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2 スライム神との邂逅

「名は……ユーリ=ニシノ、か。国籍日本、性別男、職業学生。年は今年で十六、生まれてから大きな病気をしたこともなく、いたって健康……ふむふむ、問題はなさそうじゃ」


 目を開けると、もぞもぞうごめく虹色の何かが布団の上にいた。


「これなら“狩人”の任も務まろう。いやはや、一時はどうなることかと思ったが。クロエと正信(まさのぶ)の子なら安心じゃろう。見つかってよかったわい」


 それは不定形だった。それに顔らしい顔はなく、ぽっかり開いた口だけがあった。


「うん? なんじゃ、起きたのか」


 多分寝ぼけているのだろう。幸い今日は日曜だ。西野祐理(ユーリ)は迷わず目を閉じて布団を引っ張った。


「これこれ、寝るでない。起きたならば、せねばならん話があるのじゃ」


 ぺちぺちと頬を叩かれる。ひんやりぶにょぶにょしたその感触に眉根を寄せながらまぶたを持ち上げると、顔の前には虹色のスライムがどアップだった。


「ぎゃああああなんかいるううううううう!?」

「べふぃっ!」


 勢いよく弾き飛ばすと、それはべちゃりと壁に叩きつけられた。あちこちに飛び散った虹色の液体(?)がてらてらと光っていて非常に気味が悪い。


「くっ、このワンテンポ遅いわりに無意味なキレのある反応……おぬし、まさしく正信の息子じゃな」

「父さんの、名前……?」


 正信、それは祐理の父の名だったはずだ。だが、祐理は彼と面識がない。父について知っているのは、以前ぽろりと母が漏らした名前だけだった。

 祐理は母と二人で暮らしている。物心ついた時にはすでに父の姿はどこにもなく、写真の類もないため、父の顔もまったく知らない。事情が気にならないわけではなかったが、母は父について何も語らず、祐理もまた成長と同時にそこについては触れないようにしたので、知る機会はなかった。唯一わかっているのが名前だ。


「お前、なんなんだよ?」

「なんじゃ、儂のことはクロエから聞いておらんのか? ……まあよい、わからんと言うなら名乗ろうではないか」


(今度は母さんの名前……俺の頭がおかしくなったのか?)


「儂は全能の神エペー! 今はこのようなちんちくりんになってしもうたが、かつては世界を統べる対の神が一柱として君臨し――」


(よし、寝よう)


「あっ待て、寝るでない! 話を聞け! まったく、これだから最近の若者は……」


 壁にくっついていたスライムはぺりりと剥がれて布団の上に舞い戻る。ぼすんぼすんと胸の上で跳ねられるのが煩わしい。


(こんなに騒いでも母さんから何も言われないってことは、やっぱり夢なんだろうな……こんな夢にリアルな質感とかいらねぇ……)


 いや、もしかすると母には聞こえていないのかもしれない。どったんばったん、下から聞こえてくる音は、不器用な母が奏でる毎朝の風物詩だ。心なしかいつもより激しく聞こえる。……そもそも、どれだけ現実が静かだろうと夢の音が届くわけがないか。ああ、起きて朝食の支度を手伝わないと。


「ぬっ!? くそ、もうここまで来たか……! おい、起きろ祐理! 儂の力ではおぬしを守り切れん!」

「……はぁ? 何を――」


 ばたばたと階段を駆け上がり、廊下を走る足音がした。ばん、と勢いよく部屋のドアが開け放たれた。慌てて飛び起きる。なんのことはない、祐理の母、黒江(クロエ)だ。


「祐理、ここから――エペー様!?」

「え、母さん、なんでこれのこと……」


 言葉は途中で消えていった。目に映った黒江の姿がぼろぼろだったからだ。乱れた茶髪、押さえた腕から滴る血。一目でわかるほどのひどい怪我を負った黒江の背後には、見慣れぬ人影が立っていた。

 性別を感じさせない美貌、背に生えた大きな白い翼、豊かに波打つ金の髪、神々しく輝く大剣、返り血で染まった姿に見合わぬ慈愛に満ちた笑み。それはまるで、天使のようで。


「エペー様、祐理を連れてアルカディアへお戻りください! エデンにまで追手が来たなら、もう――ッ!」

「母さん!?」


 天使の振りかざした大剣が黒江の体を貫く。それでも黒江は祐理を見つめて微笑んだ。


「……祐理には、話さなきゃいけないこと、たくさんあった。でもエデンにいれば大丈夫だって、信じてたから……だから、突然で、ごめんね」


 己の腹部から飛び出た刃を掴み、黒江は深呼吸を一つする。そんな母に駆け寄ろうとする祐理を、スライム――――エペーが絡みつくような形で押さえこんでいた。


「離せ、離せよ!」

「今のおぬしではどうにもならん! おぬし、クロエから何も学んでおらんのじゃろう! 身一つでどうする気じゃ! むざむざ死ににいく気か愚か者!」

「お願いエペー様、祐理を守って! ――――――絶対――――――」


 叱咤の声と同時に祐理の足元が輝く。床から浮かび上がる幾何学的な模様から湧きあがる風に阻まれ、母の声すら届かなくなる。


「案ずるな、案ずるなクロエ! ああ、そうじゃこの者も詩守(うたも)りの一族の子、儂の愛しき同胞(はらから)よ! これ以上の血を流させるわけにいくものか!」

「祐理、きっと――――――には、――――――――が――――――――だから――――――――は貴方の姉――――――――エペー様は――――――――けど、いい――――――」

「母さッ――!」


 伸ばした手は何も掴めない。風の壁の向こうで見たのは、燃える二つの人影だった。嫌な臭いも黒煙も、風に遮られて届かない。片方はそのまま崩れ落ちて、けれどもう片方は。

 無傷ではない、それでもまだ動ける天使はぎこちなく祐理を見た。しかし天使の剣が祐理を捉えるより早く、周囲の景色が一変する。それは祐理の見知らぬ森で、近所の公園などでないことは明らかだった。


「ここは……」

「儂の仮住まいじゃ。なんとか逃げきれたようじゃな。よかっ……いや、すまぬ」


 エペーは気まずげに祐理から離れた。祐理は膝をつき、地を這う自分の頭ぐらいの大きさの塊を掴もうとする。わずかに手が沈み込む感覚がしたが、揺さぶること自体はできた。


「なんで俺だけ逃がしたんだよ! 母さんだって一緒に逃がしてくれればよかっただろ!」

「“通り道”を開けるまでの足止めが必要じゃった。それに儂では一人しか運べぬ。それを知るからこそ、クロエは自ら望んで犠牲になった。おぬしを逃がすためにな。……あの炎は、クロエが放ったものじゃ。奴を殺すには至らんかったが……もう奴には、“通り道”を開く力など残されておるまい。アルカディアへの帰路を断たれたのじゃ、すぐに力尽きるじゃろう」


 理屈なんてどうでもよかった。思いつく限りの罵倒をぶつける。それでもエペーは気にした様子もなかった。いや、口しかないその姿では、そもそも感情を読み取ることが難しいが。

 ひとしきり感情を吐き出したことで、ようやく落ち着きを取り戻す。エペーから手を離し、祐理は力なく空を見上げた。そうだ、母は死んだ。目の前で燃えた。それが自殺だったなんて信じたくはないけれど。


「……あれは(なん)で、ここはなんなんだ?」

「奴の名は楽園の塔の守り手(システム・ルーク)。ここアルカディアを統べる神、ロゴスの忠実なるしもべじゃ。……簡単に言えば、儂らの敵の手駒じゃな。敵そのものではない。あれはいわば生きる武器。あれがクロエを殺しにきたのではない、あれの主がそう命じたのじゃ」

「……それが、ロゴスとかいう奴か」

「ああ。ロゴスは儂から支配者の座と力を奪い、唯一神として君臨しておる。本来儂とロゴスは対の存在として、二柱でもってこの世界を治めていた。しかしまあ、遠い昔に儂は蹴落とされてな。それ以降、儂のことは忘れられてしもうたんじゃ。今や儂を神とみなしてくれるのは、ごくごく一部の人間達のみ……」

「その辺の事情はどうでもいい。お前はなんで父さんと母さんを知ってる? 母さんはどうしてロゴスに襲われた?」

「ふむ……その話をするとなると、少々長くなるな。場所を移すゆえ、話しながらにするぞ。あの個体はエデンに取り残されたまま死ぬじゃろうが、ロゴスの手元にはまだ多くの守り手(システム)がおる。いずれ他の楽園の塔の守り手(システム・ルーク)も動き出すじゃろう。ひとまずは落ち着けるところまで行こうではないか」


 ついてこい、とエペーはのそのそ動き出す。彼(?)を信じていいのか、彼に従っていいのかはわからなかったが、あの時黒江はエペーに向けてこう叫んだ――――祐理を守って、と。

 エペーを信じたわけではない。母を信じているだけだ。そう自分に言い聞かせ、祐理も重い足取りでエペーの後を追った。


「まずは、おぬしの両親の話をせねばならんな。おぬしの母、クロエはもともとこの世界(アルカディア)の住人じゃった。クロエは儂を神だと知る、とある一族の末裔でな。巫女と呼ばれとったわい。おぬしの父、正信はお前のいた世界(エデン)の住人なんじゃが……まあ長くなるので詳細は割愛するが、色々あって儂がこのアルカディアに呼んだ。(わし)の使者、“狩人”とされた正信は、儂らの隠れ里にて巫女たるクロエに歓待を受けたのじゃ」

「はしょられすぎて全然説明になってないんだけど? “狩人”? “狩人”ってなんだ?」

「まあ待っておれ、順に話すからのう。……正信はことのほかアルカディアを気に入り、エデンには帰ろうとしなかった。儂もにぎやかなのは好きじゃし、クロエとその一族もそれを歓迎した。二人は隠れ里で結婚し、やがて娘のサラが生まれた。しかし二人目の子……おぬしがクロエの胎に宿っていたとき、今日と同じことが起きたのじゃ」

「それって……まさか、守り手(システム)の……」

「そうじゃ。正信はクロエと胎の子を庇い、妻子を守らんがために“通り道”を開けて二人だけを自分の故郷(エデン)に逃がした。奴は、姿の見えぬ娘を見つけてから追うと言って、そのまま“通り道”を閉じてしまったのじゃ。力のない儂は、たかが道具(システム)にすらも歯が立たん。儂が目覚めた時には、隠れ里に住まう者達はみな殺されておった。……正信と、おぬしの姉の行方はようとして知れぬ」


 もとは二柱だった神は、片方がもう片方のすべてを奪い取ったことで一柱になった。しかし何もかもを奪われたはずの元神は、その状態であってもひっそりと信仰されている。それは、神の座を独占したものにとってはあまりいいことではないように思えた。だって、いつ元神が反旗を翻すのかわからないのだから。


「……守り手(システム)がその隠れ里ってところを襲ったのは……お前が原因、か?」

「……察しがよくて助かるわい。ロゴスの狙いは、儂を知る人間を根絶やしにすることじゃった。儂が力を取り戻すことのないように、な」


 エペーは歩みを止めた。感情の読めないスライムはぷるぷると震えている。


「どれだけ堕ちても神は神。(わし)には死という概念がない。儂を知り、儂を尊ぶ者がおる限り、儂は決して消滅できん。ゆえに巫女(クロエ)狩人(まさのぶ)と、そして二人の子である(サラ)(ユーリ)は狙われた。異なる世界に逃げてなお、奴は執拗に追ってくる。それはおぬしも見たであろう。……もはや逃げ場などあるまい。ロゴスから逃げたところで、国を転々とさすらい、世界を交互に移動する、終わりのない旅が始まるだけじゃ」

「そんなの……やってやれるかよ……!」


 すぐそばに合った幹に拳を強く打ちつける。木はわずかに揺れ、木の葉がはらはらと止まった。


「目の前で母さんが死んだ! 父さんも、姉さんも、会ったことねぇけど俺の家族も死んだのかもしれねぇ! なのに、ただ逃げ回ってるだけなんてありえねぇだろうが!」

「……よい目じゃのう。そうじゃな、その通りじゃ。儂も、そろそろ嫌気がさしてきた。何の力もない儂のことなどそうっと眠らせておけばよいのに、それすら許さぬ臆病なロゴスの相手はもうこりごりでな」


 もともと儂がおぬしを探したのは、そのためじゃった。直後に守り手(システム)に襲撃されたせいで事態がより深刻になったがの――――そうぼやき、エペーは振り返って祐理を仰いだ。


「あの日正信に叙したその任を、今日息子のおぬしに託そうではないか。おぬし、“狩人”……亡き神(エペー)の戦士となって、儂とともに唯一神(ロゴス)と戦う気はないか?」

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