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第五十九幕・「姉の助言」

 外からは微かに鳥の鳴き声と、草木が風に揺られざわめく音が聞こえる。

 この部屋の中は少し蒸し暑く、じとりと汗を掻いてしまうだろうが、今この部屋に居る二人はそんな感覚など忘れ、互いに見詰め合っていた。


「リッカ……。大きくなりましたね……?」


「スイセン姉さんは昔と変わらないね……」


「少しお話しましょうか、リッカ」


「うん…聞かせて。姉さんはあれからどうしたの?」


 ふと苦笑いしたスイセンは、落ち着いた声でゆっくりと語り出した。今迄に自身が体験した事、村の前村長に拾われ、此処に住み、そして村長になったなど起こった事全てを聞かせた。


 話を少し区切ると、妹は小さい声で『そう…』と呟き正座から胡座に崩した。

 さっきまでとは違い大分落ち着いている。


「リッカは村が襲われた後は、どうしていたのですか?」


「あたしは故郷が無くなった後、暫く兄さんと一緒に居たわ」


「ツヅラ兄様は……?」


「ごめん……。あたし、兄さんから離れたの。付いて行けなくて……」


「そう、ですか……」


 暫く間を挟むと、スイセンが口を開いた。


「リッカは何故、アガロさんと一緒に居たのですか?」


「あたしは今あいつの所で働いてるの」


「リッカはまだ夢を諦めていないのですか?」


「うん…あたしは諦めてないよ? 何時かあたしが半妖と人との架け橋になるんだって事。あたしの国を作って、皆仲良く暮らせるようにする事……」


「貴方は、昔から真っ直ぐでしたね。変わらないでいてくれて、少し安心しました……」


「いいえ、変わったわ……。あれから長い事経つもの。世の中を見て分かったの、自分がしようとしている事がどれだけ難しい事か……」


「夢を、諦めますか?」


「そんな訳無いわッ! 絶対に叶えてみせるッ!」


 握り拳を作った妹の瞳は燃えていた。

 その姿を見て、姉は何処かほっとする。


「リッカは、アガロさんを主君と定めているのですか?」


「……違うわ。あたしは命を救って貰った恩があるの。だから、それを返すまでの間、あいつの所に世話になってるのよ」


「まだ、恩を返せてないのですね?」


「あたしはね、あいつに出世して貰おうと思ってた。あいつは嫌がるだろうけど、それがあたしなりの恩返しなんだって考えてたの。でも今のあいつに、これ以上ナンミ家に従う気は無いみたいだから……」


「リッカ……。あなたはどうする積りですか?」


「出奔するわ。新しい主君を探すの」


「いけません」


 先程までの雰囲気とは打って変わって、姉の表情が一変した。笑顔が消え、真面目な顔で妹を見た。


「アガロさんの下に居なさい」


「何でよ!? あいつは天下に興味が無さそうだし、これじゃ、あたしは大名になれないわ!?」


「アガロさん自身、今は天下に興味が無かったとしても、(いず)れ感心を持つ筈です」


 何の根拠も無い事を口にするも、それ以上にリッカは驚いた。真剣な表情の姉を見るのは初め見たからだ。


「あいつが…何かしたの?」


「はい。お蔭でこの村を救って頂きました。そして、分かった事が一つあります」


「分かった事……?」


 小首を傾げた。


「あの人は誰かの風下に立つ事はありません。必ずや、世に名乗りを上げるでしょう」


「な、何を根拠にそんな事……」


 妹は分からなかった。姉よりも自分の方がアガロとは長く居る。

 それに比べ、スイセンと彼の付き合いは短い。

 だが、村長は知っている。彼が人心を巧みに引き付け、且つ狡猾(こうかつ)な事をである。


「あなたは増してや半妖。それならアガロさんの下に居た方が良い筈です」


「でも! あたしの夢はどうなるのッ!?」


 昔と変わらず頑固だ。スイセンは少し瞳を伏せ、妹の行く末を案じた。この子の夢を応援してやりたいという気持ちはある。しかし、それだけで喰ってはいけない。半妖は特に人間だけではなく、亜人からも評判が悪いのだ。

 だが、それでも出奔すると考えている妹へ、姉は静かに諭した。


「ならばリッカ。あと五年間だけアガロさんのお側に仕えなさい」


「何であと五年なの?」


 当然のようにリッカは疑問を呈した。


「アガロさんは未だ御年十四とお若い。天下の(まつりごと)に関心がないのでしょう。私もありません。ですが、この混乱の時代、世はそれを鎮めてくれる傑物を求めるのです」


「傑物を求める……?」


 分からず問い返す妹。


「時代が英雄を必要とする日が必ず来ます。その時、名乗りを上げる者の中に、必ずやアガロさんも居る筈です」


「それと五年と、どう関係しているのよ?」


「五年も経てば人も時代も大きく変わります。その間に貴方も修行なさい。今以上に己を鍛えるのです」


「でも姉さん。あたしは十分強いわ」


「何も戦だけが武士の仕事ではない筈ですよ? あなたは将来自分の土地を治めたいのでしょう? なら確りと勉学に励み、役立てるのです」


 リッカは半妖だ。おまけに教養も無い。それは彼女以外の亜人にもいえる事であり、人間ですら身分の低い者は字すら読めない。

 今の彼女が置かれている状況はそういった者達から見れば、かなり運に恵まれている方である。

 そこでスイセンは妹の今後を考え、勉学を進めた。字の読み書きは勿論の事、兵法やその外の事を五年の間に出来るだけ見に付ければ、周囲も一目置く筈だ、と付け加えた。


「―――……分かったわ。出奔は暫く置いとく」


「それが良いでしょう。この乱世を渡り歩くには、力だけではなく知識を身に付けた方が後々役に立つでしょうから」


 言うとスイセンはゆっくりと歩き出し、襖を開いた。

 縁側へ出ると、涼しい風が吹き森の香りを運んだ。


「この村も、これから変わります。浮世には今迄関心はありませんでしたが、最早(もはや)そうも言ってはいられません……。私も今後の為、ヨヤから書物などを買い求め、勉学に励みます……」


 村長は微笑むと部屋を出た。その後をリッカも付いて行く。

 二人は待たせているアガロ達を探すが、どうやら表へ居るらしい。玄関へ向かい、戸を開くと其処には艶やかな黒髪を三つ編みにしている少年の後姿が目に入った。


「せんせッ!」


 すると、彼の事を小さい声が呼び止めた。

 アガロが振り向くと、其処に立っていたのは猫の少女ハツ。狐のカンナや狸のタオも一緒だ。


 彼等三人はこの所、彼と余り話していない。それ所か、顔を合わせると明らか避けていくのだ。賊の件があって以来、何処か溝が生まれたのかも知れない。

 その三人の中で、初めに狐の少女カンナが口を開いた。


「イルネお姉ちゃんから聞きました。先生は今日、村を離れるんですよね?」


「そうだ。それが如何した?」


 何時もの無表情で訊ねた。彼は何処か威圧的なのだ。子供相手であろうと容赦はしない。

 カンナは言い終わると、猫のハツの背中を押した。

 少女は一歩前へ出るが何も言わず俯いてしまう。萎縮したのかも知れない。


「何も無いなら―――」


「ま、待って、せんせッ!!」


「何だ?」


 何時もの無愛想で冷たい声色だ。

 しかしそれにもめげず少女は意を決し、彼を真っ直ぐに見つめると一歩前へ踏み出した。


「せんせッ! あたし、もう怖がったりしないよッ! 今度はあたし達が、村の皆を守れるようになって見せるからッ!!」


「あたしも!」


「ぼくも~……」


 三人は叫んだ。強い眼差しを向けた。何処までも真っ直ぐで、汚れが無い。


「あたし強くなるッ! 絶対に強くなってみせるッ!!」


 それを黙って見ていたアガロはやがて口を開く。


「強くなったらギ郡に来い。俺が使ってやる」


「うん!」


 嬉しそう頷くと、三人は走り去って行った。

 その後姿を暫く見つめていると、イルネが現れた。


「ちょっと。村の将来有望な若手を引き抜かないでくれる?」


「知るか。俺の下へ来るか来ないかは、あいつ等が決める事だ」


「はぁ……」


 溜息を漏らすイルネ。巨人チュウコウに目を付けた時点で、彼の人材に対する執着心は理解している。恐らく何を言っても無駄だろう。


「イルネ。感謝する」


「……何よ、急に?」


 訝しげに睨む鬼娘。


「お前が居なければ、俺はテイトウ山で死んでいた。何か恩を返せるのなら、返したい」


「そんな事、とっくの昔に済んだ事でしょ? それに村に迎え入れたのはスイセン様だし、あたしはそれに従ったまでよ」


「しかし―――」


「うっさい! これから出て行く奴が、うだうだ抜かすな! 最後くらいは笑顔の一つでも見せなさいよ」


「……笑った事は何度かあった筈だが?」


「あんたのあの顔の何処が笑ってるのよ!? あの悪魔のような顔は笑顔とは言わないわ!」


「そうか」


 次にふっと微笑をしてみると、イルネが小さい声で呟いた。


「なんだ、そんな顔も出来るんじゃない……」


「何か言ったか?」


「別に」


 白を切ると気になり、アガロが更に聞き出そうとする。

 とその時、少しの地鳴りがし大きな影が自分を覆った。


「チュウコウ」


「ン―――……アガロ」


 振り返ると其処には巨人の鬼チュウコウが立っていた。

 彼はイルネから話を聞いたようであり、別れの言葉を告げに来たのだろう、とアガロはそう思った。


「お前を惜しく思うぞ」


 ユクシャ当主はこの巨人を家臣にしたいと、一目見た時から思っていたのだ。日に何度も勧誘を行い、或る時は雨や風の強い日でも、諦めようとはしなかった。

 それは恐らくこの巨人にとって迷惑な日々だっただろう。しかし、それから解放されるのだ。

 アガロにとっては少々悔しいが、この巨人の鬼にとってはやっと訪れた平穏、と言った処だ。


「ン―――。ナニ、イッテル……? オデ、モ…ツイテ、イク……」


「何……?」


 我が耳を疑い、思わず聞き返した。

 すると今度はハッキリとそして大きな声で、彼の耳にも届くように言った。


「オデ、モ…ツイテイク……。オデ、ツヨク、ナリ…タイ……」


 巨人は初めて自分の意思を伝えた。


「いや。折角で悪いが、お前は未だ連れては行けない」


「ナ、ナン…デダ……ッ!?」


 普通なら此処で少年が驚き喜ぶ場面であるが、彼は意外にも巨人の願いを拒否した。

 訳が分からない、と巨人は思った。彼はこの村に居る間中ずっと、自分を執拗に勧誘し続けていたのだ。それなのに連れて行けないと言う。


「お前には此処に残り、やって貰いたい事がある」


「ヤル、コト……?」


「そうだ。お前、テイトウ山は何処にあるか分かるか? 分からないのならイルネに今度連れてって貰え。時々でいい、その山まで行き、村へ戻れ。夜に行うのが良い。明かりは点けるな。途中、人に会ったら大声を上げて脅かせ、それを何度か繰り返すんだ」


 チュウコウは一体その行為に何の意味があるのか、彼が何を考えているのか皆目検討が付かないでいた。


「ナ、ゼ……?」


「これは村を守る為だ。お前の協力なくしては出来ない」


 そう言われるとチュウコウは暫し考えた。しかし巨人の彼には幾ら考えても答えが導き出せない。詳しく聞いてみるのも手だが、恐らくその理由を聞いても自分には理解出来ないだろう。

 ならば、今は言う通りにしようと思った。


「ワ、カッタ……」


 後日、アガロが去った後、チュウコウは彼に言われた事を実行すると、程なくしてテイトウ山には化物が現れる、と奇妙な噂が立ち始めた。

 人々はそれを、テイトウ山で戦死した者達の悪霊と噂し、やがて地域の者や旅人までもがその周辺に近付かなくなったのだ。


「―――……あいつ、此処の人達に気に入られてるじゃない」


「はい。アガロさんは他とは違い、人と亜人とのしがらみに縛られませんから、それが珍しいのでしょう。今ではすっかり人気者ですね」


 最後まで玄関の戸の隙間から見ていた姉妹は、互いに微笑んだ。


「アガロさん。此方でしたか」


「終ったか?」


「はい。アガロさんには重ね重ねお礼をせねばなりませんね。妹の面倒を見てくれた事、姉として感謝します……」


「気にするな。そいつは使える。故に召抱えただけだ」


「ですがアガロさん。リッカは戦だけの人材ではありませんよ?」


「どういう意味だ?」


 ユクシャ当主が怪訝な目を向けると、


「この子は将来、有能な人物になります。その為にもどうでしょう、リッカに読み書きを施してみては?」


「お前は俺に、こいつの教育をしろ、と言うのか?」


「今後の事を思っての投資、と考えてみてはどうです?」


 そこまで言うと、アガロは腕を組み考え出した。目の前に立つリッカを凝視する。 


「考えておこう」


「感謝します……」


「珍しいわね。あんたがそれを承知するなんて」


「ここでリンヤ村との関係を、悪くはしておきたくないからな」


 あくまでもこれからの関係上承諾するのだ。

 それを聞くとリッカも『ああ、何時ものアガロだ』と思った。


 スイセンもそれを考えて、彼へこんな提案をしてきたのだろう。

 アガロはヨヤとの約束を確りと果たす為、村の若者達を鍛え、教育を行っていた。その姿を見てきているスイセンは、約束を守ってくれるだろうと信用していたのだ。


「リンヤ村は良い村だ」


「また何か企てているのですか?」


「勝手に人の心を読むな」


 村長は袖で口元を隠すとくすくす笑った。


「読んでおりません。何やら素敵な企てのご様子ですね?」


「素敵かどうかは分からん。だが、当主は常に先を見据え、新たな目標に向かっていくものだ」


「新たな目標とは?」


「ナンミと決別した先だ。ぼやけていては、家臣が付いて来ないからな。―――……スイセン。世話になった」


「はい。アガロさんもどうかご無事で……」


「リッカ。行くぞ」


 村の出入り口の処まで見送ると、其処には既に用意をしていたサラとヨヤの二人が騎乗し待っていた。

 彼等だけではない、村の者達の殆どが集まり、送別する。中には同行を願い出る若者も何名か居たが、それを断り村の為に働けと諭した。


 アガロとリッカはサッと鳥騎馬(フェサンチカプ)に跨ると、道案内のヨヤを先頭に駆けリンヤ村を後にする―――。

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