第七十二幕・「駒」
―――リフにとって人とは只の道具に過ぎない。
アガロはリフ・ナンミという乱世の怪物に付いて、今一度考察してみた。
能力を優遇し、身分の別無く取り立てる。才覚ある者は可愛がるが、それは本人にとって道具に過ぎない。
謀臣を持たないのはその所為であろうか。
道具は喋らないし、相談しても無駄だ、という独自の理論があるのだろう。
(あの爺にとって、自分以外は皆、馬鹿に見えるのだろうな……)
だが、裏を返せばそれだけリフは謀に長けているのだ。
自身の天才性を信じ、果断にして強靭な精神力を持ち、好機を掴めばそれをばねに跳ね上がる。
しかし、生まれ持った才能だけでは、成功はしない。運に恵まれていても、それを生かしきれるだけの力が無ければ、向上出来ない。
あの老将は長年の経験と、実績でそれを備えている。好機を待つ忍耐力に優れ、常に行動し、先を読み、状況を自分に有利に運んでいく。
今回のアイチャ家との和睦が良い例だ。アイチャ陣中にマンジ家と同盟する、と流言した。根も葉もない噂だ。
しかし、もしこれが本当ならば、アイチャ家にとってこれ程の凶報は他に無い。
もし此の侭、戦を続けていれば、ナンミから事を起さずとも、西のマンジ家から近付いた筈だ。長年争っているアイチャ家を挟み撃ちに出来る。この話にマンジ家が乗らない筈は無い。
あの謀多い老人は、そこまで計算していたのだろう。
この次期大将軍の座を狙う名族の不安を利用し、クリャカとの和睦も執り成して貰う。
如何にトウ州管領クリャカ家であろうと、今は東西で挟み撃ちしている故に、戦略上有利なのであって、アイチャが早々に和睦してしまえば、西へ向いていたナンミ軍が、トウ州へ雪崩れ込む危険がある。
アイチャが西にて足止めし、センカ郡は家臣であるショウハ家が牽制しているゆえ、周辺の豪族を攻略出来る。
リフはいわば、頭上に圧し掛かる巨石のような存在だ。
これに対抗するからには、用意周到な備え、何事にも耐える強靭な精神と忍耐、好機を見逃さぬ機敏さ、用心深さ、果断な勇猛さ、そして時には臆病さが必要であろう。どれが欠けても駄目なのだ。
―――パチッ。
「王手。アガロ様の番に御座います」
「…………」
「アガロ様?」
言われてハッと我に帰る。
将棋盤に視線を落とし、妻が打った手を確認した。
「アガロ様は先程から、何処も見ていない目をしておりまする。これでは詰まりませぬ……」
「既に詰んでいる」
立て肘を突き、面白く無さそうに妻に視線を向けた。
すると、正室は今気が付いた、という表情をして、口元を袖で隠しながら含み笑いをする。
「まぁ。アガロ様が御冗談を仰るなんて、存じ上げませんでした……」
「洒落で言ったのではない」
「では、また私の勝ちに御座りまするな?」
「…………可愛くない女だ」
「まぁ。でしたら次からは負けて差し上げましょうか?」
一々言い方が癪に障り、すっかりしかめっ面をするアガロ。
謹慎を喰らい、部屋で一人不貞腐れている所を、正室のハクアが将棋に誘ったのがそもそもの始まりである。
今こうして縁側へ出て、対局しているが結果は全戦全敗という悲惨なものである。
「されど、アガロ様の将棋は、誠に面白う御座りまする。最後まで諦めないしぶとさがありまする。常に敵から逃げる為に、王の逃げ道を作り、何処までも逃げ続ける……」
「王が取られれば負ける。そういうものだ」
「されどアガロ様。将棋はまるで戦のように御座りまするな。敵を引き抜き、時には味方に寝返られ、陣地を守り、敵陣へ駒を送り、王が逃げ、最後は取られる……」
にこやかに語るハクア。とても楽しそうな表情をしているが、対してアガロは仏頂面で聞いている。
「アガロ様の将棋は、がむしゃらに攻め込むだけで、突発的な行動が多う御座います。もう少し大局を見極める視野が必要に御座りますぞ?」
「流石はリフの娘だな」
「そう拗ねてばかりいては埒が明きませぬ。私はアガロ様の御気分が少しでも晴れればと思い、お誘い致しましたのに、そんな言い方はあんまりに御座います……」
少し悲しい表情をするが、それに旦那は乗らなかった。
「嘘泣きならもう少し上手くやれ」
「これでもルシア義姉様、直伝に御座いますのに」
「出直して来い」
そう言うとユクシャ当主は庭を見た。
季節はそろそろ正月を迎える頃。雪が昨夜の内に降り積もり、既に一面真っ白である。
日差しが出て昼間は良い天気であったが、今は既に夕暮れ時。寒い風が吹き荒び、彼は身体を擦った。
すると、ハクアが徐に立ち上がると、隣に腰を下ろそうとする。
「何の積りだ?」
「お寒そうにしておりましたので、私の羽織で包んで差し上げようかと……」
「無用だ」
「夫婦では御座りませぬか」
言うと強引に羽織りで肩を覆い、互いに包まれる形になる。急に距離が縮まり、密着する。
諦めたのか、アガロは少し溜息を漏らして腕組をし、庭を眺めた。
「アガロ様は暖かいです……」
そっと肩をくっつけ寄り添った。
すると今度は袖口から出ている自身の腕に、ハクアが手を添えた。
「冷たいな……」
「驚きましたか?」
「わざとか」
「勿論」
が、初めて彼女の手が、氷のように冷え切っている事に気付く。そうでもしなければ、多分一生気付かなかっただろう。
アガロは徐に彼女の手を掴むと、擦り始めた。
「何を?」
「冬の戦で凍死した奴等が居たからな。冷やし過ぎるのは良くない」
「大袈裟な……。そんな事をせずとも、壊死したりは致しませぬ」
「何もしないよりはマシだ」
はぁ―っと息を吐き、暖めてやる。
彼はロウヤ郡の山中で、戦している時の事を思い出していた。
ナンミ軍に参入したての頃、リフから数百の亜人達を預かり、雪の降る最中戦った。その時、数十名の死者が出たが、主な原因は餓死と凍死であった。
まともな喰糧補給が受けれ無い亜人達は、真っ先にそれが原因でくたばっていったのだ。
「ん。先程よりはマシだ」
「は、はい……。有難う御座りまする……」
少し頬を赤らめていたのに気付いたが、理由は分からなかった。
ハクアは悪戯の積りでやったのだが、逆に自分の鼓動が少し早くなり、悟られ無いように暫く黙った。
アガロも再び腕組をし、静かに時を過ごす。
「アガロ様、御自愛下さりませ……。余り目立つようなお振る舞いは、何れ手打ちにあうやも知れませぬ……」
「しないさ」
「何故?」
ハクアが理由を訊ねた。
「リフは才ある奴は殺さん。利用しようとする」
「されど、御し切れ無い道具は捨てられまする」
「人材を上手く使えてこそ、英雄足り得る」
「父は英雄に御座りまするか……?」
「愚物だ」
「父が愚物?」
問い返す正室に『そうだ』と短く肯定する。
「あいつは執拗な性格だ」
「ふふ。それは御自身もでしょう?」
「そうだが、質が違う」
「質とは?」
「あいつは報復する」
アガロは、じめじめと薄暗いハッダ城の一室で、暇潰しに読書をしていた時、ふと気付いた事がある。
古今東西、英雄豪傑、名将智将と呼ばれる者達は皆、執拗な性格なのだ。負けず嫌いであり、ねちっこく、何時までも自身が受けた屈辱を根に持ち『必ずや次こそは…』と諦めの悪い性格の者達が多い。
そして、アガロは等身大のリフ・ナンミを見てこう考えた。
こいつは愚物だ、と。
英雄とは、執念深く根に持つ性格であるが、自身の復讐心を懸命に抑え、家臣を上手く運用する。
だが、リフにとって使えない道具は処分あるのみであり、アガロの人物評が正しければ、オウセン家は一先ず許すだろうが、必ずや報復する筈。
無論、何れは自分もそうなるだろう。
しかし、アガロの自論を聞いた時、ハクアは何やら彼が、何処か悔し紛れでそう言っている風に思えた。
心の何処かでは父を英雄と認めている。が、それを認めたくは無い故に、愚物と言い切っているように見えた。
彼女は少し悪戯っぽい眼差しを向けた。
「では、その愚物に従っているアガロ様は一体、何なので御座りましょうや?」
「駒だ」
「駒、に御座りまするか?」
「ああ。あいつの命に従うだけの駒だ」
「その駒であるアガロ様は此度、命に背いたと?」
「俺はあの爺の好むやり方で、此度の乱を鎮めた」
寧ろ俺には功があり、罪は無い。失敗もしていない。
ハンコウ県の一切を任されたのだ。自分のやり方は間違っていない。と彼は自分の働きをそう判断し、自己の正当化をした。
故に今回、何故謹慎を喰らったのか納得がいかないし、不満である。
しかし、リフにはそれが逆に気に喰わなかったのかも知れない。
(あの性格とやり方では、家臣の心は離れていく……)
恐らく今後、謀叛を起すのはオウセン家に限らず、隙を見れば他の豪族も挙兵するだろう、とアガロは予想した。
オウセン家は単に時期が早すぎた。上手く結束が取れていない為に、テンコの策に掛かり、和睦を求めてきたのだ。
「されど、駒が出過ぎては手打ちにあいまするぞ?」
「駒は死なん」
「はい?」
―――駒は寝返る。
寧ろ、唯一討ち取られるのは王将だけである。
しかし、アガロは其処まで言わず、腹の中に溜め込んだ。怪訝な顔をするハクア。
彼女には自身の計画は未だ知らせてはいない。リフの城下町に住んでいるのだ。何処で、誰が聞いているか分からず油断出来ない。
「では、アガロ様は駒で例えるならば、何で御座りましょうや?」
何であろうか―――。
彼は妻の問いに、ふと将棋盤の上に並べられた駒を見た。先程自分が負けた配置の侭である。
「……銀か?」
しかし、帰ってきたのは苦笑だった。
「御自身を高く評価しておられるのですね」
「俺はナンミの一門衆だ。それくらいが打倒だろう」
「されど、私が思いまするに、アガロ様は歩ではないかと……」
「歩?」
失礼な奴だ。自身を棚に上げ、彼は妻に対してそう思った。
「何故、俺が歩なのだ? 捨て駒、と言いたいのか?」
「そうでは御座りませぬ。アガロ様は化けるやも知れぬ、と言いたいのです……」
言うとハクアは歩の駒を一つ摘み、アガロの目の前に差し出した。
「余り焦る必要は御座りませぬ。今は盤の上に居ないだけ。その内、時期が来れば謹慎も解けましょう……。歩のように一歩一歩進めば宜しゅう御座りまする。何れは”と金”に成りまするゆえ……」
「歩のようにか……」
「歩はこう見えても侮れませぬぞ。多い時はその使い道に悩みまするが、無いと中々に困る存在に御座ります。歩を上手く使える将は、戦上手やも知れませぬぞ?」
「成る程な……」
彼は初めて妻の言葉に頷き、彼女から歩の駒を受け取った。
「そして、早くハクアの悲願を叶えて下され……」
「それが本心か……」
「っくし!」
「寒いのなら広間に行け。囲炉裏がある」
ユクシャ家は節約を基本としている故、炭を大量には使わず、また買う量も抑えている。
火鉢の使用は控え、広間にある囲炉裏を、リッカをはじめ屋敷の者達が、其処へ集まっては暖を取る。が、妻は首を横に振る。
「いいえ。今、アガロ様をお一人にしてはお可哀想ゆえ……」
「俺は幼い童ではない」
「されど、落ち込んでいる時、側に居て支えとなるのが妻の役目に御座りまする。これでも、正室に御座りまするゆえ……」
「勝手にしろ……」
「それとも”お側を離れとう御座りませぬ”と申す女御の方がお好みでしょうか?」
「知らん」
ハクアは側から離れる処か、逆に身体をもたせ掛けてくる。すると今度は何とも無垢な微笑を浮かべた。
可愛らしい笑顔だが、夫にはそれが逆に気味が悪かった。彼女の性格を知ってる故である。
「な、何だ?」
「夫婦らしい時を過ごしている。そう考えていました……」
「そうか」
「私は今、とても楽しゅう御座りまする。あのロザンの城に居た時は、毎日が暗くて、悲しくて……。如何しても母上や姉様達の事を思い出してしまいまするゆえ……。されど、此処へ来てからは屋敷の者達と日夜談笑に耽り、毎日が面白う御座りまする……」
アガロはさっき摘み取った歩を、手の中で転がしながら、ふとタキ城の城代をしている姉のタミヤを思い出した。
男勝りであり、武勇も自分より何倍も優れている。
既に城を離れてから四年の月日が流れようとしてる。タキ城を発って以来、一度も顔を会わせていない。
次女ルシアや、時折来る使者の話では、息災であるという。
「まぁ。これはアガロさんに、ハクアさん。二人揃ってお暑い事……」
「姉さん? 一体何用だ」
「夕食の膳を届けに来たのですよ」
ルシアの後ろに控えている鬼の侍女マヤと、ハクアの侍女であるキセの二人が、部屋へ入り膳の支度をする。
それにアガロは少し驚いた。
「共に食事だと?」
「良いではないですか。お父様もお母様と一緒に食事をしていたのですから」
「母上は姫である前に武人だ。ゆえに共に食事もしたのだろうが、こいつは……」
「アガロさん。細かい事は良いんです」
何故か自分の周りには強引な女が多い気がする、と彼は今更ながらに思った。
部屋の行燈に火が灯され、ぽう、と闇の中を淡い光が照らす。
士族は男女別々で食事を取るが、その中で姫武者だけは例外である。同じく戦場を共にし、命を預けている関係なのだから許されているのだ。
そんな事はお構い無しにと強引な姉に促され、座に腰を下ろして諦めて箸を手に取った。
「ルシア様も旦那様を元気付けて下され。くすりと笑いもしませぬ」
「アガロさんは気難しいのです。猫のように気分屋ですから」
「猫はもう少しじゃれてくれまするが、旦那様は逆に警戒する獣のように御座りまする」
「人を使って勝手な事ばかり言うな。それに俺は落ち込んではいない」
アガロの隣にルシアが腰掛けると、彼女は昔を懐かしむように語りだした。
「されど、これでも昔よりは大人しくなった方ですよ? 以前はよく城を抜け出しては、シグルに叱られてばかりいましたから」
「まぁ。それは誠に御座りまするか?」
「ええ。アガロさんはとてもやんちゃで、手が付けられなかったのですよ。よくハギ村へ行っては干物を喰べていましたから、何時も生臭かったですね」
「昔の話だ」
「それと、よく侍女のお風呂を覗いたりと、おませな面もありました……」
「さらっと嘘を付くな」
「今ではすっかり大人しくなってしまわれて。少し面白みに欠けてしまいますね」
自分は何も面白くは無い。と彼は目で訴えたが、姉には届かなかった。
自身の過去話をある事無い事暴露され、内心気恥ずかしかったが、それでも表情には出さなかった。
姉には何れ自身の計画を話さなければならんだろう。クリャカ家へ送り、背後を固める為の重要な人物だからだ。
「申し上げますりぇ。大殿の御命令で御正月の宴には、オウセン家を伴い出席せよとの事ですりゃ……」
「キョウサク。役目大儀。下がれ」
「あっ、そりぇとユクシャ様。宴の席には此度、ファギ郡かりゃアシジロ家の者が起こしにならりぇるので、粗相の無いように、と大殿の仰せですりゃ……」
はて。と彼はキョウサクが下がってから内心疑問に思った。
理由は、先程キョウサクが口にした『アシジロ家』である。そんな一門の名前等、聞いた事が無い。ファギ郡といえば、未だに敵対関係にある勢力だ。恐らく今回アイチャ家と停戦したのを切欠に、ファギ郡の豪族とも和睦したのだろう。
ファギ郡だけではナンミに対抗出来ないからだ。遣ってくるのはアシジロ家の使者か。と彼は考えた。
今回の宴はあくまでも、互いの和睦の儀を執り行う席になるのだろう。
序でにオウセン家も許しておくのだろうか。
「旦那様。良い報せでは御座りませぬか。オウセン家の事がお許しになられ、誠に目出度い事と存じ上げまする」
「アガロさん。御正月の席は、大事な場ですから、少しは身嗜みに気を使わねばなりませぬよ?」
「分かっている」
「ですが懐かしいです。サイソウ城の宴は毎年楽しかったのを覚えてます……。今年はビ郡で年を越すのですね……」
何処か寂しそうにルシアがぽつりと零した。
「姉さん。今年だけだ」
「アガロさんは何時戻るのですか?」
「さあな」
「まぁ。女を待たせるものではありませぬよ? 愛想を着かされてしまいます」
楽しそうに会話する姉弟を他所に、ハクアは一人先程アガロが口にした『今年だけだ』という言葉の裏を勘繰った。
それが一体、何を意味するのか―――。