4 いざ、青の領域へ……
「――というわけで、エシェールはここに置いていこうと思う。もし他の魔女の軍勢が黄の領域に攻めてきたら、片っ端から倒してくれ」
「はぁぁ!?」
部屋に帰って早々告げた命令に、エシェールの不服そうな声が返ってきた。ちなみにラフェミアとエシェールには正座をさせている。
「書の支配に距離や時間は関係ないのじゃ。ずっと書から出して留守番させるというのは、十二分に可能じゃな」
「いーやーだー! なんで私がそんなことしなきゃいけないの!」
さすがにラフェミア本人から目を離すのは怖すぎる。そこで留守番役にはエシェールを抜擢したわけだが、エペーの後押しもあるので安心して任せられそうだ。
ラフェミアと同じように文字の拘束具をつけたエシェールは、現状の不満を訴えるように苦い顔をしているが。それでも正座を崩さないあたり、意外と祐理の拘束力は強いらしい。
「そ、そうだぞ、ユーリ。さすがにこの悪魔を信頼するわけには、」
「毒を以て毒を制す、だよ、ラズさん。騎士の人達とか、ここに住む人達を犠牲にする必要なんてない。魔女本人が来ないなら、悪魔だけでも十分対処可能だろ?」
「ふ、その通りよ。確かに悪魔は、基本的にあるじたる魔女の下位互換程度の力しか有しておらぬ。他の魔女を相手取れというのは酷ではあるが、人や他の悪魔が相手なれば対処はできるであろう。……だが、それはあくまで人外の身になったことで得た力のみぞ。人間だったころの素質次第では、己のあるじを越える特技を持つ者もいる」
「へぇ。じゃああんたは、自分の悪魔が他の悪魔より弱いって思ってんのか」
「……む?」
「そういうことだろ? 人間なら殺しまくれるけど、悪魔が出てきたら勝てない。他の悪魔は生まれつきエシェールより優秀な奴ばっかりだから、エシェールを残しても意味がねぇって言いたいわけだ」
「誰もそのようなことは言っていない。【側仕】のの侮辱は許さんぞ。それはこの者のあるじたるわらわに対する侮辱ゆえな」
ラフェミアは怒りで目をぎらつかせる。そのまま彼女はエシェールを仰ぎ見た――――「そなたは森に残れ。他の魔女のしもべがこの地を荒らそうとするなら、それを食い止めよ。いかなる魔女の悪魔よりも優れていると、狩人のに証明するのだ」
「【幸福】様ぁ……」
「うっし!」
魔女の言質は取った。エシェールは泣きそうな顔をしているが、本当のあるじにすら同じ命令を出されては従うしかないらしい。祐理を恨みがましげにキッと睨みつけ、そのまま彼女は窓から飛び降りた。“紅き森”に戻るようだ。
「正直なところ、そなたの不安は正しい。わらわの安否を確かめるという名目で【震悚】のは兵を送りかねぬ。あれはそういう男ぞ」
ラフェミアは言う。【震悚の魔女】は自身の軍隊を手足のように操り、各所で略奪を繰り返していると。他の魔女の所有物を欲しがることも多いという。もし自分が陥落したと知ればここぞとばかりに領域侵犯を繰り返すに違いない、とのことだ。
「じゃあ、黒の領域もそうなのか? 【震悚の魔女】の軍が、黒の領域の街を襲ってるらしいんだけど」
「ふむ。……いや、それは合意の上であろう。現在の七魔女の中では二人しかいない男、それが【震悚】のと【災厄】のぞ。あの二人は齢も近い。見た目もそうだが、実年齢もな。実際は【震悚】のが百……いや、百五十……二百……はいきすぎか? まあいい。百から二百ほど年上だったはずだが、その程度はもはや誤差よ」
五百年を生きると細かい計算ができなくなるらしい。忘れているというべきか、おおざっぱになるというべきか。何年生きていようとラフェミアの前ではそう変わらないのかもしれない。
「齢と性別の件のせいか、二人はそれなりに親しくてな。集いでなくても個人的なやり取りはしているそうだ。恐らくその襲撃とやらも、二人の取引の一環であろう」
「取引?」
「わらわ達は他の領域に出られぬ。しかし、他の領域に出向かねば手に入らぬものがあってな。そういうものを求める際に、対価を示して他の魔女に打診するのだ。それをこちらにわけてくれないか、と。人で言うと貿易か?」
「……じゃあ、【震悚の魔女】が黒の領域を侵略してたわけじゃなかったのか」
魔女同士の合意はあったとはいえ、人々の意思はまるで無視している。たとえ侵略を目的とした行為ではなくても、結果と被害は変わらない。
「でも、黄の領域のことは侵略するかもしれない。そうだろ?」
「ああ。……まったく。魔女や悪魔をいいように使おうとするのは、後にも先にもそなただけであろうな」
「じゃろうなぁ。じゃが、それでこそ“狩人”じゃ」
ため息をつくラフェミアとは対照的に、エペーは胸(?)を張っている。ラズトラウトは不安そうに窓の外を追っていた。
「さてさて。後を託す者も決まったところで、次の目的地の確認でもしようかの。次に目指すは青の領域タルシシュ、そこに座す【悲哀の魔女】アンブロシアで間違いないんじゃな?」
「ああ。居場所がわかんねぇのは不安だけど、まあ向こうから来てくれるかもしれねぇしな」
「アンブロシアを探すなら、一度聖堂に寄るべきかもしれないな。アンブロシアは、大聖堂に現れたことでその存在が確認された魔女だ。聖職者達は彼女の足取りを知っている可能性がある。黄の聖者様の紹介状があれば、青の聖者様にも取り次いでいただけるかもしれない」
「あの爺さんか……」
ラズトラウトはそう言うが、あまり乗り気になれない。あの爺さんが素直に紹介状なんて書いてくれるとは思えなかったからだ。
「なあラフェミア、なんか魔女同士で連絡を取り合えるアイテムとかねぇのか?」
「>>そんなものはない<<。あったところで、【悲哀】のはわらわの話など聞かぬよ」
「<<ないことはない。悪魔を使って連絡を飛ばすか、鏡を使えばいいのだ。塔にいけば、【悲哀】のがいるであろう>>」
「鏡? 塔ってなんだ?」
飛んできた字幕をさっさと払って紫の文字に触れる。嘘を見破られたことに驚いたのか、ラフェミアは目を丸くした。隠し立ては無意味だと悟ったのか、ラフェミアは諦めたように肩をすくめる。
「……魔女と悪魔しか足を踏み入れられぬ場所がある。名は原罪の塔。今年は五十年に一度訪れる、すべての魔女がそこに集まる集いの年ぞ。鏡はそこへの通り道よ。鏡がなければあそこには行けぬ」
「ってことは、あんたを自由にしなきゃいけねぇってことか。……他の魔女に会われるのは嫌だし、それは最後の手段にしとくな」
結託されたり、逃走を手助けされたりするのはごめんだ。嘘を打ち消してもこの程度の情報しか出てこないということは、本の中に閉じ込めていればラフェミアが他の魔女と接触することを防げるだろう。
「でも、その塔ってとこに籠られると厄介だな……。うまい具合に見つけられるといいんだけど」
「それはまあ、おいおい探していくしかないな。実際に赴かないことには何があるかわからないし」
ラズトラウトが苦笑した(気がする)。確かにその通りだ。ここで悩んでいても仕方がない。
「じゃあ、早速明日他の物を買って……その日のうちに発てたら発つか?」
「ああ、そうしようか。城内で養える英気はないし、挨拶や引継ぎは昨日の時点で終わらせている。城に帰ってきてから三日もあったからね。僕の部下や同期はみんな優秀だし、それだけあれば十分だ。だから、僕のほうは問題ないよ」
「うむ、うむうむ! 祐理もラズも、やる気があるようでなによりじゃ!」
「くくっ。ただの無謀、蛮勇で終わらぬといいがなぁ? ……あぅ!?」
不吉なことを言うラフェミアをとりあえず『魔女名鑑』の角で殴っておく。それがきっかけになったのかは知らないが、ラフェミアは本の中に吸い込まれていった。
*
「ユーリ、君は馬には乗れるのか? 移動手段として最も手軽なのが馬なんだけど……」
「あっ、それについては何とかなると思うんだ。俺は馬には乗れねぇんだけどさ」
翌日の朝早く、買い物の誘いに来たラズトラウトは開口一番にそう尋ねた。対する祐理はドヤ顔で『審問大全』を見せびらかす。夜のうちにこれを読んでいたため若干眠いが、睡眠を代償にするだけの知識は得られた。
まず、“紅き森”では喚び出すこともできなかった灰色のすべての罪を断つ者が具現化できるようになった。図解の表記が灰色でなくなっていたので試しに喚び出してみたのだ。……それはとても重く錆びついていた大剣で、とても実戦で使えるような代物ではなかったが。
そして、これまで適当に流し読みしていた拷問器具や処刑道具の図解と表題を改めて把握することができた。説明文まで読み込んでいるとは言えないが、ある程度の使用法はなんとなくわかった……と思う。その中に、移動に使えそうな道具があったのだ。
名は疾走する大逆の禍風といい、どう見ても馬だった。説明文に記載されていた、八頭がそれぞれ足で受刑者の四肢を引っ張るという一文は見なかったことにしたい。さすがに八頭はいらないが、一頭か二頭喚び出してそれに祐理の乗った籠が何かを引っ張ってもらえばいい。
では籠をどうすればいいかというと、これまたおあつらえ向きの道具がある。永久の闇の緋き檻だ。喚び出すと自動で相手の背後に回って相手を閉じ込めてくれるという棺桶だが、これを移動用の籠にできる気がした。棺桶の中には棘が敷き詰められているが、引っ込むタイプの偽物に変えることもできるので大丈夫だ。手品なんかで使われる、刃先を押すと引っ込むナイフと同じ原理だろう。
「な!? すげぇだろ!」
「あ……ああ、うん……」
「ひぇぇ……どういうことなんじゃ……」
早速実演してみる。疾走する大逆の禍風は本物の馬に見えるが、よく見ると精巧な造り物のようだった。動くことには動くので問題ないだろう。しかも本物の馬ではないので、食事や睡眠、休憩などを考える必要もない。最高だ。……ラズトラウトとエペーの反応が芳しくないように感じるのが不思議だが。
「でかい荷物とかもこいつに引きずってもらえるんだ。この馬は自分で勝手に進んでくれるみたいだけど、なんならラズさん乗ってみるか?」
「僕は自分の馬があるから大丈夫だ! これならユーリの分の馬具は不要だな! 食料品さえ買えば出発できるぞ!」
すごい勢いで拒まれた。乗ってみると案外快適かもしれないのに、残念だ。
「のうラズ、おぬしこれと並んで進むことになるのじゃぞ?」
「いっそ、僕だけ先に進んで他人のふりを……いや、さすがにそれはまずいか。……ちょっと待ってくれエペー。他人事のように言っているが、君は彼の傍にいることになるだろう? もしユーリがリュックを下ろしても、君がこの棺桶に収まることには変わりないぞ」
「……儂は平気じゃもん。走行中はリュックの中に隠れるんじゃ。そうすれば、儂のことは誰にも気づかれまい」
一頭でも十分祐理と永久の闇の緋き檻を引っ張れるらしい。頼もしいことこの上ない。さっそくもう一頭にも永久の闇の緋き檻を括り付け、買ってきたものを積み込む。蓋を閉じれば落ちる心配はないだろう。エペーとラズトラウトがひそひそ何か話しているが、見ているなら手伝ってほしいものだ。もちろん、仲良くなったのはいいことだとは思うが。
「……ユーリ、やっぱり少しでいいから乗馬の練習をしないか? 乗るのはその馬でいいし、僕も教えるから……旅の途中の、空いた時間にさ……」
「? まあ、暇なときだったら教えてもらえるのはありがてぇけど」
祐理が馬に乗らないのは、乗馬の特訓で旅立ちが遅れるのを危惧したからだ。道中に教えてくれるというなら断る理由はない。ラズトラウトの心変わりにより、馬具とやらも調達することになった。食料品店ならともかく、馬具は服装以上にわからない。とりあえず、全部彼に任せておこう。
*
朝早くから準備していたおかげか、昼頃にはすべての用意が整った。右脚には『審問大全』、左脚には『魔女名鑑』、そして背中にはエペーの入ったリュックサック。装備は万全だ。祐理はさっそく永久の闇の緋き檻に乗り込み、リュックサックを下ろした。重いからだ。
「目指すは青の領域だ。一応、領域の境界までなら僕でも案内できる。青の領域についてからはあちらの領域の地図を買うから、両手が開いている君かエペーに案内をしてもらいたい」
「わかった。地図ぐらいなら俺らでも読めると思うから、安心してくれよ」
ラズトラウトと並んで走り出す――――しかし祐理達は、城門を越えることができなかった。
「なっ、なんだっ!?」
「くッ!」
突如後ろから聞こえてきた大きな音に、ラズトラウトの乗った馬が怯えたようにのけぞりながらいななく。疾走する大逆の禍風は構わず進んでいたため、ラズトラウトとの距離が一気に離れた。
「止まれ、止まれって! ……うぉっ!」
慌てて命令して後ろを振り返る。急停止のせいでつんのめったが、なんとか棺の縁に激突するのは避けられた。
城から悲鳴が上がった。幾重にも重なる大きなそれは、絶え間なく響いている。
尖塔の一部に大きな穴が開いていた。まるで何かが空から墜落したような跡だ。先ほど聞こえてきた大きな音は、あそこが崩れた音だったのだろうか。
「まさか、【幸福の魔女】と【側仕】の仕業か!?」
「それはねぇよ、ラズさん。ラフェミアは本の中にいるし、エシェールだって勝手には暴れられないはずだ。考えられるのは、他の魔女の手先が襲ってきたってことぐらいじゃねぇか?」
ほどなくして火の手が上がった。悲鳴は止まない。立ち昇る黒い煙は火事が起きている証だ。城からわらわらと人が出てくる。誰もが怯えたような顔をしていて、誰もが傷だらけだった。
「なんでもいい……! すまない、戻らせてもらうぞ!」
「あっ、待ってくれよ! 俺もいくって!」
「こら! 儂を置いてくなー!」
ラズトラウトは馬を捨てて城へと駆け出す。祐理も慌ててエペーを背負い、ラズトラウトの後を追った。




