第五十一幕・「凶報」
アガロがイルネに保護され既に二週間が過ぎた。
普段から鍛えている所為か、傷も当初に比べ大分よくなり、未だ松葉杖を使わなければならないが、イルネに肩を貸して貰わなくても一人で立ち、歩けるようになるまで回復した。
(ヨヤが村を発って一週間か……。もう暫くは掛かるだろうな……)
そんな事を考えながら彼は、約束通り広場で子供達を相手に勉学を教えている最中だった。
村長スイセンから既に許可は下りているし、村の者達も『流石、学のある人は違う』と感心して見つめてくる様になった。
「先生! これは何て読むの?」
目を輝かせた狐の少女カンナが、鼻をヒクヒクさせながら元気良く訊ねてくる。顔中を金色のふさふさとした毛で覆われ、未だ十分に生え揃っていない短い髭を伸ばし、小さいが狐の尻尾を生やしている。
先生。と呼ばれた彼は何時もの調子で、地面に書いた文字を読んだ。
「殲滅」
「せんめつ? それってどういう意味?」
「敵を一人残らず皆殺しにする事だ」
「ふ~ん、そっか!」
納得すると彼女は『せ、ん、め、つ……』とゆっくり繰り返しながら書いていき、練習する。
「先生~。これはどうやって書くの~?」
今度は狸の少年タオに訊かれた。少年の外見は人に近いが、見事な狸の尻尾と、耳が生えている。そして、見た目も何処となくおっとりとしていて、抜けてそうだった。
垂れ目の彼は人懐っこい眼差しを向けると、アガロは細長い木の枝を手に取り地面に書く。
「こうだ。包囲、と読む」
「ほうい、って、なに~?」
「敵を囲む事だ」
「ふ~ん……」
何度か頷き、ボーっとする。
「包囲って、何でするの~?」
「包囲をする事により、味方は有利に戦える」
「なんで~?」
「これを見ろ」
と、彼は地面に小石を並べた。
それに視線を落とすと、タオは何かに気付いた。
「真ん中に沢山石が集まってる~」
「そうだ。この戦い方なら、敵の動きを封じ、倒す事が出来る」
「なるほど~……」
また頷いてぼーっとした。本当に理解しているのか些か不安になる。
「せんせ―! 早く剣術教えてよ―!」
「うわ!? いきなりくっつくな!」
思わず怒鳴ってしまった。猫の少女ハツが尻尾を振りながら、後ろからじゃれてきたからだ。
彼女は三人の中では字の読み書きよりも、体術、武術の方に関心を持ち、特に剣術に熱中していた。
体を動かすのが好きで、自由奔放な所があり、何処と無くアガロに似ている。しかし、天真爛漫な笑顔はどうやっても彼には真似出来ないだろう。
「後だ」
「やだ~。今が良い~」
体がしなやかで、直ぐにアガロの膝の上を占領すると、猫なで声を出しながら上目遣いで見つめてくる。
嫌そうな顔をしながらも首に手を伸ばすと、彼女は大人しく掻かせてくれた。さらさらした毛が気持ち良い。少女も気持ち良さそうにしていた。そして、見返りとばかりに再びせがむ。
「素振りをしてろ」
「もうしたってば!」
「今は文字の練習中だ」
「でも、せんせの字下手だって、イルネのお姉ちゃんが言ってたよ?」
アガロは内心『あの女、余計な事を…』と思った。
「なら適当に相手してやる」
言うと、猫の少女は元気良く立ち上がり、棒を構えた。
アガロもゆっくりと立ち上がり、同じく棒を構える。未だ完治はしていないが、少女の相手をするくらいは出来る。
「せんせ! 手加減は無しだよ!」
「いいから来い」
「ていや―――いたッ!?」
勢い良く打ちかかるが、アガロに肩を打ち据えられ、彼女はあっさりと敗れた。例え子供相手でも手加減、容赦は一切しない。
一瞬で片を付けると、アガロはさっさと座ってしまう。
「いった~い……。もう、せんせ! 手加減してよ!」
「さっきと言ってる事が逆だぞ」
猫の少女は肩を押さえながら文句を言い続け、機嫌が治まらない。
はぁ、とアガロは溜息を吐いた。
「いいか? お前の構えは隙がありすぎる。戦場では鎧兜に身を固めるから、その箇所は余り気にするな。それよりも甲冑で覆えない顔面や脇、股、足元に気を配りもっと低姿勢で戦え。敵を鎧事叩き斬るのは不可能だからな」
もっともリッカは別だが。と彼は心の中で付け足した。リッカは華奢ではあるが、反則なまでの怪力と剣腕を持っている。
「じゃあ、どうすればいいの?」
首を傾げ、訊ねてくる少女。
「鎧で守りきれない部分を狙う。足元は基本的に剥き出しだから、小さい奴には狙いやすい。お前は素早いから、確りと間合いを取れ。それと、合戦では刀は基本的に敵の首を取る為に使う。普段は槍か弓、投擲、鉄砲が有効だから余り意味は無いぞ?」
「でも、せんせは刀を使うんでしょ?」
「使うが、俺はどちらかというと鉄砲の方が好きだ。飛距離は劣るがな」
「また、何を教えてるのよ!?」
突然、背後からイルネに小突かれた。
アガロは頭の後ろを押さえながら、恨めしそうに振り向いた。
「俺は武士だ。それ以外に何を教えろと?」
もっと他にあるだろう、と言い返そうとすると先にアガロが言を継いだ。
「自分の身は自分で守らなければならない。俺はその術を教えているだけだ」
知っているのと知らないのとでは、歴然な差がある。いざという時の状況では、人は何をするか分からないし、本性を顕にする事がある。
アガロはこの危険な世で、自身を守る術を伝授していると主張した。
そう言われると、イルネは反論出来なかった。
「それに、ヨヤが言ったように最近はこの付近を侍達が荒らしているそうだ。いざという時、戦えなければ意味が無いだろう?」
「そ、それはそうだけど……。この村が見つかる筈ないわ!」
「馬鹿が」
「何ですって!?」
互いに睨み合い、火花を散らす。
一触即発の空気に、狐のカンナはおろおろし、猫のハツは面白そうにこの後の展開を期待した。狸のタオは二人を尻目に文字の練習をしている。
「良く教えてくれているようですね?」
もう一人の声の主は村長スイセン。彼女が現れると、子供達は一斉に側へより、何を習ったか次々に伝え始める。
すると、猫の少女ハツが先程アガロに打ち据えられた箇所を見せた。少し腫上がっている。
スイセンは水筒の水に念じ、それを飲ませる。
暫く経つと、腫れていた部分が見る見る内に回復し、引いていく。腫れ上がりはすっかり良くなっていた。
「相変わらず凄いな」
素直にアガロは感心した。
始めの内は疑りもしたが、こうも目の前で彼女の力を見せ付けられては信じざるおえない。
「アガロさんは、よく戦い方を教えているみたいですね?」
「ああ。この乱世、少しでも身を守る術を覚えておかなければ危険だ」
「そう、ですね……」
途端に空気が重くなる。
スイセンは武術や争い事に関する話や方法が好きではなかった。少し複雑な気持ちなのだろう。
しかし、アガロはそんな事はお構いなし、と教えている。
「この村には武器らしい武器は無いし、他の村にある若い衆のような武装集団が居ない。これでは危険と思うが?」
どんな村であろうと、必ず武装集団は居る。長老衆が統括し、村の若い衆が武器をとって守るのだ。
この時代、士族が争っていたのは他の士族だけではない。地域の郷村や、神社等である。
彼等を服従させる為、戦をしてきたアガロは、どのような小さな地域でも武装しているという認識を持っている。故にこのリンヤ村の非武装状態が一番危険と考えていた。
「皆、戦いで傷付いた人達ですから……」
スイセンが弁解する。それが理由し戦いを遠ざけるのだと。
「甘い」
冷たく言い切った。
「この乱世。何の抵抗もせずに生き残れる筈がない」
それはどんな場合でも言える事である。皆自分の身を守る為に、武器を手に取る。過去に傷付いたか何があったかは知らないが、それで武装を止めるのとは話は別だ。
逆にもう二度とそんな思いをしたくないのなら、武器を手に取り村の武装化をするべきである、とアガロは思ったが、口にせずその侭黙った。どの道、この村長が首を縦に振らなければ、武装化は実現しないだろう。皆、彼女の信奉者なのだ。彼女が必要ないと言えばそれを否定する。
「お前は何か教えているのか?」
「私、ですか……?」
急に話題を変えられ些か戸惑った。それでも、彼女は笑みを崩さずに答える。
「私はご存知の通り、読み書きが出来ません。この村の人達は、私も含めて皆さん無学ですから……」
「そうか」
それ以上は興味が無さそうにそっぽを向いた。
尤も彼女の場合は、その摩訶不思議な能力さえあれば十分といえた。それ以上何する必要があるのだろう。傷付いた村人の心身を癒せるのだ。立派な人外だ。
「私は教えるというより、兄から教えて貰ったりしていました」
「兄弟がいるのか?」
「はい。二人。血の繋がった兄と母の違う妹がいます。……意外ですか?」
「少しな」
この人外に兄妹が居るのは正直驚いた。詰まり彼女意外に後二人、人外がこの大陸に居るのである。
「そいつ等は何処に居るんだ?」
「分かりません。私達は元は違う集落で生まれ育ったのです。ですが、その集落も襲撃に遭い、両親は亡くなり、私達兄妹はお互いに離れ離れになりました……。妹は兄と共に何処かへ落ち延びたと思います……。私は行く当てが無く、彷徨っていた所を前村長に見つけて貰い、以来この村で生活するようになったのです……」
詰まり彼女も元余所者。しかし、相当気に入られたのか、それとも力の所為か村長にまでなっているのだから、前村長に拾われ幸運だっただろう。
確りと村を纏めているし、その手腕には正直感心している。
「その二人も何か力があったりしたのか?」
「兄や妹は父の血を受け継いでいて、非常に力が強く頑丈な体でした。傷が治る早さも一般の人や亜人とは違いました。私は母の血を受け継いでいて、心を読んだり、傷を癒したり出来ます」
「そうか」
分からないのであれば、これ以上質問しても無意味である。何時もの雰囲気で彼は再びそっぽを向いた。
その態度にイルネが腹を立てたが、スイセンは別段気にはしなかった。
その時、アガロは別の事を考えていた。彼女、スイセンの妹である。何故だかその時、ふとある人物が脳裏に浮かんだ。
「聞いて良いか?」
「はい。なんでしょう?」
「お前の妹とは―――」
「スイセン様! 大変だ!」
アガロが気になって質問しようとすると、それは一人の叫び声で遮られる。
「どうしました?」
大声を出し、慌てて彼女の下へ駆け寄ったのは一人の若者。彼は息を荒げ、血相変えている。
スイセンは冷静に、若者に何が起こったのか落ち着いて説明するよう促すと、
「キン村が侍達に襲われたって、報せが入ったんだ!」
「なんですって!?」
若者が報せたのはまさかの凶報。
アガロは隣に居るイルネに説明を求めると、彼女は声を震わせながら、語り出した。
「キン村は、このリンヤ村の隣の村なの……。同じ山に囲まれて、見つかり難い場所なのに……」
彼女の表情は恐怖で強張っている。子供達も皆、緊張している。こんな事今迄無かったのだろうか。それだけこの村が平和だったのが窺い知れた。
「今は慌ててはなりません。キン村の情報は確かですね……?」
「へえ! キン村から一人、この村を頼って逃げてきた奴が居ます! そいつから聞きました!」
すると黙っていたアガロは突然腰を上げ、
「そいつの所へ案内しろ」
と短く言い、報せに来た村人へ詰め寄った。
「ひぃ!?」
だが、村人は彼の気迫にびびり黙り込んでしまった。
其処でスイセンが優しく声を掛ける。
「兎に角、詳しい話はその者から聞きましょう」
「俺も同行するぞ。お前達は家へ戻れ」
亜人の子達へ言い付けると、彼は足をスイセンの屋敷へと向けた。
「ちょっとアガロ!? あんた、何で付いて行くのよ!?」
これは村の問題である。部外者の彼には関係ない、とばかりにイルネが後ろから声を掛けるが、彼は振り向きもせず黙ってスイセンの後へ付いて行った。