第四十四幕・「当世具足」
【――ハルト城外――】
「ああん! もうっ! ムカつく!」
思わず大声でそう叫んだのは、先鋒レラ組の副頭、赤髪半妖のリッカ。彼女は先程から腹の虫の居所が悪い。苛々と気が立ち、近寄り難い雰囲気である。
「リッカ。余り怒鳴るなよ。みっともねえぞ?」
見かねてドウキが宥めに掛かるが、彼女の怒りは収まらなかった。
「あんたは悔しくないの!? ハルト城を落城させたのはあたし達なのよ!?」
「何だ、そんな事かよ」
やけに冷めたように言う赤鬼に、リッカはむっとした。
「仕方がねえだろ? おれ等は所詮亜人だ。御武家様には逆らえねえ」
「でも―――!?」
「リッカちゃん!」
猶も不満を漏らす彼女の後ろから声がした。振り返ると誰もいない、と思いきや、視線を下へ落とすと確りと声の主が立っていた。
「余り不平不満を言うのは、副頭として好ましくないです」
「でもレラちゃん! 戦で沢山傷付いたのはあたし達の組よ!? それに多くの首だって上げたわ! 感謝や恩賞が貰えるなら分かるけど、何の労いも無しに城外で待機なんて納得出来ないわ!」
彼女は毎度の事のように、ナンミ軍の自分達の扱いに不満を漏らす。幾ら武功を上げても、亜人組は評価は薄く、存在な扱いを受けるかrだ。
「リッカちゃんの言う事最もと思うです。ですけど、今は耐えて下さいです」
「……レラちゃんはそれで良いの?」
「言い訳じゃないです。でも、アガロ様が耐えているんですから、私達も堪えないと……です」
すると、俯くレラの頭の上にぽんっと手を置いたのはドウキ。
「そうだな。レラちゃんの言う通りだぜ。リッカ。不満もいいがよ、それを黙って耐えている奴等はこいつ意外にも沢山居るんだ。今更お前が言ったって、この状況が変わる訳じゃねえぜ?」
「っ! 分かってるわよ! そんな事! 只、それじゃあいつが……!」
「あいつってのは大将の事か?」
ドウキに指摘されると、途端彼女は動揺した。
「そ、そうよ!」
「前から気になってたんだがよ、お前はこの三年間、十分働いたんじゃねえか? もう、とっくに恩は返してると思うぜ?」
ドウキは彼女が未だに御供衆に加わっている理由が気になった。当初、彼女は戦場で功を立て、恩返しをしたら別の仕官先を探すと言っていたが、その素振りを全く見せない。
ドウキの問いに今度は彼女が俯いてしまうが、やがて小声で呟く。
「……まだ、返せてない」
「何だって?」
「まだ、返せてないのよ! あたしはあいつを必ず認めさせてやるって決めたの! あいつは嫌かも知れないけど、ナンミ家で出世させてやるの! そうしたら、あたしは行くわ!」
腕を組みぷいっと背中を見せたリッカ。
彼女は最後に、
「それに初めて仕えた主が、落ちこぼれのまんまじゃ、あたしが嫌なのよ!」
と、すたすた行ってしまう。
その後姿を赤鬼とコロポックルの二人は、やれやれと見つめていた。
「素直じゃねえな」
「でも、リッカちゃんは悪い子じゃないです。皆の事ちゃんと見てるです。ちょっとおっちょこちょいなのがたまに傷ですけど……」
「一体どうした?」
「…………」
二人の後ろに現れたのは今回タミヤが寄越した援軍の二人。一人は長身の銀短髪で、もう一人は長い銀髪の小柄な獣人兄妹コウハとギンロ。二人はユクシャ亜人組頭であり、獣組を組織していた。
「いや、こっちの話だ」
「何でも無いです~」
「……そうかよ。ところでオレ等の”当主様”は何処だよ?」
すると、ドウキが眉間に皺を寄せ、違和感に気付く。
「お前、大将を当主様って呼んでたか……?」
「ああ? 何言ってんだよ? 当主様は当主様だろ?」
当然とばかりに言い返され、ドウキは少し困惑した。別に悪い訳ではない。寧ろ、彼はタミヤの配下であり、アガロから見れば、家臣の部下である。以前のようにガキ呼ばわりしていた方が問題がある。
恐らく、コウハもユクシャ家に雇われているし、妻や孤児達の面倒を見てくれている彼等に恩を感じ、ある程度、彼に敬意を払っているのだろう、ドウキはそう思った。
「今は外してるぜ」
「相変わらず自由な奴だな」
「それよりもよ、お前は如何なんだ? 城の皆は元気でやってるか?」
「し…城―――!?」
「……どうした?」
途端、コウハはしゃがみこみ、両手で頭を覆った。何か嫌な事を思い出しているようであり、顔が歪んでいる。
「……一体城で何があった?」
そっとギンロに聞いてみると、彼女は何時もの雰囲気でゆっくりと、言葉を区切りながら話し始めた。
「……兄者、……タミヤ様に……躾…………された」
それだけ言うと、妹は可哀想な者を見る目で、兄を慰めに掛かる。
後で他にタキ城から来た者に詳しく事情を訊ねると、どうやらコウハの態度には些か問題があったようで、タミヤが直々に調教したのだという。
『た、タミヤ様は人間じゃねえ……。ありゃ、化物だ!』
これは詳細を話してくれた者の言葉である。
アガロの姉はとても厳しく家臣を教育しており、その第一号がコウハだったらしい。初めてで加減が分からず、少々やりすぎてしまったようだが……。
以来、彼女に逆らう者はコウハ以外にも減っているという。家臣離散を避ける為、シグルが裏で必死に努力しているのは、また別の話し……。
「……兄者、此処はお城じゃない……。……ギンロ……側に居る」
兄を慰める妹を横目で流しながら、二人は落城させたハルト城を見た。自分達の陣営からそれ程遠くない。
あの城には今、ナンミ軍の主力が集結しており、その数二万だという。その内の三千がギ兵。五千がビ兵。そして残りの一万二千がリフの組織した常備軍である。数で分かるように、リフはかなりの兵を既に備えている。
「何をしているんだ?」
「おう、大将」
一つ目の青鬼を従え、彼等の下へ戻って来たのは誰であろう、ユクシャ組千三百の指揮官であり、今回の戦の先鋒を命じられた組頭アガロ。
「何処行ってたんだ?」
「其処まで」
曖昧な返事をすると、トウマが変わりに答える。
「若旦那は兵士達を労ってたんですぜ。働きに応じて褒美を与えたり、怪我の手当てもしてたんでさぁ」
ドウキは感心した。彼は確りと家臣達の事を気遣い、その働きを褒めてやっているし、人だろうと亜人だろうと平等に接する。
褒美は何時もユクシャ県から輸送して貰い、それで賄っている。そうでもしなければ、例えユクシャ組といえど、戦する気が失せ、兵士達は力を発揮しなくなる。
ナンミ軍に評価されずとも、アガロだけは彼等のやる気を維持するよう気遣っていた。
そして、普段から粗末な物を食べたり、余り贅沢をせずに金銭を蓄えるのは、部下に確りと褒美を与える為であり、そういう所に自分は惚れたのかも知れない、と今更ながらに思う。
「おれの部下達も、今頃はきっと喜んでるだろうぜ」
「そうか。それはそうと、お前達……、如何思う?」
「どうって何がだ?」
「よく見ろ! 如何思う!?」
彼はこれ見よがしに自身の兜を見せた。彼は一軍の大将らしく、甲冑に身を包み、真っ赤な陣羽織を羽織っている。腰には父の形見の太刀と脇差を帯、首にはルシアから貰った貝殻の首飾り。だが、一際目立つのが彼の兜。
この時代、多くの武将達が”当世具足”という独自の兜や鎧を作るのが流行っており、アガロも自分が使用する兜を特別に作らせていた。
兜鉢は鬼の金棒のような尖ったギザギザが周りを覆う星兜。大きく綺麗な赤い珊瑚の形の前立て(兜の中心に付いている装飾)。
鍬形(前立ての左右に付いている、角の様な飾り)は鬼の角を象っており、横ではなくやや前に突き出た形になっていて、反り返っておらずまっすぐに伸び、実際の鬼の角よりも少し長めになっている。
また、吹き返し(反り返り、矢への攻撃を防ぐ部分)は重要視していないのか、小さくしており、非常に簡素。乱世が始まる以前のアシハラの兜は、通常大きな吹き返しや、立派な鍬形が施されていたが、それらは余り実戦では役に立たない。特に吹き返しは、鉄砲以前の弓射戦の際、矢を防ぐ為に付いていたが、最近は鉄砲も戦場で使われ始めている故、頑丈面を重視しており、兜は重くなっている。軽量目的や、的になるのを避ける為、取り外したり、小さくしている武将も少なくない。
しかし、非常に質素な作りかと思えば、アガロの兜や”しころ”(兜の後頭部を守る部分)そして、鎧具足はツヤツヤと光沢を放つ黒漆塗り。
目庇し(雨や日光を遮断する、目の上の部分)は長すぎず、短すぎず非常に形良く整っている。
彼の面頬は額から頬を守る半首と顎だけを守る半頬。他にも敵の威嚇や、顔面を守る為の総面が存在するが、アガロは視界が悪くなるという理由から、それを装備していない。
その兜はアガロが以前から特注していた物で、ようやく完成しそれを今回ユクシャ軍が届けてくれた。
そこでようやくレラが気付く。
「新しい鎧兜です? とても似合っているです!」
成る程、とドウキもやっと理解する。
前の甲冑は損傷が激しく、使い物にならず、新しく特注する必要があった。ハルト城陥落の後、装備を交換したのだろう、一新されていた。
勿論彼だって成長している。背も伸びたし、筋力だって前よりも付いた。となれば、以前よりも重たい甲冑に身を包めるし、それだけ防御も上がる。
普段、前線に立つ彼は、それこそ死と隣り合わせである故、丈夫で機動性も重視された武具を必要とした。当然、その制作費は今後の安全を考えれば、別段高い物ではなく、周りも文句を言うどころか、大将の死傷率が減る事で、少しでも安心出来る。
続いて彼の鎧は、頑丈な桶側胴。乱世が始まってからのアシハラで、主流に成りつつある鎧であった。板札とよばれる細長い長方形の鉄板を鋲で留め合わせて作る。二枚胴で、胴の左脇に蝶番を設けて開閉自在に出来る仕様になっている。
喉輪(喉、胸を守る部分)は五段。当世袖は七段だがすこぶる小型で、動きやすく、腕周りを籠手、手甲が覆う。
草摺(腰から腿を守る部分)は七間あり、草摺の下に着用している佩楯は大腿部を防御する。
また、揺糸と呼ばれる胴と草摺を繋ぐ糸が長くなっている。これは、刀を差す上帯を巻いても、草摺が自由に動くようになる工夫がされている。
最後に足元を、臑当てが守る。
自身の肌の色に合わせているのか、それとも黒鬼という、渾名を意識しているのか分からないが、全体的に黒で統一されている。本当の黒鬼のようにさえ思えてしまう装備だ。
何故彼が自身の武具をそうしたかは、考えがあっての事であり、それは後分かる事になる。装備の一新は、気持ちを新たにし、やる気にも繋がる。アガロは素直に嬉しかったし、皆の感想を求めた。
「やっぱり新しいと気分も違うよな。いいと思うぜ」
途端、珍しくアガロの頬が綻んだ。当世具足は言うなれば、この時代の武士の御洒落であり、アガロも自分の気に入った兜で戦場を駆けたいと、常々思っていた。
「そ、そうか……? 矢張り少し派手じゃないか?」
「…………赤い珊瑚……素敵」
「そうです! それに、大将が立派だと兵士達の士気も上がるです!」
レラとギンロの二人は当主の意図している事に気付き、しきりに褒める。
アガロもすっかり機嫌を良くしたのか、普段の彼からは想像もつかない笑みが零れる。そうしていると意外に可愛い顔になる事に、周りは驚いた。何時もの仏頂面より、そっちの方が似合うとさえ思ってしまう。笑うとちょっとだけ見える八重歯が、彼を子供の鬼のように見せる。
すると、コウハは立ち直ったのか、ゆっくりと立ち上がると、アガロの兜を見る。そして、開口一番。
「その兜、変じゃねえか?」
瞬間、場の空気が凍りついた。レラやドウキ、トウマまでもが冷や汗を掻きはじめる。
「それになんだよ、その飾り……、趣味が悪ぃ、邪魔じゃねぇ―――ぐほっ!?」
いきなり彼の鳩尾に赤鬼の拳が入った。狼族の青年は再びしゃがみこみ、暫くは息するのも侭ならない状態になる。
「いや! コウハも具合が悪いんなら早く言や良いのによ! 全く困っちまうぜ!?」
無理に誤魔化そうとするが、最早手遅れ。
ドウキはそっと後ろを振り向き、当主の顔色を窺うが、
「…………」
何時もの仏頂面に戻ってしまっていた。おまけに普段よりも機嫌が悪そうであり、三割り増しで怖かった。
アガロは無言で腹を押さえている、コウハへ視線を落とす。ゾクッと背筋が凍るような目付き。コウハだけではなく、周りの者達皆、戦慄した。
「コウハ。次の戦、楽しみだ」
冷たくそう言い残し、彼はその場を去る。
「……コウハ。次の戦、武運を祈ってるぜ……」
ドウキは屈み、彼の肩にぽんと手を置くと、未だ悶え苦しむコウハを残し、皆持ち場へ戻って行った―――。