第六十七幕・「オウセン家」
元来、ギ人は攻めに弱く、守りに強いと言われている。
隣のビ郡やセンカ郡と違い、ギ郡には山岳、森林や沼地等は極僅かしかない。地形は平地が殆どで土地は豊かだ。
そんなギ人にとって生活の糧といえば基本、農耕と商いの二つである。
豊かな土地に恵まれている彼等ギ人は、生活拠点を変える事無く、其処を中心に定住する。しかし古くから周辺の勢力から狙われる格好の的であり、度々領地を侵された。彼等が守りに強くなった最大の要因である。
基本、衣食住に事欠かない土地柄である為、ギ人は富を貯め込み、それ等を守る事に専念する傾向に強い。
『ギ人はケチだ』と言われる所以である。
が、隣の郡、特にビ、センカの両郡は厳しい土地柄と、収穫出来る食料の量はそれ程多くなく、災害や不作等が続けば、直ぐに飢饉が起こり、餓死者が出て、最終的には不満が募り一揆が勃発する。
そんな土地であるビ、センカ郡では、生活する為に出稼ぎとして傭兵に成り、戦いに行く者達が多く、彼等にとって生きるとは『戦い』『奪う』事であり、ギ人と違い守るのではなく、攻めるのが得意である。
入り組んだ地形や、山間等に生まれ育ったビ人は足腰が強く、動体視力や反射神経、膂力に優れている。
東のセンカ人は名工を沢山輩出するトウ州の一部だ。武器の性能に熟知しており、環境が戦いに適している事もあってか、幼い内から戦の真似事をし、感覚を磨いていく。
おまけにトウ州人は馬術に優れた者が多い。その強さはセンカ人一人でギ人三人分と言われる程であり、トウ州の中でも特に頑強にして、質実剛健な者達が多い。
しかし、上ギ郡西部・ハンコウ県を拝領するオウセン家は違う。
ハンコウ県はギ郡でありながら、北はビ郡、西はカンベ郡に隣接し、南は海に面し、海賊衆、各地域の氏族、部族が互いに小競り合いを繰り広げてきた地域だ。そんな中で誕生したのがオウセン家。
古来より、戦働きで名を馳せ、度々領土を侵してくる敵を撃退し、時には此方から攻めては奪い取る。多くの人種が混ざり合うこの地域で抜きん出た一族なのだ。
名将を多く生んでいるこの一門は、何時しかギ郡の武門の棟梁とまで言われる程になっている。
その一門の次期当主にして、嫡男のモウル・オウセンは弓馬に秀で、槍を得意とし、その上兵法に通じている。
彼の一門衆は皆、戦闘民族と言っても過言ではなく、その勇名はエン州は勿論、隣郡各地に轟いている。
【――ハンコウ県・ゴズ城――】
オウセン家謀叛の急報から翌日。ユクシャ当主とミリュア当主の二人は、櫓の上から眼下に広がるオウセン家の居城を睨む。
テンコは未だに信じられない様子でいた。
「でも、何でオウセン家が謀叛なんか……」
「大方、裏でアイチャ家か、チョウエン家が動いているんだろう。武門の棟梁で、名族のオウセン家を動かすには、ある程度名前のある家じゃなければならんからな」
「……恐らく、先鋒はモウルが来るよ」
「俺もそう思っている。あいつの性格上、後ろに控えているのは我慢ならんだろうからな」
「如何する気だい、アガロ? オウセンの兵は強いよ?」
「ギ郡屈指の強兵共だ。ユクシャの弱兵で正面からでは太刀打ち出来ん」
腕を組み、オウセン家のヒジハ城を睨んでいると、テンコがふと思い詰めた表情で口を開いた。
「ねぇ、アガロ。モウルを…オウセン家を救ってはくれないかな?」
「……勝手な願い出だな」
「それは分かっているよ。今回はカンラ家の引き取りもして貰ったし、君には恩を感じている。でも、モウルは僕の大事な友なんだ! きっと謀叛にも、理由があるんだよ!」
「―――……何れにしろ、ユクシャの兵で勝つ事は出来ん。今はこの状況を如何、脱するかだ」
二人は櫓を下りると、城の防備を固める兵士達の様子を見始めた。
ゴズ城には、アガロが居城タキ城から送って貰った凡そ三百の兵士と、テンコの侍従数十騎、そしてレラのコロポックルと、新しく加入したカンラ衆が居るが、それでも三百五十も無い。とてもオウセン家の攻撃に耐えうるだけの兵力ではない。
(ゴズ城の地形を利用しても、難しいだろうな……)
ゴズ城は小高い丘の上に聳える小城だ。北門と南門の二つに、西側は堀と柵を巡らし、東側は森林に包まれている。この城へ入るには坂を上らなければならない。それを利用すれば何とか持ち堪える事が出来るかも知れないが、何分兵士達が頼りない上に、質が違いすぎる。
オウセンの強兵相手では、力押しで簡単に潰されるだろう。
「僕の家からも報せを飛ばしたから、爺が直ぐに兵を送ってくれる筈だ」
「助かるが、それでは足りないな。今回俺が引き連れたのは、殆どが後方支援を主とする奴等で、前線で戦うのが仕事の者じゃない。レラのコロポックル達と合わせても、精々二百が精一杯だろう」
「厳しいね……」
テンコが重い声で呟くと丁度、二人はグルリと城内を回り終わる。その時。何処から音も無く人影が現れた。
「お館様。シシドですわい」
「何か掴んだか?」
「はっ……。如何やらヒジハ城には凡そ二千の兵が詰めておりますわい」
「この短期間によくそれだけ集めたな……」
「それが、コグベ、キフキの元家臣達も居りましてな……」
「成る程、な……。何処を探しても見つからなかったのは、ヒジハ城に隠れていたからか……」
アガロは顎に手を当て神妙に頷いた。
「恐らく、両者の旧臣達に扇動され、謀叛に応じたとかか?」
「ご明察。城主ロウガ・オウセンは、コグベの旧臣ハカ・コセイという男と結託し、兵を早急に集めたとの事。それと、お館様の兵を見て、謀叛を決意した様ですわい」
「ふん! 名門が聞いて呆れる」
「ですが、今のお館様はナンミの一門ですからな。警戒するのも無理ありますまい」
「……リフはわざとオウセンに謀叛させたのだろうな」
その言葉に、テンコは眉をひそめる。
「アガロ。どういう事かな?」
「今回、リフの兵ではなく、ユクシャ衆を率いさせたのは、俺等が既にリフの言いなりである事を向こうに見せ付ける為。そして、相手の不安を煽り、謀叛させる為だ」
「……成る程。オウセン家程の名族ともなれば、直ぐに取り潰す訳にもいかない。そこで謀叛をさせ、取り潰しの理由を作ったという訳か……」
『あの爺』と二人は内心舌打ちする。
「アガロ。オウセン家と戦するのかい?」
「これは謀叛だ。戦になるだろうな」
「彼等を許す事は……」
「俺に許す許さないを決める権利は無い。全ては、リフの爺が決める」
「そう、だね……」
ふと暗い顔をする。テンコはオウセン家と仲が良く、特にモウルとは友の間柄だ。
複雑な心境なのだろう。
「でも、アガロ。オウセン家は武門の棟梁だけあって、兵法に通じている。相手にしない方が最善だよ」
忠告をするテンコ。彼はオウセン家の力を良く知っている。彼だけではない。アガロは勿論の事、ヤイコク、ヤクモとギ郡で育った者達ならば、嫌でも認識している筈だ。
その時、兵士が一人、アガロ達の側へ寄ると跪いた。
「報告! ヒジハ城から敵が打って出ました!」
「来たか……。大方、ナンミの援軍が現れる前に、俺等を城から追い出そうという魂胆だろうな」
アガロが呟く。流石に今回は分が悪い。苦い顔をしていた。
取り敢えず、急ぎ広間へ向かうと、其処には既にヤイコク・ブンワ、レラ、そして新たに加わったヤクモ・カンラ等の姿があった。
「御当主様。お待ちしておりました」
「敵が来たみたいです」
「ん」
彼は上座にドッカと腰を下ろすと、早速口火を切る。
「テンコ。確かモウルは、兵法に通じていたのだったな?」
「そうだけど…何か思いついたのかな?」
「ゴズ城は放棄する」
「なっ!? 良いのっ!?」
目を丸くするテンコを尻目に、アガロは淡々と言を継ぐ。
「当たり前だ。勝てない戦で無駄に兵を犠牲にする方がどうかしている。それにな、テンコ。城は後で取り戻せるが、兵は死んだら帰っては来ない」
「わたしもそれが良いと思うです」
「敵中深くにあるこの城よりも、籠城ならば後方にあるハッダ城の方が適しているかと思われます。ハッダ城の守兵を取り込めば、幾らかの兵力増強にもなります」
ヤイコクとレラの二人は、流石にアガロと死線を共にして来ているだけあって、彼の案を支持した。
「……分かった。それで、如何するのかな?」
「任せろ。これでも、味方の殿を嫌と言う程経験したからな……。キョウサク!」
「はっ!」
広間に小男が一人姿を見せ、前に出て平伏する。
「お呼びですかりゃ?」
「今からお前を足軽組頭にする。北門坂から下った先に、林があったな。其処に兵二十で伏せろ」
突然の人事に驚く事もせず、キョウサクは『有難き幸せ…』と喜び、深々と頭を下げた。
そして、その鋭い瞳を向ける。
「なりゅほど。伏兵ですりゃ?」
「その際、馬を林の中で走らせ、砂煙を上げさせろ」
「りゃっ!? そりぇでは、敵に兵が居る事を教えている様なものですりぇ!?」
「良いからやれ! 後に林を抜け、南門後方へ下がれ」
「は、はっ!」
意図が分からないが、それでも今は緊急事態だ。従う他無い。
その上、キョウサクは一種の高揚感の様なものを感じていた。あれだけ憧れていた、戦を経験するのだ。これは彼にとって初陣であり、俄然やる気が違う。
キョウサクは下がった。
「ヤイコクは城の門を開け放て。旗指物はその儘にし、兵は城から出して、南門後方の林に待機させろ。俺はオウセンの部隊の足止めをし、その後、合流する」
「御意!」
「レラは東の森に伏せ、敵が迂回してくる際、足止めしろ。それが済んだら下がれ」
「了解です!」
「先に城に居るヨイカの商人達を避難させる。その後、此処より五町先にある街道で合流だ。万が一、不測の事態に陥った場合は、真っ先に落ち延びろ。生き残る事を優先とする」
「アガロ。味方が少ないのに、兵を分けるのは如何かな?」
テンコが前に出た。
彼の言い分も分かる。兵が少ないのに分散させるのは下策だ。
「テンコ。勘違いするな。これは撤退が目的であって、敵を討つ事が目的ではない。故に、味方が少数なのを利用して、要所要所で足止めし、残りの奴等を先に逃がす」
「成る程…僕等も何か手伝えないかな?」
「お前には城内の者達の避難を手伝って貰う」
「分かった」
ミリュア当主が広間を後にすると、それに着いて行くように、ヤイコクとレラも同じく出て行き、其々の仕事に向かった。
アガロはカンラ親子に視線を向けた。
「シシド。そのハカ・コセイという男を探れ。決して目を離すな」
「承知……。ではヤクモ。お館様の事、頼んだぞ?」
「はい!」
シシドも出ると、アガロはヤクモに振り向く。
「お前はテンコの手伝いだ。城に居る商人達を城外へ逃がせ」
「でっ、でもそれじゃあ…お館様の側を離れる事になります……」
「要らぬ心配だ。今の内にヨイカ衆に恩を売っておく」
「……はい」
彼の考えを聞くと、直ぐに向かった。
皆に命を下すと、彼は一人北門付近まで進んで兵を集めた。早急に厩屋から鳥騎馬を数十騎と、兵士を揃わせる。
「報告! 敵の先鋒は凡そ四百!」
「恐らく、先方はモウルだな……」
「これはこれは、ユクシャ様」
「ハリマ屋? 未だ逃げていなかったのか?」
眉をひそめる。彼の前に現れたのは、都から遥々訪れた商人のヒノ・ハリマ。
何故か彼は慌てた様子も無く、それ処か脇に一頭の馬を部下に引かせている。
「何の積りだ?」
「手前も同行しようと思いましてな」
「正気か?」
「ずんと正気です。手前が思いまするに、ユクシャ様は面白いお方だ。これから商いをする相手に相応しいかどうか、じっくりと見定めさせて頂きたい。……それに、ヨイカ衆に恩も売っておきたいですしな」
「それが本音か」
呆れたように言うと、商人は可笑しそうに笑った。
「いかにも! 売れる時に売り込んでおかねば、この乱世で商売は出来ませんからな!」
「気に入った。供許す! だが、鳥騎馬にしろ」
「承知しました。されど、宜しいのですか? 大将自ら出向いて、撃ち殺されたりしませぬか?」
「ハリマ殿。モウルはそんな奴ではない。騙まし討ちなら、俺の方が優れている」
アガロは直ぐに具足に身を固めると、武具を手に取り、鳥騎馬に跨る。
彼はじっと前方にて砂煙を上げ向かってくるオウセンの部隊を凝視した。
(モウル……。悪いがお前に付き合っている暇な無いぞ)