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11 永遠に醒めない幸せの夢

 祐理達は先へと進む。誰も一言も喋らなかった。兜で覆われているせいで騎士達の顔色は読めなかったが、きっとみなすさみきった顔をしているのだろう。


「……」


 ふと、先頭を歩くラズトラウトが足を止める。何かに気づいたようだ。それは後続の騎士達も同じようで、怯えたように周囲をうかがう。わからないのは祐理とエペーだけのようだった。


「ラズさん? どうかしたか?」

「どうやら、ついに魔女の領地……森の最奥に足を踏み入れたらしい。この先に【幸福の魔女】ラフェミアがいる」


 ラズトラウトは剣を抜く。騎士達もすでに臨戦態勢に入っていた。いざとなれば踊れぬ姫の夜会靴(ブロドカン)で動きを止めつつ爆ぜ響くは断末魔(ブレイズンブル)で燃やせばいいだろうが、一人だけ手持無沙汰だと急に不安になってくる。慌てて祐理も『審問大全』をばらばらとめくった。

 どれもこれも単純な武器としては使い勝手が悪そうだ。唯一見知った刃物(ぶき)らしさがあるのは安寧告げる断罪の歌(ルイゼット)時刻み揺れる刃針(ペンデュラム)、そしてすべての罪を断つ者(リヒトシュヴェーアト)という名の大剣ぐらいだった。しかしすべての罪を断つ者(リヒトシュヴェーアト)は何故か他のものと違って図解が灰色で、そのせいか呼びかけても反応しない。調子が悪いのだろうか。そんなものがあるのかは知らないが。

 時刻み揺れる刃針(ペンデュラム)は自律式のようなので、手で持っている必要はない。護身用としては別のものがよさそうだ。……車輪だの棺桶だのでどうやって戦えばいいのだろう。いや、棺桶は盾になるし、ぎりぎり鈍器にもなるか。振り回せる膂力があれば、だが。


(でも、動く敵の首を台で固定して刎ねるってのも間抜けな絵面だよな……)


 踊れぬ姫の夜会靴(ブロドカン)のときのように、そう命じればそうなるのだろうか。だが、ゲームで言う即死攻撃は確率仕様がお約束だ。ならなかったら非常に気まずい。せめて断頭台そのものではなく、この刃の部分だけ具現化してくれればいいのだが。そう願いながら、一応その名を呟いてみる――――『審問大全』は、祐理のふわっとした要望にも正しく応えてくれた。

 鎖のついた斜めの刃は大きく、盾のようにも使えそうだ。意外と重さはなく、鎖を使って振り回すこともできそうだった。想像の力で具現化されたものだからだろうか。鎖を手繰れば近接戦用、鎖を伸ばせば中距離戦用になる。刃物として使えるかは怪しいが。


「ユーリ、あまりこの花の甘い匂いを吸い込むなよ。頭が痺れてくるからな」

「花?」

「ああ。魔女の育てている花さ。この先は魔女の国……同じ地上とは思えない、美しい場所だ。あまりに穏やかな地で、平和そのものにすら見える。だが、僕達の敵はそこにいるんだ。油断はしないでくれ」


 ラズトラウトはベールのように垂れたツタを払いのけ、そんな忠告をしてくる。花の匂いなどしないが、どこかに咲いているのだろうか。

 祐理は周囲をうかがおうとしたが、ツタで隠れていた向こうの空間があらわになったことで思わず視線がそちらに向かう。ツタの向こう側には紫のもやがかかっているようだったが、もやはすぐに晴れた。


「……ッ!」


 ツタの向こう側は、こちら側とはまったく違っていた。先ほどまでは感じなかった異臭が鼻をつく。腐ったような臭いのするその場所はだだっ広く、ここからでは見えない部分も多そうだ。

 真っ先に目に入ったのは地べたに座り込んで痩せこけた子供達で、彼らはみな心ここにあらずといった様子で空を仰いでいた。少し離れたところには一心不乱に木の根のようなものをかじる死んだ目の老婆がいる。にたにたと笑いながら糞尿を垂れ流す男の足元には、ぼろをまとった骸骨が寝そべっていた。明らかに人のものではないような大きさの骨も散らばっているが、獣の死骸だろうか。

 異臭の原因は、不潔な人々と腐りかけて蠅のたかった何かの死骸のようだった。うぷ、と口元を押さえる。刺激の強すぎるその光景に耐性などあるはずもなかった。しかしそんな反応をしたのは祐理だけで、騎士達は気にも留めていない。……いや、気にしているようなのだが、何故か着眼点が祐理とは違うのだ。


「ああ……これが、魔女の国か……なんて、なんて美しい……」

「くそっ……! おい、しっかりしろ! 我々は、彼らを連れ戻すために来たんだろう!」


 ふらふらとおぼつかない足取りで前に進み出た一人の騎士の腕を、別の騎士が引き戻そうとする。けれど止めに入ったはずの騎士も、バイザーを上げて周囲を落ち着かなさげにちらちらと見ていた。その様子は、凄惨な光景を忌避しているとか、嫌なものだとわかっていても見てしまうとかではなく、純粋に心惹かれているとでも言ったほうが正しいように見えて。それは彼らだけではなかった。他の騎士達はもちろん、ラズトラウトですらも剣を取り落としそうになっている。

 初めに列を乱した騎士は、仲間の手を振りほどいて駆け出した。そのまま彼は兜を脱ぎ捨て、手近な木にぶら下がるミノムシのようなものを乱暴にもぎ取る。そして彼は――――それに、至福の表情でかぶりついた。


「なッ……!?」


 彼はそれだけでは満足できなかったようで、木の幹から何かをつまみ上げた。地面に這いつくばり、何かを拾い上げた。それらすべてが彼の口に運ばれていく。口の端からわずかに溢れたのは、垂れたのは、アリとミミズのように見えた。

 昆虫食、という文化があるのは知っている。経済面や土地柄のせいでなかなか得られない栄養を補うため、虫を食べる国や歴史があったのだと。けれどそれは祐理には馴染みのないものだ。たとえアルカディアでは日常的に虫が食用扱いされているのだとしても、目の前でそんなことをされて平然としていられるほど祐理は人間ができていなかった。

 彼の異様な行動を皮切りに、一人、また一人と騎士が吸い寄せられるようにツタの向こう側に入っていく。ラズトラウトの静止は間に合わなかった。


「気を強く持て! 僕達の使命を思い出すんだ! 僕らが楽園に耽溺してどうする!?」

「な、なあ、ラズさん!」


 仲間を律する声を張り上げるラズトラウトに、思わず声をかける。ラズトラウトは苦しげに振り返った。


「あんたら、さっきから何言ってんだ!?」

「……ユーリ? 何、とは?」


 逆立ちしたって祐理にはこの場所が「美しく」「平和」で「穏やか」なようには見えない。アルカディアとエデンでは価値観が正反対なのか。エペーはそんなことは言わなかったし、黒江(はは)もそんな風には見えなかったのに。


「こんな気味悪いとこのどこが美しい場所なんだよ?」

「何を……君は、一度も夢想したことがないのか? 天の国、神に選ばれし善人のみが招かれる理想の園を……ここは、まさしくそんな場所じゃないか」


 ラズトラウトが嘘をついているようには見えなかった――――彼は、本心からそう思っているのだ。


「エペー……これ……」

「……案ずるな。おそらく、儂の目にもおぬしと同じものが映っとる。……儂の感性など時代遅れもいいところじゃが……さすがにこれを美しいと評するような感性の持ち主は、何百年経ってもおらんじゃろう」


 言語と真実を司る元神は、祐理の言わんとするところを正確に汲み取った。そのうえでラズトラウト達を否定した。ということは、正常なのはエペーと祐理だけなのだろう。だが、祐理達とラズトラウト達は一体何が違うのか。すでに一度この場に足を踏み入れているから、生粋の人間……アルカディア人だから、エペーの加護を持たないから。どれも正しく、どれも間違っているように思えた。


(そうだ……確かラズさんは、花の匂いって……)


 ツタを払った直後、ラズトラウトはそう警告していた。だが、そんなものは感じなかった。湿った土の匂いぐらいならしたが、わざわざ口に出されるほど強い花の匂いなんて嗅いでいない。もしかすると、そこが分岐点だったのだろうか。


「裕理、ラズを力一杯殴るのじゃ!」

「おう! ごめんなラズさん、しっかりしてくれ!」

「わっ!?」


 エペーも何かに気づいたのか、わけのわからない指示を飛ばしてくる。しかし気絶した者を張り手で起こすようなものだと考えれば、その真意を問うより前に身体が動いた。

 いつラズトラウトまで他の騎士のように奇行に走らないとも限らない。そうなる前に、せめてラズトラウトだけでも正気に戻さなければ。彼はまだ自分を律している、今なら間に合うはずだ。

 力任せにラズトラウトの胸当てを安寧謳う断罪の歌(ルイゼット)の峰で殴り、後方へと押しのける。ラズトラウトはバランスを崩して倒れ込んだ。それと同時にツタを支える者がいなくなる。


「うむ。これでラズを騙した嘘は打ち消されたはずじゃ」

「あ……れ……? ユーリ……」

「ラズさん、今花の匂いとかするか!?」


 ラズトラウトは痛そうに兜を押さえている。どこかぼんやりしているようだったが、祐理の問いには力なく首を横に振った。


「悪いけど、ちょっと息止めててくんねぇ?」

「……?」


 おとなしく祐理の言うとおりにしてくれたかはわからないが、多分大丈夫だろう。祐理はさっとツタを払いのける。


「なあ、これが本当にあんたの言う理想郷なのかよ?」

「な……なんだ、ここは……!?」


 貧民街よりひどいじゃないか。なら、今まで僕が見ていたものは。兜の向こうでそんな小さな呟きが漏れた。

 やはり、騎士達はみな幻覚を見ていたようだ。祐理達はどうやら、すでに魔女ラフェミアの術中にはまってしまっていたらしい。


「ひどすぎる……こんな地獄があっていいのか……?」


 正気を取り戻したラズトラウトは、甲冑を通してでもわかるほどの恐怖と絶望に打ち震えていた。一歩間違えていれば、彼も他の騎士の仲間入りをしていただろう。そんな彼を見下ろし、エペーが小さな声で囁く。


「……祐理、おぬしには嘘を見破り打ち消す力がある。この偽りの楽園を儂らの力ですぐに消せるとは言わんが、魔女を殺せばこの場を縛る幻も消えるはずじゃ。本当に殺すわけにはいかんが……(レヴ)を盾にすれば言うことぐらいは聞かせられるじゃろう。そうであれば、このまやかしに囚われた者もみな解放できるやもしれん」

「できるならそれに越したことはねぇけどさ……あいつら、本当に戻るのか? だいぶイッちまってるみたいだけど……」


 おそるおそるツタの向こう側をうかがう。誰も彼も幻覚にどっぷりつかっているのか、まともそうな人間は一人もいなかった。騎士達ならまだ元に戻る希望があるだろうが、それ以外の人々についてはきちんと社会に適応できる形で助けられる確証がない。


「魔女の力を長く浴びれば浴びるほど、幻に心を深く蝕まれるじゃろう。儂とて断言はできん。じゃが、試してみないことにはなんとも言えんわい。いい意味でも悪い意味でもな。……少なくとも、ラズはもう幻覚に惑わされんはずじゃ。おぬしのおかげで真実の姿を視ることができたからのう」


 ラズトラウトは戦力に数えていいらしい。ラズトラウトはすでに立ち上がっていた。彼のほうでも戦う意思はあるようだ。


「……エペー、ユーリ。魔女を殺せば、ここにいる全員を救えるんだな?」

「やってみなきゃわかんねぇけどな。あっ、でも、殺すのはなるべくナシな感じで頼む。どうせ新しい魔女が生まれるってわかってるんだから、(レヴ)を奪って飼い殺しにしたほうがいいだろ?」


 なるべく不自然にならないように、ラズトラウトが納得するような言いわけを並べた。

 祐理としては(レヴ)を壊そうが奪うだけだろうがどちらでもよかったし、ラズトラウトにしてみれば忌まわしい魔女など殺す以外の選択肢がないだろう。しかしエペーの意見は無視できないし、どうせ殺しても魔女が誕生するならここで【幸福の魔女】を討伐する意味はないようにだって思える。

 

「それはそうだが……。【幸福の魔女】を御しきれないと思ったなら、そのときは僕なりのやり方でいかせてもらうぞ」


 不穏さを残してはいたが、一応ラズトラウトも納得してくれたようだ。さて、と祐理はツタの向こうに視線を移す。このどこかに魔女がいるはずだ――――けれど、しらみつぶしに探す必要はなかった。


「鳥が歌い、かぐわしい花が咲き、熟した果実の重さで枝がしなる。黄金の水が流れる澄んだ川では魚が飛びはねていて、ここに住まう人々はみな笑っている。ここは楽園、わらわが魅せる永遠(とわ)に醒めない幸せの夢。……それを否定する無粋な客人がいると見た」

「……何が楽園だ。そんなもの、全部嘘じゃねぇか」


 廃人しかいなかった楽園の中で、一人だけ意識のはっきりしている少女がいた。

 その小さな少女は、奥に広がる庭園のさらに奥からやってきた。今さら名など尋ねる必要はない。だって祐理は、すでに彼女が何者かわかっていたのだから。


「嘘? いいや、この楽園は本物ぞ。ここはわらわが作りし、わらわの理想の世界。仮に嘘だとして、それの何が悪い? たとえすべてが偽りであっても、ここを求める者がおる。ならば醜い現実よりも美しい幻想ということにならんかえ? そなたらにはわからんか、みな幸せそうに暮らしておるであろう」

「真実を覆い隠すことが正しいとでも? 正気を奪わなければ信じ込ませられない程度のものに何の価値がある? 魔女、貴様の伝える幸せは出来の悪いまがい物だ!」

「これは異なことを。そなたも、そなたの部下も、そのまがい物(・・・)に惑わされていたではないか」


 彼女は偽物の理想郷のあるじだ。どういった原理かは知らないが、誰がそこに足を踏み入れたのか――――騙されていない者がいるか、察知できても不思議はない。向こうからしてみれば「家が荒らされる前に玄関で相手をしておくか」ぐらいの感覚だろうが、こちらから行く手間が省けたのでよしとしよう。


「……もう僕は騙されない。こんな歪なものが幸せだなんて認めない!」

「ふん、これ以上の会話は無駄と見える。……そなたらが救いを求めてこの国の民となるのであれば、わらわはそれを歓迎したぞ。わらわは来る者は拒まん主義ゆえな。……しかし、この国を土足で踏み荒らそうというのならば見過ごせんぞ?」


 祐理達の前に立ち塞がっているのは、白い髪を三つ編みのおさげにした、大きな眼鏡をかけた幼い少女だ。真面目でおとなしい勤勉な女の子という風に見える。好奇心の強そうな金色の瞳と目が合っても、【側仕】に遭遇したときに感じたようなぞわぞわとした本能的な恐怖は感じなかった。

 ラズトラウトの言った通り、外見年齢は七、八歳といったところだろう。とても五百年以上生きているようには見えない。古風な喋り方がやや引っかかるが、黙ってさえいればどこかの家の娘さんだろうと思って素通りしてしまいそうだ。アルカディア初心者の祐理でさえそう思うのだから、初見時のラズトラウトの驚きようは想像に難くない。


「ここまで来て、やっぱ帰りますなんて言わねぇよ。……返してもらうからな、お前が捕まえてる人達全員」

「そうか、そうか。ならば、相応にもてなそう――わらわの理想の世界を、わらわが築きし楽園を、そなたらなどに壊させてなるものか!」


 『黄の領域』ピトダー地方に巣食う【幸福の魔女】、ラフェミア。狂気に満ちた幸せを謳う魔女の願いが、祐理達に牙を剥いた。

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