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第六十幕・「新たな夢」

【――センカ郡・西部街道――】



 長い隊列を組みながら行軍するのは、ビ郡から侵攻してきたナンミの軍勢二万弱。ナンミ常備軍、ビ兵、ギ兵からなる混成軍である。

 彼等は先のクリャカ家との戦でセンカ、ランマの二郡へ侵攻し、長い対陣の末、双方の和睦をもって陣払いをした。


 その軍勢の遥か後方で殿(しんがり)を務めるのはユクシャ・ミリュア混成隊。彼等は他の部隊の中で一番損害が酷く、多くの兵は負傷し意気消沈していた。


 その部隊を臨時に指揮するヤンビンというミリュア家の老臣は兵を励まし、ギ郡までもう少しと言い聞かせた。

 倒れる者には手を貸してやり、撤退を急いだ。


「はぁ……」


「トウマさん。また溜息吐いてるです~」


 もう何度このやり取りをしただろうか。

 部隊の中で、特にこの火縄銃を片手にする青鬼は気分が晴れないでいた。


「ですけど、もうあれから随分と経ちやすぜ? あの胡散臭い行商人を信じて、ほんとに良かったんでやんすかね……」


「今更うだうだ言っても始まんねえだろ、トウマ? 確かに一緒に付いてったサラとか言う女は信用出来ねえが、それでも待つ外ねえぜ?」


「ですがねドウキ。あの女は若旦那の命を狙った奴ですぜ? そんな奴を行かせて―――」


「トウマ、いい加減にしなさい。あなたも部下を持つ身。示しが付きませんよ?」


 馬上からヤイコクに(たしな)められ、トウマは(うつむ)いた。こんな事を先程から何十回と繰り返している。


「如何した、トウマ。辛気臭い顔して?」


「へぇ、若旦那。リッカが陣を離れてからというもの、既に何日か過ぎてるんでやんすが、一行に戻ってくる気配がありやせん――――――へ?」


「久しいな」


 場の空気が止まった。周囲の者は皆、彼の姿を見た途端唖然とし、周りの音が聞こえなくなる程に硬直した。

 何時もは冷静で取りも出さないヤイコクでさえ、開いた口が塞がらない状態だ。

 その中でも取り分け、青鬼はその顔の中央にある大きな瞳から大粒の涙を滝のように流し、大声で叫んだ。


「わ…わわわ、若旦那――――――っ!!!」


「いきなり飛びついて来るなっ! 涙を拭けっ!」


 がしっと身体を抱きしめられ、身動きが取れなくなる。

 耳元で周りの者達が呆れ返る程、泣き叫ぶトウマの目や鼻からは水が零れ落ち、口からは歓喜の唾が飛んだ。


「ヤイコクさん。只今戻りました」


「リッカ。お勤め誠に大儀です。よくぞ、御当主様を連れ戻ってくれました!」


 普段、ヤイコクが此処まで喜ぶ事は少ない。それだけ自分を律し、落ち着いた性格なのだ。しかし、この時だけは主君の無事を確認出来、心底嬉しかったのか、彼の瞳には涙が浮かんでいた。

 それを見てリッカは少しばかり驚いた。


「当主様。お怪我は無いです?」


「レラか。見ての通り大事無い。お前は腕を怪我したそうだな?」


「この通り、ヤイコク様に手当てして貰い、何とも無いです」


 コロポックルの少女が片腕の傷を見せると、ユクシャ当主は浮かない顔をする。

 見ると周りに居る自分の隊の殆どの者達が、怪我を負っているのだ。初めの頃、ビ郡を出立した時よりも人数が減っている。


「御館様! 良くぞご無事で!」


「ゲキセイ。大儀だ。後で褒美を取らす」


「御館様。それよりも、此度の戦で勇敢に戦った部下達を(ねぎら)って下され……」


 彼は下級士族の出身であり、現在はユクシャ家の侍大将にまで出世した人物である。

 しかし、それに(おご)る事無く部下の面倒見が良い。

 アガロは感心したように一つ頷いた。


「良いだろう……。コウハとギンロは?」


「あの二人は前方に回しております。ナンミ家の為に戦したくない、と申されましたので……」


「そうか」


「待って下せぇ! 若旦那ぁ―――!!」


 言うと彼は、部隊前方目掛けて馬を駆けた。

 トウマもその後を一目散に追いかける。



【――ユクシャ獣人組――】



 後方の部隊に比べ、前方を進んでいた獣人組には、小荷駄隊や負傷兵が多い。

 彼等に手を貸しながら、比較的ゆっくりと撤退している。


「っ!? アガロ様!?」


「何だって!?」


「殿が此処に居るの筈ねえだろ?」


「いや、でも確かに今…ほら、やっぱりアガロ様だっ!!」


 颯爽と馬を駆る主君の姿を見て、嬉しさから沸き立った。

 その中から一人、年若い鬼が駆け寄り、馬上の少年を呼び止めた。


「アガロ様!」


「お前は確か、デンジの部下の……」


「リテンです! アガロ様…生きていたんですね……」


 鬼リテンは感涙し、両膝を地に着けた。


「長い間留守にし、すまなかった」


「そんな! 俺はアガロ様が生きて戻ってきてくれただけで、嬉しいです!」


「リテン。コウハとギンロを探している」


「それでしたら、この先に居る筈です!」


 言われた通り先を進むと、銀髪の狼兄妹を見つけた。と同時に彼は目の前に躍り出た。

 二人は一瞬、誰だか分からないような目付きをしたが、やがてそれが自分達の主君だと認識すると、肩膝を地に着けた。

 (こうべ)を垂れた侭、妹と共に――尤もギンロは元から無口だが――黙った。

 部隊は前進を止めた。

 アガロは下馬し、二人に声を掛ける。


「久しいな」


「……生きてたのかよ」


「…………」


「話はゲキセイから聞いている。怨み言があるなら言ってみろ」


 それを聞くと、コウハは静かに立ち上がり、いきなりユクシャ当主の胸ぐらを掴み上げた。

 ギンロがそれを止めに掛かるが、この妹思いの兄は彼女を振り払い、腹に溜め込んでいたもの全てぶちまけ怒鳴り散らした。


「沢山死んだ…ッ! 昔からの仲間達や、新しい手下共も惨い死にかたしたぜ!? お前にそれが分かるかッ!? 大事な仲間を失っていく気持ちが分かるかッ!? 侍ってのは何時もそうだ…オレ等を道具扱いして、最後は捨てやがる!!」


 周りの者達は唖然とし、その光景を見ていた。誰も止めようとしない。

 恐らくコウハは誰もやろうとしない事を自ら率先して行い、彼等の不満の代弁をしたのだろう。

 そして、彼自身も士族に対しそんな事をして、只で済まされようとは思ってはいない。死を覚悟していた。


「すまなかった」


「はぁっ!?」


 一瞬、兄の狼は耳を疑った。


「許せ」


「ざけんじゃねえッ!! そんなんで許されると思ってやんのかッ!?」


「待って下せぇ! コウハの旦那! 気持ちは分かりやすが、此処は抑えて下せぇっ!!」


「コウハさん! アガロ様を殴ったら死罪ですよ!?」


 拳を振り上げると、ようやく駆けつけたトウマが止めに入った。

 そして、騒ぎを聞きつけ、リテンも慌てて止めに入る。

 青鬼は拳を受け止めると、握って放そうとしない。

 リテンはコウハを羽交い締めしようとするも、背が足りず上手く出来ない。


 そんな二人等眼中に入れず歯軋りし、息を荒げながらコウハは目の前の当主に殺意を向けていた。


「兄者…当主様も…辛い……。抑えて……」


 今度はギンロが口を開き、兄を必死で止めた。唯一血の繋がった兄の事を案じての事だろう。

 コウハは渋々アガロを放した。しかし、未だに納得がいかないとばかりに、拳を握った侭怒りを溜めている。


「コウハ。俺を殴って気が済むなら殴れ」


「な、若旦那!?」


「アガロ様! 駄目ですそんなの!」


「言いやがったな?」


 トウマとリテンの二人が驚いた顔をし、コウハは黒い笑みを浮かべた。


「あぁ。その代わり、今後もユクシャ家に仕えろ。今はお前達の力が必要な時だ」


「あんだと?」


 アガロはトウマに彼を放すよう諭すと、コウハは拳をポキポキと鳴らし目の前に立った。

 普通なら恐ろしくなり逃げ出すであろうが、ユクシャ当主は全く恐れの色を見せず向かい合った。


「何でオレ等の力が必要なんだよ? 侍にとっちゃ、オレ達亜人は使い捨ての筈だぜ?」


「俺の新たな国作りに必要なんだ」


「国作りだ?」


 眉をひそめ、怪訝な顔をする狼の青年。


「そうだ。俺は人と亜人が共存出来る、新たな国作りをする。その為にはコウハ、お前の力が必要だ。獣人を纏めろ」


「なん…だと…?」


「若旦那……? 何を言ってるんでんすかい?」


「アガロ様……、矢張りデンジさんが言ってた事は本当だったんですねっ!?」


 思わずリテンはがばっと両膝を地に着け見上げる。

 それを肯定するように彼は一つ頷いた。


「あぁ、俺はユクシャ県を、新たな国にすると決めたんだ」


「出来る筈がねぇッ!!」


 コウハだけではない。周囲の者達も皆、絵空事か何かだと思った。

 隣で聞いていたトウマでさえ、信じられないような目付きでいる。

 だが逆に当主は大声で叫んだ。


「出来る! 俺が必ずしてみせるッ!!!」


 出来る筈がない、嘘だ、此方に夢を見させているだけに過ぎない。そう思うも、何故かそれを全て否定する事も出来ない。

 彼の言葉には並々ならぬ自信が溢れていたからだ。丸で実際に見てきたかのような目をしている。


「仮に出来なかったらどうする積もりだよ?」


「有り得ん。そんな心配をする必要は無用だ」


 その只ならぬ自信は一体何処から、何を根拠に来ているのか、皆目見当が付かない。

 開いた口が塞がらず、少年を凝視する事しか出来なかった。


「コウハ! 俺に今一度、力を貸せっ!!」


「―――……ッ、うらぁあッ!!!」


 瞬間、コウハは拳を顔面向けて振り下ろした。


「―――……殴らないのか?」


 暫く、両者の間に沈黙が続いた。

 コウハはユクシャ当主を見て、何処までも澄んだ良い目をしていると思った。


「……この拳は約束を違えた時に取っとくぜ。だが! 言うからには途中で投げ出すなんざ、許さねぇからなッ!!」


「愚問だ! 俺はユクシャ家当主だッ! 氏素性、種族の垣根を問わず、全て受け入れてやるッ!!!」


 自分よりも背の低い少年が何故か大きく見えた。小さい体から出る大声と気迫に、思わず飲まれそうになる程だ。

 何も言えず閉口し立ち尽くしていると、袖をギンロが掴んだ。


「兄者…人と亜人の暮らせる国……見てみたい……」


「ギンロ……。さっきは済まねぇな……」


 コウハはアガロへ向き直ると、肩膝付き深々と頭を下げた。


「当主様! 先程の非礼、お許し下さい!!」


 それを見て、他の獣人達も皆、口々に『当主様、当主様!』と叫んで平伏した。

 彼等の目はユクシャ当主が与えた、新たな希望と夢で輝いていた。


「若旦那が、まさかそんな事を考えていたなんて……。このトウマ! 一生付いて行きやすっ!!」


「アガロ様! 俺もお手伝いします!!」


 トウマやリテンも平伏し、当主の新方針に興奮から目頭が熱くなり、体が震えんばかりであった。


「コウハ。姉上に(ことづ)けを頼んで良いか?」


「何を報せれば良いんだ?」


「姉上に『余り無駄使いせず、蓄えておけ。例え欠けた椀であろうと、捨てずに大事に使うように』と伝えろ」


「はっ!」


 狼の兄妹は一礼すると、部下に肩を貸してやりながら、仲間を率いての先へ進んで行った。

 ユクシャ当主は再び馬に跨ると、自身の本隊へと駆け戻った。



【――ユクシャ本隊――】



 暫くすると、ヤンビンが主テンコと数名の供を引き連れて現れた。

 狐目の彼は再会すると、早速ニタリと笑みを浮かべる。

 アガロは知っている。彼がこんな笑顔をする時は、大抵悪巧みの時である。


「アガロ。よく戻ってきたね。嬉しいよ」


「久しいなテンコ。俺が居ない間、配下が世話になった」


「別に大した事じゃないよ。それより、僕が送った見舞いの使者は気に入ってくれたかな?」


「大層無礼な使者だったが、それなりには気に入った」


 言うと二人して笑みを浮かべる。


「使者殿は?」


「あいつとは途中別れた」


「何か言ってなかったかな?」


「そういえば、暫くしたら何名か客人を伴い、村へ来て欲しい、と言っていたな」


「―――分かった。僕は従姉妹を一人伴おう」


「俺はルシア姉さんと行く」


 そして、互いに頷きあった。


「味方との合流地点はサイソウ城だ。其処でナンミ様の処へ行こう。君が生きていると報せなくちゃね」


「あぁ。あの爺とも久しいな……」


 一旦テンコと別れると、彼はユクシャ組の中央へ戻った。

 待ち構えていたのはヤイコクと赤鬼のドウキだ。トウマがそっと報せてくれたが、テンコ、ヤンビンの二人は戦の間中ずっと味方の為に戦い、傷を負った者には手を貸し、手当てを施してきたのだという。


「兵達がだれてるな」


「は。ユクシャの兵も勇敢に戦いましたが、満足に動ける者、多くは居りません……」


「ヤイコク。話しがある。ビ郡へ着いたら、俺の居室へ来い」


「はは!」



【――ギ郡・サイソウ城内・大広間――】



 上座に鎮座するのは老獪な大名リフ・ナンミ。

 下座にて平伏しているのは下ギ郡豪族アガロ・ユクシャ。

 両者がこの場所で、こうして対面していると、三年前のあの日を思い出す、とアガロは内心思った。

 あの時は生き残る為、決死の思いでリフに謁見した。そして現在は、別の野望を内に秘めている。


「アガロ。地獄の底から舞い戻ってきたか?」


「恐れながら、俺は黒鬼と呼ばれております。地獄は鬼の住処にて、行っても死にません」


「ふっ、成る程……」


 言うとニタリと口角だけを上げ、作り笑いを浮かべるリフ。

 今回の戦で味方諸共殺した張本人を前に、アガロは平静を装った。


「此度の働き、褒めてつかわす」


「有難き幸せ」


 誰がそんな事思うか、と心の中で悪態を付いてみた。この老人の所為で、多くの部下を失い、自分も死に掛けたのだ。怨みはあれど、感謝する気持ちは何処にも無い。しかし、今は悟られてはならない。

 気持ちを落ち着け、何時も通り振舞うよう勤めた。


「お前の部隊もかなりの痛手を受けたと聞く。じゃが、心配は無用じゃ。ロザン城下で募れば、直ぐにでも数は集められよう」


「はっ。そのようにします」


「……中々に聞き訳がいいのう? てっきりわしの事を怨んでおるのかとばかり思っておったわい」


「此度の戦は、中々に厳しいものでしたが、それも全てナンミ家の勝利の為と思えば、如何という事はありません」


 リフは無言だった。何を考えているのか読めない。

 老人は立ち上がると、ゆっくり近付いて来た。


「アガロ・ユクシャよ。褒美を取らす……」


「はっ!」


「娘をやる」


「―――……は?」


 思わず間抜けな声が出た。顔を上げると老人の眼が此方を見下ろしている。

 目が合うと寒気がした。まるで獣と獲物だ。

 少年は開いた口が塞がらず、呆けているだけだった。


「わしの娘で三女のハクアは、年の頃はお前と大体同じじゃ。我がナンミ一門になれ」


「―――……はっ。有難き幸せ……ッ!!」


 彼は珍しく床に着くすれすれまで、深々と頭を下げた。悔しさと、怒りで歪めた表情を悟られない為に―――。

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