「テイトウ山の戦い」 下
―――ナンミ軍推参。
その光景を未だに、山間で苦戦するジャベ隊、戦線離脱を図るユクシャ組、彼等を包囲するショウハ軍は理解出来ないでいた。ただただ呆然とし目を丸くする。
そんな中、アガロはテンコが報せてくれた情報を思い出した。
(テンコが言っていた、ナンミの別働隊はこれだったのか……!)
この状況下で、サラ・ショウハだけは冷静でいた。彼女はリテンが言った山頂の伏兵と、デンジの傷口を見て、それが自分の手の者達の仕業ではないと逸早く気付き、慌てて撤退命令を出すが、既に背後を囲まれていた。
「っ! リフ・ナンミ……。食えない爺だね……!」
たらりと冷や汗が頬を伝う。彼女だけではなく、逆に包囲されたショウハ軍全ての大将から士卒までもが、次に起こる出来事を用意に想像出来た。
そこで彼女、サラは瞬時に考え出す。今、此処で戦っても地の利は向こうにある。なら、上から狙い撃ちにされるのを避ける為、下の敵に接近して弓鉄砲を使わせなくし、自分達はユクシャ組前方のリッカ組と同じ進路を取り脱出を図る。
「全軍! 進路を変更! 前方の敵を蹴散らし、北東口から脱出!」
ショウハ軍は迅速に行動し、確りと統率された動きで進軍するが、次の瞬間、彼女がそして味方のアガロ達でさえ、想像すらしなかった出来事が起こった。
「放て―――!!」
「ちょいと! 正気かい!?」
流石のサラもこれには狼狽した。
山頂に陣取るナンミ軍は、味方諸共ショウハ軍を焼き殺そうと、一斉に火矢を放ったのだ。更に多くの葦や、火薬を詰めた陶器、焙烙玉を上から投げ落としてくる。
轟音、爆音、更には銃声が山の上から響き、下ではショウハ軍だけでなく、味方の部隊までもが悲鳴を上げ逃げ惑う。
火矢は木々に燃え移り、その業火が敵味方問わず燃やしていく。
(何だ…これは…!?)
アガロは大混乱に陥る味方の部隊を目にし、呆然としているだけだった。
「アガロ様! 早くお逃げ下さい!!」
リテンが叫ぶも耳に届いていない。
その時
「殿様! 危ねえ!」
部下の亜人が身代わりになり、矢を受け倒れる。
そこで彼はようやく我を取り戻した。
すると、デンジがアガロを呼んだ。
「アガ、ロ…様…」
「デンジ!」
「これ、以上…側に仕える、事…出来ず……、申し、訳…ありま……せん」
今は只、彼の言葉に耳を傾けるしか出来なかった。
デンジは言葉を搾り出す。
「国、を……。平等、な…国を……、どうか……!」
昨夜語った、人と亜人の平等の国。それを最後に彼は当主へ伝えたかった。
そして、今は安らかに部下の安息を願い、アガロは彼の手を握る。
「約束する……。今迄、よく仕えてくれたな……」
やがて一人の鬼が自分の前に現れる。その鬼は左角が折れている、ドウキ組副頭タンゲロウだった。
「逃げるぜ、殿様!」
「しかし、逃げ道を完全に塞がれた……。万事休すだ……」
「そんな言葉。殿様の口から聞きたくなかったぜ?」
「何をする気だ……?」
アガロが足を挫き動きが鈍くなっていると分かると、いきなりタンゲロウは彼の装備を剥ぎ取り、身軽にして抱き抱えた。
突然の事に驚くが、タンゲロウは主へ向かって言った。
「此処であんたに死なれちゃ、先に逝った奴等に申し開きが出来ねえからな! あんただけでも、此処から生きて逃がす! それによ、ドウキの兄貴や他の奴等は未だ諦めずに戦ってるのに、あんたがそんなんじゃ大将失格だぜ?」
その言葉にアガロは返す言葉が無く、黙っているだけだった。
「アガ、ロ…様……」
「…! デンジ!」
「駄目だ殿様! こいつはもう助からねえ! 置いていく!」
「アガロ様! 先に行って下さい!」
リテンに促され、タンゲロウは走り出した。
彼に抱きかかえられながら、アガロは炎の中取り残されるデンジを見つめ続けた。
(すまない、デンジ―――!)
煙の中、走り出すタンゲロウの背中を見送り、リテンはデンジに呼びかける。
「デンジさん! アガロ様は無事、逃げ切れました!」
最早虫の息である彼の耳へ届くよう、大声でそう叫ぶ。リテンは両目から大粒の涙を流しながら、死の世界へ旅立つデンジを安心させようとした。
「そう、か……。リ、テン……」
「はい!」
「アガロ、様…は、人と、亜人…の…っ……。平等の、国…を……作ってくれる……」
「殿様がそんな事を!?」
リテンはとぎれ途切れに話すデンジの言葉に耳を傾ける。
「あの、人を……、守れ……。側に、居…ろ……」
「……はい。デンジさん。俺は行きます。最後に無礼をお許し下さい!!」
彼は腰刀を抜き、デンジの両角を切り落とした。
その二本の角を形見として懐へ大事にねじ込むと、デンジを残し、その場を後にする。
燃え盛る火の中にデンジは消えていった――――……。
「大将! 無事か!?」
やがて、タンゲロウはドウキと合流した。赤鬼も肩に二本矢を喰らっており負傷していた。
それでも尚、散りじりになっている味方の組を集め、皆で矢を払い避けながら生き残っていた。
「兄貴! おれは殿様を安全なとこへ運ぶ! 少し組の奴等借りるぜ!!」
「タンゲロウ! 任したぜ! 俺は他の奴等を探しに行く!」
彼が一気に駆け出すと、組の者達数十名が後に続く。
皆、満身創痍であり戦い疲れ、味方から攻撃を受けたその衝撃から、未だに信じられないといった顔をしていた。
「其処の鬼達止まれ!」
すると、彼等の行く手を阻むように数名の武士が現れる。
「あんた等ナンミ軍か!?」
「如何にも!」
「なら丁度よかった! 俺が今抱きかかえているのは、ユクシャ組の組頭アガロ・ユクシャ様だ! 助けてやってくれ!」
タンゲロウ等数十名が跪きアガロの保護を申し出たが、武士達は刀を抜く。それにタンゲロウ達は驚きの眼差しを向けるが、相手は下卑た笑みを浮べていた。
「何の積りだ!?」
「悪いが死んで貰う。味方を助けろ、何て命令は聞いてないしな……。それに鬼の角は高く売れる!」
「マジかよ……!?」
後退りすると、ナンミの士卒が一斉に襲い掛かってきた。
すると、タンゲロウ以外の鬼達が飛び出し、彼等を止めに掛かる。
「タンゲ兄貴! 行って下さい!」
「おれらに構わず! 早く殿様を安全な場所に!!」
タンゲロウは当主を再び抱き上げると、迷わず間を走り抜ける。
「っ……!」
「殿様! 皆、自分でしたくてするんだ! 気にするな!」
腕の中で歯軋りして悔しそうに顔を歪める当主へ向かって、何時ものアガロの口癖を、タンゲロウは言い聞かせるように叫んだ。
「俺達鬼だって恩義を感じる! 恩を返さすと思って、好きにさせてやってくれ!!」
抵抗空しく次々に討ち取られ、中には瀕死の状態から嬲り殺しにされていく者達も居た。彼等は足軽達のいい様に弄ばれ、やがて体の一部を剥ぎ取られる。
その目も覆いたくなるような光景を、アガロは凝視し、目に焼き付けた。
二刻(一時間)程経つと、山の洞穴に隠れていたタンゲロウは再び走り出す。
その途中、アガロは終始無言であり、虚ろな表情だった。自身の力不足を痛感しているのだろうか、しかし今はそんな事を嘆いている余裕は無かった。
「はぁ…はぁ…。殿様、此処まで来れば安心だ……」
見晴らしの良い、絶壁の処まで来ると、アガロは下を見渡す。
深そうな川が流れ、そして反対方向からは黒煙が上がっている。
少し休もうとタンゲロウはアガロを下ろした。
「タンゲロウ……。すまない……」
「へ、いいって事よ! 殿様を守り通せたんだ! おれは仲間内で人気者だぜ!」
空元気に振舞う彼だが、次の瞬間顔付きが変わった。
「如何した……!?」
「殿…さ、ま……」
ドサッと彼は目の前で倒れる。一本の矢が背中から心臓を射抜いていた。
「居たぞ! 未だ生き残りが隠れていた!!」
「くっ!?」
周囲が静まり、油断していた。
タンゲロウを背後から射殺したのは、血眼で落ち武者を捜している足軽達だった。彼等は四人で一塊になると刀を抜き、アガロ目掛けて近付いてくる。
瞬間、彼は思った。
―――死ねない!
未だ遣り残した事がある。
立派な当主になっていない。
ユクシャ県に戻っていない。
自分が死んだ後、家はどうなる?
未だ跡取りも居ない。
多くの家臣達が路頭に迷う。
家族が悲しむ。
自分を救う為、死んでいった部下達の犠牲が無駄になる。
色々な事が頭の中を瞬時に駆け巡り、そして最後に脳裏に浮かんだのは父の死に際。コサンは見事割腹したが、自分は生きたいと願った。
死への恐怖が彼を襲い、生への執着を一層強くした。
「俺は未だ死ねない!!」
一度は諦めかけていたが、彼は自身を鼓舞するように奮い立つと、足を引きずりながらも足軽達の攻撃を躱していく。
「くそ! 大人しくしやがれ!」
「首を寄越せ!!」
敵の攻撃を受け流し、時には地面を転がりながらも、必死になって抵抗するが、崖を背に次第に端へ追い詰められていった。
肩で息をし、眼前の足軽共を油断無く睨みつけた。視界が霞み、足元が覚束無い。反撃しようにも何の武器も持っていない彼は、只敵の攻撃を避けるので精一杯であった。
足軽の一人が刀を振り上げ突進してくると、途端、アガロの足元が崩れた。
「おい! 落ちちまいやがったぜ!」
「この高さからじゃ、助からねえだろ」
「ちっ、勿体ねえ。おい! 其処の鬼の角と牙を取ったら撤収だ!」
崖の下へ真っ逆さまに落ち、深い川の中に沈んだアガロ。彼は泳ぎは得意だが、今は足が思うように動かない。
流れに飲まれ、次第に意識が遠のいていく―――。
【――テイトウ山・抜け道――】
「姫様! ご無事で!?」
「キシャル、エクルガ。エイリは……?」
今回、ジャベ隊を見事罠に嵌めた家臣エイリの事をサラは訊ねた。
すると、二人の家臣は悔しそうに顔を歪める。
「エイリ殿は姫様を逃がす為、殿を勤め…討ち死に致しました……」
「そうかい……」
サラは山頂に陣取るナンミ軍を見上げた。
(リフ・ナンミ。この恨み、必ず晴らさせて貰うよ……!)
サラ・ショウハは生き残った部下を連れ急いで城へ戻るも、シラハ城はリフの部隊が既に包囲しており近づけなかった。
諦めた彼女は僅かな供を引き連れ、クリャカ家のランマ郡へ落ち延びた……。