第三十六幕・「葬儀前日」
【――当主の部屋――】
「若旦那。そろそろお休みになった方が……」
「…………」
縁側でぼーっと月を眺める少年に、後ろからトウマが声を掛けるが、彼は返答せずに無視した。
先程からこのやり取りが続いていた。
「明日には此処を発つんですから、もう休んだ方が良いですぜ?」
「トウマ。今夜は月が綺麗だ」
徐に青鬼は空を見上げた。
葬儀の騒ぎが起こってから、既に二日が過ぎている。本来は百日の間、喪に服さなければならないが、アガロは正装をし、全く仕来たりを気にしている様子は無い。
光の強い月が、闇夜を照らす。
「大将? 起きてるか?」
「入れ」
すると突然、聞き慣れた赤鬼の声が聞こえた。
アガロは待っていたとばかりに、襖をトウマに開けさせ、彼を中へ招き入れる。
ドウキは一礼すると部屋へ入るが、上座に居る筈の当主が居ない。きょろきょろと見渡すと、彼が縁側に座って足を投げ出し、一人月を見上げているのを見つけた。
「供する者達、集まったか?」
当主は振り返りもせずに部下へ訊ねた。
「ああ、遅くなってすまねえ」
ドウキは申し訳無さそうに手を後ろにやり、平謝りをする。が、見えてる筈も無い。
「それで、誰が来る?」
「先ず、リッカとコロポックルのレラ、それとデンジが来るぜ」
「リッカもか?」
ドウキにはトウマから事情を説明させ、ビ郡へ連れて行く御供衆を密かに集めさせていた。
彼の話によるとコロポックルのレラ、俊足のデンジが付いてくる事になった。そして意外にもリッカが同行するという。
「あいつは天下取りに仕えるんじゃなかったのか?」
「『一応、助けて貰った恩を返す』って言ってたぜ?」
「可愛く無い奴だ」
「でもま、リッカは強えし頼りになるんじゃねえか?」
「他は? これだけか?」
「おいおい」
当主が話を終らせようとすると、赤鬼は肩を竦めて見せた。
「おれを忘れて貰っちゃ困るぜ?」
意外な言葉に少し驚き、アガロは顔だけ振り向ける。
「お前は亜人大将になったばかりだろう? その職を投げ出すのか?」
「リッカやレラちゃんが良くって、おれは駄目だ、何て言わねえよな?」
「お前がレラを”ちゃん”付けで呼ぶと、何処か犯罪臭いぞ……」
彼の毒舌に赤鬼は苦笑いして見せるが、考えを改める気は無いらしい。
「……どうなっても知らんぞ?」
「おう! 望む所よ!」
がっはっはっは! と勢い良く笑うドウキ。だが、次は少し浮かない顔をする。
「コウハとギンロにも一応声を掛けたんだが……。未だ保留だそうだ」
「あいつ等は仕方ないだろう。一応あれで傭兵だ。御供衆なぞに加わるとは思えない……」
「ま、そういう事だぜ。あの二人は諦めた方が良いんじゃねえか?」
それを聞くと、アガロはまた月を見上げた。
(トウマ。大将は一体全体どうしちまったんだ?)
ドウキがばれないように、こっそり質問すると、トウマも同じく声を顰めて返事をする。
(へい。大旦那の葬儀の後、ずっとああなんですよ)
(そうかい)
ふと赤鬼は思った。若しかしたら、人質になるのが不安なのかも知れない、と。
普段のアガロからは想像も付かないが、未だ彼は幼い。精一杯見栄を張って、誤魔化しているのかも知れない。だが、こんな事を聞いても答えてくれる処か、逆に怒られるだろう。心に思うだけで、言わないでおいた。
「トウマ、ドウキ」
ふと名を呼ぶと、二人は当主へ視線を向けた。
「もう下がれ。明日は早くに此処を発つ」
赤鬼はそれを聞くと、ぺこりと軽く頭を下げて退散した。
「若旦那。あっしは若旦那が眠っている間、見張りをしなくちゃなりやせんのでお気遣い無く……」
「そうか」
興味が無さそうに返事をすると、引き続き月を見る。
すると―――。
「御当主様!」
「如何した、マヤ?」
突如、慌しく部屋へ駆け込んできたのは鬼の侍女。彼女は血相変えて息を切らせている。
「ル、ルシア様が……!」
「…! 姉さんが如何した!?」
彼は立ち上がると侍女へ歩み寄った。肩に手を置き、落ち着くように促すと、彼女は深呼吸を一つして口を開く。
「ルシア様のご容態が……!」
「若旦那!」
トウマが言い出す前に彼は部屋を出ていた。
【――奥の間・ルシアの部屋――】
「姉さん!?」
「待ってましたよ、アガロさん」
彼は目を丸くした。襖を勢い良く左右に開いた自分を、待ち構えていたかのように、ルシアは上座に着座している。何処も具合が悪そうには見えない。
「姉さん…? 容態が悪くなったんじゃ……」
「其処へ座って下さい」
訳が分からず言われるが侭、姉の前に敷かれている座布団へ腰を下ろす。
「姉さん……?」
「それは嘘なんです。アガロさんをここへ呼ぶ為の……」
「ふざけるな!」
途端、彼は頭に血が上り、カッとなって立ち上がる。
「ごめんなさい……。ですけど、こうでもしなければ、アガロさんはお会いになってはくれないでしょう?」
「俺は部屋へ戻る! こんな人騒がせな事二度としないでくれ!」
その侭立ち去ろうとする彼を、姉が後ろで呼び止めた。
「待って下さいアガロさん! ご心配をお掛けした事は、幾重にも謝ります! ですから……、私の話を聞いてはくれませんか!?」
「話す事など無いだろう? 俺は明日発つ! 付き合ってられん!」
「アガロさん。何故私がこんな回りくどい真似をしたとお思いですか? 態々当主以外禁制の奥の間で、しかも侍女達を払ってまで……」
そう言われて見れば、とアガロは周囲を見渡した。廊下にも、ルシアの部屋の中にも、侍女達の姿は見えないし、その気配も無い。
彼はゆっくりと振り向く。
「そんなに大事な話しなのか?」
「はい」
再び座るよう促される。渋々また座ろうとすると、今度はルシアが上座を空け、下座へ移動する。アガロは上座へ腰を下ろすと、姉を見た。
彼女は自分の目の前に着座し、互いに目を合わせる。
「話とは?」
「お父様の葬儀の件です……。何故、あのような真似を……?」
それを聞くと眉間に皺を寄せ、あからさまに嫌な顔をするアガロ。
「あれは俺からの手向けだ。深い意味は無い」
「ですけど、あのような所業は、当主としての印象を悪くしますよ? 折角、先の戦で御味方を救い、見直されたというのに……」
「関係ない。話はこれだけか? なら、俺は部屋へ戻るぞ」
冷たく言い放ち、そこで話を終らせようとするが、ルシアは引き下がらなかった。
「アガロさんは私に何か隠し事をしているのでは?」
その言葉に当主は少し固まった。表情を変えず、姉を睨む。
「隠し事、とは?」
「アガロさん?」
白を切ろうとする弟をきつく睨む。
「私はこう見えても怒る時だってあるんですよ?」
口調が変わった。何時ものようなゆっくりとした優しい語り口ではなく、何処か冷めたような冷酷さが含まれている。
「……もう怒ってるじゃないか」
「アガロさんは隠し事をしている……。それもタミヤ姉様とです」
「…………」
暫し無言。やがて、当主は口を開いた。
「何故、そう思う?」
「葬儀の際、アガロさんに斬りかかった姉様を見て、そう思いました……」
「あれは姉上が、カッとなって斬り付けてきたんだ。何処も変では無いだろう?」
「違います」
即座に否定される。
「姉様はアガロさんを打ったり蹴ったりしますが、刀を抜く事は決してありませんでした」
「…………」
間を少し置くとルシアは続ける。
「私には、あれがどうも何処か不自然に見えました」
「どう不自然なのだ?」
「まるで御芝居のような、やり取りだったからです」
「俺と姉上が芝居を打った、と?」
「はい」
弟は肩竦め、呆れたような顔をした。
「何故、俺がそんな事を? 俺だけではなく、姉上まで……。葬儀で鉄砲を打ち鳴らす事を知っていれば、姉上なら止めた筈だ」
「確かに。ですがそれを止めなかったという事は、重大な秘め事があるから。そう、例えば―――」
彼女はそこで言葉を区切ると、一瞬間を置きそしてゆっくりと言った。
「御家に関わる事」
また両者の間に沈黙が訪れる。
「その事、他の者には?」
「……矢張り、私の考えは当たっていたのですね?」
「…………」
明らか決まりが悪そうに顔を歪めた。
「心配しなくてもこの事、未だ誰にも話していませんよ?」
優しく微笑む姉とは対照的に、不機嫌そうに睨む弟。
(……姉さんには敵わないな)
と内心思う。姉弟の所以か、それとも彼女の思考が自分と似通っているからかは分からない。だが、ルシアは聡明であり、また勘の良さがある。アガロにとってそれは、苦手な処の一つであった。
また、この姉は長女とは違う怖さがある。
タミヤは烈火の如く燃えるように怒るが、ルシアは吹雪のような凍てつく怒りである。特に真剣な話しになると、茶化すのをやめる。それが普段とは違う怖さを醸し出す。
「この事は他言無用だ」
「私もユクシャの一族。心得ています」
「……実は―――」
【――回想・葬儀前日・サヒリの部屋――】
「アガロ。もう一つ話しがあるとは?」
「これはユクシャ家に関する事だ。心して聞いてくれ」
ゴクリと唾を飲み込むタミヤ。
「……家臣達に付いて、少し気懸りな事がある」
「どのような事だ?」
「俺が居ない間、あいつ等が姉上を支え、ユクシャ家を守ってくれるかどうかだ……」
それを聞いた途端、姉は目を吊り上げ弟を睨む。
「それは詰まり、お前は私を…ユクシャ家臣を信用していないと……?」
「全てではないが、大体そうだ」
「お前!?」
タミヤが何か言おうとした瞬間、サヒリが手で制止した。
彼女は母親へ視線を移すと、母は何処か神妙な顔をしていた。
「御館様の御心内、私にも分かる気がします」
「母上!?」
意外にサヒリも、アガロと同じ考えであった事に、タミヤは少し驚いた。
「若しや……、御館様は自分が人質になっている間、家臣達が好き勝手しないか懸念しているのでは?」
「そういう事だ」
「待て、アガロ! 如何いう事か説明しろ!」
「……姉上。落ち着いて聞いてくれ」
先ず、アガロは今のユクシャ家臣に付いて話し始めた。
当主である自分の守役シグル・イナンを筆頭に、ソンギ・ハン、ナンジェ・カイ、赤鬼ドウキや、今は城に居ないが、元コサンの小姓頭ヤイコク等、主だった者を上げた。
「その者達が一体如何した?」
「姉上。こいつ等は忠誠を誓ってくれるが、そうで無い者達も勿論居る」
アガロは話を続けた。
彼等は信じても良いが他の者達、詰まり、コサンに取り立てられた侍従や侍大将、小姓達などである。
「そいつ等が一体何だというのだ?」
「姉上。考えても見ろ。あいつ等は父上の家臣であって、俺等の家臣では無い。詰まり―――」
「詰まり御館様は、その者達が城代になったタミヤに忠義を尽くしてくれるか、心配なのですね?」
「そうだ」
サヒリは納得した。
確かに彼等はユクシャ家臣ではあるが、アガロ、タミヤの家臣ではなく、コサンの家臣である。新しい当主に、また若い城代に果たして仕えてくれるかが気懸りであった。
「あいつ等が何時増長し、ユクシャを乗っ取るか分かったのもではない」
「馬鹿な! あいつ等は不忠者では無い!」
二人とも部下思いであるが、決定的な違いがある。それは弟が当主であり、姉が家臣という事だ。
タミヤは家臣という立場から、父に仕えてきた者達とは些か交流もあり、信を置いている者少なくない。
だが、アガロは当主として、彼等の野心をそれ以上に警戒しなければならない。
この乱世、多くの家が下克上され、乗っ取られてきた。それは一豪族のユクシャ家といえど、例外ではない。
「姉上。そいつ等が、手のひら返さないと思うか?」
「だが、皆父上が居なければ、ここには居ないのだぞ!? 恩義はあれど、謀反を起す動機が何処にある!?」
「姉上は優しいが愚かだ」
「何だと!? 貴様!」
「二人とも落ち着きなさい!」
今にも喰って掛かりそうな勢いのタミヤと、それを睨み返すアガロをサヒリは宥めた。
「タミヤ。あなたのその考えは素晴らしいですし、この母もそうである事を願っていますが、人は何時、何処で、どう変わるか分からないのです……」
経験があるのか、母の言葉はやけに重かった。
「それで……。御館様は如何なさるお積りで……?」
サヒリとしても、同じく家臣達の野心を警戒している。
今迄は自分が纏めていたが、今回は大分想定外の事態だ。当主を人質に取られる上に、自分はギ郡都・サイソウ城下町へ蟄居。代わりに城を治めるのはタミヤ。
実質、彼女がユクシャ家臣団を、纏め上げねばならない。だが、その為の実績が、彼女に少なかったのが不幸であった。
幾ら当主の姉とはいえ、実力無く取るに足らないと露呈すれば、裏で悪事を働くかも知れない。
或いは、徒党を組んで下克上もあり得る。シグルやソンギが居れば問題ない、とも言い切れない。
ユクシャ家が弱っている今、最悪の事態は想定しなければならない。
「俺はそいつ等が、姉上に畏敬の念を持って仕えてくれれば、と思っている」
「その為に、私達の協力が必要なのですね?」
「実際には、姉上の協力が必要不可欠だ」
アガロは何か考えがあるのか、眼差しをそっとタミヤの方へ向ける。
対するタミヤは、怪訝な表情で見つめ返してきた。
「一体私に何をしろと?」
「明日。父上の葬儀を行う」
「それがどうした?」
「その葬儀の途中、俺が一芝居を打つ。姉上は俺に斬りかかって欲しい」
「なっ!?」
彼女は思わず目を丸くする。
「本当に斬れとは言わない。ふりをするだけでいい」
「だが、それではお前が!?」
「これはユクシャを守る為だ」
納得がいかない様子の彼女に、弟は御家の為と説いた。
「考えても見ろ。当主へ斬りかかる姉を見て、家臣達は如何思う? 『タミヤ様には決して逆らってはいけない』とこう思う筈だ」
「詰まり御館様は恐怖で、家臣達を纏めると?」
「そうだ。前に戦場で聞いた『人は恐怖と利益で動く』と。今の俺等には十分な金は無い。今回は畏怖の念に訴えかける。不正を許さない姉上を見て、家臣達は大人しくなる、と。俺は思っている」
「ですが、余り厳しいと今度は不満が募りますよ?」
「母上。何の為にシグルを残す? あいつは上と下との付き合いを心得ている。姉上は厳格で厳しく家臣に当たり、爺がその中間役を勤める」
その考えにタミヤは意見した。
「私にはソンギが居る。あいつでは駄目なのか?」
「姉上。ソンギは武に頼りすぎている。武人然とする者達好み、文官達の意見を遠ざける節がある。あいつでは無理だ」
「そうか……」
残念そうに俯く姉。
彼女の守役を務め、ここまで立派に育てた彼の業績は評価されるだろうが、こと人事においては人の選り好みをする。
逆にシグルは父の絶大な信頼を置かれた老臣であり、中々に苦労人である。ユクシャに長年仕えた実績と、ソンギ以上に人望がある。適役である、と。アガロは説明した。
「また、俺が父上の葬儀で騒ぎを起すは、気が狂っているからではなく、家臣達へ戒めの為だ。『俺が居る限り、ユクシャ家を好きにはさせぬぞ』と」
「だが、アガロ。あんまり出過ぎた事をすれば、ナンミに睨まれるぞ?」
「姉上。これはナンミを油断させる為にする。ユクシャの現当主が、父の葬儀で騒ぎを起す阿呆となれば、欺く事が出来る」
「逆にお前への信用を無くし、家を離れる者達が増えるかもしれないぞ?」
タミヤは彼の印象が悪くなる事は、家臣離散に成りかねないと説く。
「そうなったら、それまでの奴等だったという事だ。俺は不忠者は要らない。真にユクシャ家に忠勤を尽くしてくれる奴等だけが欲しい」
「そのような人をふるいに掛けるやり方は、当主として―――」
「姉上」
唐突に当主が話を遮る。
「俺は姉上を信じている」
「な、何だ!? いきなり……」
「姉としてではなく、ユクシャ家臣としてだ」
「それが如何したというのだ?」
「姉上なら家臣達を纏めてくれる。そうだろう? それとも…自信が無いのか?」
彼の安い挑発に姉はむっとした。腕を組むと弟を見返す。
「馬鹿にするな! 私とて武人の端くれ! 主君の留守くらい確りと守ってみせる!」
「任せたぞ」
その様子をにやりと見つめると、今度は母へ視線を移した。
「母上、そういう訳だ。俺が何をしようと、口出ししないで欲しい」
「本当に、宜しいのですね?」
「ああ」
彼は決心したように頷く。
「なれば何も言う事はありません」
「頼んだぞ」
【――回想終了――】
「まさか……。お母様までもが知っていたなんて……」
「黙っていて悪かった。だが、これも家の為、一族の為だ。父上は俺に言った。『家を守れ』と……」
「ですけど、私にだけ打ち明けてくれなかったのは寂しいです……。私も家族ですのに……。もしや、この二日間、誰ともお会いにならなかったのは、それを悟られたくなかったからですか?」
「ああ」
「そんなに疑らなくても良いのですよ?」
彼女は諭すように言うが、弟は反論した。
「姉さん。今のユクシャは弱い。縛らなければ、緩みが生じ、そこから崩れる」
「ですけど―――」
「姉さんは、余計な心配しなくていい」
何かを言おうとしたが、遮られた。口を閉じるルシア。
しかし、彼女は少し考え込むと、
「詰まり今の言葉を要約すると……、私に心配を掛けたくない、と?」
「何でそうなるんだ!?」
「私もユクシャの女です。御家の事でアガロさんが一人で悩む事はありませんよ? 必要とあらば私も共に考える事くらい出来ます」
―――それに、と彼女は続ける。
「全てを信じろとは言いません……。ですが、お母様や姉様に打ち明けたように、私の事も信じては頂けないでしょうか?」
真摯な瞳で当主に訴えかけた。
アガロは黙り込むが、やがて諦めたように溜息一つ吐く。
「……分かった。正直、姉上だけでは心配だ。裏でこっそりと知恵を貸してやってくれ……」
「お許し頂き、忝のう御座います……」
にっこりと笑みを浮かべ、恭しく礼をする姉。
「…………今日、ここであった事は決して言うな。俺はもう行く」
「待って下さいアガロさん」
再び止められる。今度は何だとばかりに、うんざりそうに振り返ると、彼女から何かを手渡された。
「……これは?」
「ずっと懐に忍ばせていたのです……。こうでもしなければ渡す機会が無いと思って……」
それは貝の首飾り。それも見覚えのある貝殻ばかり。
「贈って貰ったハギ村の貝殻です。手製ですけど、首飾りを作ってみたんです……」
「……そう、か」
素直に喜べないのが彼の性分だった。今迄叱られる事の方が多かったからか、こういう時、如何反応したら良いか悩んでる様子であった。
「ビ郡に海は無く、山と森しかないと聞きました。ですから、これを見て、時々ギ郡の事を思い出して下さいね?」
「作るのに苦労したんじゃないか?」
「マヤが貝に穴を開けるのを手伝ってくれたんです。それ程、作業に苦労はしませんでしたよ?」
弟は手に持った貝の首飾りを繁々と観察した。
「そうか……。じゃらじゃらして何か邪魔だな……」
「お気に召しませんでした?」
不安そうに見つめるルシア。
「いや、その……、折角作ってくれたんだ。餞別として貰っておく」
言い捨てると、首にササッと結びつけた。
それを見ると、ルシアは居住まい正し頭を垂れる。
「アガロさん。いえ、御館様。御武運を……」
「俺は戦に行く訳じゃない。それに…御館様は何か変だ……。何時もの呼び方で良い……」
「ふふふ、そうですね。アガロさん。寂しくなったら、何時でも帰ってきて下さい。そして、私の胸の中で沢山泣いて下さいね?」
「俺は泣かないし、そんな所見せて姉さんに弱みを握られたくは無い」
「まぁ、人聞きの悪い。何も回りに言い触らしたり、酒の肴にして笑い話にする積りはありませんよ?」
「はぁ……」
楽しそうに笑う姉を尻目に、アガロは静かな足取りで部屋へ戻って行った。
「若旦那! ルシア様の具合は!?」
奥の間を出ると、待っていたのはトウマであった。この先は奥の間故、立ち入る事が出来なかったのだ。
「安心しろ。姉上は何時も通りだった……」
「へ?」
「……部屋へ戻る」
その侭黙って部屋へ戻る当主。来る時とは違い、何故げんなりとしているのか、そして初めて見る彼の首飾りに付いて、訊ねる事が出来なかった。
やがて夜は開ける――――――。