「花嫁」 後編
「俺が殺される、だと?」
「はい。殺されます」
「何を根拠に……」
固まり眼前の花嫁を凝視する事しか出来ない。
「父は、過去に多くの人達を殺めておりまする」
「今は乱世。親兄弟であろうと殺し合い、裏切る。謀略は世の常だ」
「確かにそうでしょう。なれど、父の謀殺は見境がありませぬ」
「見境が、無い……?」
怪訝な顔を向ける。彼女は言を継いだ。
「はい。ハクアには、姉が二人居りまする。そして父は、姉の嫁いだ先の娘婿を謀殺しておりまする」
「…………」
「何れはユクシャ殿を、と思うている筈に御座りまする」
「下らん。脅しの積もりか?」
確か彼女の話は以前テンコから耳にした事がある。リフは見境ない暗殺を好み、娘婿を謀殺してその所領を全て奪っている。
だが、これは罠だとアガロは疑った。ここで脅しを掛け釘を刺す。若しくは不安を掻き立て、叛意を募らせ直ぐに密告し、粛清して所領を奪う積もりだ。
そんな手には乗らん、とばかりに睨み付ける。
しかし、彼の眼光に臆する事無く、ハクアは向き合う。
「リフ様は我等が殿で、ましてや俺の舅殿だ!」
「ハクアの言葉は、父上より信用出来まする」
「そう言って、俺の腹を探る積もりか?」
「では、私の本心を打ち明ければ、信じて頂けまするか?」
「……良いだろう。何を考えている?」
アガロは低い声で訊ねた。普段の甲高い声とは逆のその声は、疑り、警戒している証拠である。
対してハクアは先程までと変わらず、淡々とした口調の侭だ。
彼女は徐に近付いてきた。立ち上がり一歩一歩、歩み寄る。その動作の一つ一つがリフを思わせ、より警戒を強めさせた。
側に座ると顔を近付け呟く。
「父を殺して下さりませ……」
「―――ッ!?」
目を丸くし硬直する。沈黙が続いた。
行燈の火が揺れ、顔の影がほんの微かにたゆたう。不意にたらりと汗が流れ、頬を伝うが、それにも気付かない。
「ユクシャ殿。これで、信じて下さりまするか?」
「―――……信じられない事を聞いて、信じろとは笑止!」
語調を強くし、彼は怒鳴った。
当然だろう。今日初めて会い、婚儀を行った花嫁の口から、舅を殺してくれと聞いて、誰が本心を信じるだろうか。
「俺はこれからもナンミ家を盛り立てる積りでいる。叛意など無い!!」
「しかしそれでは、ハクアはまた、夫を失いまする……」
「……何?」
途端、彼女の表情が暗くなる。
「私は過去に、ウト家に嫁いでおりまする」
「ウト家……?」
「ウト家は今から三年程前、ビ郡に在った家に御座いまする。されど婚儀の晩、当主ビルカ・ウトの急死により、お家は断絶しました……」
「それは残念だったな」
これ以上話し合っては危険だ。
そう感じた彼は、太刀を持ち壁の端へ寄ると、刀を抱き抱えた侭座り、何時もの眠りの姿勢に入った。
「ユクシャ殿。ウト当主は急死ではありませぬ」
「―――…………」
彼女の夫は完全に無視を決め込んでいた。見向きもせず、頑なに瞳を閉じ続ける。
「当主ビルカ・ウト様は病弱だったゆえ、薬に毒を盛られたのです。それを証拠に、父はビルカ様が急死して間を置く事無く、その所領を全て没収しておりまする」
「…………」
「ハクアは、未だ男も知らぬ身で、未亡人に成ってしまいました……」
彼女の表情が歪んだ。声には若干の悔しさが混じっている。
アガロは瞳を閉じながらも考えた。確かにハクアの言う事、嘘とも言い切れない。彼女の父はそんな事くらいお手の物だろう。
「ユクシャ殿。ハクアは積年の怨みを晴らしたいのです。夫の怨み、そして姉上達の怨みです……!」
「―――……怨み?」
その時、瞼を開き、彼は聞き返した。
「長女はカヒル家に嫁ぎ、程なくして父が当主を殺し、領地へ攻め込み滅ぼしました。次女はオグリ家に嫁ぎ、当主は賊の襲撃を受けましたが、実際は父の手の者による暗殺に御座います」
彼女の瞳が見る見る内に、怒りの色に染まっていくのが良く分かった。語れば語る程、唇はわなわなと震え、悔しさから手が震えている。
「姉は二人とも、出家をしましたが、失意の内に世を去りました……。母上も、冷酷な父と別居し、最後には怨み言を残し逝かれました。なれど、ハクアだけは残ったのです。何時か必ずや、この怨み晴らしてくれようと、日々生きておりました。最早、涙は流し尽くし枯れはて、怨めしい気持ちで毎日を過ごしておりましたゆえ、幸せというものを忘れてしまいました……」
そこまで語ると一息ついた。
「ですが、ユクシャ殿なれば、きっと父を討ってくれると思うておりまする」
その確信と、自信は何処から来ているのか。丸で自分を投影しているかのようだ。
「俺には叛意など無い」
「未だお疑いで御座りまするか? 早くせねば、次はご自分の番で御座りまするよ?」
「黙れッ!!」
流石に我慢なら無かったのか怒鳴った。そしてつい抜刀しそうになり、寸での所で思い止まる。
「ユクシャ殿は些か、臆病な所が在りまするな? ハクアを斬りたければ、お斬りになられませ!!」
リフの娘だ、と思わずにはいられない。この強気な性格や、本性を隠す所、全てが酷似している。
若しくはどんな手を使ってでも、自分に失態をさせ、付け入る隙を狙っているのかも知れない。
「……俺は別の部屋で寝る」
「お待ち下さい、ユクシャ殿!」
「夫を未だに、他人行儀で呼ぶ女の所で寝られるか!」
これ以上居ては、何を言われるか分かったものではない。
彼が早足で部屋の障子に手を掛けたその時だ。
「ユクシャ様。お館様がお呼びです」
「大殿が? ……直ぐ参る」
「いけません! 今行けば、父に殺されまする! ユクシャ殿!!」
しかしアガロは妻の制止に聞く耳持たず、黙って部屋を後にした。
この時だけは何時もの彼に戻っていた。
「―――……直ぐ追わねば…もう、一人は嫌じゃ……!!」
【――ロザン城内・リフの居室――】
「アガロ・ユクシャです」
「入れ」
「失礼します」
障子を開き中へ入る。
「何か、火急の用件で?」
「…………」
「……大殿?」
返事が全く無い。寝ている訳でもないし、死んでもいない。
少し頭を上げ、リフを見た。老人はどうやら先程から、障子を開け放ち庭を眺め、酒を飲んでいる様子だった。
「大殿? 如何しました?」
「…………」
何を言っても無言で聞き流すだけ。ふと老人が庭を眺めながら、無表情から時々口角を上げ、不敵な笑みを浮かべているのに気付く。
気になり視線を庭へ逸らした。
「―――……ッ!?」
彼は目を疑った。絶句し、何も言えない。
庭にあるのは二つの小振りなスイカのようなものだ。それが今、月明かりに照らされている。
「コグベ、キフキ……!!」
「この者達は裏でチョウエン家に通じておった……」
リフの冷酷で低い声が静かに発せられ、やがてアガロの耳にも届く。
冷や汗を流し、体を動かす事が出来ない。
「アガロ。急に呼び出して済まんな」
「―――……い、いえ」
落ち着け。自身に言い聞かせる。何時ものように冷静に振舞うよう勤めた。
「若しや、既にハクアと床の中じゃったかのう?」
「いいえ。あの者。少々相手に梃子摺ります。流石は、大殿の娘御です」
「ふっ。そうじゃろう? 何せ、わしが一番可愛がっておるからな……」
床処か手すら握っていない。それ以前に心の壁を作り、完全に遮断しているのだ。
まず有得ない話である。
「アガロ。お主もこれよりはナンミ一門じゃ。誓いの盃を取らす……。飲め」
「…………」
リフは杯に酒を注ぐと、ゆっくり近付き目の前に着座した。手に持った盃を差し出し、勧めてくる。
(まさか、クリャカと通じていた事、割れたか……!?)
チョウエン家に通じていた二人は粛清され、今度は自分の番か。ハクアの言っている事が的中したのか、今正に死に直面している気分だ。
この酒は安全か、それとも毒入りか。彼の頭は一気に混乱した。心音が次第に早くなる。鼓動が聞かれないか、それが原因で自分の動揺がばれないか焦った。
老人の視線が怖い。十四の少年と、七十三の老人とが睨み合っている。いや、一方的にリフが睨んでいるのだ。
「俺は先程、十分飲みましたゆえ―――」
「この一杯だけじゃ。もう勧めぬ」
やんわり断ろうとするが、それを老人は許さなかった。
全身から汗が流れる勢いだ。震える手を何とか押さえ、ゆっくりとした動作で杯を受け取る。しかし、その先が如何しても進めない。
飲めば良い。そうすればこの老人も満足する。
だが、この酒は今迄経験したどんな戦よりも恐ろしいと感じた。
口に溜まった生唾を飲むと、グビッと大きな音が鳴った。
「それ程までに喉が渇いているならば、早う飲め?」
「…………」
「―――……飲まぬかっ!!!」
この酒はさっきまで老人が飲んでいたものだ。毒は無い。そう言い聞かせた。
だが、ふと脳裏を過ぎる。果たして本当に自分は、リフがこの酒に口を付けた所を見ただろうか―――。
(口を付けて、いない……!?)
自分は部屋に入ってからは頭を下げた侭、老人をちらりとしか見ていない。それだけで何故、リフが酒に口を付けたと思ったのか。一連は全て芝居の可能性がある。
そう思うとぐるぐると脳内の記憶が目まぐるしく回り、余計混乱しそうだった。
(落ち着け! ここで断れば、余計疑われるだけだ!!)
アガロは瞳を閉じると、軽く頭を下げた。意を決し、侭よとばかりに口をつけようとした瞬間、聞き覚えのある声がした。
後ろの障子が許しも無く開け放たれると、鬼の形相で睨んでいたこの老人が、いきなり破顔した。
「父上……」
「ハクア。急に如何したのじゃ?」
「ハクアの旦那様を独り占めばかりして、父上はずるう御座りまする!」
「むぅ。しかし、今はわしの娘婿ぞ?」
「今宵はハクアの初夜なのですよ? いい加減にして、旦那様を解放して下され!」
「ふ、あっははは!! そうであった! ハクア、今暫し待て。婿殿に酒を振るもうておる」
「まぁ、またお酒!? 実は先程から十分すぎる程、召されておるのです。これではつまりませぬ! これは私が頂きまする!」
「おい!?」
言うと彼女は、呆然としていたアガロから杯を取ると、ぐいっと勢い良く飲み干した。
「大変美味しゅう御座いました。さ、旦那様。五月蝿い舅は放って置いて、行きましょう?」
「ちょ、おい!?」
強引に手を引っ張られ、彼は部屋から連れて行かれる。一礼したり、場を去る台詞すら吐かせて貰える暇は無かった。
「くっ、くくく、あ―はっはっはっはっ!!!」
後に残されたリフは一人大笑いし、首を肴に飲み直した。そして、ふと彼は哀愁漂う目付きになる。
(若々しい手をしておったわい……。力に溢れている手じゃ……)
老人は自分の手を見た。皺に痣。血管が浮き出ておまけに戦で傷付いたぼろぼろの手だ。
十四の娘婿に、七十三の舅は情けなくも嫉妬していた事に気付き、自嘲するかのように笑みを浮かべる。
不意に脇に置いてある太刀をスラリと抜いた。
静けさだけが残る部屋を出て、縁側へ進む。
長年戦場を駆けてきた愛刀を握り、渾身の思いで振り下ろした。
風を裂く音が一瞬聞こえ、再び静けさが戻る。
「人は…何故、老いるのか……」
【――リフの別荘――】
「――――――……はぁ」
小さいが、とても重い溜息を吐いた。
一心不乱に城内を抜け、この部屋へ目掛けて一目散に逃げ込んだのだ。一息付くと、ドッと疲れが溢れ出した。
「ユクシャ殿は如何やら、戦場では勇猛果敢でも、父上の前ではお尻の穴が小さいと見えまする」
言い返せない。それだけ今の自分の姿が情けなかった。不甲斐無いと自分を責めた。普段、過剰なまでの自信家だが、その自信が逆に自分を傷付ける。
彼はその場に座り込んだ。こんな姿今迄、気心知れない相手に見せた事はない。出会って直ぐに見れたのは恐らく彼女が初めてだろう。
しかし無理もない。いきなり元同僚二人の生首を肴に酒宴をしている老人の酒を、誰が好き好んで飲むのだろうか。
自身の計画がばれたかと焦るし、ハクアの脅しとも取れる話を聞いた後では余計に警戒する。
それを躊躇いも無く一気に飲み干した彼女の肝は、相当に据わっているといえた。
「……助かった。感謝する」
「正直はよろしゅう御座いますな?」
「が、何故駆けつけたのだ? あの酒が毒入りだとは思わなかったのか?」
「―――……思いました。されどハクアは…もう嫌なのです……」
「嫌……?」
意味が分からず、眉をひそめ、彼女の顔を真っ直ぐに見詰めた。
「ハクアは大好きな母上様や姉上二人を失い、そして心よりお慕い上げた夫にも先に死なれた身です……。例え今宵、婚儀を執り行ったばかりの殿方でも、先に…死なれとうありません……っ! 一人に…成りとうないのです……」
その声は震えていた。次第に彼女の頬から涙が零れ落ちる。
涙は枯れ果てたと言っていたが、今迄気丈に振る舞い我慢していたのだろう。恐怖心に怯える自分を叱咤し、父の酒をあおったのだ。
「もう一人に成りたくない…! 父に奪われたくない…っ!! そう思うと、知らない内に体が動き…ユクシャ殿を追っておりました……」
「―――……ハクア」
アガロは優しく指で、彼女の瞳から零れる涙を拭った。
花嫁は顔を上げ、ユクシャ当主を見た。その瞳は先程のように猜疑心に溢れたものではなく、優しいものであった。
「ユクシャ殿ではない。俺には立派な名がある」
「……アガロ様」
「ハクア。お前を信じてみよう」
「誠に、御座いまするか……?」
「全てではない。だが、信じてみようと思った。女にそこまでさせたのだ。ここで猶疑っては男が廃る。その上、器量が狭いと愛想を着かされるからな。それでは立派な当主になれん」
「はい…直ぐに信じずともよろしゅう御座りまする……」
暗く沈んだ瞳が輝いた。
こいつは俺に似ている、と彼は思った。裏表があり、意地っ張りで、自信の裏に不安と恐れを隠している所はそっくりだ。恐らく似た者同士は気が合わない、同属嫌悪という奴だろうか。初めに気に入らなかったのは、そこだったのかも知れない。
「ハクア。これから、末永く頼むぞ?」
「アガロ様…先に死んだりしたら、承知致しませぬ……」