2 旅立ちに向けて
「へぇ、色々売ってんな」
ラズトラウトに連れられて寄った雑貨屋で、思わずそんな言葉が漏れた。棚を埋め尽くすように、様々な商品が所狭しと並べられている。
本格的な旅立ちに向けて必要なものを買うために街に出たのだが、あいにく祐理は右も左もわからない。そこでラズトラウトに案内を頼んだのだが、彼に任せて正解だったようだ。祐理だけだったら、この店を探し当てる前に道に迷っていた。
「買えるだけ買っていこう。いざというときに足りなくなるなんてことにならないように」
そう言いながら、ラズトラウトは手にした籠に商品を入れていく。ロープ、ランタン、水筒、調理器具。一言で火をつけられるラズトラウトがマッチを手にしているのはいささか不思議な光景だ。とはいえ、祐理は別に印術とやらが使えるわけではない。祐理用か、あるいは印術が使えない条件下で火が欲しいときのためのものなのだろう。印術が使えない条件下、というのがどんな状況なのかはさっぱりだが。
「めっちゃ買ってるけど、金足りるよな? これから食料とかも買うんだろ?」
祐理は無一文だった。だが、今は皇帝が魔女討伐の褒賞として袋いっぱいの硬貨らしきものをくれている。それが祐理の全財産だ。同じものはラズトラウトをはじめとした第三騎士隊の面々ももらえたらしい。
旅の準備金として、袋の中身の三分の一がラズトラウトとの共有財産になった。二人で使えるものはこれで買えばいいらしい。ラズトラウトは半分出してくれている。これを取り決めたのはラズトラウトだ。着の身着のままのユーリとは違って自分はすでに生活基盤が整っているから、というのが彼の弁だった。ラズトラウトには悪いかもしれないが、彼が一緒に来てくれることになって本当によかった。
問題は、アルカディアの貨幣の価値などまったく知らないため、それがどれだけの額なのかよくわからないことだ。なんだかんだ言ってもやったことは英雄の所業だ、褒賞は奮発してくれたと思いたい……思いたいが、皇帝陛下には啖呵を切ったり、ラズトラウトの処罰をなくしてくれたりしてもらっている。その件でプラマイゼロにされていないだろうか。皇帝の裁定にはおっさん騎士以外にも不満に思っている奴がいるかもしれないし、そういった奴は祐理がたんまり報酬をもらうことにいい顔はしないだろう。
「大丈夫だ、心配しないでくれ。陛下からは十分すぎるくらいいただいている。このうえさらに旅の途中で収入源を見つけられれば、しばらく路銀で困ることはないさ」
「収入源?」
「酒場には、流れの傭兵向けに出された依頼が集まるんだ。荒事の類いが多いけど、決してこなせないものじゃない。むしろ、魔女と戦う前の腕試しにはちょうどいいだろう」
「なるほどな。酒場……酒場か」
入るだけなら許してもらえるだろう、多分。自分にそう言い聞かせた祐理は、支払いを済ませて別の店に行こうとするラズトラウトの後を追った。
「次は武器屋か防具屋に行こうと思うんだけど……僕にはこの剣があるし、ユーリにはその本があったね。防具屋だけで大丈夫かな?」
「そうだな。でも、防具っつっても動きやすい服だったらなんでもいいぜ?」
「なら、クロスアーマーはどうだろう。布製だから防御力のほうはさほど期待できないけど、動きが阻害されることはないよ。革の胸当てと合わせて使ってもいいしね。……そうか、そういえば君は普通の服もあまり持っていなかったな。どうせ全身の装備を整えるし、そういうものもついでに買ってしまおう」
「お、おう。そういうのは全然わかんねぇから、ラズさんに任せるな」
とりあえず今までは騎士達の服を借りたりしていたが、さすがに旅に出てもそのままというわけにはいかないだろう。とはいえ、日本でも危ういのに、ファンタジー世界での服選びなんてもっとできない。旅に適したコーディネートはラズトラウトに一任した。
布の服に革の鎧と靴を身に着けた旅人は、隣を歩くフルプレートの騎士に比べるとあまり強そうではない。ラズトラウトが歴戦の騎士ならこっちは駆け出し冒険者だ。だが、これ以上がっつり武装すると装備品に着られるような気がする。ラズトラウトのセンスを信じよう。
「そういえば、本を持ち運びしやすくするケースみたいなやつとエペーを入れるリュックが欲しいんだけど、どこかに売ってるか?」
「リュックはすぐに見つかるさ。とりあえず、ブックケースとそれを吊り下げられるベルトでも探してみようか」
頼もしいラズトラウトに連れられて、色々な店を見て回る。『審問大全』も『魔女名鑑』も大きいので、なかなか適したサイズの入れ物がない。仕方ないので、一冊ずつ大きいシザーケースに入れることにする。
同じ店には、用途のよくわからないベルトが片足ずつに巻かれているズボンがあった。その両足の謎ベルトにシザーケースがうまくひっかけられたので、同じものを何本か愛用することになりそうだ。
「すげぇスチパンっぽいな。カッコいいけどさぁ」
日本でするには少し勇気のいる格好だ。アルカディアなら一切浮いていないが、その恰好をしているのが黒髪黒目の日本人なので似合っているか自信はない。まあ、同郷の人に見られるわけではないのだから気にしなくていいはずだ、きっと。
「……おや。もう日が暮れてきたね。続きの買い物はまた明日にしようか。今晩は、大聖堂から聖者様がいらっしゃるし」
「ん? ああ、確かに」
店の外に出たラズトラウトは、周囲を見渡してぽつりと呟いた。このまま夜の街を探索するのも楽しそうだったが、黄の聖者とやらが来る場には祐理達も同席するよう皇帝から言い含められている。このあたりで城に引き上げるべきだろう。
「準備が終わり次第、魔女狩りの旅に発つということでいいかな? ……今の僕達には確固たる身分がないからね。あまり城に長居するわけにはないんだ」
「そうするか。いやなんかもうほんとごめんな、ラズさんまで巻き込んじまって」
「構わないさ。どうせ【幸福の魔女】のもとで……あるいは陛下による断罪で落としたはずの命だ。誠心誠意尽くそう」
ラズトラウトの声音は明るい。祐理が懸念していたほど気に病んではいなかったようだ。少しほっとした。
「最初はどの魔女を目指そうか? 黄の領域は他の六つの領域に囲まれているから、行こうと思えばどこにだってすぐに着くよ」
「うーん……そうだなぁ……」
いずれすべての七魔女を狩らなければいけないとはいえ、段階というものは踏むべきだろう。“紅き森”へ向かう途中でラズトラウトから聞いた、七人の魔女の話を思い出す。
最も危険度が高いのは、黒の領域の【災厄の魔女】と紫の領域の【罪科の魔女】。
最も権勢を振っているのは、白の領域の【冒涜の魔女】と赤の領域の【震悚の魔女】。
そして脅威ではあれど目に見えた暴威を振っていない、緑の領域の【欲望の魔女】と青の領域の【悲哀の魔女】。
正直、祐理はまだ魔女というものの強さを掴みかねている。だが、それは先制攻撃に成功したからだ。ラズトラウト達が一度は敗走を強いられたというのだから、【幸福の魔女】の真の力量はあの程度ではないだろう。そんな状態で、いきなり【災厄の魔女】や【罪科の魔女】を狩ろうとするのは無謀と言えた。そもそも、この二人は神出鬼没だという。手掛かりもなしに挑む相手ではないだろう。
居場所がすぐにわかりそうなのは、【冒涜の魔女】と【震悚の魔女】だ。国家の中枢を掌握しているこの二人なら、拠点もあっさり割れるだろう。だが、この二人に戦いを挑むというのはすなわちその領域全土を敵に回すということだ。ラズトラウトがいるとはいえ、アルカディアに来て日が浅い祐理が軽々しく行うべきではない。
ならば次に目指すべきは【欲望の魔女】か【悲哀の魔女】ということになる。問題は、どちらを目指すかだ。
(あっ。つーか俺、最大の情報源知ってるじゃん。ラフェミアに聞けばいいんだよ。七魔女なんだから、家ぐらい知ってんだろ)
【幸福の魔女】がそれを素直に祐理に教えてくれるとは思えない。だが、尋ねてみる価値はあるだろう。
*
「ぶはっ!?」
いっときの滞在場所として貸してもらった城の客室のドアを開ける。その瞬間、ぬめぬめした冷たいものが飛んできて顔に張りついてきた。まだ眠っていたし、荷物になるからという理由で部屋に置き去りにしてきたエペーだ。
「遅い! どこまでいっとったんじゃ!」
「なんだよ、書き置きしといただろうが。ラズさんと買い物だよ、買い物」
怒れる神(笑)を引きはがして、買ってきたリュックサックを見せる。「お前専用の籠だぞ」と投げやりに言うと、エペーは興味深げにリュックサックにすり寄ってきた。開けた口から中に飛び込む。「なんじゃこれ、まったりできるのう」どうやら居心地はよかったらしく、エペーの関心はすぐにそちらに移った。神、ちょろい。
なんとなく察してはいたが、エペーが入ると他の物は入れづらそうだ。そもそも、エペーと密着してべたべたになった物はあまり触りたくないし、手探りで中身を漁ってエペーに触れるのも煩わしい。明日は荷物を入れる用の鞄も調達しよう。
「さて、と。エペー、もう一回聞くけどさ、『魔女名鑑』に取り込んだ魔女と悪魔は俺の言うことを聞くようになるんだよな?」
「んん? まあ、原理としてはそうなるはずじゃな。さすがに儂の知る詩守りの子の中で、人を書に閉じ込めた者はおらんのじゃが……動物や亜獣の類いを書に捕らえた者はおったぞ。あやつは獣使いとして大成しておったはずじゃ」
「信じてるからな、神サマ」
「うん? おぬしまさか、今ここで――」
一応『審問大全』も取り出しておく。エペーの言葉を最後まで聞かず、祐理は『魔女名鑑』を開いた。
「【幸福の魔女】、ラフェミア=トラヴァウム!」
拷問器具を召喚するときと同じように、開かれたページの表題を高らかに叫ぶ。本はまばゆい光を放ち、祐理の前に一人の少女が現れた。
「うぅ……。なんぞ、わらわの名を呼ぶか」
傷は治ったようだ。その姿は“紅き森”で対峙したときと変わっていない。しかし明確な異変が一点だけあった。ラフェミアの首に、少し大きなわっかがついているのだ。ぐるぐると回るそのわっかは奇妙な記号の数々で構成されていた。『魔女名鑑』からも同じ記号でできた太い紐のようなものが垂れていて、彼女の首の後ろ辺りでわっかと繋がっている。
それが首輪と鎖であり、召喚された魔女のための拘束具だととっさに理解する。ラフェミアにとっても不本意なものなのか、彼女は嫌そうにわっかに手をやっていた。少なくとも、この場で即座に祐理へ襲い掛かってくることはなさそうだ。
「【原初】様には見限られ、こんな妙な業を使う者に捕らえられ……。わらわの長い生において、このようなことは初めてであるぞ。まったくもって許しがたい」
「まぁまぁ。そう怒んなって。……でもさ、お前だって散々好き勝手やってきたんだから、そのしっぺ返しが来ることぐらいわかってたろ?」
ごくごく普通の、小さな女の子の姿をしていたとしても、祐理の前にいるのは独善的な理想を掲げて人々の心を狂わせてきた【幸福の魔女】だ。五百年に渡って彼女が支配してきた森の中で一体何人が廃人になり、彼らを助けようと森に踏み入った者が殺されていったのか。祐理はよそ者だ、よそ者だが――――だからと言って、彼女に気を許すわけにはいかない。
「何がしっぺ返しか。罪の報いと言うのなら、命をもって贖うのだと人は常に説いておろう。……わらわは今の七魔女においては第二位に座すほどに古き魔女ぞ? 己の罪に身を滅ぼす魔女も、人から裁きを受けた魔女も、飽きるほど見てきたわ。だからこそ解せん。このような扱いを受けた魔女、わらわしかおらんぞえ。心を奪われたときは死んだと思ったが……なにゆえそなたはわらわを殺さぬ? わらわと【側仕】のを閉じ込める、その奇怪な書はなんぞ?」
「この本か? “狩人”の切り札だよ。魔女に対抗するための、な。……お前を殺しても、そのうち次の魔女が出てくるんだろ。だったら、お前を本の中でずっと飼い殺しにしたほうがいいじゃんか」
「ふん。半分は正しいなぁ」
「半分?」おうむ返しに呟くと、ラフェミアは愉しげに目を細めた。だが、彼女はそれに触れることなく言葉を続ける。
「まあよい。慧眼は慧眼、気に入ったぞ。どのみちこの忌々しい枷のせいで、わらわはそなたに害なせぬ。飼い殺したいというのならば好きにするがよい」
「偉そうな小娘じゃのう。口調も地味に儂と被っとるのも気に食わん」
「……なんぞ、その面妖な塊は」
「誰が面妖な塊じゃ! 儂はエペー! たかだか五百年ぽっちしか生きとらんおぬしにはわからんじゃろうがなぁ!」
「えぺぇ?」
ラフェミアは小首をかしげる。本当に知らないようだ。エペー自身が神として崇められていたのは、少なくとも七魔女の前身である【原初の魔女】がいた時代のころだろうから、それも無理はないだろう。
「あのさ、ラフェミア。あんたはさっき、“命をもって罪を贖わせる”って言ったよな。確かに、それも方法の一つなんだろう。でも、俺はそうは思わない。あんたがどんな悪事に手を染めても、短絡的に殺すのは違うと思うんだ。……生きてるからこそできることだってあんじゃねぇの?」
「わらわに道徳でも説く気か?」
「違うって。……あんた、反省なんてしてねぇだろ。俺に捕まった程度で反省するなら、そもそもあんたは“永遠に醒めない幸せの夢”なんて作って五百年も守ってるわけがねぇからな。でも、今のあんたは俺に逆らえない。なら、俺はあんたを利用するまでだ」
「……」
「他の魔女のこと、教えろよ。黄の領域の魔女は消えた、次は他の領域から魔女を消す。他の領域で暮らす、魔女に苦しめられてる人を一人でも多く助けるためにな。それが、狩人の俺があんたに押しつける償い方だ」
祐理は博愛主義者でも平和主義者でもない。そもそも祐理が魔女を狩ると決めたのは、復讐のためだ。これは反吐が出るほど身勝手な、正義という名の大義名分を盾にした綺麗事に過ぎない。それでも、利用できるなら利用する。
固い決意を秘めた目は、魔女に何かもたらしたのだろうか。【幸福の魔女】は高らかに笑った。哂い、嗤う。
「善い、善いぞ! そなたとよく似た目をした娘を知っておる。そなたは奴のように傲慢で、しかし奴とは違って実行に移すだけの蛮勇を持ち、何よりそれを詭弁で終わらせぬ力があるわ。狩人の、名をなんという?」
「……祐理。こっちの世界風に言うと、ユーリ=ニシノってところかな」
「よい名だな、狩人の。……その黒き髪、よく見るとわずかに緑みを帯びている。生まれは青の領域か。それもあの小娘と同じとは」
いや地球人です、と訂正できる空気ではない。あいまいな顔をしてお茶を濁すが、祐理の出身などラフェミアにとってはそこまで重要ではなかったようだ。深く突っ込まれずに済んだ。
「信じるかどうかはそなた次第であるが、一つ助言をやろう。すべての魔女を狩ると豪語するなれば、そなたが次に目指すはただひとり――青の領域に座す【悲哀の魔女】、アンブロシアぞ。あの小娘は七魔女の中で最も未熟で最も弱く、最も可能性に満ちた若き魔女ゆえな」




