13 勅命
魔女が封印されると同時に、この森を覆っていた幻覚は消えたらしい。森に囚われていた人々をラズトラウトと正気を取り戻した騎士達が助けに行っている間、祐理は物陰でエペーを締め上げていた。
「――で、ヴィーってのは誰だ? 俺にページを教えてくれたのは、お前じゃなくてそいつだったのか?」
「……七魔女の前身、原点にして頂点の魔女。それがヴィー……ヴィヴリオじゃ。あやつは神にも等しい力を持っとった。しかし儂がロゴスに敗れて封印されていた間、あやつもロゴスに反旗を翻し……そして、“狩人”レクトルに斃されたという。儂が目覚めたときに待っていたのは、レクトルが遺した『審問大全』と……当時の様子を語る詩守りの巫女だけじゃった」
ヴィヴリオ。その名は確かラズトラウトから聞いたことがある。祐理のご先祖、この世界における英雄だという“狩人”が斃した【原初の魔女】だ。その身体は分割されてそれぞれ七枚の紙片に封印されていて、しかしその紙切れから七魔女が生まれてしまったんだったか。
「儂には、ヴィーの声は一度しか聴こえんかったが……おぬしには聞こえていたのか?」
「あ、ああ。でも、ちょっとヘンなんだ。確かに聴こえたはずなのに、もうどんな声だったのか思い出せねぇ」
「ふむ……。七魔女には、ヴィーの力の残滓があるはずじゃ。もしや、【幸福の魔女】に共鳴して一時的に姿を現せたのかもしれんのう。それにここには、レクトルが遺した『審問大全』と、レクトルの子孫たるおぬしがいる。レクトルとヴィヴリオは深い縁で結ばれとった。この三つが合わさって、ヴィーの残影が儂らに力を貸してくれたのかもしれん」
「なんだ? じゃあ、魔女は魔女でもヴィヴリオってのはいいやつなのか?」
「……儂の記憶では、悪い奴ではなかったぞ。レクトルがヴィヴリオを斃すことになったというのも、何か理由があったに違いない。そもそも、七魔女が絶望の権化として君臨していることのほうがおかしいのじゃ。ロゴスに利用されているとはいえ、そのありようは本来の魔女の姿では……」
言葉を濁し、エペーは話題を変えるように祐理の手の内にある白紙の……いや、白紙だった本に視線をやった。もうこれは何も書かれていないまっさらな本ではない。この中には、【幸福の魔女】ラフェミアと【側仕】エシェールの記述がある。
「その本をそういった風に使うとは、さすがは巫女の子……やはりおぬしこそが“狩人”じゃな。その本の著者はおぬしじゃ、祐理。おぬしだけがその書の続きを書き記せる。すなわち、歪んだ魔女達を封印し……そして、時には使役できるのはおぬししかおらん」
「使役?」
「『審問大全』と同じじゃよ。おぬしは著者ではないため『審問大全』に新たな項目を付け加えることはできんが、その血ゆえに『審問大全』から様々な道具を召喚できる。そしてその本も、書かれているものを具現化できるのじゃ。なにせそれは詩守りの書じゃからな」
「じゃあ、喚べば本の中からラフェミアとかエシェールとかが来るのかよ? あいつら、そんな素直に味方になってくれんのか……? そもそも、魔女を従えてるってまずくねぇ? イメージ的にどうなんだよ、それ」
今すぐラフェミアとエシェールを喚ぶ勇気もないし、さすがにラフェミアのテリトリーだったこの森の中で喚ぶ気にもなれない。少なくとも人目のあるところは避けたほうがいいだろう。
「ふぅむ。おぬしはもはやあやつらのあるじとなった、言いなりにさせられんことはないじゃろう。しかしそうじゃな、使いどころは見極めなければならん。むやみに人に見られれば、多少は厄介なことにもなろう。しかし、ものは使いようじゃ。こと“神”との戦いにおいてはな」
エペーは神妙そうに続ける。もうその本の名前は決めたのか、と。
「名前……あっ、確かにそうだな。いつまでも白い本とか、俺の本とか言うわけにもいかねぇか」
「うむ。いまだ綴りかけとはいえ、書には相応の名をつけねばな」
「つっても、魔女と悪魔を封印していくだけだしな。『封印の書』……いや、もっと名詞っぽいほうがいいか。じゃ、『審問大全』に合わせて『魔女名鑑』で。名鑑のほうが図鑑より語呂がいいだろ」
「雑じゃのう」
エペーは呆れているが、そこまで深く考える気はない。むしろちょっとひねっただけ偉いぐらいだ。元白紙の本、『魔女名鑑』を抱えて立ち上がる。
正直、【幸福の魔女】ラフェミアはかなり弱かった。もっと苦戦するかと思いきや、あっさり封じ込められたのだ。第二形態の印象が強いせいだろうか、彼女に仕えるエシェールのほうが強かったとすら思える。しかしよくよく考えれば、ラフェミアは「本気を出す」と言ったきり何もしてこなかった。ヴィヴリオの助言と祐理の行動が、ラフェミアを完封したからだ。
ということは、ラフェミアはその言葉を現実のものにする前に敗れたのだろう。つまり、魔女を斃すには短期決戦が最も効果的だ。さっくり拘束して、造られた刻印を求めてで心を探し当てる。本気を出されて泥仕合になる前に、なるべく素早く。魔女に勝つ希望が見えてきた。
残る魔女はあと六人だ――――神を守る虚飾の鎧がはがされる日は、きっとそう遠くない。
* * *
凱旋は静かなものだった。無事に勝利を収め、人質の大半を解放できたとはいえ、騎士達の表情は暗く沈んでいる。祐理と合流する以前に払った犠牲が大きすぎて、かつ衰弱しきっていて何人か助からなかった人質がいたからだろう。
とはいえ、騎士達の最大の目的だった皇子の救出は無事に果たせたし、なんとか生きながらえた者達は幻覚の魔術から切り離していればそう遠くないうちに社会復帰できるという。完璧とは言えないが、まずまずの結果だ。
「その本に宿った魔女と悪魔は、もう二度と殺せないのか」
「多分。でもさ、こうしてここに封印しとけば、また新しい魔女が生まれることはないだろ? ピトダーの魔女だったラフェミアは本の中にいるんだ、もうピトダーに魔女は現れねぇよ」
「それはそうだが……」
ラズトラウトは忌々しげに祐理の『魔女名鑑』を見やる。いくら最初から殺す気はないと言ったところで、やはりそう簡単に気持ちは切り替えられないようだ。
しかしそれは当然のことだろう。祐理だって、凶悪な力を持つラフェミア達を支配下に置けたとはいえその実感はないし、彼女達が正しく従ってくれるかもわからない。まやかしの幸せを押しつけて、阿片窟じみた“楽園”を築き上げた女王とその従者だ。たとえ二人が従順になってくれたとしても、そう簡単に気を許すことはできなかった。
なんとなく重い気分のまま帝都リラへ向かう旅は続く。リラに足を踏み入れると同時に騎士達は表情を緩ませたが、祐理にとっては縁もゆかりもない街だ。「でかいなぁ」「人が多くてにぎやかだなぁ」以上の感想は特になかった。
「ユーリ、君も城に来てくれないか? 君がいなければ、魔女の討伐はなしえなかったんだ。最大の功労者として、ぜひ陛下にお会いしてほしい」
「ええ? 俺はいいよ。そういうの、ガラじゃねぇし。作法も知らねぇし、王様に会う格好もできねぇし、出自だってわかんないんだぜ? 自分で言うのもなんだけどさ、こんな怪しい奴を城にいれたらラズさん達が怒られるだろ」
「何を言うんだ。僕達がこうして無事に帰れたのは、君がいたからこそだろう? 君にはふさわしいねぎらいがあってしかるべきだ。伝令だって飛ばしてあるが、突き返されはしなかった。……さすがに、殿下を連れた僕達をいきなり叩き出したりはしないらしい」
何も言えなくなる。兜の下で、ラズトラウトはどんな顔をしているのだろう。結局祐理は口をつぐんだまま、彼の後ろをついて城に向かった。
石造りの武骨な城だ。門番に止められて、うつろな目をした幼い皇子だけ中に通される。やっぱり皇帝はラズさん達を見捨てたんじゃ……と祐理が案じたのもつかの間、登城の許可が出たらしい。城から出てきた物々しい雰囲気の騎士達に囲まれるようにして、祐理達は無言のままどこかに連れていかれた。
いわゆるここは謁見の間というやつだろう。一直線に伸びたふかふかのじゅうたんの最奥には玉座がある。壁際にずらりと並んだ騎士の迫力にしり込みしながらも、ラズトラウトに続くようにその部屋に足を踏み入れた。
入室した時点でラズトラウト達は剣を取り上げられていたが、祐理は武器らしいものを何も持っていないので問題ない。大切そうに抱えた本こそ武器だなんて誰も思わなかったようだ。いっときはエペーに預けていた『審問大全』と『魔女名鑑』だが、城の中で何が起きるかわからないからと『審問大全』のほうだけ一応返してもらっている。使える使えないは別として、信用のおけない場所で味方と呼べる者達が全員丸腰なのは不安だったからだ。
さすがに亜獣は入れてもらえなかったので、エペーだけは扉の前で留守番だった。ここでも亜獣扱いされるのかと不服そうにしていたが、なんとかおとなしくしてくれているらしい。
ラズトラウト率いる騎士達は横一列に、そしてラズトラウトは彼らの前に立つ。祐理はどこにいればいいのかわからなかったので、とりあえず横に並んだ騎士達の一番端にいった。
周囲にならって跪いていると、「皇帝陛下のおなーりー!」と声が聞こえてきた。時代劇みたいだなぁ、なんて場違いな感想を抱く。ちらっと顔を上げると、立派な服を着たおっさんが玉座に腰掛けるところだった。しかしラズトラウト達は深く俯いていたし警備の騎士がぎろっとこちらを睨んできたので慌てて顔を下げる。どうやら皇帝陛下の顔は見てはいけなかったらしい。
校長先生の話を彷彿とさせるような長い話が始まる。最初こそ真面目に聞いていたものの、自分にもラズトラウト達の処遇にもまったく関係ないようなので、皇帝陛下のありがたいお話はすぐに聞き流すことにした。
「――さて。魔女狩りの任を負った第三騎士隊は壊滅し、皇子も心に深い傷を負った。からくも勝利を収めたとはいえ、それと引き換えに失ったものは大きい。聞けば、ここに並んだ騎士の中にも魔女の呪いに蝕まれた者がいる恐れがあるそうではないか。ラズトラウト、此度の責任はどう取る気だ?」
「はッ……。すべては私の未熟さによるものでございます。上官を死なせ、部下を危険にさらし、殿下をお守りできなかった罪、この命をもって贖いましょう」
「ラズさん!? 何言ってんだよ!?」
思わずそんな声が出た。周囲の空気が突き刺すようなものに代わるが、構わず顔を上げてすぐ前にいるラズトラウトを見る。ラズトラウトは視線に気づいたようだったが、結局振り返ってはくれなかった。
「そのほう、無礼であるぞ。異郷の旅人とは聞いているが、こちらにおわす方がいかなるお方かわかっているのか?」
皇帝陛下のすぐそばに佇む、威圧感を放つ中年の男が問う。口調こそ静かだが、殺気だったその目はまるで今にも腰の剣に手を伸ばしそうだった。立派な鎧を着ているから、きっと偉い騎士なのだろう。だが、おっさん騎士なんかに怯んでいる場合ではない。
「知ってるよ、この国の皇帝陛下だろ! でもさ、」
「申し訳ございません陛下、彼は記憶を失っていて常識に欠けているのです。ですが、彼こそ【幸福の魔女】を討伐した英雄。その功に免じて、非礼をお許しくださいませ」
ラズトラウトの鋭い声が、祐理の叫びを遮った。しかし祐理は黙らない。立ち上がり、周囲をぐるりと見回す。跪いたままの仲間の騎士達は、縋るように祐理を見ていた。
「もとはといえば使節団がふらふら“紅き森”に行って魔女に捕まって、国が教会の力を借りないで皇子様を助けに行こうとしたからだろ! そんな無謀なことさせといて、犠牲がゼロで済むわけねぇじゃねぇか! 相手は五百年以上生きてる魔女と、そいつにずっと仕えてる悪魔だぞ!?」
公には、ラフェミアとエシェールは討伐されたことになっている。実際は祐理の『魔女名鑑』の中に封印されているだけだが、自由の身にはなっていないので結果的には同じだろう。黄の領域、ピトダー地方に巣食う脅威は消えた。魔女はいなくなった。
祐理がラズトラウト達に協力することにしたのは、目的地が同じだったからだ。もしカフタス村で彼らに出会えなかったら、祐理が“紅き森”に着くのはもっと遅かった。魔女に勝ったのは祐理がいたからかもしれないが、祐理だって自分一人だけの力で勝っただなんて思っていない。祐理より先に魔女に挑んでいて、実際にこの地で暮らしているラズトラウト達の勇気を、覚悟を、ないがしろにしていいわけがない。
「ラズさん達はちゃんと役目を果たした! こいつらにまずは言うことがあるんじゃないのか!? それは責任を追及することじゃねぇし、そもそもラズさん達に責任なんてなんもねぇよ!」
「……子供の言葉だ。そう殺気立ってくれるな」
剣を抜こうとしたおっさん騎士を止め、皇帝は興味深げに身を乗り出す。おっさん騎士は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、渋々引き下がった。それを受け、壁際の騎士達も戸惑いがちに整列する。
「“狩人”を名乗る少年よ。お前の話は伝令から聞いている。“狩人”を自称し、かのレクトルの再来のように魔女を斃してみせたのだと。“狩人”を名乗るだけのことはある。……それが事実かどうかは別としても、確かに魔女は斃された。“紅き森”に囚われた者が解放されたのがその何よりの証拠だ」
しかし、だからこそ。どこの馬の骨かもわからない子供に、帝国騎士が劣ることなど許されない。そう言って、皇帝はちらりとラズトラウトを見やった。
「安心しろ、ラズトラウト。第三騎士隊は確かに役目を果たした。殉死した者達も報われるであろう。……魔女を打ち倒した功を讃え、教会から特別に黄の聖者がやってくるそうだ。もしも魔女の呪いを受けた者がいても、我らが尊きクピディタースの祈りによって救われる。……しかし、だからといってお前を赦せば他に示しがつかん。代理とはいえ、お前が隊を預かる身ゆえな。帝国の威信にかけて行う魔女の討伐を、何故お前達だけでできなかった? ここまでの犠牲を出したのは誰のせいだ?」
「……ユーリに助力を願ったのは私の判断でした。また、隊を正しく指揮できなかったのは私の力不足でありましょう。申し訳ございませんでした」
わからずやのラズトラウトの謝罪に、わからずやの皇帝が立ち上がる。何をする気だ。すかさず祐理は『審問大全』に手をかけた。ここで暴れればどうなるか、わからないわけではない。それでも黙っていられるわけがなかった。
「ユーリといったな。【幸福の魔女】を狩った今、お前はこれからどうするつもりだ? 他の領域に巣食う魔女すら狩るか?」
「……そのつもりだけど?」
「そうか、そうか。……ならばラズトラウト、お前は今このときをもって第三騎士隊から除籍とする。その代り、お前に名誉を挽回する機会をやろう。この“狩人”と共に各地を巡り、魔女を屠るのだ」
「えっ?」
「は……?」
さすがに皇帝の言葉が予想外すぎたのか、ラズトラウトは顔を上げた。他の騎士達もざわめいている。皇帝だけは一人満足そうにしていた。
「第三騎士隊の失態の咎は、隊を預かる男に与えた。よって、これ以上の失態は不問とする。第三騎士隊は事実上の解体となるため、再編の日を待つがいい。……いいか、ラズトラウト。ラウラスの騎士たる者の真の力を、“狩人”に……否、世界に示すのだ。すべての魔女を狩ったとき、お前が塗った泥は雪がれるであろう」
「お待ちください陛下、それでは、」
「余の裁定に不満があるのか?」
皇帝に睨まれれば、おっさん騎士も引き下がるしかないらしい。忌々しげな目つきは変わらないまま、祐理とラズトラウトに一瞥をくれたものの、それ以上は何も言ってこなかった。
祐理が“狩人”だなんて証明できないし、したところで信じてもらえるかどうか。祐理が残る六人の魔女を狩れるかなんて皇帝はわからないだろうが、たった二人で世界を支配する魔女に挑むのがいかに無謀かはわかるはずだ。
ようするに皇帝は、ラズトラウトに死ねと言っているのだろう。虚言癖のある得体の知れない少年を引き立てたのだから、死ぬまでそのお守りをしていればいい、と。それはただの国外追放で、事実上の処刑と変わらない。
しかし皇帝の言葉はこうも取れる――――国というしがらみを捨て、好きなところに逃げればいい。おっさん騎士が不満そうなのは、皇帝の意図がこちらにあると思ったからに違いない。不敬な旅人と失態を犯した騎士を、そのまま野に放つなどとんでもない、と。
皇帝の真意がどこにあるかなんて祐理の知り及ぶところではない。それでもラズトラウトをはじめとした第三騎士隊の面々はいわれない罰を受けるのを免れたのだ。その事実に、祐理はほっと胸をなでおろした。




