第四十幕・「イヅナの夢、リフの野望」
【――ロザン城館・広間――】
狩りを終えた後、ユクシャ当主とマンタ当主の二人は、リフの館に招かれた。
広間の上座に鎮座し、たっぷりと注がれた盃から酒を飲み干す老人。
館の外は至って穏やかで、今は月が雲の間から顔を覗かせている。
「アガロよ……」
ふと、目の前の少年に視線を移す。リフは唐突に右手の盃を前へ差し出すと、
「お前も飲め」
その指示に普段表情を崩す事の無い彼が、ピクリと眉を動かした。
彼はおずおずと近づき盃を受け取ると、リフ自ら酌をする。
「今宵は満月じゃ。酒の味もまた格別よ……」
「…………」
「……如何した? 飲め」
いっぱいに注がれた濁り酒を眺めながら、彼は硬直する。
その様子をじっと見つめる従兄のワジリと、可笑しそうに笑みを浮べるリフ。
やがて、アガロは意を決し、グビっと勢い良く一飲みした。
「良い飲みっぷりじゃ……」
喉をグビグビと鳴らしながら、飲み干す。
そして、ゆっくりと状態を戻す。
「もう一杯いけ」
空いた盃に二杯目を注がれ、ユクシャの当主は内心舌打ちした。
が、それを顔に出す事無く、二杯目もゆっくりと顔へ近づけ、盃に口を付けると含み、徐々に胃へ流し込んでいった。
「……ぷ、はぁあ……」
一息吐く。と、すかさずナンミの老人は三杯目を注いだ。
瞬間、流石にアガロも眉間に皺を寄せる。黙ってはいるが動揺しているのが分かる。
「早う飲め。二杯目は死に酒じゃ。これを飲んだらもう注がぬ」
「…………」
暫く深呼吸をし、気持ちを落ち着けると無理矢理、盃の酒を飲み込んだ。
―――だが、
「―――うぷっ!?」
「アガロ!?」
突如アガロは座から立ち上がり、縁側へ出た。
「う、おえぇぇ―――…」
と、間髪入れずに吐き出した。
庭へ飛び降り嘔吐する彼を面白がりながら、リフは小姓から受け取った、新しい盃に酒を注ぎ飲み干す。
ワジリは醜態晒す従弟を見ていられない、と目を背けた。
「はぁ…はぁ…」
やがて、アガロは小姓から手渡された手拭いで口元を拭うと、ナンミの老人はからからと笑い声を上げる。
「まだまだじゃな。わしはお前よりも幼い時分から、酒を飲んでおったわい……」
「お館様。余り無理をさせては本人にとって毒かと……」
「馬鹿を申せ。酒は百薬の長という。酒が飲めぬのであれば、飲めるまで鍛えればよい。その為には飲むしかないのじゃ」
暫くしてアガロは座に戻る。
「見苦しい姿、お見せしました……」
一礼し詫びると、リフはふと、
「お前はイヅナに似ているが、酒はからきしのようじゃな?」
「っ!? 今、何と……」
アガロは目を丸くし驚いた。
目の前の老人が『イヅナ』という人物の名を上げたからである。
「気になるか?」
「……別に」
言葉では否定するが、気になってしょうがないとばかりに、アガロが視線を向けてくる。
普段のリフは余り昔語りをしないが、今日は酒が入り幾分心持が良かった。
「老人の話には付き合え」
肘掛にもたれると、老人は盃を片手に遠い目をして語り出した。
「イヅナとは過去にギ郡で会うておる」
「おい、アガロ」
リフが語り出すと、隣のワジリが声を掛けた。
ちらと横目で見ると、目が合った。
「イヅナとは、あの……」
「ああ。そうだ―――」
アガロは一つ頷く。
「俺の祖父……。ユクシャ家初代当主イヅナ・ユクシャの事だ……」
アガロはリフが自分の祖父を知っていた事に驚きを隠せないでいた。
じっと、老人の話しに耳を傾ける。
「イヅナと初めて会うた頃は、未だわしも若くてな……。何処にも仕官もせずに、流れ流れてギ郡へ来たのじゃ―――」
あの頃は今迄以上に農民一揆が酷い時代であったという。
全国の武士や王国の政治に対する不満が募り、遂に挙兵した農民解放軍。それが今や凡そ五十年前の事である。
乱世の始まりを告げる大規模な農民一揆は、腐敗した王権打倒を掲げ、また武士の荘園領からの解放を目指し、日夜戦に明け暮れていた。
農民一揆も満足に鎮圧出来ない幕府と王国の権威は更に失墜し、自分達の領土拡大を図る各地の豪族が暴れ周り、一気に天下は乱れた。
リフはまさにその乱世の幕開け時代の人物である。
「アガロ。お前はイヅナを見た事がないそうじゃな?」
「は。俺が生まれた時には既に、祖父は亡くなっていました」
「イヅナは一言で言うと、夢想家であったわい。あやつと話すと、その壮大な夢に些か呆れもした……」
クイッと盃を空けると、すかさず小姓が酒を注ぐ。
少し間を置き、またリフが口を開いた。
「あやつは大望を抱いておった。それが何かお前ら二人に分かるか?」
そんな事をいきなり言われても分かる訳が無い。二人は答えに窮した。
「あいつは天下を望んでいた」
「天下を……」
「…………」
ワジリは小さい声で呟き、アガロは無言で聞いた。
「無論、わしは笑ったわい。一介の地侍が何を過ぎた夢を見ているのかと、な。周りの者達も皆、奴の唱える夢を嘲ったわい……」
―――じゃが、とリフは其処で言葉を区切る。
「存外、可能であったかも知れん……」
「それはどういう意味ですか……?」
ワジリが少し前屈みになり、訊ねた。
「奴は好機を逃さず、直ぐに動く奴じゃった。よいか―――」
其処でリフ・ナンミは二人を鋭い目付きで睨む。思わず萎縮してしまうその眼光。これまでに多くの者達が彼のその目に睨まれ、餌喰になってきた。数え出したら切が無い。
リフはゆっくりと盃を置き、手を前に出すと、指を二つ突き出した。
「英雄とは一に『動く事』、二に『待つ事』。これが出来る者が英雄足り得る」
ワジリは頷き、横でアガロは表情変えず黙って聞いた。
「動く事と、待つ事とは?」
マンタ当主が問うと、老人は酒をもう一あおりし、
「奴は機を見るのに長けていた。一度好機と分かれば、速やかに行動に移し、目的を完遂した。逆に、状況が悪くなれば、好転するまで待つ男じゃったわい……」
アガロは残念ながら、祖父の話を父から余り聞いた事がない。生前のコサンは、何故か自分の父イヅナの事を話したがらなかった。シグルにもきつく口止めしていたのか、彼からも聞いた事が無い。
しかし、若き日のリフは知っている。イヅナがどんな人物であったかを。
祖父は野心家であった、と彼は言う。確かにそうかも知れない。一介の地侍でありながら、祖父は当時のサイソウ家当主ザンピ・サイソウに上手く取り入った。
戦上手であるのはイヅナもコサンも同じであったようで、二人は功を次々と立て、出世して行った。そして、ユクシャ県を知行地として貰い、ユクシャの姓を名乗る事になる。
「奴の唯一の不幸は、天命が奴に味方せん事じゃった……」
その人物を惜しむ。長々と語っていたかと思うと突然、リフはユクシャ当主へ視線を向けた。
「アガロ……。お前の目はイヅナに似ている……」
それを聞いた途端、アガロは固まった。どう反応すれば良いか、考えている様子であった。
「お前は野心家の目をしておる……」
「……俺は祖父ではありません。三代目ユクシャ当主、アガロです」
「お前。天下を如何思う?」
いきなり話題を変えられるが、アガロは即答した。
「天下とは魔物です。昔、今は亡き父コサンがそう申しておりました」
「ふ、あっははは! コサンの言いそうな事じゃ!」
内心アガロは不快になったが、表情に出さないよう勤めた。
「あやつは酷く凡庸な男じゃった。戦は強かったが所詮それまでじゃ……。天下を取る器ではない。イヅナは子に恵まれなかった、と内心そう思った程じゃ……」
リフは肘掛にもたれた侭、立て膝を付き話を続ける。
「もし、イヅナの子がお前であったなら、話は変わっていたじゃろう」
「買いかぶり過ぎです。俺は別段、戦が上手い訳ではありません」
「それは謙遜か?」
「事実を申し上げているのです」
「……ふん」
すると、急に黙り出すリフ。
暫く無言で酒を味わい、肴を咀嚼する。未だに歯も丈夫で白い。
「二人に問う。今、天下に最も近いのは誰じゃ?」
唐突に質問され二人は暫し考え込む。そして、最初に口火を切ったのは従兄のワジリ。
「矢張り、シ州のマンジ家では?」
「何故そう思う?」
リフは面白そうに、若いマンタ当主の話しに耳を傾けた。
「マンジ家は名家の出身ですし、代々高名な大臣を輩出し、政に関わってきた家系です。今の時代、幕府の権威は地に落ち、マンジ家はそんな幕府を解体して、ソウ王国復興を掲げています。それに同調する諸侯も多いと聞きます……」
ワジリは熱弁した。彼は仇討ちの事しか頭に無いかと思いきや、意外に世情に明るい。
それは彼の目的達成の為の手段でもある。只単に戦出来るだけでは独立出来ない。
そう考えた彼は、以前から情報収集を欠かさず行っている。
無論、リフも彼のそう言う所を気に入り、側に置いている。が、リフはかぶりを振り、否定した。
「マンジ家では天下は取れまい。あの家は古い仕来りに縛られ、貴族を主体とする政治を掲げておる。それではソウ国が天下を治める以前のアシハラと、なんら変わらぬわい……」
「なれば、アイチャ家は? あの家は以前から次期大将軍に成ろうと、都の政治介入もしておりますし、マンジ家と長い間政治抗争を繰り返しております」
すると、老人は高笑いをしてこれも違うと言った。
「アイチャ家は将軍になりたいだけじゃ。その先を見据えておらん。天下の大丈夫たる者なれば、千にも及ぶ計略を張り巡らせ、万里も先を見通す位せねば取れぬは……」
「……では、シン州のヒヌカン家は如何に御座います?」
「シン州は都から離れすぎておる。上洛途中、領内へ攻め込まれればそれまでよ……」
「トウ州のクリャカは……?」
「クリャカは―――」
途端、リフは浮べていた冷笑を止め、鋭い目付きに変わる。
「わしが潰す」
気迫に飲まれワジリは黙った。
と、老人はもう一人の若い当主へ視線を移す。
「アガロ。お前は誰じゃと思う?」
「分かりません」
アガロは答えたくないのか、それ以上は言わなかった。
そうしていると、リフは一息吐き、ゆっくりと語り出す。
「よいか? 今、最も天下に近い大名は、このアシハラに只一人じゃ。武勇優れ、知略に富み、力を蓄えている者が居る」
勿体つけて言う所をみると、答えは最初から、老人の中で決まっていたようだった。
恐らく、アガロもワジリも、端から老人が満足する回答を知っていたのかも知れない。だが、敢えて言いたくなかった。それは彼等なりの、ほんの小さな反抗の積りだった。
「わしが、次の天下の主じゃ」
雄弁に語り出す老人を見ながら、二人は半ば呆れ返っていた。
リフ・ナンミは確かに成り上がりとはいえ、一代で大名にまでなり、ビ・ギ郡とロウア郡の一部を切り取っている。
たった一度の人生で此処まで出来たら上出来だろう。
だが、彼は齢七十を過ぎているにも関わらず、天下を取ると豪語する。
そんな彼も立派な夢想家だ、と二人は思った。
「このビ郡は西にアイチャ家が居るが、それは取るに足らない存在よ……。攻め込めば瞬く間に崩れ去るわい。そのアイチャ家を討てば、ソウ国の都は目と鼻の先じゃ……」
老人はその頭の中に、壮大な天下統一の構想を思い描いている。
彼がこのビ郡を取ったのは、この地が天下の要所だからだろう。ビ郡は山に囲まれた地で、守るに易く、攻めるに難い土地である。土地の兵も強く、勇敢な者が多い。更に、ビ郡はアイチャ家が治めているバン郡を通れば、直ぐに都へ行ける。
「先ずは手始めに足元を固める。三年の内にクリャカを潰し、カンベ郡のチョウエン家を黙らせ、幕府再興の大義名分を掲げ、都へ上り、天下に号令する……」
「後、三年でその両家を黙らすなど、到底無理だと思いまするが?」
ワジリが堪らず話しに水を差した。
すると面白く無さそうに立ち上がるリフ。
「……ふん。次の戦の用意をしておくのじゃ。アガロは倅のジャベを、ワジリは弟のヒイラを助けよ。後の事は追って沙汰する……」
すっかり興ざめとばかりに宴をお開きにすると、部屋へ戻る。
老人の後を追い、小姓達も広間を去ると、後にはアガロとワジリの二人が残された。
「アガロ」
「……何だ?」
急に小声で話しかけてきた従兄。
「俺の話しに乗る気は無いか?」
ワジリは未だに諦めきれないのか、時々謀反に加担せよと誘ってくる。
「ない」
きっぱりと返答すると、彼はふらっと立ち上がる。
未だ酒が抜け切っていないのか、足元がよろめき、目の前がぐるぐると回る。
「本当に酒に弱いな……」
「……悪いか?」
明らか不機嫌そうに従兄を睨み付ける。アガロ本人も自分が下戸なのを気にしていた。
が、ワジリはそれを気にせずに肩を竦めた。
「何故、ナンミはお前をあそこまで気に掛けるのだろうな?」
ワジリは唐突に疑問を述べた。
「さぁな」
実はアガロもそれが分からない。自分がリフの言ったイヅナの孫だからか、それとも他の理由があるのか。
「若しや、お前の本性を探ろうとしているのかもしれんぞ?」
「何の為にだ?」
「それは俺にも分からん」
逆にアガロから言わせれば、目の前で苦笑している従兄のワジリ・マンタの方がよっぽど、野心家である。
父の仇を討つ為、日夜機を窺う彼の方が、自分よりも本性を隠しているとさえ思う。
「……俺はもう寝る」
ユクシャ当主は無愛想に言い捨てると、広間を出て行く。
月明かりを頼りに廊下を歩きながら、ふと考えた。
(あの爺も危ないが、今最も危ないのはワジリだ……。あいつから離れ、ジャベの助けをするのは案外安全かも知れない……)
そんな事を考え、夜風を浴び酔いを覚ましながら宛がわれた部屋へ入る。
(天下……、か)
祖父の夢であり、父は魔物と評し、リフや多くの大名が狙う天下の実態を、未だこの時、この若い当主は分からないでいた。
気付いたら、二十万文字突破ですO(≧∇≦)O
ここまで続けられたのもブクマ登録や、評価、感想をくださった皆様のお蔭だと思っております<(_ _)>
今後も頑張って書き続けていきます....〆(・ω・。)