第四十七幕・「テイトウ山の戦い」 上
【――テイトウ山――】
テイトウ山の山道をぞろぞろと行進する部隊は、先鋒を命じられたジャベ・ナンミ隊凡そ五千。
更にその先を進むのは、新たに加わったエイリ率いる部隊六百と、アガロ率いるユクシャ組千三百。
山は濃い霧に包まれており視界が悪く、その上道は段々と狭まり行軍困難にまでなってきていた。
部隊は完全に伸びきり、長蛇の列の如く長くなっている。危険な山道だ、大部隊の長所を殺している。
アガロは共に先鋒を行くエイリに対して不信感を募らせていた。そして、彼の不安はそれだけではない。
「……トウマ。デンジは未だか……?」
「残念でやすが、未だみたいでさぁ……」
馬上の上から訊ねると、トウマは申し訳無さそうに答えた。
不審に思っているのは何もアガロだけではない。
ユクシャ組の主な者達は皆不安を感じている。デンジ組が一人も戻らないからである。
「やっぱり、引き返した方がいいんじゃねえか?」
ドウキが不安そうに提案すると、アガロは力無くかぶりを振る。
「そうしたいのはやまやまだが、俺達は亜人組だ。そんな事を言っても信じて貰えないだろうし、第一今回はエイリ殿に全てを任せろ、とリフ直々の命令だ。逆らう訳にもいかない……」
「そうか……」
赤鬼は俯いた。彼の暗い表情の原因は解っている。
「心配するな。デンジを信じて待て」
ユクシャ組は無言で進軍を続ける。暫くの行軍の後、一向は山間に出た。そして其処で小休止に入る。
組を休ませながら、アガロは周りを見渡した。傾斜が緩やかな山に挟まれており、もし上に陣取れば、丁度此方を見下ろす事が出来る。道は前方と、後方にある細道のみ。しかもこの場所には木々が少ない。自軍は丸見えである。
(おかしい……。静か過ぎる……)
ユクシャ組の者達は座り込み、持って来ていた携帯食料を摘んだ。皆、干し肉や、芋茎縄を食し、水筒を片手に雑談などをしていた。
そんな彼等を尻目にアガロは油断無く身構え周囲の警戒をし、未だ現れぬデンジ組を待っていた。
「大将。心配なのも分かるけどよ、休める内に休まなくちゃ損だぜ?」
「そうです。デンジ君達は無事に戻ってくるです」
ドウキとレラに促され、暫し無言でいたがやがて一つ頷く。
「ああ……。そうだな……」
彼が二人と共に歩みを進めたその時、アガロは何かが近付いてくる音に気付いた。
「何か来る……!」
霧の中から一人の足音が聞こえてくる。振り向くと、一つの影が浮かび上がり、真っ直ぐこっちへ向かって来る。
アガロは身構えた。敵の間者か、それとも味方の兵士か視認出来ない。
「あ、アガロ様……!」
が、彼は直ぐに驚く事になる。
影の正体は、誰であろうデンジ組の新人リテン。
「一体どうした……!?」
着物はぼろぼろで、体中泥だらけであった。
アガロ達が駆け寄より彼を介抱しようとすると、リテンはそれを制止し、大きな声で異変を知らせる。
「敵がこの山に潜んでいます! 早く此処から撤退してください!」
「何だと!?」
リテンがもたらした報せは、彼等にとって十分衝撃的な事だった。
彼だけではない、組頭達も皆これから起ころうとしている事を予測し、顔が青ざめた。
「ぐわっ…!?」
「どうした!?」
声の方を振り向くと、其処には先程まで楽しそうに話し込んでいた鬼が一人倒れていた。
すると、もう一人が悲鳴を上げる。
「い、いいいいま! 矢が飛んできたんだ!!? 向こうから!!」
アガロは直ぐに指示を飛ばす。
「全員、戦闘態勢! 使者を直ぐに後方の味方に送り、この事知らせろ!」
彼が短く指示をだすと次の瞬間、鬼が悲鳴を上げ天を仰いでいた。その視線の先を見上げると、無数の矢が降り注いできた。
「全員! 回避!!」
しかし、反応が遅れた味方は次々と矢の雨を受け倒れて行った。
これには流石にジャベの本隊も異変に気付いたらしく、悲鳴が此方にまで響いた。
段々と霧が晴れ視界が開けると、
「若旦那! あれを!」
「…!?」
アガロはトウマの指差す方向を見上げる。
すると其処には、
「ショウハ軍……!」
山の中腹に陣取るその軍兵の旗指物、甲冑を見て一目で分かった。此処何日も戦い続けている敵の姿が其処にはあった。
アガロはエイリ隊を思い出すが、見ると其処には一人も姿が見えない。
「すみませんアガロ様、俺がもっと早く来ていれば……!」
リテンが味方の陣へ戻った時には、其処は既にもぬけの殻だった。後を追う途中敵に出くわし、その包囲を突破して、彼は傷付いた体に鞭打ち必死で駆けつけて来たという。
「リテン!」
悔しさに歯軋りし、俯く彼の名をアガロが呼びつけた。
顔を上げると、アガロは真っ直ぐ彼の目を見つめていた。
「抜け出す道はあるか?」
彼は脱出路を短く訊ねた。まだ、諦めの色は見えない。
「前方の道にあります。ですが、もう道には敵が……」
「あるのだな? よし!」
彼は混乱するユクシャ組の者達へ振り向くと、大きく息を吸い込みそして解き放つ。
「全組に告ぐ――――――!!!」
普段、無口で余り余計な事を喋るのを嫌うそんな彼からは、思いも付かない大声が発せられる。
甲高く、それでいて遠くまで良く通るその声は、組の者達全員の耳へ届く。
「これより敵中突破を計り、戦線を離脱する―――!! 生きてこの地を脱したい者は、俺に続け――――――!!!」
「「「うおおおおぉぉぉ――――――!!!」」」
不思議と彼の声を聞くと、高揚し、兵士達は心を一つにする。彼の激励は直ぐ様味方の心を掴み、組を纏めていった。
その声を聞きつけ、主だった者達が集まる。
「長蛇の陣を取る! リッカは先鋒を勤め突破口を開け! コウハとギンロは獣組を率いて、山を駆け上り、敵を牽制しろ! ヤイコク、ゲキセイは荷駄を捨てさせろ!」
「分かったわ!」
「行くぜギンロ!」
「……!」
「「承知!」」
彼等が持ち場へ着こうとすると、目の良いトウマは敵の動きに逸早く気付いた。
「若旦那! 敵が逆落としを掛けて来やす!!」
「俺等を包囲殲滅する気だ! ドウキ、ゲキセイで喰い止めろ! トウマ組、レラ組は後方から援護! 負傷兵に近づけさせるな! ヤイコクは殿を務めろ!!」
こういう時のユクシャ組の動きは、どの組よりも素早かった。彼等は一気に隊列を組み、傷付いた兵士達へ肩を貸すと配置に着く。狭まった道を一気に抜ける為の細長く機動性に長けた陣形に変わる。しかし、この陣形は側面からの攻撃に滅法弱い。分断されれば全滅は必須。
だが、アガロは今の状況は戦うのではなく脱するのが優先であり、それが最良の陣と判断した。
全軍に檄を飛ばす。『敵を討つのではなく、生き延びろ!!』と。
「アガロ!」
「テンコか!?」
「僕の隊も君達に協力するよ!」
「助かる!」
其処へユクシャ組の後詰めであるミリュア隊が駆け付ける。
アガロは彼から後方の様子を聞いた。ジャベはエイリが裏切ったと分かると、直ぐに撤退を始めたという。しかし、狭まった道に兵が集中し、味方は押し合い圧し合い通り抜ける事が出来ず、其処を上から狙い撃ちにされ、味方の被害は夥しいという。
そこでジャベの側近の彼は、ユクシャ組を先頭に戦線離脱を進言。ジャベに願い出て、前方で逸早く隊列を纏め、突破を図るユクシャ組に協力を申し出てきた。
「こっちは負傷兵が居る、テンコ! 右翼を守って欲しい!」
「引き受けた!」
「他の者達は足並み乱すな! 決して分断されぬよう駆け続けろ!!」
アガロは馬上へ移ると、突破の合図を出す。
リッカがその速さと、剣技を持ってして活路を開く。後に彼女の部下が続き、一気に走り出す。
側面から弓矢、鉄砲を撃ってくる敵はコウハ、ギンロの機動性に長けた獣組が引き付ける。
彼等は素早く山道を縦横無尽に進む事が出来、敵に迫ると直ぐにばらばらになり、矢や弾丸は少ない木々や岩を盾にして牽制した。
駆け下りてくる敵をレラ組の弓兵が射抜く。
対してトウマは数の少ない鉄砲組を集めると、副頭のベンジと共に敵の組頭だけを狙い撃ちにし、敵の指揮統率を挫く。
アガロは数少ない鉄砲を最大限に利用する為、トウマとベンジの凄腕の鉄砲打ちだけに鉄砲を撃たせ、後の者達には順に火薬を入れる者、弾入れの者、火縄の用意をする者、最後に二人に手渡す者と配置に着けさせ、撃ち終ったそれを受け取り、鉄砲に再び弾火薬を詰め込む、といった具合に役割を分担させていた。
この一連の動作を繰り返させた。この方法なら時間を大幅に短縮でき、トウマもベンジもほぼ途切れる事無く鉄砲を連射出来る。
数が足りないなら、腕と連携で勝負させた。
それでも味方まで達した敵を、ドウキ、ヤイコク、ゲキセイ、そして加勢に回ったテンコの部隊が食い止める。
ヤイコク、ゲキセイの二人は大事に守っていた荷駄を命令通り捨てると、敵は我先にと群がった。
アガロが沢山の物資をユクシャ県から送って貰う理由は、味方の撤退の為の保険という訳である。
敵も人間。それも借り集められた農民達であり、目の前に散らばる餌に目掛けて殺到するのを予め予想しての行動だった。
(凄い……! ユクシャ組は最弱の組と聞いていたけど、こんなに強いとはね……!)
テンコは必死に味方の為、勇戦するユクシャの兵士達を見て、感心すると共に、自身も勇気付けられる。
ユクシャ組は味方が負けるとよく殿を勤める。捨て駒であり、いい的にもなるし彼等に適任であった。
そして、アガロも既にそれに慣れているのか、慌てふためかず、兵士達を指揮し、傷付いた味方に手を貸すよう指示を飛ばした。敗者には敗者の戦い方があると、彼は見せ付けているようであった。
「アガロ様! 早くお逃げください! 此処に居ては危険です!」
リテンは馬上の当主へ言うが、何故か彼は動こうとしない。
アガロは部隊の最後尾を勤めていた。ヤイコク組と行動を共にしており、側に弓矢を持った鬼の足軽三名を侍らせ、何かを待つようにじっとその場で待機している。
(一体、何を考えているんだ……!?)
やがてリテンはその訳に気付く事になる。
「退け! 鬼共! 通れねえだろうが!?」
「道を開けろ! 俺達を守れ!!」
途端、細い山間の道から、此方目指してやってきたのは、後方に待機していたジャベ隊の兵士。彼等は味方が不利と分かると逸早く戦場から脱しようと組を離れ、数十人で固まって押し寄せて来たのだ。
(不味い! 折角、部隊が纏まったのにあいつ等が乱入すれば、陣が後方から崩れ味方が混乱する……!)
焦り動揺するリテンの額を冷や汗が伝う。此の侭では万事休す。味方が原因で滅びる事になる。
そう考えた瞬間、馬上の少年が動いた。
「矢!」
ユクシャ当主は待っていたと言わんばかりに側に居た鬼から素早く矢を受け取ると、瞬時にそれを放った。
矢は一直線に飛んで行き、殺到する先頭の兵士の足元へ突き刺さる。
「うわ!? 危ねえ!」
「正気か!? あのガキ!?」
ジャベの足軽達が驚き前進を止めると、アガロは馬を駆け目の前へ躍り出ると兵士達に怒鳴りつける。
「隊から抜け出すは軍律違反だ! 直ちに戻れ!!」
しかし、足軽達はこの状況下で軍律を説く彼を鼻で嘲った。
「へ! 何言ってやがる! 味方が混乱してるのに、軍律も糞もあるか!!」
「もう一度言う! 元の隊へ戻れ!」
「ふざけるな! このガキ!」
彼等も生き延びる事を優先し、集を成して狭い山間を進んでいる。今更一人の組頭に戻れ、と怒鳴られても引き下がる訳には行かない。
恐れを知らない態度で一人が悪態付くと、瞬間、目の前に閃光が走った。
「がはっ―――!?」
「ひぃぃ!!? み、味方を斬りやがった!?」
見ている光景を未だ信じられず、我が目を疑っている足軽達へ彼は恫喝した。
「勝手に隊を離れ規律を乱し、その上武士に対する暴言の数々! 度重なる軍令違反、目に余る!! 次に死にたい奴は前へ出ろ!!」
怖気付いた彼等はすっかり気圧され、尻餅付いて恐ろしくなり閉口する。
彼等は今、自分達の目の前の少年の渾名を思い出した。
―――黒鬼。
馬上から兵士を睨みつける黒鬼の眼光は、獰猛な猛虎と対峙し、これを天上から睨みつける龍の如く、威圧、気迫に満ちており、成長し以前にも増して声量も付いて、大きくなった彼の声は青天に突如轟く霹靂のようであった。
それは後の『アシハラ三大音』と称されえる程、アガロの声は大きく遠くまでよく響いた。
「この窮地を脱したいのなら、速やかに俺の指揮下に入り、軍律に従うべし―――!!」
その声は密集し、長く伸びる足軽達の脳天によく響いた。
今迄、殿戦を潜り抜け脱してきた彼は混乱に陥った味方――人、亜人に関わらず――がどういう行動を取るか、理解していた。命に関われば皆、利己的に、打算的になる。特に亜人を虫けらと思っている人間の兵士が隊列を乱し、乱入してくる事が多々あった。
ナンミの常備軍は流れ者や浪人が多く、味方が混乱すると脆い。逸早く逃げ出す弱点があった。ナンミ軍に軍令が多いのは、彼等を確りと管理する為である。
そして今のように味方が勝手な振る舞いをした時、それを速やかに収拾出来るのが一軍の大将に求められた。
アガロは亜人組の組頭、と他の部隊から軽く見られている節があり、それが原因で足軽達が舐めて掛かる。
其処で彼は武力を背景に、厳罰主義を徹底し、恐怖を、場合によっては軍令に乗っ取り、死を持ってしてこれをきつく戒め彼等を従わせる。
この場合、一瞬の隙や乱れが部隊を全滅に追いやる。例え、乱戦、混戦の時でも部隊の指揮系統は確りと保つ。これが今迄の戦で学んだ事だった。
馬上を見上げれば、黒で統一された彼の鎧と、鬼の角を象った兜が、此方を見下ろす。その姿は本物の黒鬼を思わせる。
アガロが鬼の兜と黒い鎧を作らせたのは、彼等をその姿で恐怖させ、一瞬で従わせる為だ。効果はてき面で兵士達は、最早抵抗する気も隊列を乱す者一人も居なくなった。
「以後はヤイコク組へ入り、組頭に従え!」
隊へは戻さず自分の組の兵力を増強する。抜け目無い彼は彼等を直ぐヤイコクに預けると、自身は馬首を返し、
「駆けろ―――!!!」
敵を恫喝し、味方を叱咤激励する。彼の声に敵はビリビリと体が震え、また味方を奮い立たせる。過去にトウジ平原、タキ城の戦いでもそれを如何なく発揮していた。
(凄い―――! まるで鬼神の様だ―――!)
人馬一体となり、戦場を駆ける彼の姿を敵味方問わず見蕩れた。
(アガロ様が居る限り、俺達に負けは無い―――!)
リテンは堪らずそう思った。
やがて、前方で待ち構えていた敵を突破し、活路をリッカ組が開くと、味方は一本の矢の如く、真っ直ぐ途切れる事無く前進した。
【――ショウハ軍――】
「報告! 敵に鬼神が現れたとの報せあり!」
「申し上げます! 敵に我が包囲の前面を突き破られました!」
山間に敵を誘い込み、見事に包囲をした大将エイリが焦ったように爪を噛む。
「おかしいわね……。そんな奴はジャベ隊には居なかった筈だけど……」
「ちょいと、あたしが見てくるよ」
「そんな! 危険です姫様!」
彼女が止めようとすると、その姫と呼ばれた女は片手で制止した。
「昔の顔馴染みに会って来るだけさね……。エイリは敵本隊のジャベを合図したら一気に攻め込みな! あたしはその前方を引き受けるよ!」
面頬が総面であり素顔は見えないが、彼女はその面の下で笑みを浮べているようであった。
「我等も御供仕りますぞ!」
「付いといで!」
彼女は手勢を率いると直ぐ様本陣の山を駆け下り、ユクシャ組が進む前面へ向かう。
(久しぶりの対面は中々楽しくなりそうだね―――アギト!)