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「おかえりなさいませ、ご主人様」
メイドがいた。液晶画面越しにニコニコ微笑む、それはもう見事なメイドが。しかも、衣装はゴスロリチックで、左目に眼帯と、十代前半の時に誰でも犯す過ちをこねて固めて人の形にしたようないで立ちだった。真広の自宅にあるPC、その中からとびっきりの笑顔を向けるマキナに向かって、クシャナは、面白いおもちゃを見つけた子供のような口調で言う。
「あらー、ここのマキナちゃんは相変わらずすごい恰好してるねぇ」
その後ろからは、イリックまでもがニヤニヤ笑いを浮かべて、画面を覗いている。勝手にPCのスイッチを入れないでもらいたいという真広の抗議は、当然その二人には届かない。伊織に味方してもらおうにも、この件に関して伊織は、真広に対して道端に落ちている犬のフンでも見るような視線をぶつけてくるばかりで、どうにもならない。
そして、マキナはといえば、真広がいるものだと ばかり思っていた場所にクシャナとイリックがいるのを認めた途端に、顔に張り付いていた笑顔が消え、代わりに殺意がその顔を彩る。
「ああ、誰かと思ったらご主人様を横から奪い取っていったまな板と、そのまな板を未だに堕とせない、腐れ早漏じゃないですか。すみません、あなた方の顔を見ていたら気分が悪くなってきたので、胃薬いただけませんか?」
気分が悪いのはこっちだ、という真広の心の声は、三人には届かない。
この世界は、日々の食料分配から街づくりまで、すべてをマキナが管理している。その一環として、各家庭に一台は配布されているPCには、マキナの疑似人格がインストールされていた。
昔から情報交換の効率化のためにコンピューターに人間の言語を理解させる研究が行われていたが、最新世代のAIであるマキナは、この機能を高度に発展させていた。元々は、日本語と英語でコミュニケーションをとるのは間に通訳などを挟まなければならず煩雑であり、それなら英語話者に日本語を覚えさせればいい、という程度の思想が原点になっている研究である。だから、純粋に言語的な相互理解を追求するだけならば、マキナのような高度な人格は必要がない。複雑なプログラミング言語ではなく、人間の言葉でやり取りできるコンピューターが出来ればそれで充分なはずだ。
だがマキナの場合、さらに別の事情が重なる。この街のありとあらゆることを管理するマキナには、高度な未来予測能力が要求されるのだ。資源的な制約が強い中で、問題が起こってから対処するというやり方では問題が圧と考えた当時の人々は、トラブルが起きることを事前に防ぐことを考えたのだ。
ところが、未来予測を通常のコンピューターにやらせると、とてつもないリソースが要求されることになる。そこで行われるのは現状の全ての要素を加味し、起こりうる未来をすべて予測させ、確率論的に優先順位をつけ『客観的』に問題に対処するのだ。この方法では、例えば、風が吹けば桶屋が儲かるというような、起こる確率が殆ど無い、『主観的』に見れば意味のないことにまでリソースを投入することになる。これでは、非効率極まりない。
そこで登場するのが、一定の『主観的』判断を行い、意味のない未来を予測しないことが出来る存在、つまりは人工知能である。ただ、やはりマキナの場合、『主観』の部分がありえないほど高度に拡張されている。マキナ以前の旧世代のAIと異なり、人間並みの情緒を獲得し、人格の部分に限って言えば、人間とほとんど差異がなくなっている。ここに高度な言語機能が統合されることによって、マキナは人間の言語と人格、高度な処理能力を獲得し、人類の救世主となったのだ。
こうして作られたマキナは、そのコピーを街中のPCや端末にインストールすることによって情報収取能力を高めると同時に、巨大なネットワークを形成し街中にある端末にタスクを分散させて演算能力を向上させている。一方の人間も、マキナから様々な恩恵を得ることが出来る。
で。
それが真広の過去の遺物とどうつながるのかというと、マキナのコピーにはいくつかのお遊び機能が搭載されているのだ。
一つは、着せ替え機能。どうせだったら自分のマキナを可愛く着飾らせたい、という要望はマキナが出来上がった直後から男女問わずかなりの程度出ていたらしく、それにマキナが応えた完全なるお遊びの機能であり、基本的には何の実害もない機能だ。ただ一点、服やアクセサリーのバリエーションが広く使いようによっては人に見せられなくなる、という点を除けば。
残念な娘が出来上がった二つ目の理由は、学習機能である。AIであるのだから当然備わっているべき機能であるのだが、マキナの場合は処理能力が高すぎ、それすらも少し歪んだ方向に機能を拡張させていた。情報収集機能の向上と人々に親近感を持ってもらうという二つの目的を果たすために、本体も含めてすべてのマキナは人間のように外界からの刺激に応じて人格を変化させるのだ。高い情緒がある以上当然といえば当然なのだが、これが人によってはめっぽう始末の悪い機能だったりする。
大多数の人にとっては、友人か何かのように日々学習し変化していく様は好ましいものに見えるのだが、その反動としてマキナの性格はリセットが効かないのだ。高度に情緒が発達しすぎたせいで、記憶と自我が複雑に絡み合い、もはや分離不可能な域にまで達している。だから一度スイッチを入れたが最後、マキナは人間と同じように死ぬまで変化を続けるし、人間と同じように一度そうなってしまった性格は、簡単には変わらない。
例えばアニメキャラのコスプレをさせれば当然それに応じて好みが変化するし、所有者の趣味を押し付ければ多くの場合それが共通の趣味になる。そして往々にして目も当てられない参事が起きるのだ。
ちなみにこのマキナ、ネットワークを構成してはいるが、一人ひとりが完全に独立したアイデンティティーを持っている。ゆえに、
「ほらマキナちゃん、仲間だよぉー」
と言ってクシャナが自分のマキナに真広のマキナを見せると、
「……やめてください」
死にたそうな顔をする。
これ以上付き合っていても精神を抉られるだけだと思った真広は、諸々を無視して三人に話しかける。
「それより、問題はこいつだろ」
ベッドを指さす真広。そこには、件の少女が横たわっていた。体は綺麗に洗われ、清潔な服に着替えさせられているが、腕の傷だけはどうしようもなく、血で服とベッドを汚し、時々苦痛に身もだえ、そのたびに銀というよりは白に近い髪が蛍光灯の光を反射して七色に輝く。
真広以下全員の視線が目下の問題に集中し、室内を沈黙が満たす。外から聞こえてくるオートメーション化された農業機械の音が嫌に大きく聞こえ、少し耳障りだ。
グールとはもともと、ちょっとしたお遊び集団だったらしい。労働しなくとも生きていける今の世の中は、大変に恵まれていることは多くの人が理解している。だが一方で、真広も含めて今の世の中を嫌っている人は意外と多い。十五までは学校に通い、その後独立。世の中には劇的なことは何もなくて、適当に世界の歯車になって死んでいく。老いていく過程は、成長するまでに与えられてきた、両腕でも抱えきれない程の夢や希望を一つずつ捨てていく過程で。しかも、社会の方は真広がどんなに不平や不満を口にしたところで、決して変わらない。ゲームに熱中したりため息の一つも吐いたりしたくなるというものだ。
だから真広は、グールが侮蔑の対象となりながらも、他方で望んでグールになっていく人々がいるのも、少しだけわかるような気がした。クシャナを襲った彼・彼女らの源流は、やることがなさ過ぎて時間を持て余していた人々が、性交渉に傾倒したのが始まりらしい。それが次第にエスカレートし、やがては理性の全てを放り出した集団が生まれたのだとか。そして、福利厚生完備のこの世界では、そんな放埓な生活をしていても平均寿命付近までは普通に生きられるのだ。だから、あの中に望んで入っていく人もかなりの数になる。現代のグールは、本気で理性を失った人と、その中に混じって楽しんでいるだけの人々が混じり合っているのだ。だからバグも、一般の市民に手を出さない限りはグールに手を出さない。そしてグールもそれを理解しているから、基本的には一般の人には手を出さない。
だからこそ、クシャナは、あの時言ったのだ。『なんでこんなところにグールが』と。まさか、グールが盛りのついたサルのように暴れていた原因が、こんな得体のしれない人物(with剣)だとは思わなかったが。
だが得体がしれないからと言って明らかに怪我をしている人物を放っておくわけにもいかず、なぜかバグがいなくなってしまっていたので、ひとまず真広の家まで連れてきていたのだった。
「兄様、やはりこんな訳の分からない人物を家の中に入れるのは危険すぎます。やはりここはバグに通報をして、病院なり監獄なりにつれて行ってもらう方がいいですよ」
口火を切ったのは、珍しいことに伊織だった。いつもは引っ込み思案で小さ目の声で話すのに、今回は少し語気が荒い。真広たちはベッドのすぐ脇で頭を寄せ合い言葉を続ける。
「んー、確かにね。真広が強引にここまで引っ張ってきちゃったけど、怪しさマックスだもんねぇ。その剣だって本物なんでしょ、イリック?」
一人だけベッドから離れたところで問題の剣を鞘から出していじっていたイリックは、突然クシャナに声をかけられ、思い切り手を滑らせて左の手のひらを派手に切りつけてしまう。ひとしきり悲鳴と血を噴き出した後で、
「え、ああ。どうやらそのようだね」
などと何でもない風を装っていうイリック。言葉を聞くまでもなく、剣が本物であることとイリックが大丈夫じゃないことは明らかだ。
「だよね。本物なんだよね」無視して話を続けるクシャナ。「やっぱりあたしとしても警察に通報する方がいいと思うけど。マキナちゃんならどうにかしてくれると思う。真広はどう思う?」
「ふ、そんなの決まっているだろう。善良な市民の義務として……」
「どう、と言われてもな」
出血多量で顔が青くなってきているイリックは当然のように無視する。どうせひたすらクシャナに話をあわせるだけなのだから。真広は少しだけ考えてから、口を開いた。
「俺は、ひとまずこのままがいいと思う。この世界に剣があること自体不自然だし、何より、あの時はバグが途中でいなくなったんだ。絶対に何かあると思うん……だ?」
言葉の途中で、真広は何者かに肘のあたりをつかまれた。そのひんやりとして感触に慌てて振り返ると、ベッドの上で身を起こした白髪の少女が、言った。
「私も、それに賛成だな」
少女の黒鉛のように黒い目が、真広のことを真っ直ぐに見据える。
次も、一か月以内に更新できるといいな