第六十一幕・「機を窺う」
【――ビ郡・ロザン城下・雨漏り屋敷――】
未だに季節は熱く、湿気も多くじめっとしている。
梅雨はとう過ぎたが、この雨漏り屋敷はこの時期が一番と言っていい程キツイ。
連日振り続けた雨の所為で、屋敷内は浸水し、最早屋根の意味を成していない上に、此処は盆地であり水溜りが出来ると、蚊が大量に沸く。
屋敷の使用人達は、日々咬まれては痒さと戦っている。
「お帰りなさいませりゃ! ユクシャ様!!」
屋敷の外で一番に顔を見せたのは、リフの小人頭で、今はアガロの内情を探ろうと、密かに潜り込んだ出世を狙う小男キョウサク。
彼は満面の笑みで出迎えるも、当のユクシャ当主は不機嫌だった。
「…………」
「此度はお味方の勝ち戦と聞き、祝着至極ですりぇ! 食事を用意しましたりぇ、ゆっくりと温まり、疲れを取って下さりぇ!」
「…………」
「―――え、と…ユクシャ様?」
「俺は部屋へ行く。誰も通すな」
屋敷へ入ると、亜人の使用人達が、無事の帰還を喜び出迎えてくれたが、アガロは先程と同じ言葉を浮かない顔で言うと、その侭部屋へ向かって行った。部屋の襖をぴしゃりと閉め、誰とも会おうとしない。
キョウサクは訳が分からず、同行した赤鬼ドウキに訊ねる。
「それが、おれにもよくは分からねんだよ。大将はずっとあんな感じだったしな……」
「そんですかりぇ…トウマ殿は何か心当たりでも?」
「それが、申し訳ないんでやんすが、あっしにも詳しい事は分かりやせん。若旦那は口を割ろうとしないんでさぁ……」
お手上げとばかりに二人はかぶりを振った。何時もアガロの側に侍り、信用されている二人にも分からないという。
「なりゃ、ヤイコク様は―――」
「残念ですがキョウサク。私にも、御当主様が何故あそこまで機嫌が悪いか、分からないのです」
不意に後ろから現れたヤイコクに、キョウサクは直ぐ様平伏した。
少し目線を上にし見てみると、どうやら皆難しい顔をし、腕を組んでいる。
「それよりも、早く他の者達の手当てを頼みます。此度の戦でユクシャ組は相当な深手を負いましたからね……」
「はっ! 早速行って来ますりぇ!」
キョウサクは表へ出ると、ユクシャ組の集まる足軽長屋へ急いだ。手当てへ向かわされたのはどうやら自分以外にも居るようで、屋敷の使用人達の殆どが既に、向かった後のようだ。
その途中考え事をする。
(一体どうしたんだりぇ? あのアガロ殿が、あそこまで浮かない顔をするのは初めて見たりぇ……)
何かあったに違いない。そう考えるのが妥当だが、その何かが分からない。
アガロは警戒心強く慎重な為、自身の事を打ち明けはしない。
普段から人の感情に敏感な彼だが、流石にお手上げだった。何せ一番の側近であるヤイコクでさえ、その理由が分からないのだ。自分に分かる筈無い。
「兎に角、今は言われた通り、ユクシャ組の奴等の面倒を見なけりゃなりゃね……」
【――足軽長屋――】
「なん、りゃ…こりゃ……っ!?」
長屋に着いたキョウサクが目にしたのは、多く傷付いた亜人達だった。
至る所に寝転がり、体中を古い包帯で巻いて手当てしている。中には此度の戦で手足を失い、酷い火傷跡が残る者も居る。
「ほらソコ! 突っ立ってないで、さっさと手伝って下さい!!」
立ち尽くしていると、隣から声を掛けられた。顔を向けると、一人の鬼が負傷兵に肩を貸し、ゆっくりと筵の上に寝かせている所だった。
「見えねぇ顔だりゃ?」
「俺はリテンです。今回の戦で初陣を果たしました」
「無事で何よりだりゃ! おりゃあはキョウサクと言いますりぇ!」
「キョウサクさんですか? 其処にある包帯を取って下さい」
「はっ! しかしこりゃまた、随分と派手にやられましたりぇ~」
言うとリテンの表情が固まった。それに気付かないキョウサクではない。
「これもユクシャ組が皆、勇敢で、敵中に臆する事無く向かって行った証拠ですりゃ!」
「――――――……違います」
「へっ?」
ワザと聞こえない振りをする。少しおどけた声を出して、訊ね返した。
「これは敵にやられたんじゃないんです……。全部ナンミの奴等にやられたんです……ッ!」
「こりゃまた冗談が過ぎますりぇ?」
「冗談なんかじゃねぇっ!!」
体中に傷を負った鬼が叫んだ。
「ナンミの奴等はおれ等ごと、敵を焼き殺しやがったッ!! しかも、味方から角や牙を狙われて、殺された奴だって沢山居たッ!!!」
「ナンミの奴等は俺らを虫けらか何かだと思ってやがるっ!!」
今回の戦についてユクシャ組の面々は皆、ナンミ家に対して不快感を露にし、口悪く罵った。普段から戦場では捨て駒として扱われる彼等だが、先の戦はどうしても納得が出来ない。
そんな中で、一人が『だがよ…』と口を開いた。
「俺等はユクシャ様の組で、心底良かったと思ってるぜ? 他の組頭は俺等何ざ知ったこっちゃねえからな……」
「そうだ! しかも、殿様は仰った! 人と亜人が平等に暮らせる国作りをするとよ!!」
その言葉にピクッと反応する。
「何だりぇ、そりゃあ?」
「殿様は俺等の前で宣言したんだよ! 人と亜人とが平等に暮らせる国を作るってよ! ユクシャ県っていう所で、必ずやるんだと!!」
「おうよ! どうせなら、天下はリフなんかより、アガロ様に取って貰いたいなぁ!!」
キョウサクは考え出した。アガロの言っている事は、果たして本当だろうか?
只単に人間に対して不満を持つ亜人達の気持ちを落ち着ける為の、政治工作とも考えられる。
(にゃれど…あの他人よりも、自信が人一倍強いお人りゃ……。それが虚言とも思えねえりぇ……)
更に具に戦の話を看病しながら聞いて回った。中には惨状を思い出し、涙する者も居れば、黙って語ろうとしない者も居た。
一通り終わると、彼は頭の中で整理し、冷静に纏めていく。
(リフ様の戦は些か酷だりゃ……。幾ら出自を問わず、才ある者を取り立てるといえど、これりゃ将来敵を多く作り、ナンミ家はいずれ―――)
びゅぅっと強い風が吹いた。キョウサクは目に砂が入ってしまい、暫く擦った。そして顔を上げると、天然の要害に聳えるロザン城が見えた。
その城の上に暗雲が立ち込めている。しかも空は次第に曇り、雷の音が時折聞こえる。
(それに比べ、アガロ殿は御年十四……。未だに若いが、亜人だけりゃ無く、人にまで好かれとりゃ。人と亜人の暮らせる世…かりゃ。また大した大風呂敷きを広げたりぇ……)
彼は客観的にアガロ・ユクシャという男を分析した。先程聞いた『人と亜人の国』等と大言壮語を吐く程の大物か、若しくは只のうつけなのか。
キョウサクが不思議に思ったのは、彼が亜人だけではなく人間にも好かれている所だった。
軍律に厳しいが、確りと働きを褒めてやり、時には寝食を共にするのがその理由だろう。普通の武士はそこまではしない。恐らく、人と亜人が混在する組の内部不満を解消する為だろう。
そして今度は、ナンミ家を分析した。
(父のリフ様は御年七十三……。嫡男のジャベ様は疑り深く器量が狭い。次男のヒイラ様は優しすぎて逆に侮られる――――――先が不安だりぇ……)
【――雨漏り屋敷・アガロの居室――】
「御当主様。ヤイコクです」
「入れ」
襖を開き、中へ入ってそっと閉める。
「御当主様。如何様なご用件で御座いますか?」
「…………」
向かい合い平伏するも、アガロは口を開こうとはしなかった。
「―――……何か、御内密のお話ですか?」
「―――あぁ」
静かな部屋に響いた当主の声は、とても重々しく暗い響きだった。
「嫁を貰う」
「……若しやそれは―――」
「ナンミの姫だ」
聴いた瞬間、ヤイコクも表情を変える。今迄朗らかだったが、一瞬で緊張した面構えになる。
薄暗い部屋で相手の顔をハッキリと見る事は出来ないが、目の前の主君アガロが今どんな表情をしているかくらい、ヤイコクには分かる。伊達に一番の側近を務めていない。
「仇のナンミ一門になるのは、矢張り気分が進まないと?」
「俺はその仇に頭を下げた男だ。今更、ナンミの姫の一人や二人で、騒いだりしない。問題なのは、俺がナンミ一門になる、という事だ」
姫を一人宛がわれたくらい如何という事は無いと言うが、一門になるのは問題があるという。
それがどんな問題か、ヤイコクは少しの間思案した。
「―――……御当主様、お腹内をお聞かせ下され」
「ナンミと決別する」
「……矢張り」
表が急に光ると、落雷の轟音がなり響いた。雨が強く振り出し、今居る部屋でも、雨漏りが早速始まる。
ヤイコクの頬に水が滴るが、その冷たさも忘れていた。
「俺が思うにリフは、嫡男ジャベの叛意を警戒している。婚姻の後、俺をギ郡に置く積りだろう」
「―――……成る程。御当主様がジャベ様の弟となり、一門になる。そんなお方がいきなり与力として側に仕えれば、ジャベ殿も警戒する、と?」
「それだけではない。俺を一門衆にした上で、ギ郡へ向かわせるんだ。ギ豪族共は如何思うか?」
「……警戒、するでしょう」
「そうだ。詰まり、リフは俺とジャべを警戒している。俺がナンミ家の肩書きを背負えば、ギ豪族共は警戒し、俺の手引きに応じ難くなる!」
悔しそうに歯軋りした。手は握り拳を作り、微かに震えている。
ヤイコクはやっと理解した。当主が不機嫌だった理由は、これから自分が行おうとしている事を、事前に予防されたからだ。
「テンコに調略は頼めないものか―――」
「それは恐らく叶いません」
「何故だ?」
「わたしは御当主様ご不在の間、ミリュア様の話を聞いておりました。何でも、自分はジャベ・ナンミ様に近付きすぎ、逆にギ豪族達から睨まれているのだとか」
「成る程な。保身の為だったが、今はそれが仇となったか」
アガロは暫し黙った。
ヤイコクも当主が口を開くまで、じっと待つ。
(ギ豪族の調略が難しいとなると、如何する?)
今のユクシャ家だけでナンミに対抗出来得る手段は少ない。
それ処か、折角クリャカ家に寝返る約定をしたにも関わらず、当の本人がナンミの一門になれば真意を疑われる。
「ヤイコク。俺は既にクリャカ家と裏で内通している」
「何と!?」
「俺はナンミの下ではユクシャ家の存続は難しいと思っている」
「……その話を知っているのは、他に居りますか?」
「リッカだけだ。勿論、他言無用と言ってある」
「…………」
途端にヤイコクは黙り腕を組んだ。少し間を置き、再び口を開く。
「兎に角、機を窺いましょう」
「そうだな。直ぐには出来ん。ユクシャ組は傷付いたゆえ、再び足軽達を募り、鍛えなければならん」
「クリャカも背後に未だに敵を抱えております。そう直ぐには動かないでしょう。取りあえず、わたしはギ郡のレ二屋に使者を送ります」
「レ二屋に?」
レ二屋はユクシャ家が贔屓にしている店である。
其処へ何用で使者を送るのか、アガロは分からなかった。暫し考えると、家臣の意図を理解したのか口を開いた。
「……商家を使い、ナンミ家に不満を持つ者達を密かに調べる、という事か?」
「その通りです。レ二屋なれば、ギ郡サイソウ城の城下町の商人達とも面識があります。彼等を贔屓にしている豪族の中から、不満を持つ者を調べ上げます」
「ヤイコク。委細任せる。上手くやれ」
「ははっ! 身命を賭して、必ずやご期待に応えて見せます!」
再び表が青白く光り、落雷の轟音が轟く。雨は激しさを増し、屋敷の中は水浸しになっていた。
「ヤイコク。これは戦と心得ろ。ユクシャ家の生き残りを賭けた戦だ」
「御意! ……これも、人と亜人の国作りの為に御座いますな?」
「知っていたのか?」
『はい』と返事をすると、その事を部下から聴いたと語った。
「御当主様の志を微力ながらお助けします」
「お前は変だと思うか?」
「いいえ」
ヤイコクは即答した。
「御当主様らしい、素晴らしい大望に御座います」
「そうか?」
「はい。ユクシャ県は元々一揆により荒廃せし土地。そこを始祖イヅナ・ユクシャ様が治め、後を継いだ先代コサン・ユクシャ様が見事に作り変えた豊かな土地に御座います。されど、領内には人だけでなく亜人も多い」
「そうだ。俺の代になり、それは新たな問題になるだろう」
「如何にも。先祖代々住み続けている民も居れば、新しく入ってきた民、また土地を切り開く為、亜人も他の県に比べ多く住まわせております」
「その通りだ」
「となれば、今後の御当主様の課題は、如何に領内の不満を減らし、人と亜人とが共存出来る国にするか。遅かれ早かれ、人と亜人の国作りをするしかない。ならば、今の内に皆に知らしめ、心を掴んでおく」
「―――……ヤイコク。お前は俺の心内を良く理解している。頼もしく思うぞ」
「勿体無きお言葉」
アガロが正直に人を褒めるのは、恐らくこのヤイコクくらいであろう。
彼は亡き先代コサンの薫陶を受け、真面目に忠勤に励む若武者だ。面倒見も良く、周りからも評分かが良い。
普通、そんな家臣は真っ先に主君から疑いの目を掛けられるのだが、ヤイコクは事の他無欲なのか、それとも自身には主家に取って代わる程の力は無いと諦めているのか、そういう素振りは見せない。
アガロは常に大事な相談事は彼に持ちかけ、他人には例えトウマであろうと打ち明けない。それ程までに彼を信頼している。
「それとなヤイコク。リッカや他の者達に、字の読み書きを教えろ」
「字の読み書きですか?」
「そうだ。俺の国作りに必要な事だ」
「成る程…今後の仕事に役立てようと?」
「ああ。戦働きだけでは、手柄を挙げる機会が減る。あいつ等に何とかして勉学に励んで貰わねばならん」
ヤイコクは真剣な眼差しの当主を見て頷き承知する。
「後は任せる」
「御意!」