第四十三幕・「センカ攻め」
天暦一一九九年、巳の月の初め頃、アガロ率いるユクシャ組はナンミ家嫡男のジャベ・ナンミの与力となった。
ユクシャ当主の側近で、彼を裏で支えたヤイコクという武将の日記に記されているから、信憑性は確かだろう。
ジャベ・ナンミは齢三十の堂々たる体躯をした偉丈夫であった。彼はリフが四十代の時に授かった子になる。
リフは長い間妻を取らず、独り身であったというが、大名になってからは、有力豪族の妻を娶り、子を儲けた。嫡男ジャベに弟のヒイラ。更に娘も何人か居る。
「屋敷を確りと守れ」
「はは! ユクシャ様! 御武運を祈っておりますりゃ!」
深々と頭を下げる奉公人達を尻目に、彼は馬に跨ると、次期ナンミ当主の元へ兵を進めた。
キョウサクは頭を下げながら、ユクシャ組の軍兵を確りと観察する。
「暑い時期の戦は苦手です~」
「ほんと、ナンミ軍って人使いが荒いわよね」
毎年のように、それこそ一年中繰り返される軍事行動に、体の小さいレラはうんざりしており、リッカも同じく文句を垂れる。
「黙って歩け」
「はいはい」
「はいです~」
二人が歩を進めると、その後ろをぞろぞろと彼女達の組の者達が続く。
ユクシャ組はその八割が亜人で構成されている。主に部隊構成は、アガロの御供衆唯一の人間であるヤイコクと、赤鬼のドウキとで行っている。
ユクシャ組はその数凡そ千。アガロ率いる部隊を中心に、右手に一番手ドウキ組百五十。ドウキを組頭に、副頭を左角の折れた鬼タンゲロウが勤める。
「しかしよ、また戦するなんざ、ほんとに元気な爺だな?」
ドウキが腕を組みながらぼやいた。粗末な鎧に身を固め、鉢がねを一つして、背中には相棒の鉄鞭をぶら下げている。彼等亜人は馬乗りの身分ではなく、アガロとヤイコク意外は皆、徒歩である。
「いいじゃないですか、兄貴! 次は大手柄を立てて、殿様に出世して貰いましょうよ! そして、言うんです! 『ナンミ家にユクシャ組あり!』ってね!」
「おう。だがよ、油断はするなよ?」
「大丈夫ですって!」
ドウキ組には彼を慕う鬼達が多い。皆、禄に装備も整っておらず片手に、槍や、刃の欠け太刀等を握っているだけである。
それに比べトウマ組はまだましな装備と言えよう。
左に二番手トウマ組百五十。トウマの副頭はベンジという男であり、彼はユクシャ組では珍しい人間である。二枚目であり無精髭が顔を覆っている。そして、字が読めない。副頭に選ばれた理由は、射撃の腕がいい。それだけである。
トウマの組はユクシャ組の中で唯一の鉄砲隊が存在する。
ヤイコク率いる組は三番手であるが、後方担当で荷駄の警護を勤めている。数は二百とユクシャ組の約五分の一が彼の指揮下にある。アガロは荷駄率いるヤイコク組に気を使っている。
本来なら亡きコサンの教えを受けた彼がアガロの右を固めるが、アガロもヤイコクも兵糧輜重や補給を一番に考えていた。アガロが彼を荷駄組の頭にする事は詰まり、それだけ彼を信頼しているという事である。また部隊の装備も、最も良い物を揃えているのは荷駄組である。
彼等はユクシャ組の精鋭から編成されており、ユクシャ当主がどれだけ補給を重視しているかが窺い知れる。
そして、それだけの軍資金は皆、タキ城代姉のタミヤ・ユクシャが送ってくれる。彼女はこの三年間、部下に支えられながら、そつなく勤めに励んでおり、最近は城代の姿が様に成ってきているという。
先鋒組はレラ率いる百の組。彼女の副頭はユクシャ組の斬り込み兵リッカ。基本はリッカ引き入る、五十人が敵に切り込み、その後方を援護射撃するのがレラ組のやり方である。
一方デンジ組はユクシャ組の情報伝達や敵地の視察など、後方支援を受け持っている。デンジ組は人に容姿の似た者達や、鼻や耳のいい獣人、凡そ五十人程を集め、組織している。
「で、デンジさん……。い、いよいよですね……!?」
「リテン。そう緊張しては戦出来ないぞ?」
「で、ですけど、お、俺、今回が初陣なんです……」
リテンという鬼が緊張した顔で、早くも汗を流し始めていた。その様子を呆れたように見ているデンジは、落ち着くよう宥める。
「確りしろ! センカ郡はお前の居た所だろう? 偵察の際は道案内を頼むぞ?」
「は、はい!」
やがて、ユクシャ組は城下町の外へ待機すると、アガロだけは数名の供を連れて、ジャベの館を訪れた。
【――ジャベ・ナンミの館――】
「お前が俺の新しい与力か?」
「は。ユクシャ当主アガロ・ユクシャです」
「面を上げろ」
ゆっくりと顔を上げ、ジャベという人物を見た。成る程、父リフ・ナンミを思わせる様な顔付きである。眼光鋭く、眉は濃くて太い。大きな口を一文字に閉じ、じっと此方を睨み返している。
「お前は巷では”黒鬼”と噂されているそうだな?」
「それは所詮噂。俺は人間です」
見返すと、ナンミ嫡男はゆっくりと言った。
「ふん……。まあ、いい。此度は先陣故、功を立てよ。働きに期待している」
「御意」
恭しく礼をすると、ジャベは続けた。
「お前らユクシャ組はナンミ軍の中では弱小の部隊故、護衛を付けてやる。そいつ等と共に、先にギ郡東部のザンカイ城へ向かえ」
すると、彼は立ち上がり、奥へ引っ込んだ。
アガロは別の部屋へ通され、ある人物を待つ。今回の従軍する護衛の組頭である。一刻(三十分)程すると、足音が聞こえた。そして、アガロは現れた人物に心底驚く事になる。
「久しぶりだね、アガロ」
その人物は水色のさらさらした髪をしており、狐のような独特な細い目と口をしていた。それを更に細くし微笑を浮かばせながら、彼はユクシャ当主に挨拶した。
「……護衛とはお前だったか。テンコ」
いきなりの再開にやや驚いたが、彼は至って平静を装っていた。
しかし、動揺していたのがこの狐目の友には、ばればれであった。
「元気そうで何よりだよ」
テンコはそう言って、アガロの前に腰を下ろすと、再開を喜ぶように笑顔を向けた。
「何時ビ郡へ来た?」
「一昨日かな。此度の戦支度には、上ギ武士も多く参加するように、と御達しが着てね。それでジャベ様はギ軍を纏める、軍奉行に任命されたんだ。因みに僕はジャベ様の陪臣を三年間している」
「ギ郡は大丈夫なのか?」
アガロは自分達が出陣している間に、ギ郡が背後から襲われないか懸念していた。
その疑問にテンコは落ち着いて答える。
「君が心配しなくても、ナンミは抜かりがなくってね。西のチョウエン家が介入してこないように、確りとカンベ郡の地侍達を調略してるし、海賊衆も警戒している。ビ郡から北の大名の動きにも気を配っているし、それに今は田植えの時期さ。何処も戦をしかけようとは思わないだろう? ナンミを除いて、ね」
「相変わらず、情報に明るいな。優秀な間者が居るなら俺に分けろ」
アガロは本気で羨ましがった。彼にはデンジ率いる諜報組が居るが、優秀とは言えなかった。集められる情報には限界があったし、間者を育てるのはどうも難しい。
「う~ん、それは僕としては困るかな……? 尤もそれを聞いたら、あの子は直ぐに、君の下へ行っちゃうだろうけど……」
「お前、意外に人望が無いな?」
その言葉にテンコは少しむっとした。
「失礼だね。君こそ、以前と全然変わってないようだけど?」
「悪いか?」
「はぁ……。その偉そうな処とか、そのまんまだね……」
友は呆れながらもユクシャの当主をまじまじと観察した。
昔に比べ大分に背が伸びたようであり、また顔付きもこの三年の間に少し、大人びていた。
「君は相変わらず、亜人達を組に入れているのかい?」
「ナンミが押し付けるんだ」
「なら追い出せばいいじゃないか? 出来ない訳では無いだろう?」
「あいつ等は確かに粗暴だし、馬鹿ばかりだが、良く働く」
あくまでも見捨てる気は無いという。
テンコもこれ以上言うのは諦め、さっと懐から地図を取り出すと、目の前に広げた。
「僕達はこれからザンカイ城へ向かい、其処でジャベ様率いる部隊と合流する。それから、センカ郡の前線ハルト城へ攻めかかる」
テンコは扇子を片手に地図の上をなぞりながら、進軍路、補給地、合流地点、そして第一目標ハルト城を指した。
それをアガロは視線を地図の上に落とし、黙って聞いている。
「僕の間者の話によると、ハルトの城には凡そ兵八百が詰めているそうだ。手始めにこの城を落とし、その後はリフ・ナンミ様率いる本隊との合流を待つ」
「センカ郡を攻めれば、勿論クリャカが出て来る。そいつ等にはどう対処する?」
「クリャカは戦に強い兵が揃っていると聞くけど、それが集まり難い今の時期なら、兵力は余り気にしなくていいと思うよ? 問題はセンカの豪族達がどうでるか、だ」
テンコはそこで腕を組んで考えだす。どうやらナンミ家は戦支度の他にも、豪族の寝返り等を裏で画策しているようであるが、彼の表情から察するに、余り言い返事が帰ってきて無いと思われる。
「調略には苦労しているようだな?」
「ナンミの裏工作は僕の家もやっているんだけど、センカ武士は無骨者が多くてね……。幾ら餌をぶら下げても、首を縦には振らない、くたびれるよ……」
はあ、と溜息を一つ吐き、首を左右に振る。
古来から戦に長け、槍働きを良しとする気風があるセンカ郡では、利益や勝算を説いても味方に成ってくれる者多くない。彼等は自分達の土地を踏み荒らされるのを特に嫌う傾向にあり、『センカ人の頑固さは鉄にも勝る』と言われる位である。
そんな彼等の調略を命じられている友を、アガロは内心気の毒に思いながらも、気の利いた言葉も思い浮かばず、話を進めるよう促した。
「それとね、アガロ。ジャベ様の与力に成るんなら、気を付けた方がいい」
その言葉にアガロは訝しげな眼差しを向ける。
「何にだ?」
「ジャベ様は疑り深いんだよ」
アガロは呆れたように言い放つ。
「親子だな」
「あの父親を持てば、誰でも疑り深くなるよ」
リフは下克上を果たすべく、多くの謀略を繰り返し、自分よりも身分が上の者達を暗殺してきた。ある時は火事に見せかけ、またある時は山賊に襲わせたりなど、本人は『全部は天命の仕業だ』と否定しているが。
「特にリフ様は見境の無い暗殺をよくするからね……」
「と、いうと?」
「自分の娘婿を暗殺し、所領を全て没収している」
「……えげつないな」
アガロが思わずそう言ってしまう程、リフ・ナンミと謀殺は切っても切り離せない仲であった。
そのリフの息子であるジャベは、一番近くで父のやり方を見てきた。父に対して、また周囲に対して警戒するのは当然と言えた。
「君はリフからの間者と思われているよ」
「馬鹿な。俺はあいつの駒じゃない」
「そうでなくとも、ジャベ様はそう思っている」
「お前は疑われて無いのか?」
ユクシャ当主はふと、質問した。すると、彼はニヤリと笑う。
「僕は小悪党を演じているからね。警戒されて無いんだよ」
「小悪党?」
「そう。例えば、農民を騙して田畑を奪ったり、土地へ攻め込んで無理矢理、乱捕りしたりして、目先の利益にしか興味が無い様に振舞っている」
アガロは唖然とした。
「僕はこう見えても、自分の保身に長けている、と思ってるよ」
「お前なら、ジャベだろうが、リフだろうが欺けるだろうな……」
呆れ半分、本気半分でそう言った。
「それは褒め言葉として受け取っておくよ」
「別に褒めてはいないがな」
「さて、と。では、改めましてユクシャ殿。貴殿には此度の戦の先陣を勤めてもらいたい。僕等ミリュア隊はその後詰めをさせて頂く」
「……ああ。ミリュア殿。宜しく頼む」
二人は互いに礼をし、ニッと笑い合うと、兵を率いてギ郡へ発つ。
「アガロ? 何か楽しい事でもあったの?」
「リッカ。次の戦は先鋒だ。功名立てろ」
馬上から全員へ陣触れの合図を送ると、兵を纏め、ドウキが指揮をし隊列を整えていく。
「いいか、野郎共! 次の戦は先鋒だ! おれ等の強さを見せ付けてやれ!」
赤鬼が鼓舞すると、配下の鬼達が威勢よく『おう!』と声を張り上げる。
「面白いじゃない! あたしの名を広げる好機ね!」
「リッカちゃん。次は気を付けて下さいです。敵陣に孤立したあなたを助けるのは中々に骨が折れるです」
「う、ご、ごめんなさい……、レラ組長……」
旗を掲げ街道を進むユクシャ組は、ザンカイ城へ入城しジャベ隊と合流。予定通りハルト城攻略を始めた。
この時、ユクシャ県タキ城から、姉のタミヤが援軍を送っている。ユクシャ家の若い大将ゲキセイと、ユクシャ家亜人組を指揮する組頭コウハ、彼の副頭のギンロ、そして凡そ三百のユクシャ兵だ。ビ郡から連れてきたユクシャ組と、彼等を併せて千三百程に膨れ上がった。
ユクシャ組の士気は高く、城攻めにおいて目覚しい働きをし、城は一辰刻(二時間)もせずに落城したという……。