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ヤンデレ大戦  作者: 刀根山 藍
一章
8/12

八百②

 濡れた犬が首を振って水を飛ばす動作を二足歩行の人間がやると脳みそがえらいことになるはずなのだが、脳みそが筋肉でてきている八百はそんなことお構い無しに首をぶんぶん振って、髪に付いた水分を辺りに撒き散らしやがった。


「冷てぇ! 獣かお前は!」

「へへ、すまんすまん。乾かそうと思って」


 八百は前髪をかき上げてくしゃっと笑うと、肩から下げたエナメルバックを適当に地面に放った。僕の隣にどっこいしょと腰を下ろし、肩口に顔を寄せるようにしてスマホの画面を覗き込んでくる。


「オススメデートスポット20? 塩でも撒きに行くのか?」


 お前は僕にどこまで残念なイメージを抱いているのだ。


「デートしに行くに決まってるだろ」

「知らんのか? 一人でデートはできないんだぞ」

「そうかい。じゃあ彼女と行くよ」

「おっ、ついにVR買ったのか! オレにもやらして!」

「お前いい加減に……」


 いよいよ文句の一つでも言ってやろうかと八百の方に目を向けた瞬間、僕の瞳に飛び込んで来たのは濡れて透けたワイシャツ、もといその下にある鮮やかな紺色の胸部装甲であった。反射的に顔を百八十度後方の雨天に向けて目頭を押さえる。先程は気が付かなかったが、こいつ至近距離で見たらワイシャツが濡れ過ぎて体に貼り付いていやがる。


「ん? どした?」

「八百、その、なんだ、どうにかならんのか、それ、その服」

「あぁ? ……あー、なるほど。なるほどねぇ。ふぅーん?」


 八百がなにやら意味深な疑問符を語尾に付けた気がした。健全な男心を見透かされた気がして非常に居心地が悪い。これは事故だ。偶発的に起こった回避不可能な致し方ないことであって、決してうわやっぱりこいつすげぇサイズだなぁとか思う暇はなかった。言い訳ではない。


「そっかぁ……見ちゃったんだぁ……」


 八百が視界の外からわざとらしいまでの猫なで声を僕に向けて放ってくる。止めていただきたい。


「見たいならぁ……素直にそう言えばいいのにぃ……」


 なんなんだこいつは。もうこうなっては僕にはどうすることもできない。早くこの昭和コメディのお色気シーンみたいな拷問が終わるように祈るばかりだ。


「ほらぁ……見てぇ? 脱いじゃったぁ……ワイシャツぅ……」


 そんなばかな。全国のママ達がこんなお下品なモノ子供に見せられませんとテレビに厳しい昨今で、そんなダイレクトに八時から全員集合しそうな展開があってよろしいわけがない。

 思わずちらりと目線を八百側に向けると、水の滴るワイシャツを摘まんでぶら下げている褐色の腕が視界に入った。もう一度雨天を仰ぐ。何度でも言う。そんなばかな。


「文谷くんにならぁ……わたし……見られても、いいよ?」


 はやまるな。お前に文谷くんなんて呼ばれたことは一度もなかったし、だいたいお前の一人称はオレであったはずだ。それに僕には六条さんというできたての彼女がいるわけであって、こんな早々と彼女を裏切るような真似はできない!


「どうせ水着だしな。びっくりした?」

「お前…………」


 振り返ったところにいたのは、紺色の競泳水着を身に纏った八百であった。なんでもないような顔をしてワイシャツを絞っている。確かに布面積自体は下手な夏服よりも多いかもしれないが、いや、しかし。

 再び目を反らして俯く僕の腕を、八百はニヤニヤしながら肘でつついた。


「おら喜べよムッツリ男爵、なんだ? 落ち込んでんのか? お?」

「……いやすまん、普通にダメだわ」

「あ? 何だって? ショックで立ち直れないんか?」

「いや、だから、逆」

「……おん?」


 八百はしばらく思考停止した後、全てを察してみるみる頬を紅潮させた。ワイシャツを持つ両手を口元まで上げて、その陰に隠れるように身をちぢこめると、僕をジト目で睨み付ける。


「……スケベ」

「うるせぇ! そもそも僕はお前がばくばく白米を食ってる姿しか知らねぇんだよ! それがお前こんな急に、えぇ!?」


 我ながら醜い逆ギレである。しかし分かってもらえないだろうか、例えばずっと男友達みたいに接してきた奴から不意に女の子らしい匂いがしちゃったりしたら、ちょっとグッと来るだろう? それと同じだ。油断しきったがら空きのボディへの超ド級女の子パンチ、そのダメージは計り知れない。


「だいたいなんで制服の下に水着着てんだ! 補習じゃなかったんかよ!」

「ほ、補習の後に部活があるんだよ! てか水着じゃない方がもっと困るだろ!」

「うるせえよバーカ!! 早くワイシャツ着ろ!!」


 言われなくたって着るよ! と立ち上がりざまに小さく反論する八百。

 そういえば僕はこいつのことをあまり知らない。たまに飯は食うが、それだけだ。あとは廊下ですれ違った時に軽く挨拶する程度で、ましてこんな風に一対一で話すのはほとんど初めてと言っても過言ではない。だからこそ特別意識することもなかった女の子らしさにやられたわけだが、はて、僕達はこんな遠慮なしに話せるような間柄だったか?

 しわだらけになったワイシャツのボタンを閉め切った八百をぼんやりと見上げると、八百はばつの悪そうな顔をして、


「……スカートも絞りたいから、あっち向いてろ」


 と、あさっての方を見ながら言った。僕は何も言わずに顔を背けて、電車の来る気配のない向こうの方の線路を眺める。

 雨音の中に紛れて、すぐ後ろでスカートのファスナーが下りる音がした。


「なぁ、彼女できたのって本当か?」

「え? あぁ」

「そうか」


 僅かな布ずれの音がした後、水がぱたぱたとコンクリートに跳ねた。


「あーあ。こっちもしわしわだ。だっせぇ」



 ホームにアナウンスが流れた。遅延していた電車が、完全に運転を止めたようだ。運行再開の目処は立っていないらしい。とんだ濡れ損であった。

 直後、後頭部を凄まじい衝撃が襲う。


「いっ!?」


 振り返ると、全力で腕を振り抜いたらしい八百が、にやりと白い歯を見せて笑っている。


「電車も止まっちまったし帰るのもめんどくせぇから、お前の彼女の話聞かせろよ! 恋バナしようぜ、恋バナ!」


 知り合いと友達の境界線はどこなのか、当事者達には分かりにくい。自分が友達だと思っていても、相手からはただの知り合いとしか思われていないかもしれないという不安が、線引きを躊躇させる。

 八百にはその躊躇がない。自分から進んで、相手にも見えるほどハッキリとした境界線を、既に通り過ぎた位置へと刻んでくれる。だから僕は気付かない内に、八百と気兼ねなく軽口を叩き合えるような友達になれたのだろう。学校で配られるクソみたいなアンケートの「仲の良い友達の名前を挙げてください」とかいうくだらない空欄に脊髄反射で書ける名前があることは、それだけで救いだ。

 再び元の位置へ腰を下ろした八百に、僕はまず唐突に現れた朝御飯の話から語り始めることにした。

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