第四十五幕・「夢と約束」
東の強国クリャカ家は、代々トウ州七郡を其々治める守護大名家の棟梁であり、その称号として管領の職務を幕府より、賜っていた。しかし、乱世が始まってからはその支配から解放され、権力と領土拡大を図った各地の守護家が反旗を翻し、クリャカ家は一気に縮小した。
十数年前に新たな当主ベルウィ・クリャカはトウ州再統一を目標に、富国強兵を開始。彼の政策により、力を盛り返したクリャカ家は次々と隣郡を蹂躙。今や四郡を切り従えていたが、其処へ突如背後からナンミ軍が襲来する。
手始めにナンミ軍はセンカ・ギ郡の郡境にある境目の城、ハルト城をあっという間に落城させ、更に兵を分け、ロウア郡にあるクリャカ領へ侵攻した。ベルウィ・クリャカは直ぐに援軍を派遣しようとするも、リフはそれを許さなかった。彼は事前にトウ州で、未だクリャカに抵抗する勢力と密約を交わしており、東西から挟み撃ちにした。
これには名君と謳われたベルウィも完全に後手に回り、城の防備を固めて、籠城の構えに入る。
そうこうしている内に、ナンミ軍はセンカ郡の城を二つ、砦を既に四つも落とし、快進撃を続ける。
【――ユクシャ陣営――】
「アガロ様! 只今戻りました!」
「デンジ。前線は如何だった?」
現在、ナンミ軍は三つ目の城、テンピ城を包囲しており、未だに優勢を保っていた。
アガロはデンジ組を使い、センカ兵の動きやクリャカの援軍などの様子を逐一偵察させ、情報を集めている。
「報告します。現在、敵の援軍現れる様子はありません。それよりも、ショウハ家の本城シラハ城に不穏な動きあり、と俺の部下が情報を持ち帰りました」
「大儀。引き続き、周囲の警戒に当たれ。敵に何か動きあったら知らせろ」
「は!」
デンジは一礼すると、さっと陣営から出て行く。
「それにしても……。リフ・ナンミ、侮り難いですね……」
アガロの右手に座るヤイコクが感心したように呟いた。
「ほんとにシグル様と同年代かよ?」
思わずドウキが疑問に思った。
「あの爺さん。ほんとに悪巧みとか好きよね」
「リッカちゃん。それは戦を始める前に行う、事前な根回しです。多くの武士はこれを行うです。……そうです? ヤイコク様?」
レラがヤイコクへ視線を移すと、彼は良く出来たとばかりに微笑む。
「その通りですよ。戦前には必要な準備ですし、智将、名将はこういった策を欠かしません」
「ところでアガロ。今攻めている城を落とせば、次はいよいよ、そのショウハ家の本城なんだっけ……?」
リッカは陣営の末席に着座しており、奥に座る当主へ訊ねた。
「シラハ城だ。ショウハ家はセンカ郡を治める守護家で、今攻めているテンピ城を落とせば、後は支城と端城だけだ」
アガロは地図に視線を落とす。デンジ達を使い、周囲を詳しく調べさせ作成したテンピ、シラハ城付近の地図。本城シラハを落とせば、センカ郡の七割は征服したといっても過言では無い。
「クリャカは動くと思うか?」
コウハが問うと、兄の側に座るギンロも同様に視線を向けてきた。
アガロは暫し考える。
「恐らく、クリャカ家は動かない、いや、動けない。今回はナンミの事を十分警戒していただろうが、他のトウ州三郡の守護大名家が結託し、同時に攻め込んでいる。この状況では、幾らなんでも援軍は無理だろう……」
そんなやり取りをしていると、アガロ陣営へある人物が現れる。
「やぁ、アガロ」
手を軽く上げて挨拶するのはミリュア家当主テンコ。彼は数人の部下を伴って、ユクシャ組の陣営まで訪ねて来た。トウマはさっと床机をアガロの向かいへ用意すると、彼は其処へ腰掛けた。
「テンコ。前線で何かあったか?」
「うん。実はね、僕達へ投降してきた者が居るんだよ」
「どんな奴だ?」
「ジャベ様の話によると、名はエイリという姫武将だそうだよ。僕は未だ顔を合わせていないし、それに陪臣だから軍議には参加出来ないけど、リフ様が大層気に入った武将らしい」
「あの爺、今更色香に迷ったか?」
友は苦笑して見せるも、一応かぶりを振る。テンコはジャベの陪臣で、それと同時にナンミ軍の後方支援等も担当している。
「部下が調べた所、戦が始まる前から、そのエイリという姫武将はナンミに近づいていたらしい……。何でも、テンピ城を落としたら、次のシラハ城攻略は、ジャベ様と先鋒を勤めるそうだ……」
それを聞くと、アガロは眉間に皺を寄せる。
「信じて大丈夫なのか……?」
その問いに狐目の友は暫し考え込む。
「僕には分からないよ……。ジャベ様も相当疑っている様子だけど、総大将の、ましてや父親の命に従わない訳にはいかないからね……」
テンコは話を続ける。
「今包囲している城も次期落ちる。そしたら次はショウハ家の本城シラハ城だ。クリャカが動けない内に、ナンミはこれを落としたいらしい……」
それにアガロも同意し一つ頷く。
「それはそうだろうな。シラハの城を落とせば、クリャカの喉下へ食らいつける」
「そうだね。それとその城攻めはさっき話したエイリ殿を道案内にして進めるんだそうだ。土地に慣れている彼女なら、安全な道を進んでくれるだろう、とリフ様のお墨付きだ」
「…………」
途端、アガロは口を閉じた。
訝しげに顔を覗き込んでくる友。
「……アガロ? どうしたのかな……?」
「上手く行き過ぎているような気がしてならない……」
彼は短く小声で、今の自分の心境を口にした。
「アガロ。臆病風に吹かれたかい?」
「そうじゃない」
「いいかい? 今、味方は勢いに乗っている。時として、この勢い程味方を強くするものは無いんだ」
テンコは言い聞かすように説いていく。
アガロもそれは重々承知である。戦とは勢いも肝心だし、時の運も関わってくる。が、彼は少し不安でならなかった。
不安の正体はエイリという姫武将もそうであるが、最も大きいのはリフの考えである。
アガロは人質生活の間、リフという男を観察している。そして、彼が見てきたリフという老人を簡単に説明すると、
―――腹黒い。
この一言に尽きる。果たしてそんな彼が何故其処まで、エイリという武将を信じるのか。それがアガロには不思議でならなかった。リフは何時も掴み所がなく、理解し難い。何か思惑があるのか、アガロは不信感と、猜疑心を募らせた。恐らく、リフの長子で嫡男のジャベも同じ心境だろう。
アガロは自身の心が落ち着かないのがその証拠である、と思った。
「アガロ。シラハ城を落とせば、クリャカ家の本拠ランマ郡は直ぐ隣だ」
「……ああ」
「手柄を立てれば、知行地が増えるし、現状を少しでも改善出来る。君の大切な家臣の為にも、今は耐えるんだ……」
テンコは彼の置かれている状況を十分理解した上で、言葉をかけてくれた。
すると、アガロも一つ頷き、
「そう、だな……。知行地が増えれば、部下達を養ってやれる」
「僕はもう行くよ。そろそろ、次の攻撃の合図が出る頃合だしね……」
「テンコ。武運を」
「君もね」
互いに軽く別れの挨拶を済ますと、テンコは部下を連れて自分の陣営へ戻っていった。
「若旦那。あっし等が必ずや武功を立てさせて見せやす!」
トウマ意気込んだ。
「そうです! 今回はタミヤ様からの援軍も来ているし、負けるはず無いです!」
「そうよ! 戦ででっかい武功を上げて! 他の奴等を見返してやりましょう!」
リッカとレラの二人は互いに燃えていた。
「おれ等も忘れて貰っちゃ困るぜ? 次の手柄はドウキ組が全部貰っていくからよ」
「そうはいかねえぜ、ドウキ! オレ等だって折角下ギ郡から来てんだ。手柄も無しに帰れるか! それに…手柄がなかったら、タミヤ様に叱られる……!?」
「……兄者、…………落ち着いて」
やる気を出すユクシャ組の面々。
それを側近のヤイコクが微笑ましく見つめると、彼は当主へ視線を移し、
「御当主様。我等一同。覚悟は出来ております。今は目前の敵に集中し、武功を上げる事を考えましょう!」
皆の瞳が向けられる。
アガロは暫し黙ったが、やがて意を決し口を開く。
「ああ。そうだな。期待している」
すると、その直後、頃合を見計らったように、総攻撃の合図を知らせる狼煙が上がった。
「アガロ様! 本陣より狼煙の合図です! お味方総攻撃せよ、と!」
デンジが慌しく戻ってくると、矢継ぎ早にそう知らせた。
アガロを筆頭にユクシャ組の者達一斉に『おう!』と掛け声を上げる。
「ゲキセイに、出陣の用意を知らせろ!」
アガロが陣営を早足で出る。後にぞろぞろと部下達が続いた。
「いいか、野郎共! 次の手柄はドウキ組の独り占めだ!」
「コウハ獣組! オレ等が次の戦で一番手柄を立てる!」
「レラ弓組も負けて入られないです! リッカちゃん、敵を切り倒してくださいです! 援護するです!」
「任せて!」
組頭が持ち場に着くと、出陣の陣太鼓と法螺貝が鳴り響き、兵士達の士気は上がっていく。
「デンジは引き続き、シラハ城の動きを見張れ! 何かあったら直ぐ知らせろ!」
「承知!」
アガロは味方へ叱咤激励をする。
「かかれ!!」
合図を出すと、味方は一斉にテンピ城、城門へ殺到した。
数で圧倒するナンミ軍に対し、テンピ城の城兵はよく戦い防いだ。ユクシャ組も思いの他苦戦を強いられ、落城処か、城門が開く兆しが見えない。
すると、城内でざわめきが起こり、突如城門が開いた。城内へ一番乗りした部隊は、降伏してきた姫武将エイリ。記録によると、この戦いでは先鋒のジャベ隊や、その与力のユクシャ組ではなく、搦め手へ一気に攻め寄せたエイリ隊が、一番手柄を挙げたという。
【――戦後・ユクシャ陣営――】
「デンジ。シラハで何か動きはあったか?」
「いえ、特に目立った動きは……」
跪きながらデンジは見張りの報告を知らせた。
「そうか……」
アガロは今日の昼頃、落城したテンピ城を遠めで眺めていた。
亜人を組織するユクシャ組は基本城外で待機させられる。勿論、物資の補給も手当ても全て後回しにされ、その上戦では常に捨て駒であり、先陣を命じられる。それが原因で何時も死傷率が多い。
ユクシャ組最弱の最大の理由である。どれだけ組を纏め訓練しても、十分な補給を受けれなければ、いかに百戦錬磨の部隊とて力を十二分に発揮出来ない。
「デンジ。ゲキセイに……」
「アガロ様。既に手配しています」
アガロは部下の気遣いに感心した。上から十分な補給が受けれないのであれば、自分達が用意するしかない。そこで彼は何時も戦の際に、タミヤから物資を大量に送って貰っているのだ。
戦で最も重要視しているのが補給であり、アガロが金を溜め込み倹約に努めているのは、戦で傷付いた味方へ十分な手当てを施す為であり、また別の理由もある。
主に戦はユクシャ組が、補給等の後方支援はタミヤの援軍勢が担当している。
「アガロ様は本当に優しい大将です」
唐突にデンジが言った。当の本人は無言の侭で無反応。しかし、これも慣れたものであり、デンジはちゃんと当主が自分の言葉に耳を傾けているのを知っている。
「俺達亜人を良く面倒見てくれます」
「お前達は俺の部下だ。当然だろう」
すると、デンジはかぶりを振った。
「いいえ、お武家様は普通、亜人の面倒など見ません」
「俺はしたいようにしている。それだけだ」
アガロは周りを見渡した。静寂に包まれ、夜になると風が一層冷たくなった。
特にユクシャ組は火を絶やさないように勤めている。皆、夜の分の飯を食し、疲れた体を休めていた。
そんな彼等の姿を見下ろしていると、ふとデンジが口を開いた。
「俺は人が嫌いでした」
「何だやぶから棒に?」
唐突に自身の事を語り出す。アガロが訳も分からないといった顔を向けえるが、彼は構わず話し続けた。
「俺は親兄弟は居ませんでした。気付いたら孤児で、人に狩られ、奴隷になってました……」
過去を思い出すに辺り、デンジは暗い表情になる、俯き声が低い。
それでも彼の声はアガロに耳にちゃんと届いている。
「特に俺が嫌ったのは武士でした。俺の村にも地侍は居ましたが、あいつ等は亜人を相手に好き勝手、やりたい放題で、何時しか俺は彼等を毛嫌いしてました……」
デンジでなくても嫌うだろう。
身分階級から言って、亜人と奴隷はほぼ同列。彼等は同じ生きた『人』では無く『物』なのだ。
「そんな時、三年前ギ郡で戦が起こりました。俺の村は丁度戦地から近かったので、足軽の招集例がありました。俺の仕えていた屋敷の者達は、兵を出すのを嫌がり、変わりに俺が戦場へ送られました……。はじめは嫌でしたが、手柄を挙げれば…金を貯めれば…自分を買い戻せる、自由になれる。そう思って戦に望みました。そして―――」
と、彼はそこで顔を上げ、真っ直ぐ当主へ顔を向ける。
「そこでアガロ様と出会ったんです」
デンジはアガロと違い大分に夢想家な鬼なのだろう。まるでそれは天命であり、神が自分と彼を引き合わせた、と信じている節がある。
しかし、アガロは無神論者であった。幼い頃に神への信仰を強要させられ、それが原因で反抗精神を抱き、嫌いになっている。
「俺はアガロ様と出会い、思いました。こんな御武家様も居るのだと……」
アガロは無言で聞いている。自論から言わせれば、神など居ない。天命もない。土着信仰や禍に対する恐怖心もない。自分の目で見て、確められるもののみを信じる。
そこでデンジは一度区切り、少し間を置く。
「アガロ様。俺は時々思うんです。もし、アガロ様が天下を取ったら、俺等を解放し、自由な国を作ってくれると……」
彼の話しを聞き、当主は驚いて思わず後ろを振り向いた。
デンジは真摯な瞳で此方を見返してくる。
「アガロ様なら、人にも亜人にも平等な国を作り上げてくれると思っています……」
デンジが言った事は理想であり、只の夢に他ならない。しかし彼はその理想を、目の前の当主に見出しているのかも知れない。その姿は宛ら、神の教えや理想を追い求める一種の信者のようであった。
「大層な夢、だな……」
人が何故、此処まで亜人を毛嫌いする理由がアガロには分かっている。それは至極明快、人が亜人を恐れているからである。数も種類も多く、その上身体能力さえも上回る彼等に恐怖しない訳が無い。
亜人組が補給を受けれず、碌な装備も与えられないのは、彼等が力を付け、自分達に逆らうのを、何れ堪った復讐心を爆発させ、反逆する事を恐れているのに他ならない。
ソウ国王が突如、領土へ侵攻して征服し、キョヘイ将軍が幕府を開いて隷従させたのは、全て彼等、亜人を警戒しての事である。共存など有り得ず、平等など夢のまた夢。
しかし、デンジは小さい頃からその空想力だけは富む鬼だった。彼は常日頃から、屈辱に耐え、辛い境遇を忘れるのは妄想に耽る意外に方法が無い。何時しか、彼は亜人が解放され、自由になる事を夢見、そしてその夢を地で行く彼、アガロを尊敬するに至った。
しかし、彼の家は実力主義を重視しているに過ぎず、何も亜人だけを特別扱いしているのではない。それは前当主コサンも同じである。
だが、それでも亜人を周囲の目も気にせず、侍らしているのは矢張り異質と言えよう。過去に部下から人の亜種と称されているが、正にそれがぴったりだった。
アガロからしてみれば、彼等亜人は夢想家である。若しくは、亜人達は空想に耽り、夢見る事をしなければ、この乱世生きていけないと思っているのかも知れない。
ガジュマルはハギ村の浜辺で『大海原へ繰り出し、海の向こうを見てみたい』と語り、
リッカは自身が卑しい半妖でありながら『天下取りに仕え、一国一城の主になる』と目標にし、
デンジが『人と亜人の平等の国』を語る。
「天下など考えた事がないぞ……?」
「それでも出来ないとは言わないんですね?」
アガロは苦笑いする。デンジはユクシャ当主なら出来ると信じているようであったし、その為なら自分は全てを投げ出してでも、尽くすと言わんばかりである。
その自信は何処から来るのか、アガロも自信家であるが、この時ばかりは、デンジの自信に圧倒された。
「出来たとしても、ユクシャ県で精一杯だろう……。それでも見てみたいか?」
「はい! 先ずはそこからでも構いません! 俺はそういう国を見てみたいです!」
「……俺が何時か人質生活から抜けたら、見せてやる……」
「はい!」
何時叶うか分からない約束をした。それでほんの少しでも、苦労している部下への労いになるのなら……。