第三十八幕・「三年」
天暦一一九九年・辰の月。
【――ビ郡都・ロザン城館――】
「キョウサク!」
「は! お館様! 何か御用ですかりゃ?」
「離れの”あいつ”を呼べ。また、狩りの供をせよ、とな」
「はは! 早速行って参りますりぇ!」
城館から急いで飛び出し、城下にある武家町へ向かうのは、”主殺し”の異名を持つ戦国大名リフ・ナンミの小人頭(身の回りの雑用係の頭)キョウサク。腰に刀を帯刀しておらず、士族の最底辺、足軽の身分ではない。姓氏は勿論未だ無く、最近田舎の村を飛び出し、侍になるのを夢見てナンミ家に仕官した若者である。
年の頃は十五。背丈が小さく、デコが広い。髪は痛み薄茶色。痩せこけた頬に、色黒で何とも貧相な顔立ちをしている。
小さい頃からやんちゃであり、初めは寺に預けられたが二週間もすると直ぐに親元へ追い返された。
喰い扶持を減らす為預けたのに、帰って来て貰っては困ると、今度は方々へ奉公に出すがこれも長続きせず、本人が十三になり、村で成人の儀を終えると、突然武士になると豪語して家を出た。
そして、一年前にナンミの元へ仕官し現在に至る。
士族の身分も姓氏も貰ってはいないが、彼は今度こそは、と自分に言い聞かせ辛抱した。考えてみれば、仕官して一年で小人頭は大出世である。
(何故、お館様はあの”黒鬼”の事を気に掛けるのりゃろ……?)
道中ふとそんな疑問が浮かんだ。
このロザン城下町は商いの町として栄えており、武家町はロザン城館から東に行った所に存在する。其処には主だったナンミ家臣や、ビ豪族の当主等が居を構えており、こうする事によって、ナンミは彼等の行動を監視し出来るのだ。
―――黒鬼。
巷でも、また家臣達の間でも、そう影で呼ばれている少年が、この武家町から更に東にある、離れの館に住んでいる。
彼は今まさに、その主君に言われた離れのあいつ、城下では黒鬼と渾名されている者の元へ、向かっている途中である。
【――ロザン城下・武家町――】
この辺り一帯は元々平地であったが、数年前にリフの提案で武家館を作り、家臣や豪族の当主達を住まわせている。はじめの頃は従わない者達多かったが、リフ・ナンミの威光を恐れ今では我先にと屋敷を建て居を構えている。
キョウサクが辿り着いた屋敷は、他の屋敷が立派なのに比べ、一際目立つぼろさであった。
通称『雨漏り屋敷』。
「頼も~、頼も~! ユクシャ様~! お館様がお呼びですりゃ~!」
甲高く大きな声が屋敷に響く。
(留守かりゃ?)
戸を開くとぎしぎしと音がする。大分に開き難い。
(ほんに、変わった人りゃ……。わざわざ、こんなボロ屋敷に進んで住むなんりぇ……)
腐った床板を慎重に踏みながら廊下を渡る。すると、目の前を大きな影が横切った。
「ひぇっ!? 誰りゃ!?」
「ん? おお! お前は何時ものぼうずじゃねえか!」
明るい笑顔を向けるのは大きな赤鬼。
自分は背が小さく、それで余計に大きく見える。恐らく自分の背の二倍はあるだろう。見上げなければ顔が見えない。
「何か用か?」
「おみゃい等の当主に用がありゃ」
「大将か……。悪いが今は外してるんだよ……」
申し訳無さそうに頭を掻く赤鬼。キョウサクも同じく困った顔をした。
「何時頃戻るか聞いてるかりぇ?」
「悪ぃな……」
赤鬼が知る筈も無い。彼は基本ふらっと町へ出かけては、行き先を知らせない。
「見張りが付いているから良いんじゃねえか?」
「そんりゃが、ユクシャ殿は一度表へ出ると、中々帰ってこねえりょ? お館様は直ぐに狩りに行っちまうし、困ったりぇ……」
廊下で腕を組み、互いに立ち尽くす小人頭とユクシャの赤鬼。
すると、玄関の戸が開く――正確には無理矢理こじ開ける――音がした。
「戻ったぞ」
簡単にそう言って、床板が腐っているのも気にせずに、ずかずかと歩く足音が聞こえた。
「…? ドウキ。そんな所で何している?」
「おお、大将! 丁度良かった! 今よ、ナンミ様から使いが来てるんだよ」
「何処だ?」
「此処に居るだりょ!」
真っ先に出迎えたのがドウキだった為、彼の背に隠れてしまったキョウサク。迎えとして来た彼はユクシャ当主を見た。
自分と同じ位の背丈だが、唯一違うのはその端正な顔立ちである。他に上げるとすれば、愛想が良く愛嬌たっぷりに接するキョウサクと違い、彼は仏頂面で自由奔放、我が道まっしぐらなど、要するに正反対な者同士である。
「こほん。ユクシャ様、お館様がお呼びりゃ。直ぐに狩りの支度をしてくりぇ」
「ん。トウマは留守をしろ」
「へい」
自分へは一瞥もくれず、無愛想に返事をすると、その侭廊下をすり抜け、部屋へ向かった。
その後ろを、何時もの青鬼の近習が付き従う。
「ほんに、変わったお人りゃ……」
普通ならその態度に腹も立つが、不思議と彼はそうはならなかった。
キョウサクは自分が変わり者であると思っている。親兄弟と何時も喧嘩をし、畑仕事を手伝わず、悪さばかりした。成人し家を出たのは、そんな小さな村社会で一生を終えたくないからだ。
彼は若いが確りと自分の生き方あり方を考えている。それは閉鎖的であり、非他的な村社会では異質であり、彼が飛び出した理由の一つであった。
その彼が変わり者と思う人物が二人居る。
一人は自分の主君リフ・ナンミ。もう一人は先程部屋へ向かった、ユクシャ家当主アガロ・ユクシャ。
理由は一つ。亜人を侍らしている、それだけだった。
キョウサクにとって武士とは畏怖される存在であり、伝統と格式を重んじる。それはソウ国二百年の太平の間に出来た武士の理想像である。主君に忠義を尽くし、身命をとして国の為に戦う。それが武士。
だが、アガロは大分に違った。別に格式を重んじている訳でもなく、伝統に対する敬意も見えない。
リフ・ナンミは下克上を成すまでは、一介の農民に過ぎなかった。生まれつき士族では無い。が、アガロは生まれつき士族だ。
七十を過ぎたナンミの老人の方が、武士らしい振る舞いをするが、ユクシャの当主はそれを余りしない。
現に亜人を側近としている。血統主義や伝統主義を重んじる武家社会では、余りにも異質すぎる。
「ま、家の大将はそこら辺の奴とは器が違うって奴さ」
「それはお館様よりもでかいかりぇ?」
ふと、そう質問するとドウキは得意げにニヤリと笑った。
「当ったり前ぇよ!」
豪快に笑い声を出し、背中をバシバシと叩かれる。小さな彼の体に、鬼の手は大きく痛かった。
亜人からの人望が厚い。彼はこの赤鬼や青鬼意外にも亜人を見たが、皆良い信頼関係を築いているようだった。
暫くすると、奥から支度を済まして出てくる。
アガロは馬へ跨ると、キョウサクはすかさず馬引きの役に回る。大名自ら行う狩りに同行する故、亜人を連れて行く事は出来ない。
ヤイコクという人間の家臣も居るが、生憎彼は今用事があり屋敷には居ない。実質アガロとキョウサクの二人きりである。
ナンミ家の小人頭は早く連れて行かなければならないが、彼はわざとゆっくり進んだ。
(何で、このチビがお館様のお気に入りか、確かめなくちゃなりゃね……)
異質な者同士惹かれ合うのか、或いは他にこの少年には魅力があるのか、キョウサクは確かめたかった。若しかしたら、出世への糸口が見つかるかも知れない。
「ユクシャ様は鉄砲の腕前や、馬術がお上手と聞いておりますりぇ!」
「…………」
「特に鳥騎馬を自在に乗りこなし、遠くの的を狙わせたら、百発百中と聞いた事がありますりょ!」
「…………」
得意のヨイショをしながら、話を振っては顔色を窺うが、アガロは無表情で無言、何を言っても無反応であり、流石の彼でもやり難かった。
(黒鬼様は、ほんに鬼なのかりぇ……)
黒鬼とはアガロの蔑称である。
彼はこの地域では珍しい南方出身の者と、同じ肌をしている。また、髪も目の色も黒い。そして、沢山の亜人、特に鬼を侍らせている。
次第に周囲は彼の事を『実はあいつも鬼の仲間だ』と噂するようになり、何時しか付いた渾名が”黒鬼”。
キョウサクは無言の道中、その噂を思い出した。勿論言う積もりは無い。他に話題はないかと考え、ふと頭に浮かんだ程度だった。
「ユクシャ様はお顔が中々に良いですりぇ、さぞや御婦人方に人気があるんでしょうりゃ」
相変わらず返事も何も無い。彼は気にせず話を続けた。
「おりゃあ、見ての通りこんな不細工面りゃ。昔から化物~、何て言われて、からかわれたりしましたりぇ―――」
「お前」
はじめて口を開いたユクシャ当主。彼は口にした事を反省した。
キョウサクは人の声で今その人物が、どんな気分かが大体分かる。相手の感情に敏感に反応する。そして、アガロは何故か機嫌の悪そうな声だった。
アガロからしたら、普段通りかもしれないが、キョウサクにはそれが、酷く苛立った声に聞こえた。
若しかしたら不興を買い斬られるかも知れない。
口は災いの元。出した言葉は飲み込めない。恐る恐る馬上の彼の顔色を窺う。
「何ですりゃ…?」
「生まれは何処だ?」
何を聞かれるかと思えば、アガロはキョウサクの出生地を訊ねた。
訳が分からなかったが、取り合えず答える。
「おりゃあは、ソウ国の都からずっと西の、シン州の山奥の生まれりゃ」
「その喋り方はシン州訛か?」
「そうですりょ」
「りゃありゃあ五月蝿い。喋るな」
瞬間、キョウサクは閉口した。何を言われるかと思えば、いきなり黙れである。よく喋り、愛想良くする事でこの乱世を渡り、リフ・ナンミの小人頭にまでなった彼にとって、言葉を取られたら、他に何も無かった。
(一体何を考えているか、分からねえお人ですりょ……)
空気が重かった。こんなにも息苦しいのは、初めてかも知れない。
彼は子供の頃から人間観察が好きで良くするが、アガロの表情や心は読めなかった。
眉一つピクリとも動かさない彼を、心の何処かで少し恐ろしく感じた。
基本、分からないというのは人にとって恐怖である。ユクシャの当主程、分かり難い者は他に居なかった。
キョウサクは、ユクシャ当主の事は人から聞いた話でしか知らない。
先ず、親の葬儀で鉄砲を撃ち鳴らした当代一の親不孝者。亜人を側に置き、士族らしからぬ振る舞いをする変わり者。その上、表情を上手く読み取れない。
そういった部分が、あらぬ噂を作り上げる材料にもなる。ユクシャの当主は、当の昔に悪霊に魂を売り渡している、故に表情が無い、とか。実は、今居る彼は影武者で、本物が何処かに隠れているなどである。
(よくよく考えてみりゃ、面白いお人りゃ……)
キョウサクが普通の人間と違う処を上げるとすれば、その好奇心であろう。彼は知らない事は知っておきたいし、それが有力な情報なら金を払ってでも手に入れる性分である。
今迄そうやって世の中渡ってきた。彼はその若さでは珍しく、銭の力、情報の力を十分理解している。
(にゃら、おりゃあがする事は一つだりぇ……)
―――この当主を調べ上げる。
飽くなき好奇心の対象が今度はユクシャの当主に変わったのは、アガロの不幸であろう。
年も一つしか違わないし、意外に馬が合うかもしれない。何故、彼が変わり者なのか、何故、人よりも亜人を侍らすのか、それが今度は気になった。
「ユクシャ様。着きましたりぇ」
「…………」
彼は労いの言葉を述べず、またキョウサクに一瞥くれてやる事なく、下馬して城館へ入る。
その後姿を盗み見ながらキョウサクは思った。
(このお人には何か秘密があるかも知れねえりぇ……。それを掴めりゃ、或いは出世が出来るりぇ……)
その瞳に好奇と出世欲を宿し、獲物を狙うかのように鋭くする。
窪んで大分に不細工な彼の顔からは、考えられないような目付と不敵な笑みをすると、直ぐ様後を追い、主君の元へ案内した。
(三年……)
城へ登城しながら、アガロは別の事を考えていた。
(早いものだな……)
自身がこの地で人質生活を送り、既に三年の月日が流れていた―――。