第四十一幕・「新しい奉公人」
【――ユクシャ邸・雨漏り屋敷――】
「ユクシャ様。お帰りぇなさいませ」
「…………」
老人の屋敷で一泊し、自分の離れの屋敷へ戻って早々、出迎えたのは余り見慣れない人物だった。
「え、えっと、若旦那……、これはでやんすね……」
「トウマ。何故こいつが此処に居る?」
アガロは目だけを青鬼に向けると、説明を求めた。
「それはおりゃあから、説明させて頂きますりぇ」
愛嬌たっぷりに微笑むと、彼は事情を話し始める。
「今日から、おりゃあはユクシャ様の屋敷で、ご奉公させて頂く事になりましたりぇ」
「俺は許した覚え無いぞ?」
「ユクシャ様が許さなくても、お館様からお許しを頂いておりますりゃ」
「っ……」
それを聞くと、途端に口を閉じるアガロ。
「そんな訳で、キョウサクりゃ。これから目一杯ご奉公しますりゃ」
得意げに笑い、深々と頭を下げ新しい主に挨拶をするキョウサク。
アガロは暫く玄関で無言の侭立ち尽くしていたが、諦め一つ溜息を吐く。
「屋敷の事は他の者に聞け。俺は野駆けに行く。トウマ、ドウキを呼べ」
「へい!」
トウマがドウキを呼びに行こうと立ち上がる。
すると、
「お待ち下さりぇ。野駆けに行くなりゃ、おりゃあも付いていきますりぇ」
「……お前意外に俺の目付け役は居る。無用だ」
冷たく言い放つがこの若者、相変わらず愛想良い笑顔を崩す事無く続ける。
「実は今迄の目付け役は今日を持ってお役御免ですりゃ。変わりにおりゃあがその役、引き受けましたりぇ」
「何?」
怪訝な表情をキョウサクに向けるユクシャ当主。
「おりゃあは今日から、ユクシャ様の新しい目付け役ですりょ」
「……そうか」
「はい。宜しくお願いしますりぇ!」
アガロは大変面白く無さそうに表へ出た。
その後をキョウサクが付き従い、トウマは言われた通り、赤鬼を呼びに向かう。
「ユクシャ様」
「…………」
「野駆けはよくするんですかりゃ?」
「…………」
この前と変わらず、彼は無表情と完全な無視を決め込んでいた。
普通の人間なら嫌われているとか思うかも知れないが、キョウサクは内心別の事を考えていた。
(黒鬼様は無口なりぇど、本性は何かあるに違いねえりぇ。未だおりゃあを警戒している、そんな所かりゃ……)
キョウサクには明確な目的がある。彼は自身の出世の為に此処に居るのだ。リフ・ナンミが、自身の目の前に居る華奢な当主を気に入っているのを知っている。そして、アガロが本性を隠している、と訝しんでいる。
となると、それはキョウサクにとって出世の糸口になるかも知れない。
主君が喜ぶような情報を掴み逸早く知らせる。今迄行ってきたやり方で、彼は今度こそ士族になろうと、ユクシャの当主に接近した。
「大将。遅れちまってすまねえな!」
暫くすると、大きな赤鬼のドウキが羽織を羽織って現れた。
「ドウキ。今日はロザン城下へ行くぞ」
「あいつ等に会いに行くんだな?」
「そうだ」
キョウサクは耳に神経を集中させ、二人の会話を聞いた。
彼は生来五感がいい。そうでもなければ、この乱世を裸一貫で生きていくのも困難だったであろう。彼は今更ながら、五体満足に生んでくれた両親に感謝した。
(あいつ等ってりゃ、一体……?)
キョウサクは自身の表面上の仕事を忘れた訳ではない。
アガロが馬に跨ると、手綱引きに回ろうとする。だがしかし、ドウキとトウマに止められた。
「何りゃ?」
「それは必要ないぜ?」
意味が分からなかった。普通主君の馬の手綱を引くのはキョウサクのような、または身分の低い家臣がする事であるが、二人はそれをする素振りを見せない。
「何でりゃ?」
「直ぐに分かりやす」
堪らず訊ねると、トウマが言った。
―――すると、
「行くぞ!」
「へい!」「おう!」
「ふぇ?」
三人は一目散に駆け出した。後には彼一人が取り残される。
瞬間、キョウサクはハッと我に返り、急いで後を追いかけた。思いの他、二人の鬼は足が速い。キョウサクはシン州の山奥の生まれであり、生まれた時から足腰には自身があるが、今は二人に追いつくのがやっとであった。
「まっ、待ってくりぇ~!」
「おい! 新入り! 早く来ねえと大将に叱られるぞ!」
「はぁ…! はぁ…! そうは言っても、ユクシャ様は馬でねえりゃ!? おりゃあには足は二本しかねえりょ!?」
「無駄口叩いてねえで走れ!」
「若旦那は何時も先に行きやすからね! あっし等も早く追いつかなきゃならねえんですぜ!」
この時、キョウサクの脳裏に浮かんだのは、今迄アガロの目付け役をしていた二人組みである。今日から自分が彼の目付け役に成ったと教えた時、二人は何処かほっとしていた。
(その理由がこれっだったかりゃ!)
目付け役の仕事は対象を常に監視していなければならない。
だが、アガロは馬術に優れ、困難な道も難なく走る。それは、徒歩であれ、時には馬で追いかけていても、追跡するのは余りにも難しく、恐らくこの三年間、目付け役の二人には辛い時間であっただろう。
(こりゃあ、とんでもねえ所に奉公上がったかもしれねえりぇ!?)
次第に無駄な事を考えることも出来なくなり、キョウサクは段々と距離が離れていく二人の鬼の後を追うので精一杯に成っていた。
彼がやっと到着した時には、既に全身から汗を噴出しており、疲労困憊であった。
【――ロザン城下町――】
「おう。やっと到着か?」
「はぁ…はぁ…、も、もう駄目りゃ……」
「だらしねえな? おれ等の大将に奉公するなら、もっと体力が要るぜ?」
キョウサクは息継ぎをしながら、ドウキを見上げた。
彼も汗を掻いているが、自分程ではない。慣れてしまっているのか、まだ動けるようであった。
「おみゃい等は化物かりぇ……」
体力が違いすぎる。キョウサクはふと思った。若しかしたら、アガロが人より、鬼を側に置くのは人並み外れた力を気に入っているからかも知れない、と。
「休んでいる暇ねえぞ。大将はこの奥だ」
「ま、待ってくりぇ……」
すると、キョウサクは今自分が何処に居るのか気が付いた。
此処はロザン城下でも治安の悪い、足軽長屋が連なる場所。ナンミは大量の傭兵団を組織し、自身の常備軍と化している。その者達を住まわせている所が、今まさに彼が赤鬼と通っている所であった。
「ユクシャ様は本当にこんな所に居るのかりぇ……?」
キョウサクは恐る恐る聞いてみた。
「そうだぜ」
ドウキは振り向きもせず、簡単に答える。キョウサクは周りを見渡した。恐らく、自分も士族になったら、此処に住むのだろう。彼は武士になりたくてナンミに仕えている。
小人頭といえど、与えられた部屋は無く、屋敷の奥にある、六畳一間を自分も入れて四人で使用していた。だが、それでもましだ、と思った。
何故なら、此処に住んでいる足軽達は僅か四畳半の粗末な部屋に、五人ですし詰めで寝ている。その上、壁は泥や紙で覆われており、酷く臭う。便所が皆共同であり、風呂が無い。
ナンミ家には多くの家臣達が集うが、その殆どは、元来ビ郡の土地に住んでいる豪族達ではなく、流れ者の傭兵長などが居る。ナンミはその者達を幾つかの組に分け、家臣達に組織させている。
「何処まで行くんですりゃ?」
「この先にある、ユクシャ組の所だ」
ユクシャ組と聞いて、彼は思った。
(亜人達の巣窟……)
アガロは周りから亜人好きの変わり者と思われており、其処で彼はナンミの常備軍に所属する亜人達の管理と、組織を任せられている。そもそも、士族は亜人を好ましく思っておらず、自分の組に亜人が居るのを酷く嫌う。隊が乱れるだの、汚らわしいだの、彼等の姿形を醜悪と罵り、遠ざける。
其処で誰も面倒を見ようとしない亜人を、アガロが押し付けられた形である。
「大将! やっと着いたぜ!」
「遅いぞ?」
アガロが不機嫌そうに言うと、キョウサクは直ぐ様平謝りをする、と同時にユクシャ組の長屋を見た。
(こりゃ、さっきの所よりも酷えりぇ……)
玄関を見てみよう。先ず戸が無い。他の足軽達の長屋にはボロボロで穴が開いていたが、それでも戸はあった。だが、ユクシャ組の長屋にはそれが無い。あるのは申し訳無さそうにぶら下がっている、筵である。
今の時期が寒くないのが唯一の救いである。これが冬場だったら、想像を絶する寒さだろう。普段どのようにして眠っているのか、逆に気にもなった。
「ドウキの兄貴! 良く着てくれましたね!」
キョウサクが観察していると、部屋の奥――部屋が狭すぎて無いが――から鬼達がわらわらと出て来た。
途端、キョウサクは鼻を覆いたくなる程の異臭を嗅ぐ。
鬼達は皆貧相な身なりで、無精髭を生やし、角や牙が折れている者も居る。
「お前達。相変わらず酷え格好だな?」
「兄貴は元気で何よりです!」
どうやらドウキは中々に慕われている様子であった。
よく見ると、ドウキだけではなく、アガロやトウマの周りにも多くの亜人が群がっている。
「殿様。このちんちくりんは誰ですか?」
左角の折れた鬼が、キョウサクを指差しながら訊ねた。
「新しく俺の目付け役になった奴だ。名はキョウサク」
「前の二人は?」
「辞めた」
途端、左角の折れた鬼は可笑しそうに笑い出す。
「そりゃあそうだ! 殿様の目付けなんて普通の奴のは無理だ! おい、お前!」
「何りゃ?」
キョウサクは高圧的な態度に出る。
彼等ユクシャ組にとって、キョウサクは新入りではあるが、身分から言えば、自分の方が上である。
彼は臆せず、また、小さいなりに胸を一杯に張って鬼を見返した。
「これから沢山苦労するぞ? なにせ、おれらの殿様は中々に難しいからな!」
「おみゃらに言われんでも分かっとるりぇ!」
所詮はキョウサクも人間である。亜人相手には不遜な態度で接する。
彼には此処はとても居心地が悪かったが、今は自分が奉公している相手が居るのだから我慢、と自分に言い聞かせた。
「トウマさん……。悪いがまた、少しばかり貸してくれねえか?」
「またですかい? いいでやんすか? 借金すると、返す時に利子を払わなくちゃならねんですぜ? それじゃ余計に損な訳で、もっとお足を大事にしなくちゃなりやせんぜ?」
「す、すいやせん……。次は必ず、働いて返しますんで……」
「しょうがねえ奴ですぜ……」
「あ、ありがとやす!!」
「ドウキの兄貴! 次の戦ではぜひとも殿様に大手柄を立てて貰って、皆で飲みに行きましょう!」
「相変わらず、威勢がいいな! 次は皆で大手柄だぜ!」
キョウサクは既に癖である人間(?)観察をした。二人の鬼はどうも周りの亜人達から慕われている。言うなれば、ドウキは皆の親分的存在で主に組織を、トウマは皆の不平不満や諍いの仲裁、金を貸してやったりして、長屋の大家的存在であり、主に管理を担当している様子だった。
(ユクシャ組はこの二人の鬼を中心に組織、管理されているりゃ……。差し詰め、黒鬼様の”右腕”があの大きな赤鬼りぇ。”左腕”が一つ目の青鬼かりゃ……)
じっと観察していると、ある事に気付く。
二人の鬼は慕われているが、アガロの周りの鬼は皆、背の低い華奢な彼を尊敬と畏怖の眼差しで見つめ、側に侍っている。
宛ら一軍の大将のようである。
此処に住んでいる亜人達は種類も多く、多種多様であった。しかし、彼等全員が向ける眼差しは、身命をとして仕える忠臣のようであった。
それをキョウサクは半ば羨ましく思った。自分は頼れる者が居ない。敢えて上げるなら一人しか居ない弟くらいだろう。何時か出世し、武士になった暁には自分もユクシャの当主のように堂々と、そして皆が忠誠を誓ってくれるような存在になりたいと思った。
「おう! 新入り!」
「な、何するりゃ!?」
「歓迎の盃を受け取れ!」
ぼーっとアガロを見つめていると、後ろから絡まれ、彼は長屋へ連れて行かれる。
「い、いい! おりゃあには勤めがあるりぇ!?」
「いいから! 飲め!」
無理矢理洗礼を受け、もみくちゃにされるキョウサクを遠巻きに、アガロ達三人は集まり歩き出す。
「で、大将。言われた通り、あいつを遠ざけたがよ」
「何か話があるんですかい?」
「ああ」
三人は長屋の裏小路へ入ると、互いに向き合った。
「キョウサク、といったか? あいつはナンミの間者だ。気を許すな」
「へい!」
トウマは短く返事をすると、今度はドウキが腕を組みながら、
「それだけかよ? 態々此処まで来たんだから、次の戦の話しかと思ったんだがな……?」
「ドウキ。勘がいいな。そうだ。次の標的はセンカ郡になる」
ドウキがニヤリと笑みを浮べた。
次は大手柄を立て、部下達を労ってやろうと思ったからだ。
「センカ郡は西にギ郡があるが、北西にロウア郡と郡境を接している。俺が思うに、ナンミは軍を二手に分け、ロウア街道と、ギ郡を通り、センカに向かう」
「となると、また”あいつ等”の出番か?」
ユクシャの当主は軽く頷いた。と、懐から小さな紙切れを取り出す。
「これを”デンジ組”に渡せ。どんな事でもいいから、情報を持ち帰えらせろ」
「引き受けたぜ」
「トウマはキョウサクを監視しろ。あいつは間者以外にも、何かを企んでいる様に見える……」
「へい」
短い会議を終えると、三人はそれぞればらばらになり、キョウサクが居る表通りで落ち合う。
「ユクシャ様!? 何処に行っていたのかりぇ!?」
「帰るぞ」
「へ? は、はいですりゃ!」
アガロは足軽長屋の表にある馬小屋へ行くと、さっさと乗馬しまた全力で走り出す。
その後を再び息を切らしながら追いかけるキョウサク。
(絶対! 絶対に出世してやるりぇ!!)
己が野望に燃える新たな奉公人と、戦の準備を独自に、そして信頼する部下と秘密裏に進めるユクシャ当主。
キョウサクの多忙な日々は始まったばかりである―――。