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ヤンデレ大戦  作者: 刀根山 藍
一章
10/12

八百④

 八百のキスは終わらなかった。僕が何もできないでいると、八百は僕の頬に両手を添えて、唇を食み貪るようにキスを続ける。唇の内側の粘膜同士が触れ合うたびに、お互いの体温が混ざりあって、八百との境界線が薄れていく。僕はまだ、こんな恋人みたいなキスを六条さんとしていない。背骨を駆け上がる底知れない罪悪感が、僕の腕を持ち上げて、八百の肩を掴ませる。八百は肩を震わせて、口から僅かに息を漏らした。うっすらと目を開けると、同じように薄目を開けた八百と目があった。その赤く潤んだ瞳に刺されて、肩を掴む腕に力を入れることができなくなる。僕の腕から力が抜けたのをどう受け取ったのか、八百はまたゆっくりと瞼を閉じた。


 瞬間、ぬるりと口内を犯す生暖かい舌の感触に、僕は思い切り八百を押し返した。


 八百は驚いたような顔をした後、申し訳なさそうに小さく笑った。僕はその萎れたひまわりみたいな笑顔を見ないように、俯いて視線を逃がした。


「…………ごめん」


 僕の口から出た謝罪の言葉は、一体何に対する、誰に向けられたものなのか、自分でもよく分からない。


「……なんだ、あれはオーケーって意味じゃなかったのか。オレはてっきり、ながーいチューの後に告白……みたいな、気のきいた雰囲気作りなのかと思ったわ」


 上から降ってくる八百の言葉が、僕の罪悪感を一層膨らませた。八百の言う通りだ。何故僕はすぐに八百を拒むことができなかったのか。いやむしろ、何故僕は八百を受け入れたのだ? 六条さんがいるのに。どう考えたって間違っている。なのに何故?

 最低の気分だった。八百に対する申し訳なさと六条さんに対する裏切りの罪悪感と自己嫌悪とに支配されてどうにかなりそうだった。


「まぁ、普通に考えりゃありえないんだけどさ……ちょっと期待しちゃったじゃんか!」

「……すまん」

「もー。ファーストキスはレモンの味ってのは本当なんだな。後味が苦いとこなんて特に」


 あっけらかんとした調子で話す八百に、僕は何も言えなかった。顔を見ることさえ躊躇われる。情けなさで肺が潰れそうだった。


「おいおい、そんな落ち込むなよ。フラれたのはオレだぜ?」

「すまん……」

「いいから。元気だせって。こんなかわいい女の子にチューされたんだからさぁ、もっと浮かれるべきだろぉ?」


 どうして八百がそんな気丈に話すことができるのか、僕には理解できない。予想外の心緒の乖離は僕の胸にもやをかけた。


「さてはオレのチューが良すぎたな? ほねぬき? 骨抜きにされちゃったのか?」

「……違う」

「違うってのも失礼だな! あんだけ堪能しといて……あ、もしかして普通のチューは挨拶だけどディープなやつは浮気みたいなそういう」

「違う!!」


 自分でも驚くほどの大声だった。はっと顔を上げると、八百が目の前に屈んで呆れた顔をしていた。


「あのさぁ。お前は何に怒ってるワケ?」

「すまん……」

「オレに怒ってんの? 彼女持ちにチューするイカれた女だって」

「違う!」

「おめーはすまんかちがうしか言えねぇのか? なんにもわかんねーんだけど」


 その時、僕の中の何かが切れた。喉の奥で塞き止められて暴れ回っていた言葉の波が堤防をぶち壊して、ひどく乱暴に僕の口から飛び出した。


「僕だってよくわかんねーんだよ!! ぐっちゃぐちゃなんだ! 僕は六条さんに告白した! 六条さんのことは好きだ! だけどそれが本当の気持ちなのか自信が無いんだよ! だって流れで告白したんだ、こんな人彼女にしない手はないだろって! それで朝だって浮かれながらいちゃついて朝飯食ったばっかなのに! なのにお前とのキスは嫌じゃなかったんだ!! 六条さんともあんなキスしてないのにな!! どっかで受け入れてたんだよ!! 僕は誰でもいいのかも知れねーんだ! そんな奴がお前みたいに真っ直ぐ好意をぶつけてくる奴に何て言えばいいんだよ!?」


 意味も分からない涙が込み上げてくるのを感じて、ぐっと目を瞑って下を向いた瞬間。八百が立ち上がりついでに思い切り胸ぐらを掴んできて、無理やり体ごと顔を上げさせられた。顔を真っ赤にした八百がへの字に結んだ唇をほどくと、僕の吐き出した波がまとめて返ってきた。


「ふっっっざけんな!! どーもうっじうじうじうじうじうじうじうじしてると思ったらそんなくっだらねーこと考えてたのかテメェ!! 恋愛に夢見てんじゃねーよバーカ!! たかだか付き合って二日のカップルに、それも流れで付き合った側の奴に気持ちもクソもねーだろーが!! ぬわぁーにがホントウノキモチガーだよ!! テメーはチューが大好きなスケベでしかねーことを自覚しろ!!」

「ちがっ」

「ちがくねーよ!! テメーはチューされたからその六条とかいうのと付き合ってんだよ!! チューに惚れてんの!! たまたま一番最初にチューしたのがそいつなの!! そうでもなきゃいっくら美人でも早朝から人んちに忍び込むような奴と彼女になるわけねーだろ!!」

「そんなこと」

「ある!! だいたい何が『誰でもいいのかもしれない』だよ!! テメーこんなおっぱい大きくてかわいい上にえっちなチューまでしてくれる女の子が『誰でも』の範疇に入るわけねーだろ!!」

「なんでそんなに自己評価高ぇんだよ!! 勝手に全部決めつけて話進めんな!!」


 八百は涙目になってぜえぜえ息をしていた。胸ぐらを掴んでいた手を乱暴に離すと、僕をきっと睨み付けてくる。


「じゃあ話してみろよ。何が違うんだよ」


 両目に溜まった涙を手首で拭いながら言うと、再び僕を睨み付けて唇を尖らせた。

 自分の中に渦巻いていた感情を言葉にして吐き出して、それが正面から叩きのめされたおかげで、いくらか気分が軽くなった。落ち着いて八百の言葉を咀嚼するだけの余裕が生まれる。

 僕はしばらく考えてから、真っ直ぐに八百を見つめ返した。


「……大体はお前の言う通りなのかもしれない。僕は恋愛経験ゼロだし、色んなフィルターがかかってると思う。そういう意味では、確かに恋愛に夢見てたんだろうし、何だかんだ言って本質はただのスケベなのかもしれない。あとは……まぁ、お前は魅力的だよ。そう考えると、誰でもいいってのは違う気がしないでもない。なんかもっとこう、贅沢な問題だよな」

「……よくわかってんじゃん。で、何が間違ってた?」


 八百は目線を横にずらして、睨むのは止めてくれた。相変わらず唇は尖らせたままだが。


「お前は僕がキスに惚れてるって言ったけど、それは違う。確かに最初はキスに釣られたんだと思うよ。でも今僕が好きなのは間違いなく六条さんだ」

「言い切るね。理由は?」


 八百の言葉を転がしているうちに、僕の中にあった問題は解けた。

 この際重要なのは気持ちなんかではなくて、六条さんが一番最初に僕にキスをしてくれたという事実だ。それがあったからこそ今僕の彼女は六条さんで、今僕が好きなのは六条さんなのだ。それを馬鹿げたifを持ち込んで、「あの時ああだったら、今はこうかもしれない。だから今この気持ちは偽物だ」とはあまりにも頭が悪い。僕が高一の頃に八百にキスされていたら、八百に告白しているに決まってる。最初はキスに釣られようが、その後好きになっていくなら何も問題はあるまい。早かった、というのは複数の内の誰かを好きになる上で、至極真っ当な理由ではないか?

 そして多分、八百の言う通り僕はキスが好きだし、なんなら八百の事だって好きだ。気さくで話しやすくてかわいい上におっぱいも大きい。こんな奴にいきなりキスされて冷静に対処できるほど、僕は六条さんに心酔しきっていない。僕が僕の夢見たような付き合って二日で新密度マックスの胡散臭い僕ならば、迷わず八百を突き飛ばす。現実は違う。僕はまだ、かわいい女の子に涙目で迫られればキスまではしてしまう程度には浮わついた男なのだ。何とでも言えばいい。しかし現実はそんなもんだ。

 そしてさらに都合のいいことに、やっぱり僕は六条さんが好きなのだ。浅かろうがなんだろうが、それは今までみたいに受動的な感覚とはかけ離れた、僕自身から湧き出る能動的な確信なのである。要するに、


「今僕が自分からキスしたいと思うのは、六条さんだけなんだよ」

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