「ハッダ城、籠城戦」・終
【――ハッダ城内・深夜――】
「ゴシュウ・オウセンに御座りまする」
「ユクシャ当主、アガロだ」
「御初に御目に掛かり、恐悦至極―――」
「堅苦しい挨拶はいい。早速だが、和議の話をしたい」
「は……」
ゴシュウが深々と頭を下げているのを見て、テンコが口を開いた。
「ゴシュウ殿。そう緊張しないで、楽にしなよ」
「これはミリュア殿。此度はしてやられましたな」
「いやいや。褒められる事ではないですよ」
何時ものように飄々とした雰囲気を壊さないテンコを見て、苦笑するゴシュウ。
彼が緊張するのも無理ないだろう。ハッダ城へ足を運んだのは、内密にナンミ家との和睦を図る為である。
ゴシュウは今回の戦、計画が多きく狂い、続ければ何れナンミの物量に潰されると判断したのだ。そして、テンコに見せられた、ハカ・コセイの裏切りの密書が決定打になった。
そこでテンコを通してアガロに接近し、彼からナンミへの和議を執り成して貰おうという魂胆だ。
が、面会出来たは良いが、彼が通されたのは広間ではなく、城の一室。内密に事を謀ろうと考えているのだ。
用心に越した事は無いが、今にも刺客が襲い掛かってくるのではないか、と思えてならない。
内心ハラハラしていると、アガロが口を開いた。
「此度の謀叛の首謀者はハカ・コセイ一人であり、その首をもってして、オウセン家の罪を許す。これで良いな?」
「はっ」
「テンコ。コセイの首は……」
「安心しなよ。コセイは間違いなく、僕とゴシュウ殿で討ち取った」
裏で通じている筈だったハカ・コセイは、テンコの密書を読み、密かに呼び出されていたのだ。
そこをゴシュウと供に闇討ちを掛け、首を取った。
「オウセン家の所領は安堵する。今後とも、良く民を慈しみ、外敵を懲らしめろ」
「はっ! 過分なご配慮。痛み入りまして御座りまする」
ゴシュウが再び平伏すると、アガロは言を継ぐ。
「が、それには幾つか条件がある。先ず第一に現当主ロウガ・オウセンは隠居し、城から退去、サイソウ城下町に蟄居して貰う。第二はモウルに家督を継がせ、ゴシュウ殿がその後見人に成る事。第三は、ナンミ家から姫を一人娶り、縁戚筋に成る事だ」
オウセンの将は考えた。現当主であり、実の兄であるロウガ・オウセンの隠居は要求されても仕方が無い事であろう。兄は現時点では反ナンミ派の急先鋒であり、ギ郡内の不穏分子達に働きかけようとしている。
これを隠居させ、目の届く所へ置き、監視するのは当然だろう。
不穏分子の沈静化と、ギ郡内の安定の為である。
二番目の申し出でも承知出来る。寧ろ、自身が可愛がっている甥の後見人に成るのだ。願っても無い条件である。
これには自分にナンミ派に成り、家中を取り仕切れ、と遠回しに言っている事も理解した。
勿論、ゴシュウもその積りでいる。だが―――。
「恐れながら、三つ目の条件は、今暫しの御猶予を頂きとう御座る……」
ゴシュウは少し苦い顔をした。急いては事を仕損じる、と危惧したのだ。
オウセン家にも勿論、反ナンミ派と親ナンミ派の派閥がある。
ゴシュウは今迄、その両派閥の仲裁役をしており、今回の謀叛にも彼等を説き伏せ、何とか味方にする為に苦心したのだ。
モウルがナンミ家と縁戚筋に成れば、反ナンミ派が黙ってはいないだろう。必ずや新当主を担ぎ出そうとする勢力が誕生する筈だ。
今は無理矢理、強攻策を取るよりも、徐々に反ナンミ派の部下達の切り崩しと、懐柔を行い、家臣達の合議の上で政略結婚を行うのが上策である、と彼は考えた。
「いや、この三つ目の条件こそが、尤も重要だ」
「何ゆえ?」
「ゴシュウ殿。今、オウセン家の存続を図るのならば、反対勢力は黙らせろ。只、黙らせるだけではない。目立つように振る舞え」
「目立つ様に……?」
眉をひそめる。意図が読めない様子なので、すかさずテンコが口を開いた。
「ゴシュウ殿。詰まり、大殿の耳にも入るようにせよ、という事です。オウセン家が内部統一を静かに行っているようでは、大殿にとって気懸りですしね。そこで、少し大袈裟に騒ぎたて、見せしめにする」
「要するに、大殿の好むやり方で、内部統一をすれば、それだけ警戒を解いてくれる、という事だ」
「成る程……」
深く頷き、今後のオウセン家の方針を考えてみる。
先ず、ロウガ・オウセンの去った後、いずれ必ずや反ナンミ派の粛清は行わねばならないだろう。
不穏分子を抱えていては、再びロウガを担ぎ出すか、若しくはモウルに接近する恐れがある。
自分の役目はその者達の中から、主要人物を数名見せしめにし、内部の意思統一を図る。
「ゴシュウ殿。辛い役目だとは分かっているが―――」
「あいや、ユクシャ殿。お気遣いは御無用に御座りまする。某は元より、終生誹りを受ける覚悟が出来ておりまする故」
「そうか」
「はっ。これも家を守る為、残す為に御座る。此方こそ、甘い戯言を申し、恥しい限りですわい」
「オウセン家は大殿も一目置く名族だ。それが纏まり、ナンミ派に成れば、大殿は東へ目を向ける筈だ」
「大殿が度々クリャカ攻略の為に出兵しているのは、ご存知ですよね? 大殿はこれを好機に必ず再び、東へ向かう。背後を固め、西へ進む為にね」
「西のアイチャ家は如何成りまする?」
「アイチャとはその内、和睦するだろう」
「何を根拠に、そうお考えか?」
アガロは到着した援軍から、アイチャとクリャカが東西で動いた、との報せを受けた。しかしその報を知っても、アガロとテンコは然程驚きはしなかった。
「此度の出兵はあくまでもクリャカとの同盟を重視したものだ」
「形だけの出兵と?」
ゴシュウの問いにテンコが答える。
「アイチャは恐らく、クリャカ家からの支持が欲しいだけで、ナンミと積極的に争おうとは考えていない筈です。僕が思うに、アイチャは直ぐ和睦を考えるんじゃないですかね?」
「ナンミとアイチャが和睦をしましょうや?」
「ゴシュウ殿。俺等が此の侭、何もせず時間を費やせば、困るのはアイチャの方だ」
ゴシュウは少し首を傾げ、今のアイチャ家の状況を考え直す。
「西のマンジ家に御座るな?」
「御名答。僕が思うに、マンジ家が動いて、僕達ナンミ家と組めば、逆に挟み撃ちに成るのは向こうの方だ。だからアイチャ家は何処かで落し所を探っているんじゃないかな?」
「俺の予想だが、アイチャは兵を向けはしたが消耗を嫌う筈だ。戦は起こらんだろう」
「そこまでお考えか……。感服致した」
ゴシュウが感嘆する。自分達はアイチャ家の援軍を当てに謀叛した。しかし、当のアイチャ家が動かないのであれば意味が無い。あくまでもリフの動きを止めておきたい、クリャカ家の策だったのだろう。
それに頼みの援軍も、現れる気配は無い。
この部分にゴシュウは不信感を抱き、一族への裏切りではあるが、内々に和睦の道を探っているのだ。
「それとなゴシュウ殿。貴殿には引き続き、ナンミ家と争っているふりを続けて貰いたい」
「何ゆえに御座る?」
「此方にも色々と事情があるのだ」
アガロの表情から察する事は出来なかったが、長年戦場に在り、また家中の中間管理職をこなしてきた彼には、内部事情が思わしくないのだなと理解した。
そして、ゴズ城へ入る事は、ナンミ軍とオウセン軍の中間に立つという事だ。恐らくアガロは、オウセン家の抑えをして欲しいのだと、彼なりに察する。
「委細承知しました。後々の事は使者を寄越し、逐一報告させまする」
「いや、使者は無用だ。怪しまれる行動は慎んで貰いたい」
恐らく、事が割れれば不味い事態があるのでは、と勘繰ったがそれは此方とて同じ事。ゴシュウも上手く行くまでは、露見させたくはない。
表向きにはオウセン家は守勢になり、ユクシャ勢と戦線が膠着状態にあるように思わせたい。望みの薄いアイチャの援軍を待ちながら、和睦を進める。
「使者は何れ、此方から寄越す」
「承知仕りました。では是にて、御免……」
「ゴシュウ殿」
ゴシュウが去ろうとした際、アガロが不意に呼び止めた。
ユクシャ当主は静かな足取りで近付くと、肩膝を付き、着座するオウセンの武将と目線を合わせる。
「その内、モウルと直々に話がしたい。協力してくれると助かる……」
「一体、何をお考えか?」
「時期が来れば話す」
「……御意」
ゴシュウは部屋を去り、闇夜に紛れて自陣へ戻った。
部屋には二人だけが残ると、早速テンコが口を開く。
「さてと、これで何とか成りそうだね」
「表の事は任せるぞ。ヤイコクと上手くやってくれ」
「君こそ、ソホウの前に出ちゃ駄目だよ?」
「分かっている。あのリフの腰巾着め。何かに付けて五月蝿い」
狐目の友は苦笑した。
アガロは今、仮病を使い部屋に閉じ篭っているのだ。理由は今回、援軍として現れた、リフの家臣ソホウである。
アガロと再会したドウキとトウマが言うには、ユクシャ組の臨時の大将でありながら、勝手な振る舞いが目立ち、相当に嫌われているのだという。
組の者達の不満が募り、ハッダ城へ向かう途中何名かが脱走までしたのだ。
しかし、アガロが引き篭もった理由はソホウが口煩いからではない。
リフの命令が原因である。リフは彼にハンコウ県の切り取りと、オウセン家の根絶やしを命じたのだ。
しかし、オウセン家と争う気はない彼は、仮病を使い閉じ篭ったのだ。
総大将である彼が病気では軍は動けない。
「テンコ。そろそろカンラ親子を返せ。シシドを使って、噂を流す」
「どんな噂かな?」
「ソホウの暗殺の噂だ」
テンコは分からず、目だけで説明を求める。
「此の侭、放って置けばソホウが痺れを切らして何を言い出すか分からん。俺が病気になってから暗殺の噂を流せば、疑って行動を慎む筈だ」
「成る程。敢えて自分を疑わせるのか。結構危険だけど、大丈夫かな?」
「本当に殺したりはない。それよりもソホウの言動を抑えるのが目的だ」
「分かった」
「頼む。俺はもう寝る」
言うと襖を開き、隣の部屋へ入ると何時もの格好で太刀を抱き、据わって目を閉じる。
「君は臆病なのか、肝が据わっているのか、分からないね」
「今やる事は無い。それに、あの爺も言っていた。英雄とは一に動く事、二に待つ事だ、とな。今は気を窺うしかない。……それに、オウセン家に近付けば、かなりの戦力になる」
「暫くは自堕落な生活を楽しむと良いよ」
「書物を読むくらいしか、やる事がない。暇すぎて死にそうだ……」
【――ビ郡西部・リフの陣――】
バチバチ、と燃える篝火。身を裂くような冷たい風。陣卓上に広げられた戦場図を眺めながら、紫と黒を基調とした陣羽織を羽織った大大名が口を開く。
「アイチャは動いたか?」
「いいえ。未だに攻め込む気配御座りませぬ」
「アイチャは誠に我等と戦する気があるのでしょうや?」
アイチャ家と戦を始め、既に幾日かが経過したが、相手は一向に攻め込む気配を見せない。
リフは凡そ一万の兵を率いての出兵だったが、此方から仕掛けても、誘い出そうとしても乗って来ないのだ。
「大殿! 此処はいっその事、総攻撃を仕掛けてみては如何に御座ろう? 先陣は某が勤めまする!」
「落ち着け。今は出る時ではない」
「されど、この状況では兵の疲労が堪り、士気の低下に繋がりかねませぬ!」
「余り、大きな声を出すな……」
ナンミの大大名は、家臣を窘めると、口の前に手を合わせ、はぁ、と息を吐き手を擦る。少し短い咳払いをし、冷静な声で淡々と言を継ぐ。
「良いか? 状況とは、己の手で作り出すものじゃ」
「というと、何か策をお考えで?」
うむ。と一つ頷いた。
「よいか。間者を放ち、流言を行え。マンジ家とわし等が裏で通じている、と流すのじゃ。さすれば、アイチャは恐らく、動けなくなるじゃろう。後は一月、二月も待てば、向こうから使者が訪れる」
「向こうから使者が?」
「そうじゃ。この戦は長引けば長引く程、苦しくなるのはアイチャ家の方じゃ。和議を行おうと画策する筈。わしはその際、和睦の条件として、クリャカ家との和議を執り成して貰う積りじゃ」
はて。と家臣は首を傾げる。
「何故、クリャカ家と和睦等を?」
「考えても見よ。今のわし等は四方に敵を置き、身動きが取れん。和議が叶えば、暫しの間は落ち着く……」
「成る程……。その間に力を蓄えるという事に御座るな?」
家臣が頷くと、リフが続ける。
「そうじゃ。今は戦の時ではない。相手が動き難い時期こそ、攻め時じゃ……」
「されど、クリャカは大人しくなりましょうや?」
「安心致せ。東のクリャカ家から、密かにミハル家が此方に内応しておる。頃合を見計らい、謀叛させる……」
「おお! ではその時こそ、再び侵攻の好機ですな!」
「いや。わし等はクリャカへは向かわん」
その時、リフは獰猛にして狡猾、非情にして冷酷な眼光を放つ。
それを見るだけで、十数年間仕えてきた家臣は、心の臓が凍り付きそうになる。
「ミハル家はあくまでも、クリャカを足止めする捨て駒じゃ。逆にわし等はチョウエン家へ侵攻する。クリャカへ行くと見せかければ、カンベ郡の勢力も油断するからのう……」
リフの瞳は今を見ていない。一手、二手先を見据えている。明確な目標を立て、それの為に緻密な謀を巡らす。
今の彼は表情こそ冷たいが、家臣には、自分の頭の中で策を練っているであろう、今の老人の姿が尤も楽しそうに見えた。
「ごほ、ごほ……!」
「大殿。矢張り此処は我等に任せ、先にロザン城へ戻られた方が宜しいのでは?」
「いや、それには及ばん。それよりも、戦が終ったら、ユクシャのわっぱを呼べ」
「あの小僧を?」
「うむ。少し話がある」
「されど聞けば今、不治の病にかかって寝たきりとか」
「あのわっぱの事じゃ。仮病じゃろう。無理矢理でも構わん。引き摺り出せ」
「承知。されど、あの小僧。果たしてハンコウ県を平定出来ましょうや?」
するとナンミの大大名はふと不敵な笑みを浮かべた。
「力任せでは出来んじゃろう。何か策を講じる筈……」
「策を?」
「うむ。わしの命ずる侭にすれば、それは己が力量を計りきれていない愚将。取るに足らん器じゃ。じゃがもし、何か策を講じたならば……」
「その時は如何するお積りで?」
「その時は油断ならん……!」