9 次の目的地
「この部屋は、僕の名前で借りています。お代は僕が払いますので、お好きな時に引き払ってくださって結構です」
「いや、さすがにそれはちょっと……。金なら俺達だって持ってるし、その分の代金はちゃんと払うよ」
「ユーリの言う通りだ。金銭面で借りを作るわけにはいかない」
「……そうですか。では、発つ時には僕に代金を預けてください。僕は隣の客室を借りています。基本的にそこにいると思いますので、何かあればそちらにどうぞ」
魔女アンブロシア、律義というか親切というか気を回しすぎる魔女だった。祐理達がここに来る前からずっと待っていたようだが、資金源が謎すぎる。
「それで、貴方はどんなことを知りたいんですか? 僕はまだ魔女になって五年ほどしか経っていない、新参も新参の魔女です。ですから魔女達の周囲を嗅ぎまわっていても不審には思われませんが、今すぐ貴方に渡せるような情報はそう多くありませんよ」
「五年? ってことは、アンさんは結構見た目通りの年齢だったりするのか? 俺らと年が近かったり?」
「ええ。今は十九歳ぐらいだと思います。僕は孤児なので、もともと何歳だったのかはあやふやですが」
結局年上なのは変わらないのか。微妙な敗北感にうちひしがれる。「……む?」だから祐理は背後でエペーが小さく首(?)をひねったのに気づかない。それに気づいたのはラズトラウトだけで、しかしその動作は彼にとって特に追及するほどの意味があるわけでもなかった。
「まずは拠点だな。魔女が自分の領域にいる間、どこを住処にしてるのかわからなきゃどうしようもねぇ。特に自由型……えっと、【罪科の魔女】と【災厄の魔女】は拠点がわからねぇんだっけか。それからそれぞれの強さとか、どんな力を持ってるかとか。魔女にはそれぞれ、固有魔術っていうのがあるんだろ? 弱点とまでは言わなくても、何をしてくるかわかれば対策はできるじゃんか」
「はい。僕は光を操りますし、動物と心を通わせることができます。動物との意思疎通や感覚の共有が僕の固有魔術ですね」
ラフェミアは植物の魔術と治癒能力、アンブロシアは光の魔術と動物とのリンク。どうやら魔女はそれぞれ二種類の魔術しか使えないようだ。その使い道は無限大だが、振るわれる力の種類が限られているなら対処の使用はある。
「僕が実際に目にしたことがあるのは、【災厄】と【震悚】の魔術です。【災厄】は氷を操っていました。それが単純な氷の創造と操作なのか、あるいは水か冷気を操る魔術の派生なのかはわかりません。また、【震悚】が操るのは影のようです。実体を持った影を自在に動かしていました。固有魔術については、どちらもはっきりしませんが……一度、【震悚】に心を読まれたような物言いをされたことがあります」
「じゃあ【震悚の魔女】は読心の魔術を使えるかもしれないってことか。他の魔女についてはどうだ?」
重ねて尋ねると、アンブロシアは少し考え込むそぶりを見せる。しばらくの沈黙ののち、アンブロシアは口を開いた。
【冒涜の魔女】は土の魔術、【欲望の魔女】は風の魔術の使い手だという。どちらも固有魔術は不明とのことだ。固有魔術は魔女にとっての切り札に当たることから、訊かれても答えるようなものではないらしい。知りたかったら完全に味方につけるか、直接その目で見るしかないようだ。
「それから……これは他の魔女からの伝聞でしかないので確証はありませんが、【罪科】は軽く見積もっても四つの魔術を使うそうです。一つは炎の創造と操作。これは魔女としての力ですね。二つ目は、人を思い通りに動かす力。これが洗脳を意味するのか、それとも身体の制御を奪うことを差すのかははっきりしません。おそらくこれが固有魔術だと思うのですが……その他にも治癒の力や、相手の能力を増幅させたり封じたりする力を使えるそうなんです」
「とんだチート野郎だな!?」
ヒールはおろか、バフとデバフまでもが使えるとは。【罪科の魔女】はずいぶんイレギュラーらしい。
「あれ? でも確かラフェミアは、治癒の魔術が使えるのは自分だけだって……」
「そうじゃな。それに、その力……まるで加護の力のようじゃ。能力の増減はただの緑の印術かもしれんが、治癒ができる印術などないぞ」
「魔女が聖職者の力を使えるだって? 笑えないな。そんなことがあるはずないじゃないか。どうせ何かの勘違いだろう」
顔を見合わせる祐理とエペーに、ラズトラウトが厳しく告げる。確かに彼の言うことも一理あった。
「じゃあ、【罪科の魔女】の実力はわからずじまいってことか」
「ですが、【罪科】は僕と志を同じくする魔女です。彼ならば、戦わずに心を渡してくれるかもしれません」
「【罪科の魔女】が? ……悪いが、僕はそうは思えない。奴の君臨する紫の領域は完全な無法地帯だぞ。その地を守る紫の聖者すら仮初の者達なんだ。そこで【罪科の魔女】ギルトは暴虐の限りを尽くしてる。とても話せばわかる相手だとは思えない」
「そういえばラフェミアが、【罪科】の悪魔は血の気の多い奴だ、みたいなことを言ってたな。【罪科】自体はいい奴でも、悪魔がやばい奴なのかもしれねぇぞ。ひとまず、そいつを仲間に引き込むのは様子見だな」
「そうですか……」
暴れ馬を御しきれるとは思えない。相手は守り手と日ごろからやり合うような奴だ。いずれ戦う相手とはいえ、もう少し経験を積んだほうがいいに決まっている。どんな勇者も、最初はスライムを倒してレベル上げをするものだ。……エペーを殴ったら経験値が溜まらないだろうか。
「なら、次は黒の領域にいる【災厄の魔女】を目指さないか? 【災厄の魔女】カティーシスはギルトに並んで危険な魔女だ。こう言ってはなんだが、ラフェミアもアンブロシアも魔女としては無害な部類に入る。人に害なす魔女こそ率先して封印すべきだろう」
「そうですね。【災厄】はそもそも話し合いの余地がありません。あの男は人の命を何とも思っていないんです。問答無用で心を奪うべきかと」
ラズトラウトが力強く言うと、すかさずアンブロシアも賛同した。本音を言えば【欲望の魔女】を狙いたかったのだが、反論の余地がないので肯定するしかなかった。
「じゃあ、次の目的地はショハム地方ってことで。アンさんにはカティーシスのアジトを突き止めてほしいんだけど、頼めるか?」
「もちろんです。原罪の塔には、自分が拠点としている場所と塔を繋ぐものがあります。それを使えば、【災厄】の拠点に出ることができるでしょう。【災厄】だけでなく、他の魔女の拠点もすぐに調べます。本当は、塔に貴方達を連れて行って魔女達を一網打尽にしてもらいたいのですが……さすがに多勢に無勢でしょうし、そもそも魔女か悪魔でなければ塔には入れないようです。【災厄】と【震悚】は何か裏技を使える風ではありましたが、僕はそれを知らないので……」
アンブロシアはしょんぼりと俯いた。気にすんなと言葉をかけて思案にふける。なら、【災厄の魔女】カティーシスを『魔女名鑑』に封印して従わせれば、自分達も原罪の塔に入れるかもしれない。
「スパイなんて危険だろうけどさ、やばくなったらとにかく自分の安全を考えろよな。俺だって、無理なことを頼んでるのは承知だから」
「……いえ、大丈夫です。それに僕は不死の魔女ですよ? 心をユーリさんが持っている今、僕が死ぬことはありません。それに……魔女は、魔女同士で争うことを忌避しています。たとえ僕が裏切り者だと知られたとしても、強硬手段には出ないでしょう」
魔女には六つの戒めがある、とアンブロシアは続けた。怪訝そうな祐理達に、彼女はその内容を語る。
一つ、礎を忘れてはならない。
一つ、聖者を殺めてはならない。
一つ、許可なく他の魔女の領域を侵してはならない。
一つ、悪魔を殺めてはならない。
一つ、他の魔女の悪魔を殺めてはならない。
一つ、魔女同士で争ってはならない。
誰がいつどうやって定め、それを魔女達に浸透させたのかはわからない。けれど魔女はそれに従っているようだ。アンブロシアでさえ、魔女になったときに本能でそれを理解した。魔女を相手に、本気で戦うのは禁忌だと。だからアンブロシアは祐理に頼ったらしい。もちろんその理由には、自身の無力さも含まれているのだろうか。
「ふむ。ロゴスが無理やり抑えつけたか、あるいはヴィーがそうさせたのか。戒めの内容を見るに、その二つが混じっているようじゃな。しかし礎とはなんじゃ?」
「魔女が、自分に刻んだ言葉のことだと思います。僕の場合は“悲哀”ですね。自分がどうして魔女になったのか、魔女になってどうしたいのか、それを表す言葉です。時の流れの中で自分を見失ってしまわないよう、そんな戒めができたのかもしれません。……実際には、その言葉に固執するあまり破滅した魔女も多いようですが」
「……アンさんは、何か悲しいことがあったから魔女になったのか」
「……」
アンブロシアは目を閉じた。あまり人に聞かせる話でもありませんが、と前置きしてから語ってくれる過去は壮絶の一言に尽きる――――だが。
「なぁエペー、ラズさん、これって……」
「……最悪だな。まさか奴のせいで、魔女が一人誕生していたなんて」
「ああ、そうじゃな。……アンよ、そなたの暮らしていた孤児院を襲ったのは魔女の尖兵などではない。その者の名は守り手……神の兵器じゃ」
「神……?」
アンブロシアの言った襲撃者の特徴は、あの血塗られた白い殺戮者によく似ていた。
「あの日僕のすべてを踏み躙ったのは、僕が真に憎むべきは、魔女ではなく神だった……?」
祐理とエペー、そしてラズトラウトが守り人の話をすると、たちまちアンブロシアから血の気が失せていく。アンブロシアは力なく顔を伏せた。
「……ですが、たとえ真実がどうであれ、僕のすることは変わりません。僕の仇が魔女でなかったとしても、魔女は多くの悲劇の元凶となっているんですから。だから僕は、魔女に堕ちた罪を償います」
再び顔を上げたアンブロシアの目に迷いはない。その愚直なまでの責任感が、今の祐理には眩しすぎた。
* * *
“狩人”祐理達と別れて自分の客室に戻ったアンブロシアは、家から持ってきた鏡を通って原罪の塔へ戻った。今、カティーシスも自分の領地に帰っているはずだ。この好機を逃すわけにはいかない。
廊下に人の気配はない。しんと静まり返ったそこを、なるべく足音を立てないようにゆっくり歩く。【災厄の魔女】の部屋に鍵はかかっていなかった。それは、ここに本当に大切なものはないという証拠であり、他人の部屋を侵す者などいないだろうという慢心だ。
素早く周囲をうかがい、滑り込むように部屋の中に入る。殺風景な部屋だ。家具と呼べそうなものは鏡とクローゼットしかない。これではカティーシスの秘密を探ろうにも探れなかった。鏡は領地と塔を繋ぐ通り道だろうが、ここまで何もないとむしろ何故クローゼットがあるのかが不思議に思える。
魔女の部屋には最低限の家具があったはずだ。それが先代の第七の魔女が遺したものなのか、あるいは最初から塔の備え付けだったのかはわからないが、アンブロシアの部屋にも椅子やらテーブルやらがあった。
(床も壁も、古い傷だらけだ。誰かが暴れた? 魔女の部屋で暴れられるなら、それはこの部屋のあるじ以外には考えられないけど……それか、この部屋で捕らわれた人か)
カティーシスか、彼以前の第五の魔女か、それとも何らかの手段で塔に連れてこられた人間か。アンブロシアは眉をひそめて部屋を見渡した。家具がないため、床や壁の様子がよくわかる。そのおかげで、部屋のあちこちに点在する黒いしみが血痕だという知りたくないことまでわかってしまった。
ため息をついてクローゼットを開ける。鏡の他に唯一家具と呼べそうなそれの中には、カティーシスの私服が数着収められていた。薄汚いシャツとすりきれた革のズボン、そして軽鎧。領地では武装していないのだろうか。
(ここにはベッドも何もないから、【災厄】は夜ごと領地に帰っているはずだ。いつもここで着替えて、領地に戻るのか?)
よほど領地のことが心配なのか、あるいは塔に長居できない理由でもあるのか。思案にふけろうとしたアンブロシアの背後で、ちち、と鳴き声がした。
「ああ……ここにいたんですね」
それは祐理達を呼んできてもらったスズメだ。どうやらフードの中で眠っていたらしい。
(そうか! 魔女と悪魔は、もともとは人間だった。塔の中に足を踏み入れられる人間は魔女と悪魔だけだけど、動物が相手ならその限りではないんだ)
スズメを手のひらの上に乗せて鏡の前に立った。この鏡は黒の領域に繋がっている。青の領域の魔女であるアンブロシアは、この鏡を通り抜けることができない――――けれどこの小さな友人は、その先の地に至れる。
「この鏡の向こうに何があるのか、僕に見せてくれますか?」
了承を告げるようにスズメは鳴き、アンブロシアの手から飛び立った。
* * *




