第六十九幕・「テンコの策」
ナンミ家に対して以前から不満を募らせていたオウセン家が、遂に挙兵した。
当主ロウガ・オウセンは一月前にハカ・コセイの尽力の下、粛清されたコグベ、キフキ両名の家臣達を引き入れ、防備を固めていた。新しくハンコウ県にアガロ・ユクシャが入るという報を聞き、警戒していたのだ。
アガロがユクシャ衆を率いて領内へ現れた事、ハカ・コセイに唆された事が原因し、謀叛に及んだ。
ロウガは先にこれを討とうと兵を上げ、ユクシャ当主の篭るゴズ城を攻めると、城主アガロ・ユクシャは驚くべき速さで逃げ出した。
アガロの行ったこの撤退は、退き際を良く心得ている大将の見本として語り継がれる事になるが、それは後の世の話。
【――ビ郡・ロザン城――】
話は少し遡り、アガロからオウセン家謀叛の由を伝える早馬が到着する少し前の事だ。ロザン城の広間に、それよりも先に別の報せが伝えられていた。
「大殿! 一大事に御座る! 東のクリャカが動き、兵二千を率いてランマ郡のハドコロ城へ向かったとの由に御座りまする!!」
「……カンチジャ。わしの元から兵三千を派遣する。ジャベを向かわせよ。それとな、わしの馬印を使え」
「馬印をですか?」
眉をひそめる家臣カンチジャ。年の頃は三十そこそこの武将である。彼は主君の意図が読めなかった。
馬印は戦場で武士が自身の所在を誇示する為に使用される。
戦の最中、それは全軍を纏める為、また家臣達が何処で活躍しているか、主君に確りと宣伝する為に使用される目印だ。
「何故、大殿の馬印を? 御自ら御出陣なされるので?」
「そうではない。わしの馬印を使う事で、敵にわしが居ると思わせるのじゃ……。それと、ランマ郡の豪族達へ睨みを利かせられる……」
「成る程……。馬印をその様にお使いになられるとは、流石に御座りまする」
「ジャベには、陣中にてわしが居るかの様に振る舞え、と伝えよ。それとな、わしが何処へ向かうかは決して伝えるな」
「大殿の居場所が分からなければ、敵も警戒しますな」
「そうじゃ。わしがビ郡に留まって居るか、東に居るか、北に居るか、それとも西に居るか、検討を付かなくさせるのじゃ。敵を少しでも焦らせよ」
「はっ!」
カンチジャが広間を後にしようとすると、今度は広間に若い少年が姿を見せた。
その少年の姿を見るなり、先程の獰猛な眼光は突如として消え、リフはまるで打って変わって好々爺の面構えになる。
「大殿!」
「おお、キリカ! 如何したのじゃ?」
リフの可愛がる孫の一人で、嫡男ジャベの息子であるキリカ・ナンミである。年の頃はアガロと同じ十四。祖父譲りの鋭い眼光と、父譲りの長身、更に叔父ヒイラに似て整った顔立ちをした、ナンミの若き武将である。
彼は勢い良く着座すると、広間に響く大声を発した。
「先程、俺の元にも使者が参りました! トウ州で戦が起こると」
「うむ。此度はお前の父が向かうゆえ、案ずるな」
「大殿! 俺も此度は出陣したく思います!」
「何?」
リフが眉をひそめる。
「はい! 俺ももう十四。去年元服したというに、未だに初陣も果たせておりません。如何か此度は、このキリカも戦いたいです!!」
少年キリカは、果たして本当にジャベの息子かと疑ってしまうくらい、清々しい印象を相手に与える。
父は疑り深く、どちらかと言うと陰湿な雰囲気なのに対し、この少年は自信に満ち溢れ、瞳はギラギラと燃える炎のように熱い。
リフはこの少年のそういう所を特に気に入り、可愛がっている。
「キリカよ。そこまで言うのであれば、良いじゃろう。此度の戦にて初陣せよ!」
「はっ! クリャカの奴等を討ち取り、トウ州を切り取って見せます!!」
裏表がハッキリしている主だ。と家臣カンチジャは内心思った。
この非情で冷酷、家族でさえも己の野望の為に犠牲にする老人は、その笑顔の裏で、この孫を如何利用してやろうか考えているのかも知れない。
そうこうしていると再び新たな報せが舞い込んだ。
「申し上げます……。西のアイチャ家が動いたとの由。某の手の者の話によると、兵力は凡そ七千」
「なっ、七千だとっ!?」
口から唾を飛ばし、詰め寄るカンチジャ。
二番目に現れたこの家臣の名はソホウ。リフに小姓として仕え、ナンミ家の侍大将として活躍する若い武将である。
だが、その二人とは対照的に、冷静でいる大名リフ・ナンミ。老人は先程から、眉をひそめ顎鬚を撫でながら、考え事に耽っている。
「アイチャにはわし自ら当たる……」
「大殿が!? されど―――」
「聞け」
リフの眼力に思わず口を閉じる。ギョロリと光る両目で此方を睨みながら、老将は続けた。
「クリャカは今、背後を固めようと他の守護大名家へ向かう筈じゃ。恐らく、ランマ郡のハドコロ城へ差し向けられたは、所領を失ったセンカ衆辺りじゃろう。威嚇とでも思っておけば良い。北のファギ、ワンカ郡の守護大名家も動くやも知れぬゆえ、北方にはヒイラを向かわせよ」
「はっ!」
ナンミの大名が立ち上がり、広間を去ろうとした丁度その時、アガロからの使者が到着した。
「申し上げます! ハンコウ県にてオウセン家が謀叛に及びまして御座りまする!」
泣きっ面に蜂とは正にこの事だろうか。東西から敵が来るというのに、今また南部のしかも領内で謀叛されたのでは堪ったものではない。
しかし、老人は弱った顔をするかと思いきや、逆に笑みを浮かべる。
「わしの策に乗りおったか……」
「お見事に御座りまする! 前々からオウセン家謀叛の噂を流し、不安を掻き立てた甲斐が御座りましたな!!」
「流石は大殿だ…我等がナンミの総大将だ!!」
このキリカという少年は、祖父であるリフに尊敬の念を抱いている。憧れの眼差しで見詰め、常に目標としている。
「うむ…オウセン家はわしに対して快く思っておらん、言わばギ郡内の不穏勢力の筆頭じゃ……。それを潰す大義名分が出来たわい……。それで、ユクシャの小倅は如何しておる?」
「はっ! ユクシャ様はゴズ城を落ち延びられ、後方にあるハッダ城へと入られました!!」
「なん…じゃと…!?」
リフは突如、青筋を立て荒い足取りで使者へ近付いた。
思わずたじろぐ。目の前に怒りの眼差しでナンミの大大名が迫ってきているのだ。正常な反応といえよう。リフは怒鳴りつける。
「わしの命も無しに、勝手に兵を退いたか。あの小わっぱがっ!!」
手に持っていた扇子で深く平伏する使者の頭を打ち据えると、荒々しく言を継ぐ。
「あの小わっぱに伝えよ! ハンコウ県切り取りを許すゆえ、決して退くな。根絶やしにせよとなっ!!」
「ははっ!」
「さっさと行かぬか!!!」
怒声を発すると、使者は気圧され、後ろに引っ繰り返った。
彼は直ぐに広間から去り、アガロへ報告に戻る。ナンミの大名は上座へ戻ると着座し、溜息を漏らす。
「あのわっぱにも困ったものじゃわい……」
「されど、オウセン家がこの時期に謀叛に及ぶなど、矢張り裏で示し合わせていたのでしょうな……」
「そう見て間違いなかろう。裏で通じているのは恐らくアイチャ家…ハンコウ県へはヨ州バン郡から十分に増援も遅れるゆえ、ちと厄介になるやも知れん。じゃが、わしの敵ではない」
「あのユクシャの小僧……、果たしてオウセン家を討てましょうや……?」
「ふん。出来なんだら、その時はそれを口実にユクシャ家取り潰しをするまでじゃ」
「矢張り大殿は、ユクシャの土地も狙っておられるのですな?」
「そうじゃ。ユクシャの地は中々に豊かと聞き及ぶ上に、水軍も居るからのう……」
「なれば、何故コサンの小倅にハンコウ県の切り取り等を、お許しになられたので?」
「ギ郡内にて、ナンミの影響力を強めようと考えておる。ギ郡はジャベに任せておるが、矢張りわし亡き後の統治は心配じゃからのう。少しでも不穏分子を取り除いておく」
「その汚れ役を、ユクシャの小倅に…成る程、上手い考えに御座りまする。感服致しました!」
家臣が頷くと、今度は少年キリカが笑い出した。
「カンチジャ! 余り心配するな、禿げるぞ? 大殿! アガロなんて奴に任せずとも、この俺が父上の援軍に行く途中でオウセン家を根絶やしにして見せます!!」
「ふははははっ!! 聞いたか、カンチジャ! ソホウ! 何とも頼もしい限りじゃわい!」
「若様は誠、先行きが楽しみですな!」
「我等も負けませぬぞ!」
若い者が場に居るだけで、周りは明るくなる。特にそれが血気盛んな若者ならば、その情熱とやる気は周囲に伝染し、同じく力を与えてくれるのだ。
リフは何とも嬉しそうに笑みを浮かべると、立ち上がる。
「わし等も出陣じゃ! っ―――!?」
「大殿!?」
突然、リフはふらりと立ち眩みを起し、肩膝を付いた。
慌てて孫や家臣達が駆け寄る。
「心配には及ばん」
「されど、余りご無理は禁物ですぞ? 大殿は既に七十三。御自ら出ずとも、家臣に任せておけば宜しゅう御座る」
「それは成らん…アイチャ家との戦を、この目に焼き付けておかねばならんのじゃ……。何れ、上洛の途中で厄介な相手に成るだろうからの?」
「……されば、某は何も申しませぬ。早速、出陣の準備を整えてまいりまする!!」
「キリカ、何をしておる? お前もこれから初陣であろう! 遅れを取るな!!」
「はい! それでは行って参ります!!」
二人が退くと、老人は次に残った家臣ソホウにゆっくりと呟いた。
「うむ……。ソホウ。その方はわしとユクシャの小倅の屋敷まで供致せ」
「何故、あの小倅の屋敷等に?」
「ハクアの様子を見る。序でに、あのわっぱの姉を見ておこうと思うての……」
【――ハッダ城――】
話は戻ってハンコウ県・ハッダ城。
本拠であるビ郡へ早馬を飛ばして数日が経過した。恐らく使者は既に着いている頃であろう。援軍も駆けつける筈だ。
そう考えながら、広間にてユクシャ当主が徐に口を開いた。
「オウセンに動きはあったか?」
「いえ、目立った動きは御座りません。如何やら敵はオウセン衆、コセイ衆と二つに分かれ、ハカ・コセイは独力でこの城を攻め落とそうとしていると思われます」
「そうか」
ハッダ城はキフキの元居城である。
ハンコウ県のゴズ城を放棄したアガロは、この後方にある小城に籠もり、防備を固めた。
この城は川の多いギ郡の地形を利用し、泥沼地帯を作り、その中央に築城した所謂浮き城。少数の兵で篭るにはゴズ城よりも最適で、門は南東の二つだけであり、北西は沼地が広がる攻めるには厳しい地形だ。
しかし状況は最悪と言える。オウセン家の手勢は城を打って出て、ハッダ城から数町先の小高い丘の上に陣を布いている。
物見の報せによると、オウセン軍は一千。コセイ軍は六百。
対するユクシャ側はハッダ城の守兵を入れても四百弱。その上、三分の一は後方担当の者達で、実際に戦えるのは二百そこ等である。
コセイ衆はオウセン家と協力する気配が無いのか、独力で城攻めを行っていた。
ここ数日、幾重にも城攻めを敢行し、その都度ユクシャ衆はこれを良く防いだ。
しかし、城兵の士気は高くない。これでは何れ攻め落とされるのも時間の問題であろう。
しかもコセイ衆相手に、此処まで戦い疲れたのだ。その背後にオウセン家が控えていると思うと気分が重くなった。
「……オウセンの兵を相手にするにはキツイな」
「オウセンの兵士達は手強いです~」
彼の言葉に側近とコロポックルは頷いた。
ナンミ軍の強さは兵農分離を進めた常備軍にある。一年を通して戦う事が出来る兵こそが、ナンミ軍の真骨頂であり強みだ。
しかし兵の質にばらつきがあり、皆が皆、屈強かと思えばそうでは無い。多くの兵力を有するが、その分戦に弱い部分がある。
所謂、烏合の衆。特にこれから援軍に来るであろうユクシャ組がそれだ。
この一ヶ月の間に早急に掻き集めた兵士達だけに新兵も多く、士気が低ければ統率するのにも時間が掛かる。
恐らく、数は揃っても練度において何倍にも劣るだろう。おまけに混乱に弱く、直ぐに兵が逃走しようとする。
アガロの予想では、援軍で膨れ上がっても千~二千程の人間・亜人混成軍であろう。正に烏合の衆である。
「アガロ。そんな暗い顔ばかりしてちゃいけないよ。僕も早馬を飛ばしたから、恐らく直ぐにもミリュア衆が参上する筈だ」
「だが、テンコ。この状況でオウセンを止めるには無理がある。オウセンの兵士は強い。それに引き換え此方は新参者ばかりだ。コセイ衆は所詮ギ人の寄せ集めゆえ、何とかなるだろうが、オウセン衆相手では無謀だ。犠牲が出る」
「いっその事、僕等もオウセン家に呼応して、挙兵するかい?」
他の者に聞こえぬよう、テンコは小声で呟いた。確かに今ならギ郡内であるし、ナンミの監視から離れている。
不可能ではない。が、アガロも小声で返答する。
「それは出来ん。未だその時ではない……」
「そうだよね…今、挙兵しても、直ぐに潰されるのが落ちだからね……」
二人は溜息を吐いた。ギ郡で反旗を翻すのも手ではあるが、それには味方が足りない。
ギ豪族との連携が取れていない上に、ナンミには常備軍という巨大な傭兵集団が存在するのだ。
足並みが揃う前に殲滅されるのが落ちだろう。
「テンコ。少し良いか?」
急に褐色肌の少年は、声を小さくした。
ミリュア当主と側近が、耳を澄ます。
「俺はオウセン家と和睦を考えている……」
「アガロ…オウセン家を救ってくれるのかい?」
「それは向こうの出方次第だ。今はオウセン家に優位な状況にある故、和睦など微塵も考えていないだろう」
「そうだね……」
「そこで状況を少しでも此方に有利に傾けたい」
彼の言葉にテンコは口を閉じる。腕を組み、打開策を考えてくれているが沈黙が続いた。
「お、お館様……」
「―――……こんな時、大殿なら如何するだろうな」
「君が大殿の事を言うなんて珍しいね?」
「お館様……」
「こういう事態にこそ、あの爺のような狡猾さが必要だ……」
「成る程ね……。学ぶべき所があるなら学ぶと?」
「ああ」
彼は短く返答すると、暫く間を置き再び口を開いた。
「テンコ。矢張り敵はこの城も狙うだろうな」
「それは間違いないよ。援軍が到着する前にこのハッダ城も奪えば、ハンコウ県のほぼ全ては占領したも同然だからね」
「お館様っ!」
「なっ、何だ!? ヤクモか!?」
「うぅ…ずっと呼んでいるのに、酷いです……」
「アガロ…気付いてやりなよ」
「そう言うお前だって気付かなかったろ?」
「僕は分かってたよ。只、面白そうだから敢えて無視してた」
「皆、酷い……」
落ち込む彼女をすかさずテンコが慰める。
「何だ?」
「あの、これ…お父様からの文です……」
彼女が差し出したのは一通の文。それを受け取ると、早速目を通す。
「シシド殿は何だって?」
「―――……ハカ・コセイは旧領回復が目的。オウセン家と反りが合わない」
アガロは文を手渡した。それにテンコは目を通す。
「成る程ね。今は目的が一致しているから、共に戦っている訳か…これは使えるね……」
「策があるのか?」
「和睦を考えているんだよね? じゃあ此処は、僕に任せてくれないかな?」
「お前に指揮権を移譲せよ、という事か?」
「まぁ、そうだね」
ニヤリと厭らしく口角を上げるが、決して目は笑っていないミリュア当主を見て、アガロは眉をひそめた。
「僕の放った間者の話だと、敵にはモウルの叔父上ゴシュウ・オウセン殿が居るらしい」
「一体、如何する積もりだ?」
「和睦をする為の準備かな?」
「……良いだろう」
テンコは目を丸くした。
「君はやっぱり大物な気がするよ……」
「今は他に策がないのだ。ならば、お前に任せてみようと思っただけだ」
こうも簡単に指揮権を譲るのも問題だろうが、今はこれ以外に方法は無い、と判断したのだ。
自分ではオウセン家相手に正面から戦するのは、余りにも無謀。それならばいっその事、オウセン家とも仲の良い彼に任せ様と思った。
気を取り直して、テンコが訊ねた。
「アガロ。シシド殿は何処に?」
「コセイの陣に紛れている」
「それは重畳。では早速。ヤイコク殿は手勢を率いて、敵先鋒ハカ・コセイの陣に明け方、鉄砲隊で奇襲を仕掛けてくれ。それが済んだら直ぐに城内へ退却。殿はレラちゃんにお願い出来るかな?」
「承知!」 「了解です!」
「じゃあ僕も、一仕事してくるよ。ヤクモちゃん。一緒に来てくれるかな?」
「うん!」
さらさらした水色の髪を靡かせながら広間を後にする。
二人はテンコが宛がわれた部屋へ入ると、戸を閉め、周囲から人を遠ざけると火を灯し、薄暗い部屋の中で、狐目の少年は筆を取り、スラスラとあっという間に一つの文を認める。
「これをモウルに届けてくれるかな?」
「分かった。モウル君に届けたら如何すれば良いの?」
「ちょっと耳を貸してくれるかい?」
何か小声で囁くと、彼女は一つ頷きサッと姿を消した。
【――ハッダ城・広間――】
「大丈夫でしょうか?」
少し心配気味な声で側近ヤイコクが呟いた。
彼の主君は平然と答える。
「ヤイコク。任せておけ。オウセン衆に付いては俺よりも、あいつの方が熟知している。いざとなれば逃げれば良い」
「当主様はぶれないです」
去年の今日、大体この時間帯に、この小説を投稿しました。
一年てあっという間ですな……(遠い目)
これからも我が子を宜しくお願いしますm(_ _)m(親ばか)