10 【側仕】(2)
「きゃあああああああああああああ!?」
“対象に鉄製のブーツを履かせる。合図とともに楔がブーツを貫くため、履かせた者の足止めに使用可能”――――八本の太い脚、そのすべてを踊れぬ姫の夜会靴が覆う。不安混じりの命令だったが、本は祐理に応えたらしい。上から降ってくる壮絶な悲鳴がその証拠だ。
祐理が視認できたのは、目前に迫った前脚の一本だけだ。しかしそれで十分だった。蜘蛛の脚でもぴったり合うようサイズと形状が整えられた鉄製のブーツは、何本もの太い楔に横から貫かれている。唯一上から刺さった楔がその前脚を地面に縫い止めていた。
「以前とは明らかに形が違っとるのう。どうやら『審問大全』で喚び出したものは、おぬしの想像通り……おぬしが願ったことを叶える形や大きさになるようじゃな」
「それも知らないで渡したのかよ!?」
「儂とてそれを実戦で使っとるところを見るのは初めてなんじゃ。仕方なかろう。……そうじゃ、あの……なんといったかのう、例の燃える牛も、もっと大きくしたり小さくしたりできるのではないか?」
暴虐の嵐が止む。すべての脚を封じられた大蜘蛛は、もはやただの的に過ぎない。【側仕】はなんとか楔を引き抜こうとしているようだったが、そう簡単に抜けるものでもないだろう。だって、すべて【側仕】専用にあつらえてあるのだから。
「脚はそのまま――――で――――や胴を狙え――――」
遠くで響いてきたのはラズトラウトの声だった。どうやら彼も無事だったらしい。動けない【側仕】に再び炎の矢が浴びせられるのが見えた。あれが飛んできたほうを目指せば、生き残った騎士達と合流できそうだ。空を見上げながら走る。果たしてラズトラウトはそこにいた。
「ユーリ! 無事でよかった……」
ラズトラウトの周りにはたった三人の騎士しかいなかった。ラズトラウトを含め、彼らは決して無事とは言えないようだったが、なんとか巻き込まれずに済んだらしい。ほどなくして満身創痍の騎士が二人ばかりやってくる。悪魔の猛攻をしのげたのはこれで全員らしかった。
あとは【側仕】に捕食されたか、彼女の蹂躙に巻きこまれたか、あるいは慌てふためいて遠くまで逃げ出したかしたのだろう。この場にいない騎士達が辿ったのがどうか三番目であってほしいと、考えたのは祐理だけではないはずだ。たとえそれが自分達を見捨てる選択肢だったとしても、見知った友には生きていてほしい。ゆきずりの祐理ですら彼らの死を厭ったのだ、同じ隊に所属していた騎士達はもっと強くそう願ったに違いない。生きてさえいれば、それを怒ることだってできるのだから。
「あれは君の仕業か? 黄の印術とはまた違うようだが……あの牛の像といい、君は不思議な道具を使うんだな。ますます伝承の“狩人”のようだ」
「印術……なのか?」
ラズトラウトが嬉しそうに駆け寄ってくるが、そう言われてもわからない。黄の印術ってなんだ。エペーに視線を移すと、エペーはわずかに首(?)をかしげて考え込むそぶりを見せた。
「……いいや。これはどちらかというと加護の力に近いようじゃな。印術の上位互換、聖職者が使う御業だとでも覚えておけばいいじゃろう。厳密には違うが、原理は同じじゃ。同じことは、他の聖職者にはできんがのう!」
エペーは得意げに呵々と笑う。祈る神も持たないのに聖職者とは妙な話だ。そもそも現在のアルカディアにおいて、エペーは異端もいいところだろう。エペーが言う“他の”聖職者とは、ロゴスに仕える者達のことに他ならない。正統の聖職者に会えば、おかしいことはすぐばれる。なるべく突っ込まれたくない話題だ。「もしかしたら記憶を失う前は聖職者だったのかも?」と言葉を濁せば、ラズトラウトはそれ以上触れないでくれた。ラズトラウト、騙されやすいが空気の読めるいい奴だった。
(あー……じゃ、エペーに仕える聖職者だからできるって認識でいいのか。そういえば作者は詩守りの一族……俺のご先祖なんだっけ。……あれ? まさか、“狩人”伝説の正体って……)
ご先祖様、ただの猟奇趣味の持ち主ではなかったのかもしれない。本人の趣味嗜好はどうであれ、英雄だというなら大したものだ。真実は知りたくないが。
「えっと……とどめとか、刺したほうがいい感じだよな?」
「……そうだな。殺せはしないが、本来致命傷になるような傷を与えることができれば早々復活はしないはずだ」
「のう祐理、これなんかいいんじゃないかのう。これなら標的が遠くても当たるやも知れんぞ」
「あっ、あんた勝手に……! 時刻み揺れる刃針?」
『審問大全』をめくっていたエペーが、あるページを祐理に見せてくる。項目名を読み上げた瞬間、大蜘蛛の前に大きな刃物状の振り子が現れた。
「え、うそ、なにこ――」
重力だかなんとかの法則だかよく知らないが、振り子はひとりでに揺れ動いていた。上から降ってきた【側仕】の声は、途中で聞こえなくなった。虚空に浮ぶその大きな刃が【側仕】の胸を貫いたからだ。
縦に割かれた【側仕】は、それで完全に動きを止めた。脚をいずこかに縫い止めているのか、踊れぬ姫の夜会靴が支えになっているらしく崩れ落ちてはこない。もしあの巨体が倒れ込んできたらまたひと騒動起きただろう。
巨大な蜘蛛に巨大な刃、それはひどく現実離れした光景で。真っ赤に割れた蜘蛛から中身が零れ落ちていくさまは、グロテスクではあったがどこか作り物めいていた。
「……進もう。これ以上ここにいてもしょうがない。あの怪我なら、きっと【側仕】も当分動けないはずだ」
呆然とする祐理を、ラズトラウトが現実に引き戻す。振り子の刃はいつの間にか消えていた。赤を撒き散らす蜘蛛から誰もが目をそらして足を前に進める。元が人間だろうと、年若い娘の姿だろうと、あれは人に害為す魔女のしもべ――――悪魔だ。穢れたその血を忌避する心は持っていても、その凄惨な死を悼む胸を、騎士達は持ち合わせていなかった。
* * * * *
拾ったのは、幼い少女だった。見た目にそぐわない古風な喋り方、悠然としたたたずまい。再び目覚めたときに目に入ったのは見慣れぬ天井とふかふかの布団で、温かいスープを差し出すその少女は自らを魔女と名乗った。
魔女は死なせてくれなかった。魔女は人をいじめなかった。魔女には友達がたくさんいた。魔女は、村人達のように醜い言葉を吐いてこきつかうようなことをしなかった。魔女は無償の優しさを与えてくれた。魔女に返すものなど何もなく、それでも魔女は何も言わなかった。
紅く色づくこの森は、村人達が言うような恐ろしいところではなかった。ここには美味しい食事も、柔らかな寝床も、安らげる家もある。鳥は美しく歌い、花はかぐわしく咲き誇り、誰もが幸せに笑っていた。まさにこの世の楽園、幸せの国。すべての苦しみから解き放たれた、選ばれし者達の集う場所。それこそが魔女の森だった。
住人達はみな、魔女に救いを求めていた。魔女は、彼らに平等に救いを与えていた。醜い子供であっても、その場所に住まうことを魔女は許してくれた。魔女の友達、魔女のしもべ、魔女の国の民。そう呼ばれる者の一員になり、けれど何故だかそれでは居心地が悪かった――――だって、何もせずとも与えられる愛など知らなかったから。
だから願った。誰よりも忠実に、誰よりも長く魔女に仕えられることを。人に傅くことには慣れている。あるじたる魔女が自分をいじめないなら、むしろ喜んで仕えたかった。そのころにはもう醜い子供なんてどこにもいなくて、成長してふっくらした自分は決してみすぼらしい姿などしていなかった。たとえ魔女の側に控えていたとしても、魔女の恥にはなりはしない。いかに自分が働き者か、魔女への恩を返そうと思っているか、そういったことを誠心誠意伝えた。そうしたら、魔女はその望みを叶えてくれた。
それは魔女の気まぐれか、あるいは魔女がふりまく【幸福】のありようか。その日、自分は魔女に侍る【側仕】となった。魔女が死なない限り、永劫に仕え続ける存在。永遠の命は魔女のためだけにある。けれどそれこそ望んだことで、むしろ魔女と運命を共にできるなど願ってもないことだった。
それからは、ずっと魔女のためだけに仕えてきた。魔女はいつだって褒めてくれて、だからもっと頑張れた。魔女の国を荒らす不届き者を殺し、魔女を手間取らせる雑用をこなし、国の住人の管理をした。この日森に攻め入ってきた襲撃者の相手も、いつもと同じように簡単な食事代わりになるはずだった。
(ああ……【幸福】様。力及ばず申し訳ありません)
けれど、この敗北は終わりではない。魔女の伝える幸せを理解できない愚者達が、さらなる絶望に挑むだけ。侵略者に魔女が負けることはありえない。深く傷ついたこの身も、数時間と経たずに動けるようになるはずだ。その後で魔女のもとに向かえばいい。
心の中で繰り返した謝罪は、あくまでも魔女の手を煩わせる結果になってしまったことに対するものだ。このまましばし手負いの身に甘んじるのも仕方ない――――燃え盛る炎に包まれ、二つに割かれた異形の少女は静かに目を閉じた。
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