10 【災厄】への足掛かり
アンブロシアの取った宿屋は、一階に食堂が併設されていた。
祐理達は夕食の前にアンブロシアがいるはずの部屋に寄ったが、彼女の応答はない。もしかすると、原罪の塔とやらにいるのかもしれない。わざわざ呼び出したり待ったりするほどのことでもないので、祐理とラズトラウトとエペーはそのまま食堂に向かった。
「これ……」
運ばれてきた鶏肉と野菜の煮込み料理を口に含んだ瞬間、祐理は目を見開いた――――これに似た味のものを、母が作っていた気がする。
「どうかしたのか?」
「あ……い、いや、うまいなーって思ってさ」
ラズトラウトが怪訝そうに尋ねた。祐理は曖昧な苦笑を返す。
やっぱり兜は取らないので、他の客がちらちらラズトラウトを見ていた。店員すら困惑気味だ。つまみ出されないうちに食べたほうがいいかもしれない。
だが、どうしても確認しておきたい。ちらりとエペーを見ると、エペーは祐理の言わんとするところを察したらしかった。
「……タルシシュは、おぬしの故郷じゃよ」
祐理は日本生まれ日本育ちだ。その祐理のルーツだというのなら、それはつまり、両親と姉が住んでいたという詩守りの隠れ里が青の領域にあったということだろう。
「ああ、やっぱりそうだったのか。名前がタルシシュ風だから、そうじゃないかと思っていたんだ。それに君の髪は黒髪だけど、緑が濃すぎて黒く見えているだけだとよく見ればわかる。瞳だって焦げ茶なのに、光の加減次第で黄緑が混じっている風に見えるしね。緑の髪と緑の瞳は、タルシシュ人の特徴だ」
「なんかそれ、わかめみてぇだな」
言われるまで特に意識していなかった。そういえば、ラフェミアも似たようなことを言っていたような。
そうやって他人に口にされると、自分の髪はそんな色だったのかと思えてくる。これで天パだったら確実にあだ名はわかめだっただろう。
(じゃ、俺は日本人とタルシシュ人のハーフってことか)
今さらわかったところで、何があるわけでもないが。
もしかしたら、父や姉はこのタルシシュ地方のどこかにいるのかもしれない。しかし手掛かりは名前以外何もなかった。写真すらもないのに、広大な異世界の大地で探そうとするのは無謀にもほどがある。もちろん会えるなら会いたい、会いたいが……一体、どこを探せばいいのだろう。
「よければ、タルシシュ内を見て回るか? もしかしたら、君の記憶を刺激できるかもしれない。失った記憶を、」
「大丈夫だよ、ラズさん。別にそこまでされるほどのもんじゃない。寄り道する暇があったら、早く黒の領域に行かねぇと。そうだろ?」
心配そうなラズトラウトを遮る。祐理は記憶喪失などではない。どこを巡ったところで思うところなど何もなかった。詩守りの隠れ里はとっくに壊滅済みだろう。そもそも、父と姉がタルシシュを捨てて別の地方に逃げた可能性だってある。
(俺には父さんと姉さんを見つけられない。だから、向こうに見つけてもらえばいいんだ)
ピトダーにおいて魔女を討伐した“狩人”の名声が高まっているのは、タルシシュに至るまでの道のりで知っていた。さすがに祐理=狩人とは認識されていなかったが、「“狩人”と名乗る少年が【幸福の魔女】を屠った」という事実は広まっていたのだ。
エペーはかつて、父を“狩人”に任命したという。父なら、“狩人”とエペーの関係を知っているはずだ。自分の他に存在する、もう一人の“狩人”。“狩人”の武名が父のもとにまで届くなら、きっと彼はその正体を疑問に思うだろう。
大昔の英雄の名を借りた戦士か、それともエペーに見い出された者か。詩守りの関係者か、あるいは日本に縁のある者か。日本人だった父が神に見い出されて異世界に連れてこられたのだから、父はきっと“狩人”の影に自分を重ね合わせるだろう。
だから今祐理がすべきは、父と姉を探すことではない。各地で英雄的な振る舞いをして、“狩人”を有名にすることだ。それでも父らしき男や父の関係者を名乗るような者が接触してこないなら――――そのときは、そのときだろう。
「……君がそれでいいなら、僕はそれに従おう」
祐理の気迫に、ラズトラウトはそれ以上何も言ってこなかった。黙したまま食事を続ける。その雰囲気は重装備のラズトラウトの姿と相まって、他の客を遠ざけてしまったらしい。夕飯時ということもあって混み合いを見せはじめた食堂だが、祐理達のテーブルだけ妙な空間が開いていた。どのテーブルも相席で埋まっていく中、祐理達のテーブルはエペーをどかせばあと二人ほど座れるというのに店員は近寄りもしないのだ。
あーこれは本格的に食べ終わらなきゃマズいなぁ……なんて思う祐理の心は、しかし同席者には伝わらなかったらしい。兜の隙間から器用に食事をするラズトラウトは、器用だからこそ丁寧で進みが遅いし、エペーに至っては祐理とラズトラウトの品数を足してもまだ足りないほどの数の料理を平らげている。ラズトラウトは鎧で人の視線を遮るがゆえに突き刺さる別の意味の視線に疎く、エペーに至っては特に何も考えていないのだろう。
「あのぉ、申し訳ございません、お一人様のお客様と相席をお願いしてもよろしいでしょうか……?」
ついに店員がおずおずと祐理に声をかけてきた。
ラズトラウトをうかがっていることからして彼をこのテーブルにおける上位者と判断しているようだが、あえて祐理に話しかけてきたのは、この謎の黒騎士よりひょろひょろの祐理のほうが話も通じやすいと思われたのだろう。確かに、ここが祐理のバイト先で祐理が店員の立場だったならそうしていたかもしれない。得体の知れない客に話しかけるとか怖すぎる。
「あっ、どうぞどうぞ! いやー、すみません」
一人ということは、エペーをどかす必要はないということだ。しかし大丈夫なのだろうか。空いている席から言って、相席者はラズトラウトの隣に座ることになるのだが。
しかしその心配は杞憂に終わったらしい。案内された旅人風の青年は、特に気にも留めていない様子でやってきた。
「相席、失礼いたします」
襟足の長い、薄桜色の髪の青年だ。青年は背負っていた楽器を床に降ろして席につく。ギターではないようだが、ギター的な楽器だった。楽器を置いた音に反応したのか、ラズトラウトの視線が床に向かう。
「おや、吟遊詩人か」
「しがないリュート弾きですよ。騎士様がたに聴かせるような、崇高な歌はありません」
そう言って青年ははにかんだ。どうやらその楽器はリュートという名前らしい。
「旅の詩人に、宮廷の楽士のような格式ばったものは誰も求めないさ。ここで会ったのも何かの縁だ、一つ歌を聴かせてくれないか?」
「これは、これは。騎士様はずいぶん懐の広いお方らしい。そうですね、他の方もこのリュートの音色が気になるご様子ですから……ここはひとつ、食事の席に余興を添えさせていただきましょう」
ラズトラウトは革袋から銀貨を一枚取り出した。青年は微苦笑を浮かべてそれを受け取る。祐理が周りのテーブルを見渡してみると、確かに周囲の客は相変わらずこちらを見ていたが、視線の先はラズトラウトから詩人の青年に移っているようだった。
「この男、ショハムの生まれじゃろうな。ほれ、瞳の色が刻一刻と変化しとるじゃろ? ショハム人は、瞳の色が個性的なんじゃ。絶対とは言わんが、髪や目の色でその者の出身地は予測できてな。中でもショハム人は瞳を見ればすぐわかる。両の目が開いとる限り、ショハムの血を引くことはどうやっても隠せないのじゃ」
ちょいちょいとエペーに呼ばれたので頭をエペーのほうに傾けると、耳元でそう囁かれた。なるほど、だからラズトラウトは緑っぽい髪と目=タルシシュ人とあたりをつけていたわけか。思えばアンブロシアも柚葉色の髪と萌黄色の瞳と、確かに緑系統の色を持っていた。
「じゃ、この人なら【災厄の魔女】についてなんか知ってるかもな」
「うむ。吟遊詩人なら、各地を旅しとるじゃろう。タルシシュにいるところを見ると、他の領域についても詳しいかもしれん。魔女達の情報を引き出せるかもしれんぞ」
祐理がエペーと小声で話している間、青年は支度を整えたようだ。店員が何も言ってこないどころかわくわくした顔でちらちらこっちを見ていることから考えるに、客が急に演奏を始めようとするのは別におかしなことではないらしい。さすが異世界だ。
「では、僭越ながら――これは乙女の物語。愛に生きて愛に殉じた、哀れな聖女の歌……」
『穢れを知らないその花を、果たして誰が摘み取ったか。宿したつぼみを、果たして誰が踏み躙ったか。嘆きの雨が降りしきる時、地にひとひらの花弁が落ちた』
『麗しき巫女。彼女が恋に落ちたのは、無実の罪で捕らわれた男。虜囚の青年を想う乙女はため息をつく。想い合う者が、何故引き裂かれなければならぬのか。彼女のかそけき吐息に融けた思慕を、獣は決して見逃さない』
『男の罪は、果たしてまことの罪なのか。叫ぶ乙女を獣達が取り囲む。男の罪は赦しすら与えられぬほどに重き罪。その罪の名を謳う獣は乙女に迫り、しかし気高き乙女は屈することを知らず』
『巫女の名誉はとうに堕ちた。世俗に染まり、人に穢され、悪の子を宿した。彼女はもはや聖女にあらず。神の名において、闇に惑わされた乙女に救済を。民の正義が邪悪を裁く。遺されたのは、恋人の死を知り慟哭する男だけ』
歌はそれで終わりのようだった。
詩人が歌うその歌のよしあしなど祐理にはよくわからない。流し聞いていたせいもあり、歌詞の意味もちんぷんかんぷんだ。しょせんは歌だ、別にそれを聴いて何か思うところもなかった。確かに歌はうまいと思うが、それだけだ。しかし他の客は違ったようで、感嘆の吐息を漏らしている。
「聴いたことのない歌だな。ショハムのものか?」
「ショハムの……といえば、そうなりましょう。これはショハムの地の歌ですから」
「詩人さんよ、悲劇の歌もいいが、もっと明るい歌をやってくれよ」
ラズトラウトと詩人が話していると、別のテーブルにいた客が割って入って詩人に銅貨を十枚ほど渡した。詩人は肩をすくめてまたリュートを構える。
「ならば次は――」
*
大変失礼ながら祐理にとってはあくびを噛み殺すだけの時間だったのだが、詩人の歌は思ったよりも好評のようだった。客達に請われるままに詩人は一曲、一曲と耳慣れない歌を披露していく。そのたびに詩人の革袋は膨らんでいった。
「さて、そろそろ宴もたけなわ。これを今日の最後の歌といたしましょう」
どのテーブルも皿は空だ。もはや誰もが詩人の歌を聴くためだけに食堂に残っていた。一応飲み物は変わらず注文されているので、営業妨害扱いになるかはぎりぎりのラインだが。
「悲劇で始まる今宵の出会いを締めくくるには、同じく悲劇がふさわしい。紡ぐ調べは狩人の哀歌。不死なる魔女に挑んだ青年の唄」
「……狩人?」
気取った言葉の中に混じった単語に耳が反応する。祐理が興味を引かれたことに気づいているのかいないのか、詩人はリュートを爪弾いた。
『時は荒れる戦乱の世。英雄譚に焦がれる青年は、明日を夢見て銃を手に取った。生まれの賎しい傭兵も、力を示せば“大英雄”。その武勇は国に轟き、やがて一つの使命を背負う』
『誉れ高き戦士に、魔女殺しの大任を。魔女を倒せば、この地に平和が訪れる。勝利の暁には、望むすべてを与えよう。下る王の勅命は、甘美な響きを伴って』
『黒き魔女は玉座の上、若き狩人を見て嗤う。与えられた本当の使命を知れ、そして祝い呪えや狩人よ、お前の名は生贄だ。構わず放つ狩人の弾丸、魔女の胸を穿つ』
『血塗れた魔女よ、勝利の凱歌を高らかに謳え。世界を覆うは災厄の訪れを告げる雲。黒き魔女の流す血は、苦悶の雨となりて大地を紅く染めあげた。積み上げられた屍の玉座、孤独な魔女の咆哮がむなしく響く』
『血の赤はやがて黒に変わる。ゆえに彼の者の名は、黒の魔女。黒き魔女は、己を狩る者を待ち続けるだろう。新たなる黒を手に入れるために』
「……不吉な歌だな」
「縁起でもねぇ歌を歌うんじゃねぇよ……」
誰かが呟いた。魔女に挑んだ人間が、無残に敗北する歌だからだろう。悲劇と言えば悲劇だが、不謹慎でもある。やっぱり出来はよくわからなかったが、それぐらいは理解できた。
興が冷めたと言いたげに、一人、また一人と客が暗い顔で離れていく。満足げなのは詩人だけだ。集まった金を数えながら、いそいそと自分の財布らしき革袋にいれていた。
「今のは、黒の領域の魔女の歌だろう?」
ラズトラウトの声音も、先ほどまでとは一転して険しいものになっていた。それに気づいていないわけがなかろうに、詩人は笑みを浮かべて肯定する。
「いかにも、【災厄の魔女】カティーシスの歌ですよ。ただしこれはその中の一篇に過ぎません。すべてを歌おうとすれば、夜明けを迎えてしまいます。……さて、私もそろそろお暇しましょう」
詩人は立ち上がった。リュートを背負った彼は、何故か祐理のほうを見た。
「悪いがシスは、君達に何の興味も抱いていないんだ。もらった絵姿さえ、ろくに見もしないでとっくに処分したようだしね」
「……はい?」
「今ならまだ引き返せる。何に影響されたかは知らないが、英雄ごっこは終わりにしたほうがいい。……これは忠告だよ、“狩人”君」
「あんた、なにもんだ?」
祐理=“狩人”だと、一般人はまだ知らないはずだ。“狩人”という肩書は十分立派に独り歩きしていて、西野裕理という個人名とは結びついていなかった。
おまけに、この場にはラズトラウトという上等な甲冑を鎧う騎士がいる。祐理など、はたから見れば彼の従者にしか見えないだろう。魔女狩りの英雄の名は、貧弱な少年よりいかつい黒騎士のほうがふさわしい。
それなのに、詩人はピンポイントで祐理を指名するようなそぶりを見せた。アンブロシアと同じだ。彼女もまた、迷うことなく祐理のことを“狩人”とみなしていた。それはつまり――――
「そう警戒しないでくれ。私はとても弱いんだ。それに、世話になった場所で騒ぎは起こしたくない。ここの料理と酒は絶品だった。……今、君達と戦う気はないよ」
詩人は微笑を浮かべ、リュートをかき鳴らした。
その途端、身体が硬直する。喋ることすらままならない。ラズトラウトやエペーも動けないようだった。動くことができるのはただ一人、この正体不明の詩人だけだ。
「私はリヤン=リデレーン。魔女の無聊を慰める、しがない【楽士】さ。……君がこの歌の狩人と同じ末路を辿らないことを、心から願わせてくれ」
その言葉とリュートの音色だけを残し、リヤンは去っていった。
謎の硬直が解けたのは、リュートの残響すらも消えてからだった。慌てて外に出てみたが、もうリヤンの姿はどこにもなかった。




