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1 魔女たりえるもの

* * *


「ラフェミア様は、まだお見えにならないのですね」


 ぽつりと呟いたのは第二の魔女、【冒涜】のメイシェウだった。それは世間話の延長のように軽く、実際彼女にとっては世間話に過ぎないのだろう。同じ魔女とはいえ、魔女に他人を心配する心などあるわけがない。自分の領域に帰ったきりもう何日も姿を見せない、童女の姿の老いた魔女。ラフェミアの顔を思い浮かべ、アンブロシアはわずかに俯いた。


(魔女を心配する気がないのは僕も同じだ。でも、僕は他の連中とは違う。僕は、自分がこいつらと同じものに成り下がったってことを認めていないだけで……)


「確かにちっと遅いな。なんつったっけ? ほら、あいつの“ナントカの夢”。人間があそこに一歩でも入れば、もうその時点でラフェミアの手のひらの上ってヤツだろ。いくら討伐者が来たっつっても、ここまで手こずるとは思えねぇんだが」


 ソファにだらしなく寝そべったカティーシスがワインボトルを直接呷る。その向かいに座って美しい少女を侍らすベルクディールは、面白そうに口角を吊り上げた。


「安心したまえ。ラフェミアは死んだわけではない。飛空艦を一隻、ピトダーの上空に飛ばしたが……私は弾かれてしまったからね。まったく、我が影がなかったらそのまま落ちていたところだ」

「あらあら。さすがは魔女帝様ですわ。動き出すのが早いこと。まさかもうピトダーを手中に収めようとしていらっしゃったなんて。当てが外れて残念でしたわね」

「……下賤な女が、ベルク様に馴れ馴れしくしないで」


 メイシェウがふふっと嗤うと、ベルクディールの傍らにいた少女が鋭い眼差しをぶつける。彼女はベルクディールが原罪の塔に引き込んだ愛人……ではなく、【傀儡】という名のれっきとした悪魔らしい。人目もはばからずむつみ合うその姿は、どう見ても主従の域を超えているが。

 原罪の塔の一室にあるサロンには今、四人の魔女と三人の悪魔がいる。不在の【側仕】に代わって給仕係を務めているのは、メイシェウに仕える【将軍】だった。その名にそぐわない役目だが、青年は黙々と従事している。

 部屋の隅で優雅にフルートを吹いているのは【楽士】だ。この青年は、なんとカティーシスの悪魔らしい。粗暴な【災厄の魔女】は、どういった経緯でこの優男を悪魔に選んだのだろう。悪魔など侍らす気もないアンブロシアにとっては悪魔選びの基準などどうでもよかったが、それぞれの魔女と悪魔の関係は知っておきたかった――――もしかしたら、造反の意志を秘めた悪魔がいるかもしれないから。


「死んでいないのなら、ラフェミア様は何故いらっしゃらないのでしょう? 彼女、集いの時期はいつも塔にいらっしゃいますのに」

「その通り。少なくとも私が魔女になってから、ラフェミアが集いの年に長く塔を空けることはなかったのだ。何か不測の事態が起きたと見るのが妥当だろうが……何が起きたのか、皆目見当もつかないね」

「そもそも許可を出す奴の姿が見えねぇんじゃ、あいつの領域に入れねぇしな。……おいリヤン、お前ちょっとピトダーまで行って来いよ。好きだろ、こういうの。五百年を生きる魔女の謎の失踪だ、いい歌のネタが見つかるかもしれねぇぞ」


 にやりと笑うカティーシスが【楽士】に声をかけると、【楽士】の奏でる旋律が止まる。【楽士】は瞳を好奇に輝かせて頷き、「それじゃあちょっと出てくるよ」とそのままサロンを出ていった。


「おや、せっかくの安らぎが失われてしまったか。……カティーシス、彼を譲ってくれる気は、」

「ふざけんな。何度言われたってあいつはやらねぇよ。あいつはオレの悪魔だからな」 

「ふむ。では、しばし我が国の宮廷楽士として借り、」

「やらねぇっつってんだろ。そもそもあいつは、宮仕えなんかしたがるタマじゃねぇ」


 静寂の降りたサロンで、ベルクディールとカティーシスの応酬が響く。どうやら、少なくともカティーシスのほうでは【楽士】を重用しているらしい。肝心の【楽士】の気持ちがどこにあるのかはわからないが。


(【剣士】は基本的に【罪科】の傍を離れない。【傀儡】と【側仕】も自分の魔女に忠実だ。【将軍】は言葉少なだけど、いつだって【冒涜】に従っている。まったくわからないのは、【楽士】と……【欲望】の悪魔だけだ。切り崩すならここしかないのかも)


 今はここにはいない【欲望の魔女】ルスティーネ。彼女が従えているという悪魔を、アンブロシアはまだ見たことがなかった。

 他の魔女達との会話から、彼女にも【道化】という名の悪魔がいるというのはわかっているが、その【道化】とは一度も会っていないのだ。暇があれば原罪の塔の内部をうろつき情報収集しているというのに、一向に【道化】らしき者に会えないということは、彼あるいは彼女は初めからこの塔には来ていないのかもしれない。

 アンブロシアが【悲哀の魔女】として他の魔女達と共に原罪の塔で過ごすにつれて、わかったことはいくつかある。魔女同士の力関係、個人の実力、領地の特徴。けれどまだ足りない。人々に真の安寧をもたらして世界を平和に導く方法を見つけるには、知識も力も及ばない。悔しいが、それは歴然たる事実だ。魔女になってたかが五年程度のアンブロシアでは、数百年を生きる他の魔女達と渡り合うこともままならない。

 だからこそ、別の角度からも切り込まなければいけないのだ。アンブロシアだけでは届かない高みに到達するために。足りないところを補えるもの――――時にそれは内通者、あるいは協力者と呼べる存在となるだろう。


「ねぇ、アンブロシア様。どうかなさいまして?」

「……っ! な、なんでしょう?」


 メイシェウの固く閉ざされた瞳がまぶたの向こうでこちらを穿つ。向こうはこちらのことなど見えていないはずなのに、まるですべてを見透かされるような感覚に寒気を覚えた。


「そろそろ二度目の茶会がはじまる時間ですから、円卓に移動しようということになりましたの。ごらんなさい、わたくし達以外はみな行ってしまいましたわよ。ここの殿方は、みなせっかちですわね」


 確かに、サロンにはもう自分の他にメイシェウと【将軍】しかいなかった。思考の海に沈んでいる間に置いていかれたらしい。メイシェウに声をかけられなかったら、しばらくそれにすら気づかなかっただろう。

 アンブロシアが動き出したのを見て、メイシェウもさっさと立ち上がった。丈の長い、ぴたりとした細いドレスの裾に入った大きな切り込みから白い足が覗く。


「レンシェイ、給仕をありがとう。円卓にはラヴィン様がいるでしょうから、彼が続きをしてくれるでしょう。おまえは先に国に戻っていなさい」

「はっ。メイシェウ様も、お早いお帰りを」


 同性のアンブロシアから見ても、メイシェウは美しくたおやかな女性だ。とても【冒涜の魔女】という名を冠するとは思えないほど、そのたたずまいはおっとりとして儚げだった。けれど時たまにじみ出る毒が、彼女も確かに恐ろしい魔女のひとりだと証明している。どれだけ優美な女性でも、その本性は外見とは真逆のものだ。


「いやですわ。そんな怖い顔をなさらないで。せっかくの可愛いお顔が台無しですわよ」


 【将軍】は恭しく一礼してサロンを出ていく。アンブロシアの視線に気づいたのか、メイシェウは振り返ってくすりと笑った。


「あなたと二人きりになるのは、これが初めてでしたかしら。集いの時期とはいえ、わたくしはあまり塔には足を運びませんもの。頻繁に色々なところを見て回っているあなたとは正反対。ここはあなたにとっては見慣れぬものばかりですから、さぞ面白いのでしょう?」

「……」

「ここにはわたくしを愉しませてくださるものはないのです。何百年経っても変わり映えのしないこの塔に、すっかり慣れてしまいましたもの。他の魔女の方々とのお喋りは多少渇きを満たせるけれど、毎回同じような顔ぶれですから目新しいとは言い難くて。……けれど今年はあなたがいらっしゃるから、もっとここに訪れるべきだったかもしれませんわね。あなたとお友達になるのに、今からでは遅いでしょうか?」

「遅いも早いもありません。僕には、貴方達と馴れ合う気なんてないですから」

「あらあら。そんなことをおっしゃらないで。……なら、あなたが他の魔女の方々を嗅ぎまわっているのはどうしてなのでしょう?」

「それは……」

「ふふ、勘違いなさらないでくださいな。わたくしは、責めているのではないのです。あなたがどんな意図をもって魔女として在るのか、他の魔女とかかわるのか、わたくしにとって大事なのはそこではありませんから。わたくしから言えるのはたった一つ――わたくしを、愉しませてくださいまし」


 アンブロシアが何をなしたいのか、そのためにどうあがくか、その果てにどうなるのか。それらすべてを余すことなく見ていたい。そう言った【冒涜の魔女】は、とても優雅に微笑んだ。


「……性格の悪い女」

「人聞きが悪いですわね。わたくしは、自分の心に忠実なだけですのに」


 いけしゃあしゃあと言ってのけ、メイシェウはサロンを出ていく。アンブロシアも重い足を引きずって円卓の間に向かった。


「……ああ、いけない。わたくしからあなたに言えること、もう一つありましたわ」

「はい?」


 円卓の間の扉に手をかけたメイシェウの動きがはたと止まる。振り返ったメイシェウは、何の感情もないような顔をしていた。


「あなた、魔女と人が手を取り合える平和な世界を作ると啖呵を切ったのでしょう? あれ、絶対に無理ですわよ。だって神と人がいる限り、魔女が人に迎合することはありえませんもの。人間は家畜と同等か、殺戮の対象。それが、これまで七魔女に為った……いいえ、七魔女に成った(・・・)すべての者の見解ですわ」

「……いいえ、違います。そんなことはありません。魔女の中でも、話の通じる人がいることを僕は知っていますから」

「ラフェミア様のことかしら。けれど、ラフェミア様のような方のほうが少数派なのですよ? ……ラフェミア様に比べれば、あなたのほうがよっぽど異端ですけれど。あの方はあの方で、“救うべき者”と“救わなくていい者”を線引きしていらっしゃいますもの」

「【罪科】です。【罪科】は言いました。平和な世界を作るために魔女になったのだ、と。彼は僕と同じ、」


 紡いだ声は、笑い声に掻き消された。


「ギルト様? ギルト様がご自分のお仲間だと? あなたは何もわかっていらっしゃらないのですね。やみくもに嗅ぎまわっているだけで、何一つ気づいていない。何度だって言いましょう。あなたの望む世界が来ることは決してありません。あなたが真に望むべきはこちらです――“神が失墜し、自分を含めたすべての魔女が死に絶え、人間のみが完全に世界を掌握する”! ふふっ、そうしたら世界は人の手によって滅ぶでしょうね。人々はいがみ合い、自ら破滅の道へと進むのです。ああ、なんて愉しそう……!」

「なっ……」

「わたくしが魔女になるより前には、あなたのように義憤に燃える魔女もいたそうですの。他の魔女を憎み、人を愛する者達が。【後悔】、【破滅】……彼らはすぐに魔女の座を降りました。彼らは魔女に為ったものの、魔女に成れなかったのでしょう」


 魔女になる。為ると成る。その違いがわからない。メイシェウは何を言っている?


「わたくしが魔女と呼ばれてから四百年の間、そんな魔女は現れませんでした。……一番近かったのはカティーシス様かしら? けれど初めて会ったときのあの方は、人も魔女も平等に憎んでいましたから……やはり、あなたが初めてですわね。わたくしが直接目にした、いまだ魔女に成っていない魔女は」

「何を……魔女は、魔女でしょう?」

「ええ、そうです。人からなった、人ならざる存在。それが魔女ですわ。では、何故魔女は生まれるのでしょう。何故魔女は、人だったころの一切を捨てたのでしょうね? ……あなたにも覚えがあるはずですわよ。口では何といったって、あなたはヴィヴリオ様の意志に選ばれたのですから」


 さぁっと血の気が引いていった。魔女を厭うアンブロシアが、魔女になってしまった理由。十年近く暮らしていた孤児院は、一夜にして惨劇の舞台になった。アンブロシアからすべてを奪った、血に染まった殺戮者。あの美しくもおぞましい、人智を超えた何か。当時の様子を思い浮かべるだけで身体がこわばり、何も話せなくなる。

 あのときアンブロシアは、頭に響いた謎の声に応えた。あなたは“魔女”になる資格がある、と。そのおかげで得た力により、殺戮者は退けられた。けれどすべてが遅かった。優しかったシスターも、親友の少女も、兄のような存在だった初恋の少年も、弟のように見ていた生意気な少年も、妹のように可愛がっていた少女も、姉のように面倒を見てくれていた少女も、みんなみんな死んでしまった。生き残ったのはアンブロシアと、ほんの何人かで。数少ない生き残り達は、殺戮者に勝ったアンブロシアに怯えた目を向けていた。

 あのときの殺戮者は、どうせどこぞの魔女が戯れに放ったものに違いない。だって魔女は残虐で、非道で、人を人とも思っていない。片田舎の小さな孤児院を潰すことなんて、魔女にとっては退屈しのぎにすぎないのだろう。

 だからアンブロシアは魔女が嫌いだ。あのときの友達の目は忘れられないけれど、そんな目を彼らにさせる原因はすべて魔女にある。たとえ手のひらを返されたとしても、そんなものと同等に堕ちたのは自分だ。生きるため、守るための選択ではあったが、だからこそ彼らのことは恨めない。


「“魔女”は……悲劇とともに生まれる……?」


 自分が“魔女”になったとわかってからは孤児院を逃げるように去った。魔女と同じ立場になったことで、アンブロシアは人と魔女のありかたを変えることを己の使命とした。奪われた命に涙を流し、もはや人から石を投げられるようになった己の身を嘆き、家族同然だった友と家を失って悲しみ、魔女に踏み躙られている人々を哀れみ、魔女に支配される世界を憂い、アンブロシアは【悲哀】の名を掲げたのだ。

 アンブロシアを襲ったのは、人ならざるものだった――――では、もしもあのとき孤児院で殺戮を繰り広げたのが盗賊の類いだったとしたらどうだろう。


「ええ、それも魔女が生まれる理由の一つですわ。そういう魔女は、そのまま魔女に成りますの。……ですからあなたは、とても珍しいんですのよ。あなたは確かにそちらから(・・・・・)魔女に為ったはずなのに、いまだ魔女に成りきれていないんですもの」


 メイシェウは嗤う。まるで自分はそうではないと言うような口ぶりだ。他の魔女すら俯瞰して眺めているようなメイシェウの立ち位置がわからず、ひたすら不気味で恐ろしかった。


「ねぇ、アンブロシア様。あなたが人を捨ててまで欲したはずのものはなんでした? あなたの身を食らい尽くした憎悪は、憤怒は、絶望は、綺麗事で上書きできるものですか? もしそうなのでしたら、あなたは魔女に向いていませんわ。あなたが魔女に選ばれたというのは、きっとヴィヴリオ様の見込み違いだったのでしょうね」

「僕、は……」

「遅かれ早かれ、あなたは自ら(レヴ)を壊すことになるでしょう。……他の魔女の方々は、それはそれは面白いのです。ある者は失ったものに固執して、ある者は自分の世界に閉じこもり、ある者は自ら破滅を待っていらっしゃる。……あなたは死ぬまで、彼らのようにわたくしを愉しませてくださるのかしら?」

「……」


 【冒涜の魔女】メイシェウ。いずれの魔女とも一線を画した女は、何も答えられないアンブロシアから興味を失ったように視線を外して円卓の間の扉を開けた。


* * *

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