第七十六幕・「軍議」
―――チョウエンを攻める。
天暦一二〇〇年・寅の月上旬。
突如、リフ・ナンミは西のカンベ郡侵攻を配下に命じた。アイチャ家、クリャカ家と和睦し、アシジロ家を服従させたばかりだというに、僅か数ヶ月後には直ぐに次の戦を始める。
一度決めるとナンミ大名の行動は早い。自身が組織する常備軍を動員し、その数凡そ三万五千に達した。前年のクリャカ戦の時の兵力を遥かに越える。
その内、約八百の兵士を預かるのがアガロ・ユクシャである。
(まさか西へ行くとはな……)
場所はギ郡・ハンコウ県のコド城。此処にナンミ軍は一応の本陣を置き、これから軍議を開く所である。
床机に腰掛け、アガロは一同を見渡した。陣卓上を囲みながら、ナンミ家臣団が勢揃いしている。
一番奥中央に鎮座するのは総大将リフ・ナンミ。彼の左右には嫡男ジャベと次男のヒイラが鎮座し、それからジャベの息子であるキリカ・ナンミが居る。
ギ郡守護代の位を持つイコクタ。過去にゼゼ川の戦いでサイソウ家を裏切った武将だ。
後に続くのは、同じ一門衆であるアガロ・ユクシャ。そしてヒイラ・ナンミの娘アイノを娶り再び従属したモウル・オウセン。
他に姿が見えるのは、リフの子飼いの武将カンチジャや、側近のソホウ。そして意外にも、ユクル・アシジロと彼の甥にして現当主コウショ・アシジロが参陣している。
コウショ・アシジロは病弱ゆえに、参陣はユクルが名代を務める筈だったのだが、どうやらリフに無理矢理、参陣するよう命令されたらしい。
一体何が目的なのか皆目見当も付かないが、恐らく何か企みがあっての事だろう。
何時もぼけっとしているユクルも、今回は表情を引き締めていた。
コウショ・アシジロは少し顔色が悪い。恐らく、幼い頃からの持病であろう、健康状態も良く無さそうだった。
未だに幼いこの当主の事を気遣ってか、ユクルは緊張させないようにしきりに話しかけたり、冗談を言ったり等して笑わせては、カンチジャ、ソホウの両名に注意されている。
「ではこれより、軍議を始める」
リフに変わって、側近のソホウが今回の進軍路、補給、部隊編成等を書き連ねた紙を読み上げていく。
「先鋒はアガロ・ユクシャ殿」
「はっ!」
「そしてモウル・オウセン殿。ユクシャ組八百、オウセン組六百でモロト城へ攻めかかるべし!」
「承知!」
二人が頭を垂れると、徐に総大将リフが切り出した。
「わっぱ。働きに期待している。モロト城を”攻め落とせ”」
「はっ! 心配要りません。俺等は三万五千の大軍勢。大殿が出るまでもありません。一気に打ち破って見せます」
「……貴様。今、何と申した?」
「はっ?」
眉間に皺を寄せ、リフを見返すと、老人は物凄い剣幕で此方を睨み付けた。
「貴様、先程”俺等は三万五千の大軍勢”と抜かしたな?」
「如何にも」
「思い上がるなっ!!」
突然、ナンミ大名の怒鳴り声が響く。
「ナンミ軍三万五千はわしの軍であって、貴様の軍では無いわ! 勘違いするでない!!」
「申し訳ありません……」
「余り調子に乗らぬ事じゃな……。お前は黙ってわしの命令通りに動いておれば良いのじゃ……」
冷酷な瞳で睨まれ、アガロは身が竦み上がる思いだった。
それを見ていたコウショ・アシジロは、只でさえ悪かった顔色を更に青くし、身を震え上がらせた。
場が思わず静まり返る。やがてナンミ大名が先を促すと、思い出したかのようにソホウが続きを読んだ。
やがて、一通りの編成と、各部隊の持ち場や役割等を伝え終わる。だがその途中、アシジロ家臣のユクルが発言した。
「あんのぉ~。恐れながらお尋ねしたいんですけどぉ……」
「何かな、アシジロ殿?」
「ソホウ殿ぉ。おらぁ達アシジロ衆は何処が持ち場なんですかぁ?」
「そなた達には、大殿のお側で待機して頂く」
「大殿ぉ?」
「そうじゃ」
リフが口を開いた。
「何でもコウショ・アシジロ殿は病弱であると聞き受ける。暫しわしの側に居り、安静にするが宜しかろう」
「は、はぁ……」
何とも煮え返らない返事ではあるが、拒否権は無い。
アシジロ勢は凡そ四百。今のナンミ軍に敵う筈も無い兵力差であり、コウショはいわば体の良い人質である。
「これにて軍議は終了じゃ。わっぱ、精々励め」
「はっ……」
【――ユクシャ本陣――】
「やぁ、アガロ。変わりは無いかな?」
親友のミリュア当主が、アガロの陣を訪問してきた。彼はジャベの与力衆ゆえ、組み入れられている部隊は違う。
ユクシャ当主は直ぐに命じると、側の者達皆下がり、誰も近付けさせないようにする。
周囲はレラの指揮するコロポックル達が警戒に当たっている。
「聞いたよ。あの計画上手く行ったんだってね?」
「ああ。あの爺に一泡吹かせてやった」
「やったね。キョウサクとかいう男も少しは大人しくなったかな?」
「あいつはここ暫く不貞腐れてるぞ」
あの一件以来、キョウサクはすっかりリフからの信用を失っている様子であり、これといって目立った動きも、ナンミの大名と接触する素振りも見せない。黙って自分の仕事に従事している。
「久々に胸がスカッとした。それとな、良い事も分かった」
「アシジロ殿かい?」
「そうだ。あの男、リフに心服している訳ではない。此度は同じく参陣しているゆえ、機会があれば接触を計りたい」
「それは重畳。だけど先の事を考えても良いけど、今は自分の仕事を疎かにしないようにね」
「分かっている。カンベの土地で戦するのは初めてだからな。慎重にやるさ」
「相手にとって庭みたいなものだからね。用心する方が良いよ」
「それと朗報がある」
「何かな?」
テンコが眉をひそめると、アガロは相も変わらずの仏頂面で続けた。
「此度の先鋒は、俺とオウセン家が命じられた」
「成る程。それは重畳だね……」
「接近するなら今しかない」
「ああ。これは好機だよ……。一応忠告しておくけど、モウルと話すなら腹の探り合いはせずに、正直に話したほうが良い」
「分かった」
しかし、これで浮かれている訳には行かない。今だに計画は完全では無い上に、クリャカ家の動向が気懸りだ。
もし、ナンミから離反しても同時期にこの家が動いてくれなければ、各個撃破されるのが落ちだ。慎重にやらなければならない。
「テンコ。ヨヤはトウ州へ向かわせてくれたか?」
「勿論さ。ヤクモちゃんにはすまないけど、暫くは人質として辛抱して貰うしかないね」
恐らく今頃はサラ・ショウハと接触し、人質の受け渡しと事情の説明をしている頃だろう。
「だけど、悪い事ばかりじゃないさ。君はモウルと先鋒を、僕はクト家と後詰をするからね。上手く行けば、此方へ引き込めるかも知れない……」
「ギ郡最強の弓兵を有するクト家か……。確かに心強いな……」
クト家には確か勝気な次期当主のエトカ・クトが居た筈だ、とアガロはふと思い出した。常に姉の側をうろつき、行き過ぎた行動で鬱陶しがられていたのを覚えている。
もしこれを引き込めば、強力な戦力になるだろう。自身の評価も上がる筈だ。
「なら俺は一族衆だな。既にワジリは此方に付けた」
「なら、残るはアッシクルコ殿かな?」
「ああ。イマリカはナンミを好ましく思ってはいない。此方に付くだろう」
「ゲンヨウ家は?」
「あの一族は駄目だ」
テンコの問いに、アガロは凄く不機嫌な声色で答えた。
その理由は痛い程分かる。同じギ豪族であるテンコでさえ、ゲンヨウ一門には良い印象を持っていない。
「父上の仇は許せん」
「でもさ、味方は大いに越した事は無いと思うけど?」
「一度裏切った奴は、また裏切るものだ」
「そういう君も、ナンミを見限りクリャカに付くじゃないか」
「これは裏切りでは無い。鞍替えだ」
「どう違うのかな?」
「ナンミ家は俺等を上手く手懐けられなかった。それだけだ」
戦国乱世は無常にも裏切りを繰り返す時代だ。上が下を選ぶのではなく、下が上を選ぶのだ。
「大将、取り込み中悪いな。入るぜ?」
「これはドウキ殿。久しぶりだね」
「おう! ミリュア様も変わりないみたいで安心したぜ!」
「一体何用だ、ドウキ?」
「おお、そうだった。何でも、オウセン家の御当主様が、まかり越したみたいだぜ?」
「何?」
すると程なくして、側近のヤイコク・ブンワが現れる。後ろに目を移すと、見覚えのある人物約二名を伴っていた。
一人はゴシュウ・オウセン。先の戦にて此方に通じ、ハカ・コセイを討ち取るのに協力した武将だ。
そして、もう一人の将は身の丈凡そ六尺(180cm)を越す偉丈夫。目付きが鋭く、口を一文字に閉じ、眉間に皺を寄せ此方を見返している。因みにアガロは身長凡そ五尺三寸(約159cm)と低い。
「久しいな、アガロ……」
「お前が俺に何用だ?」
「ふん。別段、特別な用事は無い。只、此度は互いに先陣になったゆえ、挨拶に参ったまでだ」
面白く無さそうに言い捨てるが、律儀にも挨拶に来る所が生真面目というか彼らしい。
アガロはオウセンの一門に、床机に腰掛けるよう促すと、モウルは陣卓上を挟んで向かい側に座った。
テンコはアガロの右側に腰掛けると、丁度両者を見渡せる位置に陣取る。
ゴシュウはモウルの斜め後ろ側に、床机を宛がって貰う。
互いに向き合うと、口を閉じた。昔から仲が悪く、反りがあわない両者だ。モウルも警戒して、此方の様子を窺っているように見えた。
(これでは埒が明かん……)
とアガロは思う。
「モウル。折角参ったのだ。景気付けに一杯如何だ?」
「いや。俺は未だやる事が残っているゆえ断る」
アガロの誘いに、釣れない返事をするモウル。
普段、酒など飲まないアガロだが、こういう時に酒の力が便利であるのは理解していた。
「そう硬い事言わずにさ。君はさっき、挨拶に来たって言ったじゃないか。じゃあ、此方も態々来て貰ったんだから、酒の一杯くらいは振る舞うのが礼儀ってものだよ。そうだろう、アガロ?」
「ま、そんな所だ」
「……では、一杯だけだ」
「ヤイコク。酒だ」
「はっ!」
やがて酒肴を揃えて運んでくると、皆で杯を取る。
「モウル。俺が注いでやる」
言うとアガロは自ら酌をしだした。これにテンコが驚き、酌を受けたモウルは目を丸くした。
杯を満たすと、乾杯の音頭を取り、飲み干す。モウルもテンコも平然と杯を空にするが、アガロだけは下戸の所為で口に含んだ酒を飲み干せず、それでも吐き出さないようにゆっくりと、胃の中へ流し込む。自分から誘っておいて、惨めな体たらくである。
「酒が弱いのか?」
「ふん。これから強くなる」
「将たるもの、自分の力量に合わぬ事はするべきではない。酒が飲めぬのならば、飲む必要は無い」
「そうか」
彼の気遣いだったのか、内心戸惑いながらも返答するユクシャ当主。
「モウル。此度はお前達オウセン家の力を頼みにさせて貰う」
「如何した急に?」
「実は俺等ユクシャ組は、カンベ郡へ攻め込むのは初めてなのだ。ゆえに土地に慣れていない。部下達の為にも、少し指導して貰いたいのだが、駄目か?」
「断る理由は無い。良いだろう」
アガロは内心ほくそ笑む。勿論、ユクシャ組がカンベ郡の土地に慣れていないのは本当の事ではあるが、上手く彼を此処へ引き止めて置くのが本音である。
「先ずカンベ郡へ侵攻するには、陸路と海路の二つがある……」
ギ郡からカンベ郡へ進むには、険峻な山と谷により狭まった郡境の陸路と、カンベ海賊衆が幅を利かせる海路の二つの道がある。
カンベ湾周辺は、リフが養ったギ水軍を使い、これに当たらせるとして、問題は自分達が受け持った陸路だ。この難所をどう切り抜けるかが鍵となる。
しかし、これから先陣を命じられた、ユクシャ当主とオウセン当主が攻め込むモロト城は、まさにその山の上に立つ堅固な城である。これを攻め落とすのは至難の業であろう。
「くれぐれも部隊同士が離れ離れにならないよう、常に隊列に気を配り、斥候を多く出して奇襲を警戒した方が良い」
「モロト城の城主はどんな奴か知っているか?」
「ふむ……。モロト城か……」
モウルは腕組をする。
「城主は確かゲンシジという猛将だ。昔、何度か父上が争った相手でもある」
「恐れながら―――」
すると、モウルの後ろに控えていたゴシュウ・オウセンが口を開いた。
「某は過去に何度か、ゲンシジ殿と戦をした事が御座る」
「そうか。是非、知恵を貸して貰いたい」
「されば恐れながら。敵将ゲンシジは勇猛果敢な武将に御座る。城に篭っているかの者を相手に、正面から戦するは些か危険かと……」
歴戦の将ゴシュウが苦い顔をして言うのだから、相当に手錬なのだろう。
アガロは少し考え込み、質問した。
「ゲンシジ家臣の中で、見知った奴は居るか?」
「そうですな……。唯一知っているのは、アンジョウという武将に御座る。我等と和睦を結ぶ際、度々顔を合わせております」
「そのアンジョウとは如何いう奴だ?」
「至って小心者に御座る」
「主君のゲンシジは?」
「これは逆に剛直者にて」
「そうか」
何か閃いたのか、ユクシャ当主の目付きが変わる。
それにヤイコクとドウキが逸早く気付いた。
「ゴシュウ殿。忝い」
「いえ、大してお力になれず申し訳御座らぬ」
「モウル」
「何だ?」
「此度の戦は俺等ユクシャ組だけでやる。お前達は後方で待機しろ」
「何だと?」
両者の空気が変わった。
「俺等は役立たずと言いたいのか!?」
「そうではない。只、お前達オウセン家も前線で戦っては、落とし難いという事だ」
「同じ意味では無いか!? それに先程お前は、俺達の力が頼りだ、と言ったばかりだろ!」
「落ち着け。何れオウセン家の力は貸して貰う。だが、此度は俺等ユクシャ組に任せて貰いたい」
「お前達だけで、攻め落とせる訳が無かろう!! モロト城は小城ではあるが、天然の要害に守られた堅城だ! 俺等オウセン衆でさえ、苦戦する相手だぞ! それを僅か八百で攻め落とすだと!?」
「任せろ」
怪訝な表情をするモウルに、自信に満ちた目でユクシャ当主は言い切った。
「……良いだろう。叔父上。参ろう」
「う、うむ……。では、ユクシャ殿。これにて御免……」
「モウル。見送ろう」
「断る」
「遠慮するな」
訝しげな目で睨まれるが、全く気にせずアガロは同行した。すると、モウルを待っていたのか二人の足軽が側に侍り、馬の用意をする。
「では、気を付けて戻れ」
「言われずとも分かっている」
其処で別れようとした丁度その時だ。突然、モウルの馬のたずなを引いていた足軽が一人、アガロの足元に跪いたかと思うと、口を開いた。
「恐れながら、ユクシャ家当主アガロ・ユクシャ様に御座いますか?」
「これ、シンカ! 止さぬか!!」
「ゴシュウ殿、俺は構わん。何だ?」
アガロが見下ろすと、青年は続けた。
「俺の名はシンカ。ユクシャ様にお尋ねしたき儀が御座います! 俺はセンカ郡のテイトウ山付近のとある村出身の者です」
「…………」
「その村を救って頂いた、と噂に聞いたのですが、誠に御座いますか?」
「…………その話、誰から聞いた?」
「はっ! 色の黒い鬼娘から……」
―――イルネの事か……。
ユクシャ当主はこの青年は恐らくリンヤ村か、略奪を受けたキン村の者なのだろうなと見当を付けた。そして、それ以上は聞かなかった。一応あの村の存在は内密にしている。
オウセン家には未だクリャカへ寝返る事を伝えていないし、妙な事を口走られては困ると思った彼は、シンカと名乗る青年の肩に手を置き屈んだ。
少し小声で呟くように返答する。
「礼には及ばん。それよりも余りあの村の事は言い触らすな……」
「はっ! 申し訳ありません!! それでは、これにて!」
振り返り、シンカはモウルの馬のたずなを引いた。道中、隣で同じく馬を引く青年チャドが、友に小声で尋ねる。
(カマ掛けてみて如何だったかな?)
(間違いない、あいつがキサザの仇だ……!)
(そうだったのか……。僕は君があの場で彼を殺さないか、内心冷や汗ものだったよ……)
(チャド。俺等はオウセン様に拾って貰った身だ。迷惑を掛けるような真似は出来ん。が、何れあいつは俺が殺す……!)
【――ユクシャ本陣・深夜――】
「―――……シシド。以上だ。上手くやれ」
「御意!」
闇の中へ外法の者が音も立てずに姿を消すと、アガロは一人篝火を凝視する。火は勢い良く燃え、バチバチと音を立てる。
燃え盛る炎とは対照的に、ユクシャ当主の瞳は心の臓を止める程、冷酷な輝きを放っていた。