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1 魔女になったもの

* * * * * *


「忘れんじゃねぇ。オレ達は、勝って、生きて、帰ってくるんだよ」


 華奢な身体をぐいと抱き寄せる。彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、抵抗はしなかった。すぐにふにゃりと表情を緩めて胸に顔をうずめてくる。そんな彼女のことが、今はただたまらなく愛おしかった。

 目を閉じる。彼女の鼓動とかすかな息遣いが聞こえてきた。自分の音も、彼女に聞こえてしまっているのだろうか。

 どうしても一歩歩み寄ることが怖くて、彼女の好意を、自分の想いを無視していた。互いの身分を言い訳にして、答えを出すことを遠ざけていた。だが、それももう終わりにしよう。

 いつからか彼女に惹かれていた。箱入りのお嬢様のくせに芯が強いところも、どんな状況でも取り乱さずにできることをやるところも、弱いくせに諦めないところも、どれだけ足が震えていても自分の力で立っているところも、どんなに恐ろしい目に遭っても決して視線をそらさないところも。顔も心意気も性格も、声や言葉遣いや些細な所作にいたるまで、彼女のすべてが好きだった。

 出会った当初は喧嘩ばかりしていた。裕福な家に生まれたうえに強い加護の力(ティフィラー)と高い印術適性を持ち、蝶よ花よと育てられた修道女(かのじょ)と、孤児院育ちで身寄りもなければ身分も低い、生き抜くことと戦うことぐらいしかとりえのない傭兵(じぶん)。理解し合える道理などあるはずがなかった。

 それがどうだ。今では互いに背中を預けるのはもちろん目すら合わせずに意思疎通ができるほどの信頼関係が築かれていて、それどころか互いに相手を異性だと認識している。

 旅に出る前の自分なら一笑に付していたであろうこの感情は、気恥しくも心地いいものとしてすとんと身体に沁み渡っていた。

 そうだ。もう誰にも恥じることはない。何故ならこの旅が無事に終われば、自分達は――――


「……?」 


 ふと、奇妙な感触が襲った。

 彼女の体温とは違う、ぬめりを伴う生温かさ。聞こえなくなった命の音。腐った肉の臭い。確かに抱きしめているはずなのにずぶずぶと沈む腕。嫌な予感がした。


「ユイア?」


 思わず彼女の名前を呼んで目を開ける。

 目に入ったのは。うかつにも直視してしまったのは。


「ぅ……あぁ……ぁあああ……ッ!」 


 右の目玉はもうどこにもなく、眼窩には蛆が湧いている。左目はかろうじて収まっているが、その焦点は定まっていない。綺麗だった瞳は、今ではすっかり濁ってしまっていた。

 艶をなくしてぼさぼさになった桃色の髪には蠅がたかっている。頬の肉は削げ落ちていて、白くくすんだものが顔をのぞかせていた。

 べちゃべちゃと聞こえる湿っぽい音は内臓が落ちて潰れる音だろうか。ああ、けれど、裂かれた腹部からたった今堕ちたのは、赤い、赤い、まだ形にすらなりきれなかった命の――――


「会いたかったわ……」


 ひび割れた声が耳をついた。彼女のこんな声を聞いたことは一度としてないというのに。

 禍々しいその響きから耳を塞ぎたいのに、できない。許されたのは目を見開いて震えることだけで、もはや異形と化した少女を突き飛ばすこともできなかった。


「……どうして、こんなことになったのかしら」


 彼女には万人の目を引く美貌はないし、肉づきが特別いいわけでもない。惚れた弱みを抜きにして見た目だけで言うのなら、周囲に埋没するような平凡な娘だ。それでも彼女は日々を懸命に生きていた。常に人を思いやれる優しい心を持っていて、誰が相手でも平等に手を差し伸べられるぐらい器が大きくて、愛嬌のある親しみやすい笑顔で人の心まで癒せる女だった。

 彼女のそのありかたは、心意気は、何より尊く美しく見えた。彼女は誰からも愛されていた。それなのに、どうして彼女がこんなむごい姿になってしまったのだろう。こんな残酷な運命を辿る必要など、彼女にはなかったはずなのに。こんなことが許されていいはずがないのに。何故、彼女はこんなひどい目に遭った?


可笑(おか)しいわ、異常(おか)しいわ、狂気(おか)しいわ。こんなこと、あっていいはずがないのに」


 ――――決まっている。自分のせいだ。自分が巻き込んだから、彼女は死んだのだ。


「痛かったわ。苦しかったわ。……全部全部、あなたのせい。あなたさえいなければ、わたしは死ななくてよかったでしょう?」


 ぶよぶよになった肉と内臓を落としながら、どす黒い血液を滴らせながら、愛した娘は暗い声で憎しみを吐いた。


「ごめん……ごめん、ユイア……そうだ、全部……オレのせいで、お前は……お前だけじゃない、みんな……みんな……オレが悪いんだ……」

「それとも、あなたは最初からわたしを騙していたの? あなたを魔女と見抜けず恋に溺れた馬鹿な小娘だと、わたしのことを嘲笑っていたの? こうなることを、最初からわかっていたの?」

「それは違う……! なあ、頼むから聞いてくれよ……! 違う……違うんだ、そうじゃない、ユイアぁ……!」


 情けない声を絞りだし、変わり果てた恋人に縋る。そんな惨めな青年を見て、娘は崩れかけた顔をさらに歪ませる。


「何が違うの? たとえどう言い繕おうと、その血に穢れた手はごまかせないわ!」


 彼女が紡ぐ怨嗟に満ちた声。それは呪いのようにまとわりついて。

 首が灼けつくように熱い。熱を帯びた第五の魔女の紋章は、彼女の言葉を聴くたびに激しい痛みを訴えていた。


「ああ、呪わしいその存在! 何より忌むべきその名前! 違うと言うなら答えてよ。あなたはどうして生きてるの? わたし達は死んだのに、あなたはどうして死なないの?」


 違う、違うんだ。どうか話を聞いてくれ。

 お前がそれを訊かないでくれ。そんな風に見ないでくれ。

 お前には、理解してもらいたかったのに。お前なら、わかってくれると思っていたのに。どうしてそんな目をするんだ――――これじゃあまるで、オレが魔女(バケモノ)みたいじゃないか。


「あなたはどうして、魔女に()ったの? ――ねえ教えてよ、カティーシス?」


* * * * * *


「黙れ!」

「「ッ!」」


 食堂に響き渡った怒声にルスティーネとアンブロシアの身体がこわばる。数百年の時を生きる魔女といっても、同じ魔女が相手だと恐怖ぐらいは覚えるものだ。特に彼女達は、七魔女の中では新参の部類に入る若い魔女だった。

 二人とも、その外見通りまだ少女らしさを残している。ルスティーネに関してはすでに百歳を超えているが、アンブロシアなどは魔女になってまだ十年も経っていない。

 一方で第五の魔女カティーシスは、そんな彼女達よりも長い時を生きている男だ。そんな彼の唐突な怒鳴り声は、たとえ一瞬とはいえ二人を怯えさせるのに十分だった。


「おはよう、カティーシス。夢見は最悪だったようだね。だいぶうなされていた。疲れているようならば休みたまえよ。魔女といえど……否、魔女だからこそ心の休息は必要だ」

「……ぁあ?」


 ベルクディールの穏やかな声に、カティーシスははっと我に返った。

 七つの椅子には、珍しくラフェミア以外の魔女が着いていた。長テーブルの上には湯気の立つ料理が並べられている。飢えも渇きも知らない魔女の身に食事など無意味なのだが、嗜好品としては好むものが多かった。だからこの塔では、退屈しのぎとしての食事の時間が設けられている。晩餐は深夜に催されていた。

 どうやら料理が運ばれてくる前に、居眠りしてしまったらしい。先ほどのあの光景は、夢だったのだ。

 そうだ、あれが現実であるはずがない。現実の彼女は、あんな事は言わなかった。性格からして言わないし、そもそも言えないだろう。彼女は何も言わずに死んでいったのだから。


「アンブロシア様の発言に反応したあたり、狸寝入りかと思いましたけど……その様子では、眠りながらも無意識のうちに聞いていらしたのかしら」

「発、言?」

「新入りらしい疑問さ。どうして俺達が魔女になったのか、アンブロシアはどうしても知りたいんだって」


 メイシェウが微笑み、ギルトが告げる。どうやら眠りが浅かったせいで現実のアンブロシアの声が夢の世界に入り込んでしまったらしい。ああ、それで夢の中の彼女はあんなことを言ったのか。

 納得がいったカティーシスは、それでも苛立ちを抑えきれずに舌打ちをする。まさか小娘ごときに惑わされて、あの女の姿や言葉を捏造してしまうなんて。


「脳内花畑女の質問に、答えてやる義理はねぇな」

「そ、そう怒らないでよ、カティーシスお兄様。ぬるま湯(ひた)(ひた)りの激甘娘をきちんと導いてあげるのも先輩の務めでしょ?」


 ルスティーネは取り繕うように笑っているが、アンブロシアは忌々しげにカティーシスを睨みつけている。

 嫌な奴だと思った。こういう輩は、カティーシスが世界で二番目に嫌いな人種だ。自分は正義の体現者ですと言わんばかりの目をして綺麗事ばかりを吐くくせに、実際に行動を起こそうとはしない。口先だけの連中など、さっさと滅びてしまえばいいのに。一番嫌いなのは、正義を謳って実際に行動する奴だが。


「はっ。なら、お前らは答えてやったのか?」

「その前に、カティーシス様が起きましたもの。言えと言われれば、言うのもやぶさかではありませんけれど……それでアンブロシア様が納得するかはまた別の話ですわ」

「納得はしませんし、できません。どんな理由があれど、貴方達の行いは許されないことですから。僕が聞きたいのは、何故貴方達が人の道を踏み外したかです。これはあくまで疑問にすぎないので、それを抒情酌量の材料にしようなどとはこれっぽっちも考えていませんから」

「ふむ。では、この問答は無意味なものではないかね? 少なくとも私は、それを君に話す意義を見出せないな。……ほどほどにしたまえよ、アンブロシア。同胞ということで多少の無礼には目をつぶるが、何事にも限度はあるのだ」


 室内の空気がわずかに凍った。しかしそんな空気を騒々しい音が打ち砕く。カティーシスが乱暴に立ち上がったのだ。


「どこ行くんだよ、カティーシス。食べないのか?」

「最近寝不足だったからな、体調不良で早退だ。その小娘のツラを見てたら余計に気分が悪くなっちまった。憂さ晴らしにどっかの村でも潰してきて、ひと眠りしたらまた来るぜ」


 どこか楽しそうなギルトの問いかけに、カティーシスはけだるげに答えた。

 この苛立ちは当分収まりそうにない。領域に帰ったら、適当に目のついた村を襲うことにしよう。そうすれば、少しは気分も晴れるはずだ。今のねぐらは、まだ(・・)壊さない。


「待ってください! そんなことが、」

「お前に指図されるいわれはねぇな。ショハムはオレの領域だ。オレの土地でオレが何しようと勝手だろ?」


 ばん、とテーブルを手のひらで力強く叩いて立ち上がったアンブロシアに、カティーシスは氷の杭を投げつける。尖った先が彼女の頬を掠めた。白い頬につぅっと赤い線が引かれる。非力な魔女は押し黙り、悔しげに唇を噛んだ。

 それを鼻で笑いながら、カティーシスは悠然と歩く。アンブロシア以外に抗議の声は上がらなかった。当然だ。彼女以外は、カティーシスの言葉を事実として受け止めているのだから。


「……ああ、そうだ。気が変わった。せっかくだから教えてやるよ」


 扉を開けたとき、カティーシスはふとその動きを止めた。嘲笑を浮かべて振り返る。視線の先にはアンブロシアがいた。

 魔女になってなお狂気に堕ちず、気高い理想を語る愚かな少女を視界に収めながら、カティーシスは部屋の外に足を踏み出す。


「オレが魔女に()った理由は単純だ――人間が、大嫌いだからだよ」


* * *

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