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1 魔女の茶会(1)

* * *


 円卓を囲む七脚の椅子は、二脚を除いて空席だった。椅子に座っているのは読書中の幼い少女と、円卓に突っ伏して静かに眠っている黒紫(こくし)の髪の少年だ。

 二人以外は誰もいない室内には、少年のかすかな寝息と幼い少女が分厚い本のページをめくる音だけが響いている。しかし唐突に、乱暴に扉を開ける音がした。


「ああ? なんだラフェミア、いたのかよ。相変わらず(はえ)ぇな。ギルトは……寝てんのか」

「何を言う。わらわがいたら悪いのか、【災厄】の」


 心地いい静寂を打ち砕く無粋な声に、本を読んでいたラフェミアは顔を上げて眼鏡の奥の瞳をわずかに細めた。扉の前に立つ青年、カティーシスは鮮やかな赤色の髪をかきむしりながら気まずげに目をそらす。


「そういうわけじゃねぇけどよぉ……」

「ふっ。案ずるでない、【震悚(しんしょう)】のとの賭けならそなたの勝ちだ。あやつはまだ来ておらん。一番乗りのわらわが断言しよう。そなたは三番目よ。二番目はむろん【罪科(ざいか)】のでな」


 ラフェミアの言葉に、カティーシスはわかりやすく顔を輝かせる。それならいいんだと言いながら、彼は自分の席へと歩み寄った。

 五十年前、彼がある青年と行った賭けの内容はラフェミアも覚えている。なんのことはない、どちらが先にここに来れるか、というものだ。その賭けがあったからこそ、遅刻常習犯のカティーシスはこれほど早く来たのだろう。もっとも、その賭けがもちかけられたのは彼の遅刻を防ぐためだった。発案者である相手の青年にとっては勝ち負けなどどうでもよく、勝つ気など最初からなかったに違いない。


「……寂しかったぞ。【側仕(そばづかえ)】のは茶の支度をすると言ってすぐに出ていってしもうたし、【罪科】のは来てすぐに寝入ってしもうたし、【剣士】のも【側仕】のの手伝いをすると言ったきり帰ってこぬし……」

「泣くなよラフェミア。ほら、これやるから元気出せって」

「泣いてなどおらぬ!」


 ラフェミアは叫ぶが、円卓の上を滑るようにして渡された大きなロリポップキャンディを受け取る事に異存はないらしい。包装を剥がし、幼い少女は至福の表情でぺろぺろとキャンディを舐め始めた。カティーシスは苦笑しながら自分の席につく。


「他の者はまだかのう。そなた、会わなかったか?」

「会うわけねぇだろ。始まるまでまだ一時間もあるんだぞ。むしろお前がもう来てることに驚いたぜ」

「む? ……そうか、わらわは早く来すぎてしもうたのか」

 

 ラフェミアは時計を見上げる。この部屋に来た時よりもだいぶ針が進んだように思えたが、確かにまだ集合時間までは少し早かった。


「楽しみにしすぎだろ。ギルトが早いのはいつものことだけどよ、お前は一体何時から待ってたんだ?」

「仕方あるまい。今年の集いは、空席だった第七の座の新たなあるじの顔を見られる年でもあるからのう。心待ちにしておったのはわらわだけではない」


 床につかない足をぶらぶらと前後に揺らしながら、ラフェミアは表情を緩ませる。彼女から見て右隣の椅子は長らく空席だった。しかし今日、ようやくその椅子に座る新たな主がやってくる。


「五十年ぶりだね、我が友人達よ。……おや? もう来ていたのかね、カティーシス。残念だ、読みが外れてしまったらしい」

「へっ、遅かったじゃねぇか。賭けはオレの勝ちだぜ? 約束通り、一番いい酒をあけてもらおうか」


 次に円卓の間に現れたのは、まばゆい金の髪を後ろでひとつに結んだ貴公子だった。彼こそカティーシスの賭けの相手だ。

 貴公子、ベルクディールはカティーシスに目を止めて優雅に微笑む。一方のカティーシスは下卑た笑みを浮かべながら、円卓の上に足を載せて背もたれに身体を預けてゆらゆらと椅子を前後に揺らしていた。


「仕方ない。約束は約束だ、秘蔵のワインを君のために振る舞おう」


 ベルクディールは肩をすくめ、眠り続ける少年とカティーシスの間に座った。少年の右隣はまだ空席で、さらにその隣がラフェミアの席だ。今も空席なのは、一番目のラフェミアから時計回りに数えて二番目と六番目、そして七番目の席だった。

 時計の針は進む。だが、本来の集合時刻になってもまだ三つの空席は埋まらなかった。茶会の始まりを告げる鐘の音を聞きながら、席についていた三人は顔を見合わせる。


「メイシェウとルスティーネは遅刻かね?」

「はっ。七番目も遅刻してやがんじゃねぇか。エシェールの奴、ちゃんと連絡したのかよ」

「聞き捨てならんな。そなたらのもとに招待状はきちんと届いたろう? 【側仕】のの仕事ぶりを疑うでない。それでもけちをつけるなら、それはわらわに対する挑戦と受け取らせてもらうぞ、【災厄】の」

「チッ。ちょっとした冗談じゃねぇか。そうムキになるなよ」

「ほら、そこまでにしたまえ。時間通り来なかったのは七番目の自己責任さ。……さて、そろそろギルトを起こすとしよう」


 全員の着席を待たずに始めるのは毎回の事だ。あらかじめ開始時刻は通達しているというのに、遅れてくるほうが悪いのだから。

 ベルクディールの手が眠り続ける少年ギルトの肩に触れようとしたその刹那、扉が開かれた。やってきたのは息を切らせた少女だ。だが、誰一人として彼女に見覚えはなかった。


「申し訳ありません、遅くなりました」

「ほう、どうやら君が新たな第七の魔女のようだね」


 真っ先に反応したのはベルクディールだった。新たな同胞を迎える彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいるが、それと同時に傲慢にも似た余裕さがにじんでいる。


「私は第四の座に座る者、べルクディール。こちらが第五の魔女カティーシス、いまだ目覚めないのが第三の魔女ギルトだ。そしてあちらの小さなレディが第一の魔女、ラフェミアという。うら若き魔女よ、君の名を訊いてもいいかね?」

「……【悲哀の魔女】、アンブロシアです。以後、お見知りおきを」


 アンブロシアと名乗った少女はぎこちなく一礼した。そして顔を上げ、困惑気味に眉根を寄せる。


「空席が二つあるようですが……僕のほかに、新しい魔女がいるのですか?」

「いいや。他の魔女は到着が遅れているだけにすぎん。気にするでない。……さあ、【悲哀】の。そなたの席はここよ」


 ラフェミアは口の端を吊り上げ、自らの隣の席を示す。自分より幼い少女がこの場にいることに何か思うところでもあったのか、アンブロシアはラフェミアを睨むようにしながらその椅子に歩み寄った。


「おいおい、ただの小娘じゃねぇか! こいつがヴィヴリオの遺志に選ばれたのか? 我らが偉大なる【原初の魔女】サマも、ずいぶん甘っちょろくなったもんだな!」


 そんな彼女に野次を飛ばしたのはカティーシスだった。アンブロシアはぎくりと足を止める。ラフェミアは眉を寄せたが、ベルクディールは苦笑するだけだ。


「アンブロシアとか言ったか? お前、まだ人の心ってやつを捨てきれてねぇよな? その目つきでわかるんだよ。ワタシは魔女になんてなりたくなかったんですぅーって思ってんだろ? なあ、どんな気分だ? いやいや魔女になるってのは!」

「……僕からも、皆さんにお尋ねしたいことがあります」


 アンブロシアはカティーシスの挑発には答えない。部屋を見まわす彼女の萌黄の瞳には敵意がこもっていた。


「貴方達は一体、どんな気分で人を苦しめているんですか? ……何故、貴方達は人と共存しようとしないんですか?」

「何言ってんだ、お前。虫けらと仲良くおててを繋げってか?」


 これだから新参は嫌だと、カティーシスは口元を歪ませる。アンブロシアはぎゅっと拳を強く握った。


「……やれやれ。【悲哀】の、それは何の意味も持たない問いよ。【災厄】のも、そういった発言は慎むがよい」

「ラフェミアの言うとおりだ。無用な言い合いはやめたまえ。今さらそんなことを論じてなんになる」


 ラフェミアは呆れたようにため息をついて本を閉じる。それに追従したべルクディールは泰然とした態度で円卓に肘をついて手を組み、アンブロシアを諭すように話しかけた。


「アンブロシア。君はもう人間ではない。魔女なのだ。君は、すでに我々の同胞なのだよ。その自覚を、」

「僕は確かに魔女になりましたが、決して貴方達のようにはなりません! 同胞だなどと呼ばないでください!」


 アンブロシアは叫ぶ。その声に反応し、ようやくギルトが目を覚ました。顔を上げると、その中性的な凛とした顔立ちと、その美貌を崩すように眉から頬にかけて顔の右半分を占拠するように刻まれた暗紫色の刺青が露になる。

 ギルトは小さくあくびをし、眠たげに目をこする。だが、誰も彼が起きた事に意識を払っていなかった。


「今日、僕は宣戦布告をするためにここに来たんです。……僕は貴方達とは違う。僕は、魔女と人間が手を取り合える平和な世界を作ってみせる。もうこれ以上、貴方達の好きにはさせない!」

「……へぇ。言うじゃねぇか、小娘ェッ!」


 上が青、下が黄色という不思議な色合いをしたカティーシスの瞳が一瞬にして怒りに燃える。彼が振るった右腕から放たれた氷の杭は一直線にアンブロシアへと向かい、その華奢な体躯を貫こうとした――――だが。


「……争うなよ。せめて外でやれ、部屋が荒れるじゃないか」

「まったく。先に喧嘩を売ったのは君だろう。乗せられてどうするのだ、カティーシス」


 アンブロシアを守るように現れた炎の壁が、氷の杭をすべて溶かした。追撃は来ない。カティーシスの足元から伸びたうごめく影が、彼を捕らえているからだ。


「……で? 見ない顔がいるが、そいつが新入り……新しい第七の魔女か?」

「うむ。こやつが【悲哀の魔女】、アンブロシアという。……なかなかの跳ねっ返りのようだがの」


 炎の壁を消し、ギルトは頬杖をつく。ラフェミアが頷くと、ギルトはわずかに口元を歪めた。


「それぐらいの気概がなければやっていけないさ。その心意気が何年もつかは見ものだけどな。……おい、ベルク。カティーシスを解放してやれよ」

「おっと、失礼。……カティーシス。力が余っているなら、後で私の相手をしたまえよ。私が相手なら、君も本気を出せるだろう?」

「……チッ。悪かったよ」


 影の拘束を解かれ、カティーシスはぷいと顔をそらす。アンブロシアは目を見開いたまま、微動だにしていない。今起こった出来事に反応できていないのだ。


「あらぁ。皆様、おそろいでしたのね」

「あーもうっ! メイシェウお姉様に付き合ってたから、わたしまで遅刻しちゃったじゃない! しかもわたし達が一番最後! なんでもう来てるのよ、カティーシスお兄様!」

「ごめんあそばせ、ルスティーネ様。カティーシス様ならまだいらっしゃらないと思ったのですけれど……」

「メイシェウお姉様の言葉を信じたあたしが馬鹿だったわ!」


 どこか緊張感の残る空気を壊したのは、両の瞳を固く閉ざした女と顔の上半分を覆う髑髏の仮面をつけた少女だった。立ち尽くすアンブロシアを一瞥し、二人はそれぞれの席につく。

 髑髏を被った少女ルスティーネが隣の席のカティーシスにひそひそ声で話しかけた。「あの子が第七?」「【悲哀】のアンブロシアだってよ」「ふぅん。なんか弱そうだけど……ようやくわたしにも後輩ができたのね」「はっ。どうせすぐ潰れるさ。次の集いにゃ来ねぇだろ。今年いっぱいでおさらばに決まってる」……その声は見えない刃となってアンブロシアを刺す。アンブロシアは悔しげに拳を握りしめた。


「いつまで立ってるんだ? さっさと席につけよ。立ったまま茶を飲みたいならそれでもいいけどさ」 

 

 ギルトに促され、アンブロシアもいやいやながら着席する。それを見届けてから、ラフェミアは姿勢を正して咳払いした。カティーシスも足を下ろし、きちんと座り直す。


「新たな魔女、第七の座を得て【悲哀】の名を冠する者よ。わらわ達はそなたを歓迎しよう。……たとえそなたがどう思っていようとも、な」

「……歓迎なんてしなくて結構です。僕は貴方達の敵ですから」


 ラフェミアは隣に座ったアンブロシアに意味ありげな視線を向ける。アンブロシアもラフェミアをキッと睨んだ。

 しかし他の魔女はアンブロシアのことなどもう気にも留めていない。ある者はにやにやと笑いながら、またある者は窺うようにラフェミアを見ている。


「む……そうか、そろそろ始めねば」


 自分に向けられた視線に気づき、ラフェミアはやれやれとため息をついてから一同を見渡した。


「第一の魔女、【幸福】のラフェミアが問おう。これより定例の親睦会を始めるが、異議のある者はおるか?」

「第二の魔女、【冒涜】のメイシェウ。ありませんわ」

「第三の魔女、【罪科】のギルト。異議なしだ」

「第四の魔女、【震悚】のベルクディール。右に同じさ」

「第五の魔女、【災厄】のカティーシス。あるわけねぇだろ? さっさと始めようぜ」

「第六の魔女、【欲望】のルスティーネ。異議なーし」

「……」


 どれだけ拒みたくとも、拒否権はない。それを本能で察したアンブロシアは唇を固く引き結ぶ。沈黙を肯定と受け取り、ラフェミアはにやりと笑った。


「よろしい。……今宵、七つの椅子がすべて埋まったことを心より嬉しく思う。そのめでたい今日のこの日に、第一の魔女の名において宣言しよう。愉快な茶会の開催を」


 次の瞬間、アンブロシアを除く六人の声が重なる。それは幾度となく繰り返された退屈しのぎの遊戯が始まる合図だ。


「「さぁ、七魔女の集いを始めよう!」」


* * *

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