2 迎撃態勢
「大変です! 起きてください、ユーリさん、ラズトラウトさん!」
「アンさん……?」
ドンドンと強くドアを叩く音が、祐理の眠りを妨げる。必死な声はアンブロシアのものだ。隣のベッドでは、ラズトラウトが眠い目をこすりながら起き上がっていた。
「何かあったのか?」
ラズトラウトがドアを開ける間、祐理は置時計を確認した。深夜の二時。真夜中もいいところだ。しかしその不満は、転がり込んできたアンブロシアの蒼白な顔を見た瞬間に吹き飛んだ。
「【災厄】を……【災厄】を止めないと……!」
「一回落ち着いてくれ、アンさん。とりあえず深呼吸だ」
軽い錯乱状態にあるアンブロシアに声をかけると、アンブロシアは素直に深呼吸を繰り返した。
「……【災厄】が動き出しました。奴は、ショハムにあるどこかの村を潰すつもりです。野放しにしていれば、多くの命が犠牲になってしまうでしょう」
萌黄の瞳は不安げに揺れ、声もかすれてはいる。それでもなんとか気を持ち直したアンブロシアが告げる報せは、祐理達にとっては悪いものでしかなかった。
「マジかよ!? くそ、どこかの村ってどこだ!?」
「ひとまず野鳥達を飛ばして、ショハムの様子を探らせています。奴の現在地がわかり次第、その場所か……あるいは、そこに近い地点にお二人とエペーさんを転移させても?」
「なんだって? 領域を越えるほどの長距離転移が、君にはできるのか?」
「はい。確約はできませんが、最低でも越境は可能です。これでも、印術適性は高いほうですので」
転移とやらは、印術なのだろうか。祐理にはいまいちそのすごさがわからないが、ラズトラウトが驚いているならきっと珍しいことなのだろう。そんな技能があるなら最初から使ってほしかったが、ラズトラウトにはできないのかもしれない。
「僕の精神状態や、目的地までの距離によって転移の精度は落ちてしまいますが……心配しなくても、『いしのなかにいる』ということにはなりませんよ。皆さんのことは、必ず無事に黒の領域までお届けします」
「ん? 『いしのなかにいる』?」
そのフレーズ、どこかで見かけたことがあったようななかったような。
あれは一体どこだろう。SNS? それとも漫画か小説か? 慣用句……いや、ただのネットスラングか、何かの小ネタだったかもしれない。意味や用途までは知らないが。
「僕が暮らしていた孤児院にいた、小使いの方がよく使っていた言葉です。僕が緑の印術を使うたびに、彼はそう言っていたんですが……もしかして、方言でしたか? ごめんなさい、僕は田舎者なので……」
ぴんと来ていない様子の祐理とラズトラウトに、アンブロシアは申し訳なさげに眉根を下げる。とはいえ、些細な言い回しなど今はどうでもいい。一刻も早く出立しなければ。
身支度を整えて荷物をまとめ、アンブロシアに宿泊費を渡す。エペーは祐理が背負ったリュックにすっぽり収まっていた。
あとはカティーシスの居場所さえ掴むだけだ。そうすれば、アンブロシアが印術を使って祐理達をショハム地方まで連れて行ってくれる。
「わかりました! 奴は今、小さな農村にいます。恐らく奴が次に向かうのは、その隣り村……」
アンブロシアと感覚を共有している野鳥がカティーシスの姿を捉えたのは、彼女が祐理達に事態を告げてから一時間後……壊滅した三つの村の跡地を見つけた後のことだった。
「その村は、もう救えないのか……?」
「……はい。生き残りはほんの数人です。そのうちの一人が、別の村がある方角へと逃げていくのが見えました。襲撃を受けた村は、いずれも距離が近いんです。このことから、最初に襲われた村の生存者は隣村に逃げ、【災厄】はその逃げた先の村を再び襲う、ということを繰り返しているんだと思います」
悔しげな声で問うラズトラウトに、アンブロシアは悲しみを湛えた目で頷いた。
「じゃあ、せめて次の襲撃先だけは守らねぇとな。アンさん、俺達をそこまで転移させられるか?」
「ええ、任せてください――ご武運を」
祐理達が荷物を持ったのを確認し、アンブロシアは両手を祐理達のほうに向けて短く呪文のようなことを言った。エペーの言葉を借りるならば、簡略詠唱というやつだろう。アンブロシアもまた相当の実力者のようだった。
アンブロシアの両手が淡い緑の燐光に包まれる。それを認識するが早いか、周囲の景色が一変した。
「ここは……村の入り口、か?」
辺りを見回す。外観だけで言うならのどかな農村といった雰囲気なのだが、深夜であるにもかかわらずどの家にも明かりが灯っている。おまけに、村の住人らしい男達が慌ただしく外を駆けまわっていた。
「なんだあんたら、旅人か!? ほれ、早くこっち来い!」
村の門の傍に立てかけられた看板に『キャプの村』と書いてあることを祐理が認識した辺りで、男の一人がこちらに気づいた。
「近くで【災厄の魔女】が暴れてんだ! これから門を閉じるぞ! 死にたくねぇなら中に入れ!」
男がそう言っている間にも、村を囲うように地中から木製の柵がせりあがってくる。何かの仕掛けが用意してあったのか、あるいは印術の一種なのだろう。本来の用途は獣避けなのか、柵には無数の鈴が括り付けられていた。
「……外見が違うからだろうが、疑われてはいないらしい。どうする、ユーリ」
「その前に一つ確認なんだけどさ、アレで魔女から身を守れると思うか?」
「十中八九無理だろうな。これで退けられるのは野獣ぐらいだ。【災厄の魔女】は様々な武器を錬成するんだろう? バリスタやカタパルトのようなものを持ち出されたら、秒と持たないぞ」
村人達の抵抗を、ラズトラウトは淡々とそう評した。祐理でさえそう思う。この防御壁は、気休めにしか見えなかった。けれど、村人達にとってはこれが最後の砦なのだろう。
「なぁあんた、隣の村の生き残りは保護したのか!?」
「あたりめぇだ! 逃げてきた連中はみんなこの中にいる!」
大声で尋ねると、怒鳴り声にも似た肯定の返事が返ってきた。なら、このまま門が閉じることを許容しても大丈夫だろう。
「お前らもよその村から来たんだな!? ほら、さっさと中に入れ!」
「俺達は大丈夫だから、早く門を閉めてくれ!」
「……そうだな。そのほうが正確だ」
言葉を交わさなくても祐理のしようとすることを察したのか、ラズトラウトが剣を抜いた。祐理も『審問大全』を取り出す。
「なぁ、この村の入り口はここだけだよな!? 前に襲われた村ってのは、あっちの方角でいいのか!?」
「そうだが……お、お前ら、なにする気だ!?」
門を背にして立った祐理とラズトラウトに、男は驚愕の眼差しを向けていた。
「ここでカティーシスを迎え撃つんだよ!」
門がぴたりと閉じるのと、祐理が答えたのはほぼ同時だった。
*
祐理は固唾を飲んでカティーシスの襲撃を待つ。一分が一時間に思えた。けれどきっと、実際に過ぎた時間はそう長くないのだろう。夜明けの気配はまだなかった。
「あぁ? なんだお前ら。どっかの自警団か?」
闇の向こうから、悠々と歩いてくる影があった。
鮮やかな赤い髪は夜の中でもなお目立つ。元の色がわからないぐらいに紅く染まった服。らんらんと輝く双眸は、上半分が青で下半分が黄色という不思議な色合いをしていた。
耳を飾るピアスが月光を反射して煌めいている。その歩みはいたって自然で、これと言った武装もしていない。邪悪な覇気の類すら感じられないため、返り血まみれでさえなければただのチンピラ風の青年にも見えた。
「……あんたが【災厄の魔女】カティーシスだな?」
「自己紹介はいらねぇみてぇだな。ってことはお前ら、予約済みか? ま、正義気取った通りすがりでもいいんだけどよ」
「予約済み……?」
「こっちの話だ、気にすんな。で、オレが魔女ならどうすんだ? その剣でオレを叩っ切ろうって? まさかその本、印術の初級指南書じゃねぇよなぁ?」
ラズトラウトの呟きを軽くあしらい、カティーシスは薄く嗤った――――その瞬間。
「これでも食らえ、魔女めが!」
「うわっ、な、なんだ!?」
「……ッ、あァ?」
「礫……いや、違うな。ただのおもちゃだぞ、これは。どうしてこんなものを……?」
甲高い鈴の音が、耳障りなほど連なって響く。柵の上から降ってくるのは、木でできた小さな車輪の模型のようだった。そのいくつかは祐理とラズトラウトに当たったが、カティーシスのもとまで飛んでいったものもある。
「な、なにしてんだ!? 隠れてろって!」
祐理が後ろを振り向くと、柵の後ろにはしごのようなものを立てた村人達がいた。彼らは必死の形相で、このふざけたような抵抗を繰り広げている。それは案の定カティーシスにはさしたるダメージを与えず、むしろ彼を煽るだけだった。
「……ナメた真似しやがって。村ごと跡形もなく消し飛ばしてやろうかァ!?」
カティーシスが怒鳴ると、村人達は怯えたように引っ込んだ。しかし彼の怒りは収まらないらしい。カティーシスは右手を勢いよく前に向けて薙ぎ払う。その途端、祐理達とカティーシスの間を隔てるように、無数の大砲が設置された。
「まずい! 撃たせるな、さすがに砲弾は庇いきれないぞ!」
「火薬さえ使えなくすれば――迫る音無の泡沫!」
いまだ『審問大全』の内容を完璧に諳んじることはできない。だが、項目名ぐらいは瞬時に思いだせる。“ウォーター”とつくなら、水にまつわるものに違いない。該当のページを探しながら、祐理は力強く叫んだ。
大砲の一つ一つが袋のようなもので覆われる。異変に気づいたカティーシスが大砲を撃つより早く、袋の口はひとりでに結ばれていった。袋を内側から裂く砲撃は訪れない。閉じた袋の中が水で満たされているのだと、その袋のうねりが教えてくれた。
「なんだてめぇ、レクトルみてぇな真似しやがって……!」
「はぁ!? この世界、マシンガンなんてあんのかよ!?」
カティーシスが舌打ちをして右手を伸ばすと、今度はその手にマシンガンが現れる。
撃たれるとさすがにまずい。とっさに巨大な永久の闇の緋き檻を召喚し、側面を下にして横向きに立たせた。正面から村を守る、即席の盾だ。幸い祐理の想像力が巧みだったのか、棺は弾丸の貫通を許さなかった。
しかしその弾幕のせいで、すべての袋が切り裂かれた。水がどばりと溢れ出す。中にあったはずの大砲はどこにもなかった。一度に錬成できる武器の数に制限はないが、一種類までということなのだろうか。
「ましんがん? いや、初めて聞く名だ! 似たような銃器の設計図があると噂には聞いたことがあるが、あれは想像上のものだったはず……!」
「きっと、奴の魔術のなせる業じゃ! 魔女の固有魔術とやらは、根拠さえあれば不可能を可能にするのやもしれんぞ!」
棺桶に隠れて作戦会議をする。ラズトラウトの口ぶりだと、残念ながら最低でも銃器の類はあったようだ。
あいにくミリタリー系統の知識は祐理にはなかった。せいぜい、ゾンビを倒すようなゲームで少し触ったことがあるぐらいだ。銃の歴史やら文明レベルと銃器の性能の発達度の関連性やらはわからない。
火縄銃レベルならまだ救いがあるのだろうか。そもそも、地球と異世界の発展の仕方が同じである保証はなかったが。
「エペー、どういうことだ!?」
「小娘じゃ! あの小娘、薬師の勉強をしとったからこそ毒や治癒の魔術が使えるようになったと言っとったじゃろ? じゃが、治癒の力は本来聖職者にしか許されん奇跡でもある。それを、あの信仰のしの字も知らんような小娘が行使した。すなわち、固有魔術は理を覆すのじゃ! であるなら、あの男も理を無視した結果、己の想像力次第でこの世界に存在しない武器を創れるということではないか!? あの男がどうしてそんな力を行使できるのかはわからんが……」
薬師とはあくまでも、薬草を煎じて薬を作ることを生業としている者だ。回復薬を用いて味方を回復させるのと、ヒールの魔法を発動させて味方を回復させるのとでは、たとえ結果が同じであっても根本的な部分が異なっている。
ゲーム風に言うなら、ジョブが違うと言ったところだ。ジョブスキルでないスキルは、どんなに高レベルのキャラクターであっても使えない。これはそういうシステムのゲームなので、ラフェミアがヒールを使えるのはおかしい。
けれど固有魔術はそれを可能にする。個人の性質にあったスキルに書き換えて、既存のスキルと同じ効果の技を使えるようになる。だからラフェミアは、ヒールが使えるようになった。
すべての魔女が持つ、一人一人異なる魔術。理を覆す、その意味もまた固有魔術ごとに異なってくるのかもしれない。ラフェミアの保有固有魔術は『異なるジョブのスキルの習得』だとするなら、カティーシスの保有固有魔術は『新アイテムの創造』といったところだろう。
「つまりあいつは、『ぼくのかんがえたさいきょうのぶき』発表会ができるってことか!」
想像の前では実際の技術力や素材、そして物理法則など無意味だ。そういう概念があるかは別としても、カティーシスは幻想金属の剣や絶対強度の盾を一瞬で生み出せる。
それが厨二病で済ませられたらどれだけよかったか。しかしここはもともとファンタジーな世界で、現実的な問題として祐理達には死の危険が迫っている。笑い飛ばせはしない。
「チマチマチマチマ隠れてんじゃねぇよ! オレを殺してぇなら、殺される覚悟キメてから出直して来い! 列の最後尾に並び直してなァ!」
棺桶の向こうでカティーシスが吠えた。ずどんと大きな地響きがする。今度は一体何を錬成したのだろう。
「まずい……! またあの、ましんがんだ! しかも今度は大砲並の大きさだぞ……!」
棺桶の端で向こうの様子をうかがっていたラズトラウトが、焦った声で報告する。それだけ大きな砲弾の雨を受けて耐え切れる自信はさすがになかった。
カティーシスの錬成する武器が彼の想像力を糧にしているのなら、今度は防水対策もしているだろう。早く、早くどうにかしないと。
頭ではわかっている。カティーシスを倒すための、せめて事態を好転させるための打開策をどうにか見つけ出すべきだ。武器をどうにかできないなら、使用者自身をどうにかするとか。そのための道具も、『審問大全』には何種類も記載されている。けれど今の祐理の心は、別のことで占拠されていた。
(こいつの力って、俺と似てるよな……?)
確かにラフェミアから事前にそう聞いていた。けれど、思った以上によく似ている。祐理の召喚と、カティーシスの錬成。どちらも虚空から武器を登場させる力だ。しかし、狩人の力と魔女の力がここまで似通うものなのだろうか。
祐理は『審問大全』を利用しているだけだ。時には想像力をもって変質させているが、『審問大全』に封じられた器具というベースあっての力だということに変わりはない。
だが、もしもカティーシスが、たとえ頭の中にでも自分なりの武器図鑑を持っているとしたら――――自分達の力は、あまりにも酷似しすぎている。
「ッ、地に堕ちた鳥の鉄枷!」
それが意味するところはなんなのだろう。どうしてこれほど不安になるのだろう。理由のわからない焦燥から逃れるように、祐理はカティーシスの動きを封じるための拘束具の名を叫んだ。




