なんかおかしくね?)
違和感があった。これまで祐理が出した拷問器具あるいは処刑器具は、重く錆びついたすべての罪を断つ者を除けばいずれも新品同然のものだった。
しかしこの聖女に捧げる鉄車輪は、使い古されたもののように見える。そう、たとえば、すでに誰かがこの車輪を、何らかの形で使ったような。あるいは、どこかに存在する特定の車輪を、そっくりそのまま描き出してしまったような。
棘が血に塗れているような錯覚を覚えたせいだろうか。しかし祐理がそれについて深く考える前に、事態はぎこちなくも動き出した。
「…………………………は?」
視界の端に異物が映り込んだことに気づいたのだろう、カティーシスがこちらを見る。
「ぁ……あ、ああ……」
その瞬間、彼の手から大剣が消えた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!?」
頭を抱えて膝をつき、カティーシスは絶叫する。その声音はまるで悲鳴のようでもあった。
「車輪、車輪、車輪車輪車輪車輪……からす、からすがくるんだ、鈴の音がやんでから……」
「な、なんだ!?」
「赤から黒に、黒はずっと黒のまま……黒は嫌いだ……黒……くろ……くろクろくロくろッ……」
身体を丸めたカティーシスは、壊れた人形のように抑揚のない声で何かを呟いている。ラズトラウトは驚いていたが、祐理にもわけがわからない。
「こわした、ぜんぶこわした、車輪は全部ぶっ壊した……なのになんで、なんでオレは……ぜんぶ……なにを……ああ、そうだ、【殺戮】……おまえは、全部、わかってたんだろ……?」
「今だ、鳴らせー!」
誰かの号令とともに、柵に括りつけられた鈴がいっせいに音を立てる。村人達だ。響き渡る鈴の音は、村人達が車輪の模型を投げつけていた時の比ではない。そのあまりの騒々しさは、まるで音で弾幕を作っているかのようでもあった。
夜を切り裂くような甲高い鈴の音のせいで頭が割れそうだ。祐理は思わず耳をふさぐ。ラズトラウトに至っては、我慢ができないというように兜を脱いでいた。
「やめっ……あ、ああああ……くるな、日が、日が昇ってないだろ……だからまだ朝じゃない……! 日が沈んで昇って沈んで昇って沈んで昇って……うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい……!」
カティーシスは、はたから見てもわかるほどに震えている。
膝を屈し、聖女に捧げる鉄車輪を睨みつけながらも怯えた瞳に涙をにじませているその姿は、先ほどまでそこにいた青年とはまるで別人だ。
「殺……殺し……ころして、ころし……て………」
恐らくは「殺してやる」と言いたいのだろう。しかし歯の根が合わずにそれも叶わない。
その姿はあまりにも哀れで、これが【災厄の魔女】だとはとても思えなかった。しかしそれでも、彼は封印すべき敵だ。
「……人間に、オレの心臓は、わたさねぇッ……!」
打って変わった弱々しさで、カティーシスは懇願するかのように言い捨てた。
そのまま彼の姿が溶けていく。やがてカティーシスはまるで水のようにそのまま地中にしみこんでいった。逃げられたのだ。
「やったー! 魔女が逃げたぞー!」
「そういえば、奴は水を操る魔女だったな。なんだかよくわからないが、ずいぶんと錯乱していたようだし……尻尾を巻いて逃げ帰ってくれたみたいだ」
「……ごめん。ここであいつを封印できなかったのは、俺がまごついてたからだ」
「ユーリが気にすることじゃないさ。少なくとも、この村を守ることはできたんだから。……奴のねぐらは掴んだようなものだから、次にまた追い詰めればいい」
村人達の歓声をよそに、暗い顔をする祐理をラズトラウトが励ました。そう、次だ。カティーシスがまた何か事件を起こす前に、今度こそ彼を『魔女名鑑』の中に封印しなければ。




