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ヤンデレ大戦  作者: 刀根山 藍
一章
11/12

八百⑤

「……あっそ」


 八百は心底面白くなさそうだった。


「お前のお陰で地に足がついた。感謝してる。さっきは怒鳴ったりして悪かった」


 僕は頭を下げた。返事はない。代わりにいくらか間を置いて、深いため息が返ってくる。ちらりと八百の顔を盗み見ると、


「もうやだ……」


 月曜日の朝みたいな顔になっていた。

 何かが切れたのかはたまた填まったのか、それは本当に急な変化であった。あまりの変わりっぷりに困惑して声をかけようとすると、話しかけんなと言わんばかりに片手であしらわれてしまった。八百はそのままふらふらと自販機の方へ歩いていく。

 僕が間違えて特急に飛び乗っちゃった田舎っぺ高校生みたいにおどおどしているうちに、八百はスポーツドリンクを一本ぶら下げて戻ってきた。崩れ落ちるようにベンチへ腰を下ろすと、ペットボトルを地面に置いて項垂れて、


「なぁ。感謝ついでに、オレの話を聞いてくれないか」


 と今にも消えそうな声で話しかけてきた。


「……な、なんです?」



「……あのな。オレ、好きな人がいるんだけどな? そいつにチューしたら、落ち込まれた上にぶちギレられて、何故か二回フラれたんだよね」



 どっと変な汗が出てくる。身に覚えがあった。そして口に出して言われて初めて、それが如何にえげつない行為なのか気づいた。

 なんてこった。一体全体何をどうしたらほとんど告白みたいなキスをしてくれた八百にキレるようなことになるのだ。お前は何も考えないで生きているのかとは素晴らしい人のありがたいお言葉であるが、こんなに今の僕に突き刺さる言葉はない。僕は完全に、それこそ今の今まで自分の世界に酔っていた。八百が項垂れるのも当然だし、そりゃもうやだよなぁというか、あれ本当にどうしよう、ここまでの僕がクソすぎる。

 八百は蚊も二度聞きするほど小さな声で、ぽつりぽつりと語りだした。


「なんかな。なんやかんやで、その好きな人が他の女にとられちゃったんだわ。そのやり口がさ、まー卑怯で、チューしてやがんの。実質出会って三日みたいな段階で。オレなんか、去年の春からこつこつアピールしてたのにさ。それを三日とチューで総取りって。しかも本人、アピールされてたことにさえ気付いてないわけよ。色々飛び越えて笑ったわ」


 項垂れる八百を見下ろすのが恐れ多くて、僕はその場に両ひざを落として跪いた。垂れた髪に遮られて八百の表情は見えない。僕は八百の仰る言葉を一字一句脳みそへと直接刻み付けるために頭を垂れた。ハラキリの扇子が眼前に据えられているような錯覚に陥る。


「もう馬鹿馬鹿しくなってさ。この際オレもチューしてやろって思って、チューしたんだ。そしたらそいつ、退くどころか肩掴んできてさ。これはいけると思って、踏み込んでみたのよ」


 思わずあの洋画みたいなキスを思い出して顔が熱くなった。考えないようにすればするほど熱くなる気がするのは、今そんな反応する場面じゃないだろうがと己を責め立てる自分と、いやでもしょうがないでしょだってアレだぜと擁護する自分とが頭の中で熱い戦いを繰り広げているからに違いない。


「そしたらさ。全力で拒まれたんだよね。もはや罠でしょ。すっごいショックだし、その上もー死ぬほど気まずいワケ。これここで終わったら今後ずっと気まずいままだなって思ったから、オレ大したことないみたいにしてさ、なのにさ? なのになんか、そいつすげぇ落ち込んでんのね。は? つって。落ち込みたいのはこっちなんだけど? つって」


 一転、申し訳なくて申し訳なくて一気に熱が引いていった。八百の話の中に出てくる奴は、どう考えても救い様のない来世まで呪われるべきクズである。自分のことでいっぱいいっぱいになると人はどこまでも身勝手になれるのだなと痛感する。

 そしてさらに痛感させられるのが、僕はなぜこうも自身の失態に気付くのが遅いのかということだ。相変わらず項垂れて表情の見えない八百が、気付いた時には既にすんすん言いだしていたのだ。僕はまた女の子を泣かせようとしている。


「や、八百? その、本当にご」

「元気出してほしくて冗談言ったら、すんっ、キレるし、なんでそんな怒ってんのか、聞いたら、マジギレするし、すんっ、しかもっ、うぅっ、六条さん、六条さん、言うしさぁ!? チューしたの、オレっ、オレっなのっにっ」

「待って待ってごめんね、ごめんね泣かないで!」


 八百はもう完全にスイッチが入ってしまっていた。どうしていいか分からなくてとりあえず八百の横に座ってみるものの、いやこれ僕どうしたらいいんだろう?


「わけっわかんないことできれっ、きれられっ、おれっ、ふられてっ、のにっ」

「ごめんよ……ごめんよ……」


 静かに咽び泣く八百を少しでも慰めようと肩にそっと手を置いた途端、


「しらっ、しらないよおぉぉぉおまえのきもちなんてぇぇぇ……うぇっ、うぇっ、うえええぇえぇぇ……おっ、おれのきもちかんがえろよおおぉぉぉ……」


 八百は泣いた。大声で、ホームの屋根を仰ぎながら。


「ごっ、ごめんて……」

「ごめんじゃねえよもおおぉぉぉ……ひっ、なにっ、なににごめんなんだよおぉぉぉ……っう、うぇっ、ばああぁぁかぁぁぁ……」

「ごめんよ……」

「うええぇぁあぁぁ……」


 もう謝ることしかできない。八百の肩をさすりながらおろおろしていると、向こうの方から駆けてくる足音が聞こえた。涙をぼろぼろ流す八百の泣き声を聞き付けた駅員さんが、何事かと様子を見に来たらしい。


「ほっ、ほら、駅員さん来ちゃうから」

「うぐっ、んっ、んぐっ、うぇっ、んぅっ、ううううぅぅぅ……」


 八百は俯いて声を抑え込んだ。建物の陰から僕らを覗き込んだ恵比寿様みたいな駅員さんは、嗚咽を漏らしながら泣く女子高校生とそれを隣で慰める男子高校生という絵面に何を思ったのか、柔らかな笑顔と共に音もなく下がっていった。大変ありがたい。


「うううっうううううううう」

「あっごめんねっありがとうごめんね!」


 八百が訴えるように唸ったので、僕は慌ててまた八百に意識を戻した。涙とかででろでろになった八百が、僕のワイシャツをぎゅっと握る。


「なんっ、なんっでっ、げふっ、うぇっ、おっ、おれじゃぁっ、げほっげほげふんっ、なっいんでぇぇぇ……」

「それは……ごめん……」

「おっ、おっぱ、おっぱいっ、もっ、あっ、あるのっにっげふっげふっ」

「おっぱいは関係ないかな……」

「うえっ、えっ、えふっ、うええええぇぇぇ……」


 八百は僕の胸板に顔を押し付けると、また声を上げて泣いた。抱き締めた方がいいのかとも思ったけれど、六条さんのことが思い出されて、結局頭を撫でるだけに留めた。


「ちゅーしたのにっ、さあぁぁ……ひっ、ひっく、おまえとはしたっ、したくっ、したくないみたいにっいうしさあぁぁ……」

「ちが……うん……ごめんね……」

「だれでっ、んぐっ、いいっならっ、おれっ、おれにっしっ、よおぉぉ……」

「ごめん……」

「うえぇえぇぇ…………」


その後、八百は泣きながら僕をばかとかあほとか繰り返し罵倒して、その度に僕は謝った。八百が落ち着くまで、僕は謝り続けることしかできなかった。



『一番線、列車が、参りますゥ。危ないですから、黄色い線までお下がりくださいィ』


 恵比寿様のアナウンスが流れた。遠くで警笛を鳴らす音がする。


「……どうする? 乗れる?」

「すんっ……すんっ……のる……」


 胸の中ですすり泣く八百が答える。

 僕は六条さんに頭の中で言い訳をしながら、今度は少しだけ八百を抱き締めた。

 雨は止んでいた。

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